昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

ある日、ブログがなくなるリスクを考えたことはあるか

Doblogの思い出

13年くらい前になりますが、Doblogドブログというブログサイトでブログを書いていました。

 

当時は既にgoo、Livedoorなどのブログサイトがメジャーなブログサイトとして君臨していました。
はてなはダイアリーがあったのは覚えてますが、ブログはなかったはず。

その中で何故Doblogを選んだのか、今思えばなんでだったんですかね?わかりません。

 

Doblogは、管理会社こそNTTデータという大企業でしたが、サイト自体はマイナーなせいかこじんまりとしており、Doblogユーザーは自虐を込めて「Doblog村」と呼んでいました。
「村」とつくだけあって、ブロガー同士の横のつながりは深いものでした。

ツイッターFacebookも当然なかったので、その分村の住人どうしで和気あいあいとお互い肩を寄せ合っており、サイト自体SNSの元祖のような雰囲気がありました。

はてなブログもけっこう横のつながりが強いブログサイトだと思いますが、Doblogは人数が少ない分、濃度はそれより高めでした。

仲が良くなった「村民」どうしでオフ会をしたり、モノを交換したり、交流は非常に盛んでした。10年以上経った今だから言いますが、ちょっとした恋物語も。まあ実りませんでしたが(笑

 

medium.com

の中に書いてある、

ちょっとしたSNSのような雰囲気もあるブログサービスでした。

には全面的に同意です。
サラッと書いている文章ですが、あの雰囲気を味わった「Doblog村の元住民」しか書けません。

くそ、俺が書きたかったことを先に書きやがって(笑

 

ブログサイトとしては非常に原始的なものだったので、はてなブログのようにスターははてブなどはなく、トラックバックすらありませんでした。

写真も一記事につき5枚しか貼れなかったし。

しかし、このDoblog、しょっちゅうサーバーダウンしてしまう上に、めちゃくちゃ重いという欠点がありました。
しかし、それもDoblogの醍醐味とばかりに、みんな
「またか~」
とのんびり復旧をお待ちする、実にのんびりとしたものでした。
なにせ「村」なので、「村長」であるDoblog運営との距離も非常に近いものでした。

 

NTTの実験ブログサイトという意味合いもあったこのDoblog、ブログサイトとしてはホンマに欠点ばかりでした。

しかし、Doblogを愛するドブロガーたちはそんな欠点でさえも愛でるような寛大な心を持っていました。まるで、出来の悪い不良息子を愛おしく思う母親のように。

まあ、そういう境地でないと、Doblog村民なんてやってられなかったんですけどね(笑

 

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筆談-日本人と中国人の漢字コミュニケーション

 

今日は、漢字を書いて中国人とコミュニケーションを取る話やで~

日本語を勉強している外国人に、

「日本語の難しいところはどこですか?」

と聞くと、いろんな回答が返ってきます。

しかし予想通り、大多数の人が答えるのは漢字です。

 

中国語を勉強している外国人に、

「中国語の難しいところはどこですか?」

と聞くと、同じようにいろんな回答が返ってきます。

しかし予想通り、大多数の人は「漢字」と答えます。

 

ただし、これには例外があります。

日本語に関しては中国語を使う人、中国語に関しては日本語を使う人を除く、ということです。

 

ここでわかるように、日本人と中国人は「漢字」という共通の文字を使用します。

漢字は「表意文字」なので、字を見たらすぐに意味が理解できるところが良いところです。「表意文字」でわからなければ、象形文字の一種と思えば結構です。英語などのアルファベットは、音を表現するものなので、「表音文字」と言います。

なので、漢字を書くと言葉の壁を超えてコミュニケーションが取れたりします。これを筆談」といいます。

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【シリアの国内・国際政治】シリア内戦ABC 後編

前回の記事

わかりやすく解説!シリア内戦ABC 前編-宗教対立 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ

では、宗教の面からシリア内戦の事情を書いていきました。

しかし、原因はこれだけではありません。

お次はシリアの国内や国際政治、特に大国が絡んだ政治的要因を見ていきましょう。

 

 

シリアの政権は、

 

ハーフィズ・アル=アサドシリア前大統領

ハーフィズ・アル=アサド

(以下、「パパアサド」)

 

息子の

バッシャール・アル=アサドシリア現大統領

バッシャール・アル=アサド(以下「子アサド」)

によって権力の世襲が行われ、40年間シリアを支配してきました。
権力の世襲といっても北朝鮮ほど露骨ではありません。国民投票をした結果、大統領に信任されたという手続きは取っています。それが正当な手続きで行われたかどうかは別として。


シリアの国体は社会主義で、アラブの中の社会主義国となっています。
なので、アサド親子政権はずっと親ソ連を貫き、ロシアとも緊密な関係になっています。
また、イランとも仲がよいため、周りのアラブ諸国、特に実際に戦争をしたイラクや、
何かとイランを目の敵にするサウジアラビア等とは、仲はよろしくありません。
(※イラクとはフセイン政権崩壊後に関係を回復していて、今は良好です)


俺がシリアに行った頃はパパアサドが政権を握っていた頃ですが、その1年後にパパが亡くなり、子アサドが政権を引き継ぎました。

 

シリア国内の政治は、「バアス党」という政党の事実上一党独裁です。
アサド親子はバアス党の党首という存在で、バアス党が大統領を任命する権利を持っていました。
もちろん、他の政党もあるにはあるのですが、事実上バアス党の衛星政党となっていて、民主主義国家で言う『野党』が存在していない状態です。
これは「自称民主主義国家」ではよくあるパターンで、中国や北朝鮮も、実は共産党以外に政党は存在しているのです。

ちゃんと他の政党もあるんですよ、だから独裁国家じゃないですよ!というアピールです。ただし、「他の政党は共産党の指導に従う」(中国の場合)と書かれているので骨抜きにされ、野党たりえません。

 

バアス党の支持層は、イスラム教のアラウィー派がメインですが、スンナ派以外の少数派イスラム教徒やキリスト教徒も支持しています。つまり、スンナ派以外はみんな支持しているということです。


何故かというと、バアス党(=アサド政権)が「世俗主義」と採っているから。

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面白い、そして恐るべしうどん県の風景

うどん県公式ロゴ(許可済み)

 

先日、うどんが食べたくなってうどん県こと香川県に行ってまいりました。

うどんレポートはまた後で別記事にするとして、初めてうどん県に上陸していろいろとカルチャーショックを受けてきました。

 

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「エモい」ブログ-自分のブログの原点を考察する

自由ネコさんのブログの記事。

 

gattolibero.hatenablog.com

 

ここを見て、考えさせられることがありました。

朝起きてすぐに見ていたのですが、それを見てインスピレ~ションが湧き朝イチからブログを書く。私の「ブロガー時間」は夜なので、朝から筆を走らせ・・・いやキーボードを叩くのは非常に珍しい。

 

本文中によると、「エモい」とは「エモーショナル」のことで、書き手のブロガーの個性の牙を剥き出しにしたことらしい。

 

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上海日本人租界散歩 先人たちの跡を訪ねて 第ニ章

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前回の旧日本人居留区(日本租界)を歩く旅、

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

から話を進めます。

 

ガーデンブリッジの北側にある日本人の足跡

 

上海日本租界地図その1

 

 

 

戦前は熙華路(Seward Road)と呼ばれた長治路あたりも昔の建物がよく残り、
租界時代の住宅地の名残をよく留めています。

もう18年前になりますが、放浪の旅の途上で浦江飯店に滞在しこの道は毎日のように通っていたのですが、改めて通ると昔は宝の山を目の前にして宝の価値がわからない故に見逃していたことがわかりました。
無知なのは悪くはないが、無知を続けるのは愚かなことであろう。
長治路を何気に歩いていると、武昌路との角になにやら気になる建物が。

 

上海の日本租界長治路の大日本航空会社オフィス跡

 

見事な赤レンガ造りだが、上海にはよくある洋風の建物であり特に目立つということはありません。
似たような建物は回りにけっこうあるのですが、どうも自分の直感が何かあるとしきりにサインを送っている・・・。
「上海歴史ガイドマップ」を紐解いてみると、ここは大日本航空会社のオフィス跡とのこと。

 

大日本航空会社とは何か。

1939年(昭和14年)9月1日に、日本と中国・満州の航空連絡の便宜をはかるため日本航空輸送(株)と満州航空(株)の子会社、国際航空(株)が合併し設立された会社です。

国策会社ゆえに終戦で民間航空の就航が禁止され解体されましたが、その種はのちの日系航空会社に引き継がれています。

 

日本支配地域の拡大とともに広がる翼

 

上のリンク先に昭和15年の航空時刻表がアップされているのですが、当時から上海までの定期便も飛んでいたようです。

また、当時日本の委任統治領だったパラオや、軍が占領していた北部仏印まで定期便を飛ばしていました。将来的にはヨーロッパまでの便も計画していたそうです。

 

日本の文豪が愛した旅館の跡

長治路をそのまままっすぐ向かい、ミン(門構に文)行路を左に曲がると、
典型的な租界風建築と瓦屋根という、

 

妙な組み合わせの建物が目の前に見えます。

 

 

上海旧日本租界の萬歳館

 

萬歳館の位置と地図

 

ここが「萬歳館(まんさいかん)」の跡です。戦前は日本人の往来が多かったために日本人経営の日本旅館が、「日本租界」のあちこちにあったのですが、その中でも規模・格式ともに筆頭に挙げられていたのがここです。

1904年に相川ツルという女性が創業した宿で、上海で一番有名な日本旅館だけあって、文化人もここによく宿泊していました。
芥川龍之介佐藤春夫等もここを拠点に、上海ライフを楽しんでいたといいます。
特に芥川龍之介に至っては、3階に住んでいた頃にここのメイドに惚れてしまい、取材そっちのけにお熱を上げてしまったという、ほのぼのエピソードまで残っています。
今は1階が部分がレストランになっています、瓦屋根は中国にしては妙に違和感があり、恐らく当時のものを流用しているのかもしれません。「昭和考古学者」としては、少なくともそう願いたい。

 

須藤医院と魯迅

ミン行路と峨眉路との交差点を右に曲がると、右手に3階建ての赤レンガの立派な建物が見えます。周りの建物が古ぼけた白い建物なので余計に目立ちます。

 

上海日本租界須藤医院跡

 

そこはかつて、須藤五百三(いおぞう。1876-1959)という医師が1919年に開いた須藤医院の跡です。

須藤医師は『阿Q正伝』『狂人日記』等で有名な、中国文学者の魯迅の主治医をしており、晩年の魯迅の自宅まで往診に向かっていました。
2階が診療室になっていたといい、ここに医院を開くということは、周りの住人に日本人が多かったと容易に推測できます。
そう思うと、何か在りし日の先人たちの息吹がまだかすかに残っている気がした。22年前に歩いた時は、ここあたりにかつてお隣さんが日本人だったという中国人が、数人住んでいました。日本語もそこそこ話すことができ、良好なご近所付き合いをしていたと言っていました。

「上海歴史ガイドマップ」によると、魯迅の日記には須藤医師の名前が150回以上も出てくるといいます。

 

これは面白い話ですが、須藤医師魯迅暗殺説なるものがあります。
これは魯迅の息子(名前失念中)が著書の中で言い出した新説なのですが、根拠は「(彼が)1961年に来日した時に彼が来なかった」からだそうな。
しかし、須藤医師は1959年に亡くなっており、1959年に亡くなった人が1961年に会いに行けるかよ、と本にツッコミを入れたことがあります。
それ以前に、須藤医師が魯迅を殺す動機が全くない。日本の特務の指示があったなどと言いたいのでしょうが、それはネットで流れる、時系列無視の陰謀説と何ら変わりはありません。
ただの勘違いか、息子の根拠のない妄想なのでしょう。

 

この近辺に住んでいた日本人の一人に、先々月まで生きていた林京子という作家がいます。

林京子 - Wikipedia

彼女は父親の仕事の都合で1931年~1945年の少女時代を上海で過ごしていて、その時の思い出を『ミッシェルの口紅』『上海』などの教養小説にして書いています。

上海・ミッシェルの口紅(Amazon)

彼女の家はこの須藤医院のすぐ近くにありました。この作品は、上海で日本人と中国人が共存して暮らしていた平和のひとときから、戦争で不穏な時代になる流れを、少女の目を通して語っています。上海の日本人の歴史に興味がある人は、この本は必読です。

その中で、魯迅の話を聴き作者も幼い時に、同じ須藤医師に診てもらったことがあることを思い出したそうです。

 幻の「虹口マーケット」

須藤医院跡をそのまままっすぐ行くと、次の交差点の右手に、ツタで囲まれた校舎のようなものが見えます。
校舎には「虹橋区第一中心小学」と書いてあるが、このツタの校舎といい、何かありそう。そんな嗅覚が働きまたガイドブックを開いてみると、元々は漢壁礼蒙女堂(Thomas Hanbury School for Girls)という学校でした。
ここは不動産商のハンベリー氏の寄付によって、欧亜混血児のために作られた小学校を起源とし、戦争中は日本領事館警察となったところでもあります。


その隣には、上海の伝説にもなった虹口マーケットの跡があります。
虹口マーケットはその形から「三角マーケット」とも呼ばれた公設マーケットで、戦前の上海を語ると必ずと言ってもいいほど出てくる伝説の市場です。

何故伝説なのか。それは租界という性質から世界中の品物が集められ、日本から来た者を驚かせたインターナショナルな市場だったからだといいます。

 

 

 

上海虹口マーケット(三角マーケット)

(右上に、右文字で「虹口マーケット」と書いています)

 

上海の虹口マーケット(三角地菜場)

(当時の虹口マーケットの写真)

 

上海日本租界、虹口マーケット跡の位置地図

戦後もそのままの形で市場として使われていたのですが、1990年代前半についに取り壊しになり今はビルが建っています。道の三角の形だけが面影を残しています。
私が上海に留学していた22年前にここを訪ねた時は、伝説の三角マーケットは確かにここに存在してました。写真のとおり当時のままの姿で、まだ現役の市場として活動していたのですが、その時の面影は残念ながら全く残っていません。

ここだけは一枚でも写真に撮っておけばよかった…と今でも悔やむ思いです。
ある意味いちばん取り壊して欲しくなかった建物だったのだが、既に瓦礫の山、否ビルになっているので今更嘆いても仕方ない。

 

上海日本租界の租界警察日本人宿舎

公安大楼-元租界警察日本人宿舎

 

 

虹口マーケットとは対称的に、全く姿が変わっていない建物が虹口マーケット跡の道の対面にそびえています。租界警察の日本人宿舎です。
大阪の丸ビルを小さくしたような形の建物は鉄筋コンクリート8階建て、1931年に建てられました。当時最新鋭だったエレベーターを完備し、日本人巡査の家族が住みこんでいました。
今も上海の警察宿舎「公安大楼」として現役です。

今でこそ8階建てなんて珍しくはないですが、当時の国際都市上海でも8階建てのビルはまれです。建てられた当時はものすごい異様を誇った建物だったのでしょう。

 

(第三章は近日公開予定)

 

第一章を読んでいない方はどうぞ。

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

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【シリアの宗教】宗教からシリア内戦の原因を考えてみる

シリアの国旗

今シリアが荒れています。

 

シリア化学兵器「使用確認」 | 2017/4/6(木) 21:04 - Yahoo!ニュース

 

米、対シリア単独行動を示唆「アサド大統領一線越えた」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

米ミサイル攻撃で複数の死者、シリア空軍基地ほぼ壊滅か (AFP=時事) - Yahoo!ニュース

 

もう18年前になりますが、バックパッカーとしてシリアを旅したことがあります。
当時のシリアは物価が安く、治安も安定していたので、旅行するには心地よい場所でした。
しかし、何といってもシリアの人々がやけに優しく、今まで行った国の中でもトップ3に入るほどおもてなしが行き届き、笑顔あふれる国でした。
しかし今、映像を見る限り、あの笑顔を見ることはありません。
かつてその場に行き、この目で見て、足で歩いてきた街が廃墟になっている。
ものすごく複雑な気分です。

複雑な気分になるだけじゃあかん、正しくシリア情勢を伝えないとあかん!と妙な正義感が湧き(それも仕事中に)、急ぎで書いてみました。

 

シリアは中東にあるため、日本人には馴染みがほとんどありません。
接点と言えば、遺跡好きならパルミラ遺跡、美容関係ならアレッポの石鹸くらいでしょうか。

 

では、何故シリアがここまで荒れているのか。

これには、一つの原因では語れない、複雑な要因が絡んでいます。

一つは宗教と国内政治、もう一つは大国が絡んだ国際政治です。

2つを語ると長くなるので、まずは「宗教」という面でシリア内戦を見ていこうと思います。

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