昭和考古学とブログエッセイの旅へ

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台湾映画『海角七号』と、ある物語

映画を見ない人が『海角七号』を見てみる

 

映画が好きな人は多いですが、私は映画は滅多に見ません。

どっちかというと社会・歴史ドキュメンタリー系が好きで、NHKスペシャルやCSのディスカバリーチャンネルなどは、睡眠時間を削ってでもかじりついて見るのですが、映画は不思議と見ません。映画館に行くのも、3~4年に一回くらいですし。

 

そんな私が、久しぶりに映画を見てみました。

といっても、映画館に行ったわけではありません。そもそも淡路島には映画館がないようです。淡路島の人は、映画だったら橋渡って神戸や徳島まで行けばいいというのと、DVDやネットの普及でかつてあった映画館は閉館してしまったようです。

 

海角七号

そんな私が見た映画は、台湾の海角七号 君想う、国境の南』というもの。

 

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最近の映画なのかなと思ったら、2008年上映だからもう9年前の映画だったのですね。さすがは超映画オンチ、全然知らなんだ。

この映画は、結果的には台湾映画史上最高収益を挙げ、外国映画を含めてもタイタニックに次ぐ2位の記録に就いたそうです。

 

この映画のあらすじはWikipedia先生にお任せするとして、全体的には台湾臭さが全面に出たドタバタコメディーという感じです。セリフも台湾語に北京語に日本語と、かなり忙(せわ)しい。

そこに日本統治時代と現代、日本人と台湾人の恋物語が、『海角七号』という謎の住所に宛てた日本からの手紙と共にリンクしてゆく・・・という感じですが、ラブストーリーと思ったらハズレだし、かといって100%コメディと思って見ても中途半端にラブストーリーが絡む。

 

なんでこれが台湾映画史上最高の動員数を稼いだの?と思いました。映画オンチの私でも、全体に粗削りだなーと。そう、ラストシーンを見るまでは。

 あらすじをWikipedia先生に丸投げしていることからわかるように、続きは映画のレビューじゃございません。

 

 

しかし、この映画を通して語られているキーワードは、「日本」だったりします。セリフの3分の1は日本語だし、ヒロインも日本人。日本時代を知る老人が日本語を話したり、映画のキーパーソンが、何故か日本人に良い感情を持っていないが日本語ペラペラ(という設定)です。

そして、ラストで日本語・中国語で歌う「野ばら」自体、日本統治時代からの唱歌で戦後も北京語に歌詞が置き換えられ、今でも伝えられている「日本の歌」です。蒋介石の時代は、日本語世代の間の「レジスタンスソング」にもなっていたそう。

台湾と日本をつなぐ絆、そして今でも台湾に残る「日本」が所々に出てきます。

 

この『海角七号』は中国の偉い人が見て、

「台湾人は皇民化されすぎて(日本に)毒されている!」

と激怒、中国で上映が禁止されたいわく付きの映画というのが、この映画の秘話になっています。

確かに「日本風の台湾料理」みたいな映画ですが、この映画が「皇民化」ってなんでやねん(笑 

 

私が感動を覚え考えさせられたシーンは、ラストシーンです。

日本統治時代に恋仲になった男と女、しかし戦争と敗戦という、個人では止めようもない現実が二人を切り裂きます。

見送る女、見送られる男の、セリフはないけれど悲しい別れの時。

最後の最後に、感動させてくれました。不覚ながらドタバタの最後の最後にこのシーンなので、ウルウルきてしまいました。

 

そのラストシーンがこれです。映画見ようとしてる人は見ちゃダメよ(笑

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敗戦でのお別れの話 実話編

ご存知のとおり、台湾は1895年から1945年まで日本統治時代を経験しています。

そして日本の敗戦で、台湾に住む日本人は台湾から出ていかざるを得なくなるのは必然的なことでした。既に日本ではなくなったのだから。

彼らはトランク二つ分の荷物のみ携帯を許され、敗残者として「生まれ故郷」を離れることになりました。そう、彼らのほとんどは

「台湾が我が故郷」

と思っていた日本人でした。

彼らは自称「台湾っ子」「蓬莱米」、今の中国語では「湾生」と言います。

これも2015年に、台湾によって

『湾生回家』(台湾っ子、故郷に帰る)

(※邦題は私が意訳してつけたものです)

というドキュメンタリー映画が作られました。

こういう映画が作られた起爆剤も、『海角七号』なのだと思います。

 

実は、私の遠縁もその「台湾っ子」でした。

台北に生まれ、台湾電力のエンジニアだった父親の都合で台湾各地に住み、最後は嘉義に落ち着いたそうです。

台湾語も話せないけど聞いたらわかる理解力を持ち、戦後も2年に1回は「里帰り」していたそうです。なんで2年に1回なんやろ?と素朴な疑問が浮かんだのですが、残りの1年は女学校の同級生が日本に遊び来る番だったそうです。

 

高校生の時、その方から日本統治時代の台湾の話を聞いたことがあります。

中でもいちばん記憶に残っているのは、敗戦で台湾を離れることになった時のこと。

日本行きの船の上で、見送る女学校の同級生たちと

「また必ず戻って来てね~!また会おうね~!」

「必ずまた帰って来るからね~!」

泣きながらずっと手を振っていたと言っていました。そして、周りもみんな、「湾生」も台湾人もお互い涙を流しながら別れを悲しんでいたそうです。

映画のラストシーンを見て、ふとそれを思い出しました。本当にこうだったんだなと。

 

しかし、その話を聞いた時は、にわかに信じることができませんでした。

高校生というか勉強嫌いのバカだった上に、

「戦前は台湾の人を搾取してひどい目に遭わせた」

という学校かテレビかの話の方を信じていたのです。

今なら、

「『ひどい目に遭わせた』ら、なんでお互い涙しながら別れを惜しんだの?」

「『ひどい目に遭わせた』のなら、涙どころか石投げられるんじゃないか?」

くらいの疑問は即座に思いつき、根掘り葉掘り話を聞いて資料を当たるのですが、当時は如何せんアホーだったので仕方ない。

そういう意味では、メディアの「洗脳」はおそるべしです。

 

遠縁の話がホントだったと知ったのは、皮肉にも台湾で日本語世代の方々に話を聞いてからでした。

 

そしてトドメは、テレビにも出てくる金美齢さんの話。

テレビで彼女が、

「日本人が(敗戦で)台湾を離れる時、みんな泣きながら手を振って別れたものよ」

と言っていたのを聞いて、間違いない!と。

それも、金さんが話したシーンと、遠縁が話していたシーンがすごく似通っている。

もしかして、遠縁が言っていた「女学校の同級生」って金さん混じってないか!?とまで身体の血が沸騰する感覚でした。

年が違う上に台北と嘉義の女学校で同級生なわけがないと我に返ったのですが、それだけ「同じシーン」が各地で見られたのでしょう。

そして映画のような、別れざるを得なくなった恋人どうしの物語も、一つや二つはあったことでしょう。いや、ないはずがないと思います。

 

その後、遠縁にもっと話を聞いてみようと思ったのですが、残念ながら既に認知症が進んでしまい、話を聞くことはできませんでした。

かなり貴重な話だったので、根掘り葉掘り話を聞いておけばよかったと、今更ながら後悔しきりです。

 

私が描いた、もう一つの『海角七号

上の話を聞いた時、私の頭の中にある「小説(ストーリー)」が浮かびました。

それは、こんなストーリーでした。

 

台湾の街に、「台湾っ子」の日本の少女と、幼馴染の台湾人の少年がいました。

少女は少年を兄と慕い、少年は少女を妹のようにかわいがっていました。

彼らは成長し、その気持ちが恋に変わるのに時間はかかりませんでした。

しかし、戦争と終戦でその恋は終わりを告げました。

日本への引揚船の前で二人は、

「今度は来世で必ず一緒になろう!」

と抱き合い、泣きながら手を触り合いました。別れ際、少年は少女に、「僕の気持ちだよ」とあるものを渡します。

船は台湾を離れ、まだ見ぬ「祖国」の日本へ・・・。

 

それから50年後の暑い夏のこと、日本人の青年が台湾を訪れました。

彼には、紙と、ある思いを日本から持ってきていました。

その紙には、ある人の名前と住所が書かれていました。彼の祖母が亡くなる間際、この住所に住む男性を訪ねて欲しい。そして渡して欲しいものがあると。

青年はその住所を目指してその街へたどり着きますが、初めての台湾の暑さに身体がまいってしまい、熱中症で意識を失い病院に担ぎ込まれてしまいます。

その病院に、美しい看護師の少女が働いていました。

彼女は日本語が話せるので、

「あなた日本語話せるでしょ?日本人が入院したから看護してあげなさい」

と彼の担当をすることに。

そして、意識を回復した彼の話を聞き少女の頭にはある物語が・・・

 

日本と台湾をベースにした恋物語ですが、頭の中で映像化して自分で涙が出そうになった「大作」です(笑

え?『海角七号』に似てるって?いやいや、20年前に思いついたもんですって~。証拠はないけど。

 

これ、最初はタイトルを『二つの祖国』にしました。

すると、これを聞いた友人が、

「タイトルが山崎豊子のパクリだよw」

と指摘が。そう、『二つの祖国』って大河ドラマの『山河燃ゆ』の原作の名前だったのです。

その後もいろいろ考えたのですが、良いタイトルは思い浮かばず今でも『無題』のままです。

 

しかし、こういうものは思いつくだけではなく、最後はどんなに粗くても「形」にしないとダメですね~。せめて構想ノートくらいは残しておかないと。

もし形にしていたら、もしかして今頃売れっ子・・・あ、いや、なんでもありません。

 

 

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