昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

淡路島に来て1年&100記事記念

よりによって(?)淡路島に来て1周年と、ブログの100記事記念が重なってしまいました。
別々で記事を書けば良いのですが、何かと面倒くさいので、今回は二部構成として1つの記事の中に記事を2つ書くという荒業をやってみました。それ以外に特に意味がないので、今日は気軽にお読み下さい。

 

第一部:淡路島に来て一周年

淡路島鳴門大橋

本日で、淡路島に流罪となってちょうど一年経ちました。1年前の7月の3連休、ちょうど大阪からの引っ越しで大慌て。
島と大阪を往復しておりました。
1年前の今頃はバケツをひっくり返したような大雨が降り、
「こんな大雨の中引っ越しかよ・・・」
とあまり良い気分ではなかったことを覚えております。
それから1年。今更ではありますが、時が経つのはめちゃくちゃ早い。最近1年の月日が3ヶ月くらいに感じます。


淡路島滞在は、実は期間限定です。
いちおう2年間限定となっているのですが、この調子だと2年じゃ終わらんやろなーと、のんびり構えています。
以前は、
「期間が過ぎたらどないなるんやろか」
と先のことを考えすぎ、先の事など神のみぞ知る、いや神さえも知らない未来を考えては一人で憂鬱な気分になっていました。憂鬱な気分で考えるとロクなことが思いつかないのは定石。さらにマイナス思考の深みにハマっていっていました。
先を考えすぎると鬼に笑われますわな。

淡路島に来るまでは、こんな感じでした。今こうして冷静に見つめてみると、かなり病んでましたね(笑

 

 

 

島流しだ流罪だと自虐的に言っていますが、淡路島に来たのは最終的には志願です。
大阪に住んでいるのもマンネリになってきたし、上のような憂鬱な気分にどうにか風穴を開けたい。一歩進めば何かが変わるはず。
30代の頃は持ち味だった行動力が鳴りを潜め、鬱の後遺症で身動きが取れず。どうにかしないとという焦りだけが募っていきました。
それがさらに鬱に拍車をかけるという悪のスパイラルに。

しかし、どこかで
「淡路島か・・・島流しやな」
という気持ちもありました。事実、島流しの通達を一度断っています。
理由は淡路島だから。だからなんやねんということですが、堺の産湯に浸かって生まれた河内泉州の人間が、淡路に行けるかい!
という変な矜持もあったのかもしれません。その割には中国にしきりに行ったりはしていますが。

 

淡路島行きは一度断ったものの、自分で言うのもなんですが人財的にはオンリーワンなので、来て欲しいと再度オファーがかかりました。
そこで私は、
「じゃあ給料上げて!そのお給金じゃあ安すぎやから行かんよ!」
と超強気に出てみました。ちょっと呑めないような数字を出して、それを理由に断るつもりでした。
しかし小一時間後、非常にやる気のあるエージェント担当から電話が。
「頑張りました!(給料アップの)OK出ました!」
おいおい、マジかよ・・・これでお断りする理由がなくなってしまいましたとさ。


自分の意志で「島流し」になった以上、覚悟を決めて淡路島に来てみると・・・やはり何もない。たまねぎしかない。

 

南あわじ市市徳長の風景

 

南あわじ市の風景

家の前がこんな感じですから(笑


ただ、スーパーやコンビニなど最低限の生活インフラは存在しているので、生活が不便というレベルでは全然ありません。
遊びたい盛りの10代20代には、自然ばかりの島ライフは物足りないだろうなと思うのですが、ある程度遊ぶ尽くした40代には十分な環境でした。

むしろ、何もない分読書などに時間をシフトさせる時間がたっぷりあるということ。

 

人生、走ってばかりでは疲れるだけ。人生をマラソンに例える人が多いですが、人生はすごろくで言う「一回休み」も必要なマラソン。
一度立ち止まり、数年ほど自分を見直して新たに態勢を立て直す時間も必要だと思っています。
その良い時期が今の「島流し」。ゲームなら今は「ボーナスステージ」なのだと、住んでいるうちに感じるようになりました。
ボーナスステージだけあって、優雅な「島流し」やなーと親に皮肉られるほどに太ってしまいましたが(笑)

 

田舎だ何もないだと、批判すればいくらでも批判はできます。しかし、不満たらたらになると見えないものも見えてこない。見方を90度変えてみる必要があります。
「何もない」にしろ、田畑が広がる日本の原風景が家の前にあり、空気がきれいな環境でのんびり散歩ができるという見方もあります。そして何より、春夏秋冬で風景が目まぐるしく変わり、視覚でも季節のサイクルを感じることができます。
騒々しい都会とは一線を画した世界は精神衛生上にも良いものなのか、精神的にもかなり安定してきました。
このままでは都会に戻れない・・・満員電車に乗って通勤なんてもう無理ゲー・・・違う意味での危機感を抱えています(笑)


大阪と淡路島なんて、大阪湾を隔てただけで同じちゃうのん。そう思う人は多いと思います。私もそう思っていました。
しかし、同じようでどこか、何かが違うのです。
以前に書いた、

淡路弁-関西弁のようで関西弁ではない方言 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ

の記事でも書きましたが、淡路島は江戸時代は阿波藩、今風に言うと「徳島県」でした。それが明治初期の「独立騒動」の懲罰で兵庫県預かりになり、そのまま編入させられた、逆の見方だと徳島県が淡路島を明治政府にボッシュートされたという経緯があるので、文化的には関西というより徳島県なところも多いのです。
かといってまるっきり徳島というわけでもなく、関西からの船の玄関口だった洲本はほぼ関西。関西と四国文化の緩衝地帯のような感がします

人の気質も、対岸の大阪と比べるとかなりの違いがあります。
農村で保守的なところがあるので、大阪のノリとは全然違うところもありますが、あまり商売には向いていないなと(笑)
コンビニに行くと、大阪やったらそれ客に怒鳴られるでしかし!と思ってしまう店員も多々あり、大阪湾を跨いだだけなのに、根っからの商売人、または笑売人である大阪人との相違に今でも驚くことがあります。


文化の違いではないのですが、島に来てビックリしたことの一つに、街灯がないので夜は真っ暗ということがあります。
実は来淡1年で2回ほど、夜の田んぼと用水路に落ちました(笑) 
歩いてたら溝に落ちるってどこのギャグ漫画やねん!と思うでしょうが、それほど見えません。真っ暗です。
昔の人は月明かりに照らされて夜道を往くうんぬん・・・という言葉を聞いて、月明かりで夜の道照らされるのかとずっと思っていたのですが、淡路島に来てはじめて、「月明かりで照らされる道」という意味が理解できました。月明かりがないと本当に漆黒の闇なのです。
今まで気づかなかったけれど、街の光に包まれて暮らしていたのだなと、40年生きて今更ながら新鮮でした。
逆に大阪に帰省した時は、夜遅くまで光に溢れた世界に驚きを隠せません。おお、街の明かりがまぶしいぜとドラキュラ状態です。

 

淡路島に来て変わったことのもう一つが、ペースが非常にのんびりし始めたこと。
私は生まれも育ちも大阪、厳密に言うと堺市なのですが、良くも悪くも「大阪のいらち」でもありました。
とにかくトロトロしているのが大嫌いで、常にセコセコしていた感がありました。
年齢のせいも若干はあるかもしれませんが、島流し以降はなんだかのんびりとなり、
「そんなに急いでどこ行くの~」
という風に。
島全体がのんびりしているので、私もたった1年で感化されてしまっています。

GWに大阪まで車で帰省した時も、島内の運転に慣れてしまうと大阪に帰ってきたらさあ大変。
トロトロ走るなアホ!とばかりに煽られるは、急に指示器なしで割り込まれるは、狭い道路なのにアクセル蒸すは、
去年までの自分のドッペルゲンガーを見ているようで非常に気分が悪い(笑


期間限定とは言え、淡路島にはいつまで滞在しているかわかりません。
しかし、せっかくの「島流し」。いざ離れることになる時期に、あれやっておけばよかった、ここに行っておけばよかった、という後悔がないようエンジョイして文章化していきたいです。明日でさようならとなれば手遅れですが(笑)

 

 

 

第二部:祝 100記事!

祝100記事

この記事で、我がブログがちょうど100記事となりました。なんだか既に500か600記事くらい書いているくらいの疲労感があるのですが(笑)
ここまで続いたのも、ひとえに読んでくれる読者の皆さんがあってのこと。ここにて改めて御礼申し上げますm(_ _)m


他のブログの100記事の傾向を見ると、過去の人気記事がどうだのというところがお決まりのパターンのようですが、私は天邪鬼につきやりません。それよりもっと書きたいことがあります。


たかが100記事されど100記事。数字だけなら楽勝と思えるのですが、実際にブログを始めてみるとこの数字が意外に難関。
以前見たどこかのブログによると、ブログを始めた9割の人が100記事以内でやめてしまうようです。
100記事というのは、低いように感じるけれど実はかなり難しい山を登るようなものでしょう。

しかし、100記事達成で見える風景と達成感は、登山と同じくそこに着いた人にしか見えないし感じない境地です。
私もやっとこさ100記事を達成し、嬉しいというよりホッとした気分だというのが正直なところです。

しかしながら、100記事を達成して見える風景はまた格別です。ここまでたどり着かないと見えない風景が、100記事達成で見えることも確かです。


まだ100記事突破を目指して頑張っているブロガーの皆さんは、まずは100記事に目標を設定し、書き続けてみて下さい。
時間はどれだけかかっても構いません。雑誌も週刊が基本なんだし、一週間に1回の週刊でもいいじゃないですか。
毎日書かなければならないという人もいますが、私個人的には不同意です。毎日書かないといけない、でもネタがないというジレンマでブログ更新がイヤになるよりは、週刊でいいから無理のない程度に更新する方が、
長い目で見れば勝ち組ブロガーです。要は書きたいペースでOKということ。

 

どうにかネタをひねって文章にし100記事を達成しても、アクセス数が劇的に増えるわけではありません。
PVガー、アクセス数ガーと血眼になっている方々にはバッドニュースかもしれませんが、それでも100記事までたどり着けたという自信は持てると思います。
自信を持つことによってアクセスなどにこだわらなくなる、こういう副次的産物が生じる可能性もあります。もし書くことによってアクセス数にこだわらなくなったら、「アクセス数」自身が承認欲求の道具になっていたということかなと。

そういう意味では、100記事というものは高い山ではあるものの、たどり着けないことはない現実的な数字です。


100記事を目標にする事は良い。しかし現実は、そこまでモチベーションが持たないこともあります。
そのモチベーションを保つにはどうすれば良いか。

はてなブログには、「読者」という制度があり、ファンを視覚化できるようになっています。
しかし、読者必ずしも全員が見に来ているわけではない。読者数はあくまで「目安」として見た方が良い。
私のブログを書くモチベーションアップの基本は、「コア読者」を増やすこと。

 

「コア読者」は私の勝手な造語ですが、極端な言い方をすれば、
「どんなことがあってもあなたについて行くわ!」
という読者のこと。熱心な読者のことですね。

たとえば、チャゲアスASKAさんのブログを見ていると、毎日10万以上のアクセスがあり、有料のはずのレッドスターをいくつもつけている人もいます。
過去の犯罪歴で失望し、離れていったファンも少なからずいるはずですが、このように復活を希望し見守ってくれるファンもいます。
ASKAという人や歌手ではなく、すべてを包括したASKAそのもののファン。それが「コア読者」です。

はてなブログのシステムの読者の中でも、毎回見に来てくれ、スターを押してくれたりはてブやコメントをくれたりする人が「コア読者」ですが、何も視覚化されている「読者」だけではありません。
はてなのシステムに入っていないが、同じく毎回見に来てくれる読者も少なからず存在しているはずです。彼らはコメントをしてくれないと視覚化されないために無視されがちですが、彼らも含めて「コア読者」です。


ある程度ブログを続けていると、「コア読者」は自然と出来てくるかと思いますが、ブログを始めて間もない人に言いたいことは、「読者数○○人」という視覚で誤魔化せる数値よりも、まず「コア読者」を3人作りましょうと。重要なのは、「読者数」より「コア読者数」かもしれません。

ブログはなんだかんだで見てもらってなんぼの世界。
常に見てくれる「コア読者」が数人生まれ、彼らと交流していき「コアさ」を育てる。お互いのブログの「コア読者」なので、Win-Winの関係になる。それだけでブログを書いて行く十分なエネルギーとなって行きます。

 

「コア読者」は視覚化されない分、数字なんて主観でOKです。
主観で良いということは、自分の絶対的指数で見れるということ。
はてなの「読者数」のように他人の読者数と比較して、凹んだり嫉妬したりすることもありません。
特に、私のように承認欲求が異常に強い人間は、これを指針にするといわゆる「自己承認」ができて良き「治療」になるのではないかと。

 

これこそ私がたどり着いた一種の悟りなのかもしれません。

 

最後に、このブログは我が本拠地として、メンテをしつつこれからも長々と続けて行きます。

改めて、これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m