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日本統治時代の台湾『死者数十万人』の嘘 ー中華新聞を斬る

中国の大衆新聞『環球時報』より。taiwan.huanqiu.com

 

『台湾独立勢力による悲劇の扇動』

というタイトルの記事ですが、相変わらず中国は台湾独立に神経質になっていることがわかります。先の選挙の「敗北」がよほどショックなのでしょう、『環球時報』の台湾関連記事から「台独」の文字が消えることはありません。

 

大まかな内容は、いつもの如く「台独」勢力がどうだの・・・とダラダラ批判しているので特に気にする必要はないし、翻訳する気も失せるほどのものです。

しかし、気になったというか、

「おいおい、ちょっと待て」

と思ったのが以下の文章です。

 

岛内媒体人萧师言对《环球时报》记者称,在岛内,“二二八”已被“神圣化”,至今台湾已发放上千万新台币的“二二八受难赔偿”,有数以万计的文章说明“二二八真相”,今年纪念日还连放三天假。至于日本殖民者占据台湾所杀死的数十万台湾人的祖先,现在台湾人还有谁记得吗?

(『環球時報』台湾特派員蕭師言によると、ニ・ニ八事件は既に台湾人にとって神聖なものとなっている。多額の賠償金を支払い、真相はいくつもの本が出ており、事件の日は休日となり今年は3連休となっているのに、

日本統治時代に(日本人が)数十万もの台湾人を殺害した事は、もはや台湾人は忘れてしまったのか) 

 

台湾の歴史を知らない日本人でも、この数字はさすがにダウトでしょう。台湾人も「ハァ?」とか言いようがないこの数字・・・。日本統治時代に「数十万人もの台湾人を殺した」ことなんてありましたっけ??

でも、万が一、いや億が一、兆が一、この数字は合ってるかもしれない。合ってるとは全く思ってはいませんが、なんだか痛くもない腹を探られるようなので、調べてきました。

 

日本統治時代の『本当の数字』

日本による台湾統治の期間は、1895年~1945年の50年間です。どこかの国の言い方をすれば、「日帝50年」なわけで。しかし、最初は日本とてすんなり統治できたわけでもなく、現地の人も全員が全員すんなりと従ったわけではありません。これは紛れも無い歴史的事実です。

1895年から1902年までの統治時代初期、抗日運動で約32,000人が殺されたとされています。しかし、これはあくまで「されている」なので、確かな数字ではありません。もしかしたら多いかもしれないし、少ないかもしれない。

日本も最初は抵抗勢力に対し武力で臨み、その都度鎮圧していたのですが、それが変えたのは四代目総督の児玉源太郎です。民政局長に後藤新平を任命し、

「ヒラメの目をタイにつけることはできない」

という、医師の後藤らしい「生物学の原則」に基づいたソフトな台湾統治を行いました。その他にも児玉・後藤コンビは様々な改革・施策を行い、今でも台湾人の間で伝説になっています。今は知らないですが、かつての台湾の歴史教科書にも名前が載っていました。

そのソフトな統治政策が成功してからは、その後の総督もその基本方針を受け継いでいました。

 

統治時代中期の大規模抗日武装運動は、1907年の「北埔事件」と、1915年に起こった「西来庵事件」があります。それ以外にも、13件の事件があったと言います。

詳しい内容はWikipediaでも見ていただくとして、北埔事件での逮捕者は100人、死刑になった人は9人です。西来庵事件はかなり大きな暴動で、逮捕者は1957名、死刑判決が出たのは866人ですが、

「さすがにこの死刑数は多すぎ」

総督府はおろか内地(日本本土)からもクレームが来たため、結局被害者の数と同じ95名が執行され、他は未執行のまま恩赦で減刑になりました。

 

そして、日本統治時代最大の武装運動が、300人の原住民が武装蜂起し、小学校で行われていた運動会に乱入し日本人150人を殺害した「霧社事件」です。

これは明らかに日本人「のみ」を狙った襲撃で、台湾人は襲われませんでした。和服を来た台湾人女性が襲われ、原住民の刀が彼女の喉元に届きそうになり、

「ゴワー、ゴワー!(私だよ、私)」

と思わず台湾語で叫んだところ、刀を引いて黙って去って行ったという話があります。

鎮圧側も警察官だけでは足りず、軍隊も動員されたのですが、蜂起側も徹底抗戦し日本軍も22人の死者が出るほど勇敢に戦い、最後は首謀者の自殺で幕を閉じました。蜂起側の死者は約700人です。

 

霧社事件以後、台湾自体も経済力などの基礎体力をつけていったこともあり、武力による闘争から合法的な非暴力運動に変わっていきました。運動家は武力による運動の非を知っているインテリが多く、台湾人の政治的権利の拡大(議会設置など)を求めた社会運動となっていきました。そこでは、投獄されることはあっても法の下で裁かれ、死刑になるほどのことはありませんでした。

戦後の国民党支配の頃は、同じことをして投獄されたら最後、何の罪状かもわからず、ヘタすれば裁判抜きで銃殺されて行ったのと比較して、日本も弾圧はしたけどちゃんと裁判をして法律に基いて刑を下した点が、日本に対する好印象の一つになっています。

 

そこで、日本統治時代の武装運動による「殺害者」の数をカウントしていきましょう。

 

  • 1895~1902年:約32,000人
  • 北埔事件:9人
  • 西来庵事件:95人
  • 霧社事件:約700人

合計は32,804人ですが、それにプラス、その他暴動で死者が出たとして、気持ち多めに1,000人加えても約3万4千人となります。逆算して「4万人」と根拠もなく仮定すると、それでも7,196人。これはちょっと多すぎかもね。今回は時間がないので細かく資料を当たることはなかったですが、歴史的事実を照らし合わせると、「数十万人」とはただの死人のハイパーインフレなことがわかります。というか、そもそも「数十万人」って根拠は何やねん。

そもそも、この記事の言う「数十万人」とはどこから出てきたのか。『環球報』は国内の一般庶民向けなので、いわゆる「南京大虐殺」の数字を根拠に、

「これくらい殺したに違いない」

と、適当に鉛筆なめなめしただけでしょう。記者を小一時間問い詰めたい気分ですが、突っ込むと「数字の問題ではない」とか屁理屈の煙幕で逃げるのは目に見えてます。

それにしても、こんな一文でしれっと嘘を加えるのが中国。こうして日本人が知らないところで「歴史創作」を増やし、知らない間に「既成事実」になって日本や第三国に突きつける。これが伝統的戦略です。こんな記事、中国語がわかる日本人もスルーしそうなので、気づいた人はほとんどいないと思います。

今はまだ遠慮しているのか、「数十万人」と曖昧にしているけれど、じきにこれがイースト菌たっぷりのパンみたいに数字が膨れ上がり、「30万」とか「40万」と「具体的数字」となるのでしょう。あ、40万で思い出したのですが、今「南京大虐殺」の死者は、これもいつの間にか30万から40万人になっておりますのでご注意を。

 

中国の歴史の嘘、また一つ見つけたり。

 

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