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BEのぶの奇々界々

「奇々界々」とは、「奇妙なるも素晴らしい世界」という意味。「ブログエッセイスト」ことBEのぶが、そんな世界を文字にします

『千と千尋の神隠し』を斜め上45度から見てみる@改訂版

BJのぶ徒然草 歴史エッセイ

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日、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』をレンタルで借りて見てみました。
実は今回見たのが初めてなんやけど、まずは1回目、素直に見てみた感想は、

『少女が色々な経験を積んで成長していく物語』

ちゅーよーな感じでした。

人の家にあがる時に「お邪魔します」「失礼します」さえも言えない、ある意味現代っ子のような千尋が、
だんだんと礼儀を身につけて最後は「お世話になりました!」とハキハキ言えるようになる・・・。
いちおう、社会人として基本的な礼儀、つまり朝に「おはようございます!」と挨拶したり仕事終わりにゃ「お疲れ様でした!」と、
それさえ出来ない人間は働く資格すらない、というのが俺の持論です。
「そんなもん会社で教育したらええやん」と思うけど、会社は学校じゃございません。
というか、社会人としての資質を伸ばすための人間教育やったら会社が教育する分野でもあるけど、
(野球でも、ノムさんこと元楽天の野村監督がやっとったことですわな)
人間としての最低限の礼儀や挨拶教えるんは会社でも学校でもあらへん、家でっせ、家!
そこらへんをわかってへん「大人」が最近多いんやな。
逆に言うたら、挨拶さえ出来たら他に多くのもんを望むことはないんやけど、
確かに最近働いてたらそれさえロクに出来へん人が多いと思います。
会社から「ちゃんと挨拶しなさい」と言わないとしない、挨拶ってそもそも第三者に強制されてするもんちゃうやろ!?
と思うんやけど、それすら「しゃーないな・・・」という感じでする事の多いこと。
最初見た時は、オロオロするばかりで基本的な礼儀が出来てへん千尋に対して、

「ちゃんと挨拶せんかい!(怒」

「そこは『ありがとうございます』やろ~!(怒」

とハラハラかつイライラしながら見とったわけやけど、
だんだんと成長していって最後はちゃんと「礼儀」を身に付けた彼女に対して、
「よしよし、それでよろしい」
と、何か兄貴か父親のような目になってしまいました(笑


たぶん、宮崎監督は現代っ子を千尋っちゅー人物に凝縮して風刺しつつ、
成長して行く姿に「子供は親がいなくても自然に色々感じて成長していくのですよ」ということを言いたかったのかな?と思います。
そして、俺が子供の世代にゃ当たり前のよーにおった「近所の大人」が呆れつつ叱ったり、何も言わず見守ってくれる姿も描きたかったんかな~?と。
最近そういう人がおれへんし、大人の方が子供に気を遣って注意せーへんというのもあります。
そういう、最近少なくなった「近所の人」を釜爺という人物に描写させたんかな?

せやけど、この「千と千尋の神隠し」にゃ、別のメッセージもあると言います。
その一つが、

性風俗を描いたもの

というもの。
千と千尋』がそういうメッセージをはらんでることは、どーやら宮崎監督自身認めとるみたいで、
日本版『プレミア』の2001年6月21日号のインタビューで、

「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」

「今の女性たちは売春婦が似合いそうな人がものすごく増えている」

と述べていると言います。
また、そのアイデアを出したんは鈴木敏夫プロデューサーで、

「人とちゃんと挨拶ができないような女の子がキャバクラで働くことで、心を開く訓練になることがあるそうですよ」

と言ったら、「それだ!」とひらめいたそうな。
そして、アカデミー賞をもらった後で宮崎駿が鈴木氏に「あの話(千と千尋)は鈴木さんのあの話から始まっているんだよね~」と言って、何のこと?と思ったら鈴木氏が聞き返したら、「キャバクラの話だよ」と言って二人で笑ったという話を、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で鈴木氏が言うとりました。
せやさかい、想像とかやのーて監督自身がそういうことを言うとるってことは、この映画にゃ何かメタファー、隠された仕掛けがあるんやないかと。
数日間の空白をわざと置いて見てみた2回目、ちょっと違う視点で『千と千尋』を見てみたいと思います。

 

斜め上から見た『千と千尋の神隠し

この映画のストーリーを簡単に言うたら、
「不思議な世界」に迷い込んだ千尋と両親、両親がブタにされたので彼らを助けるために「油屋」という銭湯で働く、というもの。

この映画の主な舞台になる「油屋」、斜め上の視点で改めて見てみたら、


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遊廓やん!

と直感で思いました。
この赤い外壁なんか遊廓の象徴みたいなもん、昔の吉原や洲崎なんかの大妓楼なんかはまさにこんな感じやったと言います。
また、「油屋」の前にある灯篭も赤やし、夜になった時の灯篭の明かりは、赤とは言わんけどちょっとピンクがかった色やし、
「油屋」の前の町も、昭和初期の看板建築をモチーフにしたらしいけど、なんか西部劇的な臭いもするし大阪の新世界的情緒もある「飲み屋街(?)」の提灯の色も赤。というか、大阪の旧飛田遊廓近くの飲み屋街ってこんな雰囲気なんやけど。

そして、この映画自体があまりに赤々しくて問題にもなった事もあったけど、
赤は色街に欠かせない色
でもあります。
今の風俗街のイメージカラーはピンクやけど、戦前の遊郭は赤でした。

また、「油屋」に架かっとる橋もキーポイントと思われます。
その昔、遊郭は堀で囲まれたりしとったり壁で囲まれた所が多かったんやけど、
そこで働く遊女の逃亡防止のこともあったものの、「ここからは別世界ですよ」ちゅー意味で娑婆(俗世間)ときっちり区切るということもあったと思います。
今の遊郭跡も一部に堀や壁が残っとったりして、実際に訪れてみたら橋の向こうは(今はちゃうけど)別世界やった・・・ってとこもあるんやけど、この「油屋」の橋も「ここからは別世界ですよ」っちゅー描写かもしれませんな!?

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これは一部色が塗りなおされとるけど、昔の遊郭の建物の一つです。
「油屋」の外壁と同じ色でしょ?


で、ここで思い出したんが、奈良県大和郡山市にある遊郭跡。
中東にある古代メソポタミア文明の遺跡のように、今はほとんど誰にも知られることもない遊廓跡が当時の姿をかなり留めて残っとるんやけど、

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この木造3階建ての建物なんか、その存在感たるやものすごいものがあって、実際に目の前にすると感動の前に圧倒されて唖然としてしまうものがあります。
昔の吉原とかの大遊廓は、紅色に塗られたこんな妓楼が大通り沿いにニョキニョキ建ってたらしく、まさに木の摩天楼と言っても過言やないと思いますわ。


このシーンの前に、『千と千尋』でピンと来たんがこのシーン。

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道を間違えて山道に入ってしまった家族がふと車を止めた所に、こんなものがありました。
大人は全く気付かず感受性が強い子供の千尋だけが気になり母親に聞いてみるんやけど、
「神様の祠(ほこら)」
とそっけない反応。
この「祠」の上に鳥居があるさかい、神道に基づく何かかもしれへんけど、
「斜め上45度」の視点の俺にゃ「遊女の無縁仏」に見えてまいました。
遊廓にゃ規模の大小にかかわらず数多くの遊女が働いとりました。せやけどその大多数は名前すら知られへんまま亡くなり、一盛りのように無縁仏として寺に放り込まれたそうで、
その無縁仏が遊廓跡の各地にあったりします。
何せお寺にあって仏式で葬られとるさかい形はちょっとちゃうけど、無縁仏の雰囲気は映像のよーな放置状態なことが多いですわ。


そしてもう一つ、俺がピンときたんがこのシーン。

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まあ、普通やったらスルーしとるか、「きれいやな~」で終わりになりそうな、川の向こう側の夜景なんやけど、
このシーンでふと思い出したんが、東京にあった洲崎遊郭のこと。
今は東京のど真ん中にある洲崎も、出来た当時は正面が海、まさに東京ディズニーシー遊郭版のようなウォーターサイド遊廓でした。

洲崎には明治時代に

「大八幡楼」

というデカい妓楼がありました。
大きさについての具体的な記述は見つかってへんけど、住所は洲崎弁天町1丁目17番地、つまり地区まるごと妓楼やったわけで、
中にゃ庭園や今のスーパー銭湯くらいの大きさの銭湯まであったと言います。
この「大八幡楼」は元々根津という今の東大の横にあった大妓楼でした。根津遊郭が「大学の横に遊郭って学問の邪魔」という理由で追い出され、洲崎に移ったんが洲崎遊廓のそもそもの始まりです。

その「大八幡楼」の根津時代に、坪内雄蔵という東大の学生が花紫という美人の遊女目当てに通っておりました。二人はたまたま同郷っちゅーのもあって意気投合、そのまま恋仲になって、いろいろすったもんだがあったものの結局結婚出来たんやけど、
(すったもんだは書くの邪魔臭いさかい省略)
坪内雄蔵とはのちの文学者・劇作家であり、近代日本文学史を語るにゃ絶対に避けて通られへん坪内逍遥
そう、坪内逍遥の妻センは端的に言うたら元フーゾク嬢なのであります。

ん?待てよ?『千と千尋』の『千』とセン・・・まあ偶然やろな。

建物自体は大正5(1916)年2月に放火によって全焼したんやけど、その跡に30軒以上の建物が建てられたというからものすごい広さやったことが想像できます。
で、その「大八幡楼」にゃ、遠くからでも一目でわかるよーな大きな時計塔があったと言います。

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これは、年代不明(おそらく明治後期)の大八幡楼を写した貴重な写真なんやけど、
時計塔がバベルの塔のように建っていて、かなり目立つ存在やったことがわかります。

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映画の中の時計台はこんな感じ。


船から遠く洲崎を見たら、暗闇の中にまばゆいばかりの光が集まって幻想的な風景だったそうで、
このシーンを見てふとそのフレーズを思い出したんですわ。
その昔、海から見た洲崎遊廓ってこんな感じやったんやろなーと。さすがに明治時代にネオンはないと思うけど(笑
 
せやけど、『千と千尋』の建物描写って無国籍的っちゅーか和洋折衷ちゅーか、一見メチャクチャなんやけどそれが幻想的にさえ感じてまうのが宮崎アニメのおもろい所。
明治から大正の、和と洋がグチャグチャになったような風景ってこんな感じやったんかもしれませんな~。

で、『千と千尋』の「油屋」みたいな5階建ての建物なんかあったんかいな?
今は5階建てなんかマンションでも当たり前のようにあるけど、明治はおろか昭和初期でも5階建ての建物など「超高層ビル」のようなもの。
今でも遊郭跡に残る木造3階建てでもすごい迫力やのに、5階建てなんか・・・
と思って調べたら、その昔吉原遊郭
「木造6階建て」(!!)
の妓楼があったそうです。
「金瓶楼(きんぺいろう)」っちゅー明治11(1878)年に出来たのがそれで、
どうも当時の建物の写真なんかは残ってへんみたいやけど、当時を物語る浮世絵などが残されとります。

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「新吉原江戸町壹丁目 金瓶楼上図」
っちゅー浮世絵です。階層はわからんけど外観の一部が見えます。

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早稲田大学が所蔵しとってネットで公開しとる、
「新吉原江戸町壹丁目 金瓶楼上之図」(歌川芳虎作)
っちゅー浮世絵です。

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これは「金瓶楼」と伝えられとる遊女の写真です。
遊郭は確かに端的に言うたら「売春街」で金瓶楼みたいなとこは「売春宿」なんやけど、吉原みたいな所はちゃんとランクがあって、これくらいの格式がある妓楼で遊ぶにゃ、金はもちろんやけど遊ぶ方にもそれなりの格式と教養を持たんとあかんのがしきたりでした。

「金瓶楼」は中に日本舞踊の舞台や中庭もあったみたいで、『千と千尋』の「油屋」をしのぐ6階建て、外観はわからんけど「油屋」みたいな豪華絢爛というかかなりの威圧感があった明治の「木造の超高層ビル」やったと思われます。
「油屋」はもちろんアニメの世界やけど、アニメに近い「現実」が100年前の日本にあったわけで。

また、鎖国を廃止し開港された幕末の横浜には、海を埋め立てて造られた「港崎町」(みよざきちょう)という町があって、
そこに「港崎遊郭っちゅー外国人のための遊郭があったそうです。吉原をコピーしたかのように造られた15000坪の遊郭はまさに「ハマの吉原」そのものでした。
そこに、今でも伝説になっとる「岩亀楼」(がんきろう)という妓楼がありました。

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ここに「横浜港崎廓岩亀楼異人遊興座敷之図」一枚の浮世絵が残されとります。
ここは贅を尽くされた造りで昼間には見物客が押し寄せて見物料を取ってたというくらいやったけど、奇しくも6年後の慶應2年(1866)の港崎遊郭の大火で焼け落ちました。
港崎遊郭は今の横浜スタジアムあたりで、そこには「岩亀楼」の灯籠が今でも残っとります。
「岩亀楼」自体は遊郭が今の高島町(高島遊郭)に移って、明治9年(1876)7月に「二代目岩亀楼」が完成します。
ここも豪華絢爛な造りで、286坪の敷地に和風・洋風の部屋をあつらえ、てっぺんには時計台もあった「6層」の建物やったそうです。
これも事実上の6階建て、やっぱ「油屋」はある意味現実にあったんかもしれませんな~。


そして、「親を助けるために必死に働く子供」ちゅー自体、遊廓の匂いがしてまうんですよね~!?
千と千尋』にしても、両親が「後で代金払えばいい」という理由で屋台の食事を食い散らかして無銭飲食、その代償を子供が償う、という解釈も出来ます。
大人、特に子供を持つ親にとっちゃ耳が、いやそれ以上に心が痛くなって欲しいよーなストーリーやけど、
遊廓にいた女性たちは何も好きで遊廓で働いてたわけやないのがほとんどでした。
遊廓は警察や行政に厳しく管理されとったんやけど、昔は遊女だけを診る専門病院なんかがありました。
「難波病院」という大阪にあった遊女専門病院の院長で、彼女らを診察しながら遊郭で働く女性の生態を調査した上村行彰ちゅー人がおったんやけど、今となっては貴重すぎるよーなデータを遺してくれとります。
さすがは医者か、理系的に統計を取ってくれて100年近くたった今でも非常に見やすいんやけど、
彼が大正7(1918)年にまとめたデータの中に、

娼妓となった原因

ちゅー項目があります。
遊廓で働く遊女809人に聞き取りをして「何で遊女になったん?」ということを聞いたところ、

●家の借金や貧窮のため:364人 (44%)

●家族を養うため:86人 (10%)

●その他家族の事情(親の事業失敗など):55人 (6%)


「家族の事情」で遊女になった者が半分以上、特に「家の借金や貧窮」が44%と最も多く、遊廓で働くにゃ「遊廓で働かざるを得ない理由」を警察に提出して審査してもらわんとあかんかったんです。
せやさかい、審査が通りやすい「家族の貧窮」を書いて提出しとったのもあるけど、筆者は「それもあるけど、それだけじゃない」として、
「親が無職、または働いてても生活に困るくらい遊び呆ける『因襲的貧民』もある」
としとります。
ここで斜め上45度からの解釈をしてみると、

親が子供をほったらかして食ってばっかで子供を顧みようとしない。
結局生活不能になって(ブタになって)子供が働いて親のツケを支払わされる。

ということであります。
これは遊廓のことだけやなくて、子供を持つ親が自分のことしか考えられなく、子供にゃ食事も与えへんのに自分らは飽食三昧・遊び呆け三昧、
その風刺とも読み取れますわな。


千尋が働くことになる「油屋」というのは銭湯のことやけど、
江戸時代、お風呂屋にゃ

「湯女」(ゆな)

という、元々は客の垢すりを落とすサービスをする女性なんやけど、それがだんだんと性のサービス、
つまり今で言うたらソープランドのよーになっていったといきました。というか、ソープランドの直接のご先祖様と言うてもええと思います。
江戸じゃその時には既に吉原っちゅー、公に認められた遊廓があったけれど、遊郭は敷居や格式が高いさかい庶民がおいそれと行けるところではありません。そこで、「庶民的」な銭湯が人気を集めて遊廓を脅かす存在になり、風紀も乱れてきたちゅー理由で「私的」な風俗である「湯女」は取締の対象になって、今で言う警察のガサ入れで大量の湯女が吉原送りになったこともありました。

元々はそんなつもりで誕生したわけやないんやけど、次第に過激になって性風俗っぽくなったものはよくあって、
大正時代末期に大阪の道頓堀に出現した「カフェー」もその一つ。
今そこらへんにある「カフェ(喫茶店)」と変わらんのやけど、違うのは
「客に『女給』と言われる女性が隣につく」
ということ。
最初はそれこそ、女の子としゃべりするだけやったんやけど、「おさわりOK」など性的サービスも行う所も出てくるようになって、昭和初期に社会現象にもなりました。
このカフェーは今じゃ残ってへんものの、法律用語として今でも残っとって、風俗営業法第二条第二項に、

「待合、料理店、カフェーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」

とあります。
で、このカフェーは法律用語で残ってるだけで、世間的には現存せず・・・と言いたいんやけど、時代が昭和から平成に、世紀が20世紀から21世紀に変わり、形を変えて「復活」しました。それは何を隠そう、

メイドカフェ

です。
実は、メイドカフェって無の状態から突拍子に発生したわけやのーて、戦前にあったカフェーというご先祖様がちゃんと存在しとった、というのが俺の説です。
「おかえりなさいませ、ご主人様♪」って言う点と「萌え」を除いたら、カフェーとメイド喫茶、そんなに違いはないさかいにな。
戦前のカフェーの女給さんは洋服を着てたことが多かったんやけど、カフェーが全国にニョキニョキ生え始めた頃は、洋服を来た女性の「モガ(モダンガール)」という言葉が出てきた頃でもあります。
学校の教科書でも「モガ・モボ(モダンボーイ)」って名前で、当時の風俗として紹介されることがあったよーな気がするけど、当時はやっぱ女性は和服全盛、「モガ」なんて動物園のパンダかコアラが町中を歩いてる感じやったそうです。
当時の常識を今に当てはめたら、子供はさておき大人の洋装っていわばコスプレみたいなもんで、カフェーの女給さんの洋装も言わば客寄せのコスプレみたいなもの。そこらへんもメイドカフェそっくり。
せやさかい、カフェーとメイドカフェの関連性は、こういう所でつながってたりする、というのが俺の考えです。
そして、俺の説を裏付けるように、最近メイドカフェ風営法の「カフェー」に該当するんちゃうか、と警察が動き始めたそうな。カフェーも元々は風営法の適用外やったんやけど、サービスが過激になるにつれて風営法に引っかかってしまったって歴史があるさかい、こういう歴史を知ってる人から見たら、

メイドカフェよお前もか!」

という感じであります(笑


その「油屋」の経営者が湯婆婆(ゆばーば)という二頭身のおばはん。
「油屋」の経営者として非情で腹黒い所がある、『千と千尋』の中では悪役みたいな所がある人物やけど、千尋はその湯婆婆によって名前を取り上げられ、「千(せん)」という名前に変えられてまいます。
これも「斜め上45度から」見たら、湯婆婆は遊廓におった「遣り手婆(やりてばばあ)」か女郎上がりの妓楼の楼主って見方も出来ます。
また、契約書にサインした後に名前を取られて「千」という名前に変えられてまうんやけど、「千」ちゅー名前はまさに源氏名ただの風呂屋やったら名前を変える必要なんかあらへんやん、と思うんは俺だけ?
 
また、遊廓は原則として18歳以上にならんと客を取ったらあかんかったんやけど、適当な年齢になるまでは炊事洗濯の手伝いをさせられる「見習い期間」でもありました。
実際、「見習い」として遊廓に住んだ女性が洗濯や子供の世話などをするエピソードが書かれとる本もあって、千尋や彼女のOJT係として指名されたリンも、その年齢に達してへんさかい「見習い」として風呂掃除をさせられとるんちゃうんかな?という「斜め上45度からの視点」も出来ないことないんちゃうかな?と。
更に更に、ボーっとしとったら気付かんかもしれへんけど、腐れ神様が「油屋」に来て入り口でお迎えする時、湯婆婆の後ろにあった衝立には、

「回春」

の文字が。
「回春」とは何ぞや?
手元の国語辞典で調べてみたら、

①若返ること
②春がめぐってくること。新年になること


とあります。
映画のシーンじゃ日の出が描かれとるさかい、②の解釈ってことでめでたしめでたし・・・。
いや、待てよ。
と思って試しにググってみたら・・・
お~い、風俗店のHPしか出てこえへんやないかい(笑
40件以上探して、50件目くらいにやっと薬局のHPが出てくる始末。
さて、この「回春」の文字、国語辞典に忠実に解釈しますか?それとも「隠れたメッセージ」を汲み取りますか?
それは他人の勝手・・・。


千と千尋の神隠し』は何せアカデミー賞も取ったヒットもんの作品やさかい、今でも話題を呼んでる理由はよくわかるけど、
だからと言うて「○○に違いない」「○○なわけがない」ちゅー固定概念だけでで見るのもどうかと思います。
物事は別の角度を見たら常識とは全く違う見方も出来るわけで、そういうフレキシブル(柔軟)な見方が今の日本人に求められることやと思います。

「これはこうに違いない」という堅苦しいかつ狭い解釈はこのアニメにゃ不要、

見方によって無数の解釈が出来る

というのがこのアニメ、ちゅーか宮崎アニメの醍醐味やし、『千と千尋』が名作と呼ばれる理由ちゃうかな?と思います。

他にも、「日本の雇用社会への風刺」「北朝鮮拉致被害者のことを描いてる」などなど、そういう見方もありかいなという解釈が調べてみたら色々あり。
あくまで表向きは「世間知らずの女の子が社会経験を通して一人前の人間になっていく」ちゅーことやと思うけど、十人十色の解釈がこの映画にはあります。

そういう意味じゃ

「見た方の想像力と思考力にお任せします。

でも・・・

想像力と思考力に乏しい現代人にわかるかな?」

ちゅーのが宮崎駿の真のメッセージ、否、我々に対する挑戦状かもしれませんで~(笑


さて、皆さんの目から見た『千と千尋』の世界はどんなんでしょうか?