昭和考古学とブログエッセイの旅へ

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上海の衝撃ー「今週のお題」より

今週のお題「好きな街」

 

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今の俺の原点は、やっぱし中国にあるかなと、ふと思ったりします。

中国には通算で10年くらい住んでたけど、もし中国に住むという経験がなかったら、今の自分はどないなってるんか、何をしとるんか、全く見当がつきません。ジプシー癖がある俺のこと、ホームレスにでもなってたんちゃうか!?と本気で思ったりしてます。今「中国語話せます」「中国については詳しいでっせ」と胸を張れるのも、中国あってこそ、中国のことをボロカスに言う俺も、そういう意味じゃ中国様に足を向けて寝れませんな(笑

 

俺が中国の上海に足を踏み入れたのは1994年、今から23年前の今頃になります。と書くと、

「もう23年前も経ったんか・・・」

と書いた自分が複雑な気分です。自分自身はなんだか昨日のことのようやのに、時が経つのは早いものです。

今の上海を見たら信じられへんかもしれへんけど、1994年は中国がこれから伸びようとしとるという時でした。そのせいか、世間にはまだ注目はあまりされてへんかった時でもありました。

それもあってか、当時中国に留学するなんてとんだ変わり者でした。実際、留学生も変わり者が多かったし。

「なんで中国に留学したんですか?」

と聞かれることが多いけど、壮大な考えや野望を持って行ったわけやありません。中国語に興味あったわけでもないし、三国志が好きってわけでもなかった。じゃあ理由は何なの?というと、

「そこに偶然中国があったから」

としか言いようがありません。

 

当時の上海の玄関口は、今の浦東空港ではなく、浦東空港と真逆の方向にある虹橋空港

の方でした。そして、出発する方も関西空港やなくて、ギリギリながら今の伊丹空港からでした。今じゃ伊丹空港から国際線が出てるなんて信じられへんやろうけど、当時はれっきとした「国際空港」でした。せやけど、その半年後くらいに関西空港が開港したさかい、国際線として伊丹空港を利用したんは、その時が最初で、おそらく最後になるでしょう。

 

飛行機に乗って約2時間、上海虹橋空港を降りて見たものは衝撃的なものでした。

空港の到着ロビーの外にいる親子。その親がおもむろに子供の下着を脱がす。子供は何のためらいもなく用を足し始める。それも「小」やなくて「大」。日本じゃ絶対にあり得ない光景です。初めての海外、初めて親元を離れる楽しさでいっぱいの俺を打ち砕くに十分な一撃でした。それまでの楽しみが一気に不安に変わったことを、23年経った今でも昨日のように覚えています。

「しもた、来る国間違えた!」

中国の第一印象は、まさにこの叫びでした。

しかしもう遅い。乗ってきたJALの折り返し便で引き返してやろうかと思ったけど、志願して中国に乗り込んできた以上、ここで逃げて帰ったら笑顔で送ってくれた親兄弟、親戚に会わせる顔がない。俺も男や、ここで引き返してたまるかと、帰国したい心をぐっと抑え、先の不安を大いに感じながらも大陸の大地を踏みしめました。

 

大きな不安から始まった中国での生活やけど、なにせ海外、それも数ある海外の中でも癖が非常に強い中国やさかい、日本の常識じゃ考えられへん「とんでもないこと」との毎日でした。その「とんでもないこと」を挙げるとキリがないくらいです。せやけど、それが好奇心の塊やった俺の水にでも合ったのか、毎日むかつきつつも楽しくもなってきました。日本と違って人目を気にする必要もないし、信号を守る必要もない。「住めば都」と言うけれど、考えようによってはこんな「やりたい放題な国」はないぞと。

 

そして、上海という都市の性格も、中国生活の興味を引くものでした。上海は戦前、西洋列強の「租界」と呼ばれる事実上の植民地で、西洋の建物が立ち並ぶ「東洋のパリかロンドンか」と呼ばれた国際都市でした。また、「魔都」と呼ばれて恐れられつつも妙な魅力を醸しだしていた所でした。当時の日本人はパスポートなしで上海に渡ることが出来て、芥川龍之介谷崎潤一郎金子光晴などの文人も上海へ訪れたことがありました。また、日中戦争が始まる頃の駐上海日本人の人口は約10万人、同胞の先人が固まって住んでいた地区は「日本租界」という通称で呼ばれていました。「日本租界」と聞くと日本が上海に租界を持っていたイメージがあり、実際に「日本租界」があったと信じる日本人や中国人もいます。しかし、実際は「日本人が住んでいただけ」で、実際に日本が管理する租界は存在しませんでした。

23年前の上海は、もちろん租界はなくなり道行く人たちも中国人ばかりでしたが、租界の建物はほぼ手付かずで残り、「魔都」の雰囲気も若干ながら残っていたような気がします。俺も中国への知識はゼロに近くても、上海がその昔国際都市だったことくらいは知っていたので、その香りがわずかに残る街角を散策するのが、非常に楽しかった記憶があります。

「日本租界」には、日本人が住んでいた明らかな痕跡が残っていて、今じゃ信じられないかもしれませんが、街に旧日本軍が作ったトーチカ(弾丸除けのコンクリートの陣地)が残っていた時代でもありました。もちろん、今は跡形もなくなっています。また、当時日本人と一緒に住んでいたという中国人も数多く住んでいて、流暢な日本語を話す人も何人かいました。今はそんな彼らもほとんど鬼籍に入ったことでしょう。

 

今の上海も、租界時代の建物はそこそこ残っていますが、「魔都」の雰囲気はすっかり消えてしまい、中国によくある「ふつうの街」になってしまった感じがします。嗚呼、何だかな・・・という残念な気持ちが拭えません。

その分、「古き良き上海」をこの目で見た最後の世代として、写真を撮らなかったのが悔やまれるけど、頭の中の記憶に留めたのは良い思い出です。

 

上海には、留学で一年、仕事で数年間暮らして上海の変化を間近で見てきましたが、開発が進んで高速道路や地下鉄などの都市鉄道網などの交通インフラも整備されて、かなり便利になったこ反面、魅力に乏しい「タダの街」に成り下がってしもたな、という感が強いです。

それでも、良くも悪くも自分の「中国屋」の原点である上海。「好きな街」と言われたらやっぱりここが真っ先に思い浮かびます。

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