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昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

夜行新幹線の夢と姫路駅のホーム

前回のブログ

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

で姫路に残る昭和の高度経済成長の残骸を紹介しました。

これだけで終わりかなと書いてる本人も思っていたのですが、実はもう一つ、姫路には隠れた残骸が残っていました。

 

姫路駅

 

場所は姫路駅。駅の写真を撮り忘れたので、画像はWikipediaからパクって拝借してきました。

姫路駅は、当時私鉄だった山陽鉄道、今の山陽本線によって明治21(1888)年に作られました。なにげに歴史が古い駅でもあります。

日本の駅弁の起源の一つにもなった駅でもあり、今のように折り詰め式の弁当が最初に販売されたところと言われています。しかし、これは諸説あって資料も乏しいため、確定ではありません。

というか、駅弁の定義って実は今でも不明だったりします。

「駅で売ってる弁当じゃないの?」

という声もありますが、そうなると駅にあるコンビニの弁当も「駅弁」か?そこで売っているコンビニおにぎりだって広い意味の「駅弁」じゃねーか、という意見もあるんですよね。我々は駅弁というとなんとなく頭の中でイメージが沸きますが、こと理屈になるとなかなかややこしい問題ですね。どうでもいいっちゃいいんだけど(笑

 

姫路駅には、知る人ぞ知る名物があります。

それが「えきそば」。

駅のホームで食べるそばは別に珍しくもなんともないのですが、姫路の「えきそば」はかん水で作ったもの。つまりラーメンと同じ製法です。

戦後の物資不足の頃、駅でうどん屋を作ろうとした店主が、そばとこんにゃくを足した「なんちゃってうどん」を作り始めたのが始まりです。

後にかん水を入れたラーメン風のそばに和風だしを足したら評判となり、現在に至っているとのこと。これぞホントの「中華そば」!?

姫路駅で食べたえきそば

 

これが俺が実際に現地で食べた「とり天そば」ですが、値段は400円ほどでした。天ぷらそばが360円だったので、さほど高くはありません。

見た目も、やはりというかまさかというか、そばというよラーメン。味は至ってふつうのそばでお値段相応というのが、素直な感想です。

しかし、これだけを食べに遠く関東からやって来る人もいるそうで、隠れた姫路名物になっているようです。

 

 

さて、そろそろ本題。

行き先は姫路駅の新幹線ホーム。

ここ、時速300km/hのフルスピードでぶっ飛ばす新幹線を間近で見れる!と外国人の間で評判となり、絶好の新幹線撮影スポットとしても有名です。

俺が訪れた時も、ビデオカメラ片手にホームの端っこに立つ外国人の姿がチラホラと見受けられました。

新幹線のような高速鉄道って、日本人にとってはふーん程度の一風景ですが、外国人、特に自国に高速鉄道がない人にとっては、交通手段と同時に避けて通れない観光の目玉にもなっています。新幹線の姿を見るだけでテンションUPの外国人の姿も、最近見かけるようになりました。世界全体で見ると、高速鉄道がない国の方がはるかに多いですからね。あのアメリカでさえも、あるようでありません(建設の予定はいくらでもあるのですが)。

新幹線を見て子供のようにはしゃぐ外国人を見ると、なんだかほっこりするのは俺だけでしょうか。

また、子供の姿や大きなお子様(笑)の姿もたくさん見受けられました。大きなお子様はさておき、子供も新幹線を見ておおはしゃぎ。男の子は何故か乗り物系が好きなのが多いですけど、これって何でですかね?男の本能がそうさせるのか?

かく言う俺も、そのうちの一人でした。4歳の頃からいっぱしの乗り鉄だったので、5歳で新幹線に乗りたい!と駄々をこね、新大阪から姫路まで新幹線に乗った記憶があります。それも、いっちょ前に当時新幹線にふつうにあった食堂車でメシ食いたいと言い出し、親を困らせたそうです。そういう都合が悪いことは、一切覚えておりません(笑

そういう人間なので、不惑を超えた今になっても「鉄分」が抜けません。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。ホームで新幹線をじっと見ていた子供たちも、大人になったら立派な「鉄っちゃん」になっているのでしょうか。

 

で、新幹線自体昭和に作られた鉄道ではありますが、ここのどこに「昭和の遺産」があるのか?

まずは、新幹線姫路駅の構造をどうぞ。

姫路駅の新幹線ホームの図

毎度の如く図を描くのがヘタクソ、美的センスゼロなのはお許し下さい(笑

上から11番線は東京方面、12番線と13番線が岡山・広島方面です。

その間にある2本の線路は、駅を通過する列車のための通過線です。

 

ここで、ちょっとホームの構造がおかしいことに気づきます。

11番線と12番線は通過する列車を待つための待避線でもあるのですが、待避するだけなら11,12番線だけでいいじゃないかと思いません?実際、他の駅はそういう構造になってますし。つまり13番線が「余計」だということです。

普段から姫路駅を利用している人でも、ここがおかしいと気づく人は少ないかと思います。むしろ普段から馴染みだからこそ気づかない、と書いた方が正解かもしれません。

しかし、別に金が余ったから作ったわけでもない13番線ホーム、作ったからには何か意味がある、またはあったに違いない。俺の直感がピンときました。

調べてみると、やっぱりちゃんと意味があったのです。

 

新幹線が博多まで開通したのは昭和50(1975)年3月10日ですが、それまでは岡山まででした。もう古いことなので、若い人は昔の新幹線は岡山までだったという人は少ないでしょう。まあ、俺もその時は生まれてなかったので、リアルで知ってるわけがないんですけどね(笑

新幹線が博多まで開通するということで、当時の国鉄はある列車を走らせようと計画していました。

それが「寝台車付き夜行新幹線」。ブルートレインならぬ「ブルーシンカンセン」。

東京から博多までは、今は最速で5時間1分、あと数年すれば5時間を切る次元になっていますが、開業当時は6時間56分でした。ほぼ7時間かかっていたわけで、そのため今は昔の話になった食堂車も、ふつうに連結されていました。

東海道新幹線の東京~新大阪間が開通した時から、博多までの延長は当然計画済みだったわけで、

国鉄の偉い人

「ピコーン!約7時間かかるのなら、夜間に寝台列車も走らせようじゃないか」

と当時の国鉄の偉い人が思いつくのは自然なことです。

「寝台新幹線」の珍しい内部イメージ図が残っています。

夜行新幹線の寝台イラスト

写真などはないですが(※後に見つかったら編集します)、博多までの開業に合わせてプロトタイプ車両も作っていたそうです。また、1日一本とかケチな本数ではなく、一晩に24本走らせようと計画していました。24本ってほぼ30分に1本くらいの割合でしょうかね。今冷静に見ると、ちょっと落ち着けと止めたくなりますが、日本の当時のイケイケドンドンぶりが、これだけでも感じます。

 

順調に進んでいた「夜行新幹線」計画ですが、今でも走ったという話はないように、結局計画倒れに終わります。

理由はいくつかあるのですが、一つは騒音問題です。

沿線の住宅化が進んで、深夜に新幹線を走らせることになると音が大問題になります。車両の性能が良くなったとはいえ、今でもホームを通過する新幹線の音はかなりうるさいです。轟音です。

それを静まり返った深夜に走らせるとなると、苦情なんてレベルではないと思います。

ちなみに、世界でただひとつ「寝台・夜行新幹線」があるのは中国ですが、中国では騒音が出ないのか?苦情が来ないのか?という疑問があります。

でも相手は中国、騒音なんてお構いなし。人民の苦情など、怖いおじさん達を使って潰すのみ。それでもしつこいようなら、本人が突然「この世から登録抹消」されたり、何故か医者がやってきて「精神病」と診断され、精神病院に放り込まれた上「永久封印」される国ですから、モウマンタイ。1万人の血が流れても、むしろ人口が減ってお上は笑いが止まらない・・・日本人でつくづく良かったです。

 

そしてもう一つは、保線の問題。

鉄道は車両はもちろん、線路や架線なども定期的なメンテが必要となります。メンテを怠って線路が劣化すると、乗り心地が悪くなって酔ってしまったりするのはもちろん、脱線事故の原因ともなります。架線のメンテを忘れると、ある日架線が切れて電車が走れなくなったり、それに触れて感電する人も出てきます。

特に新幹線は高速でぶっ飛ばすため、メンテの期間がとても短くなります。新幹線のどこかで毎日メンテをしているのは、知ってるようで知られていません。保線スタッフの陰の努力があってこそ、我々が安全に乗ることができるのです。

設備メンテを行う時間帯は、新幹線が走っていない深夜になるのですが、「夜行新幹線」を走らせたらいつメンテするの?という問題が発生します。深夜に30分に1本も列車を走らせるとメンテするのは命がけ、いや死人が確実に出るでしょう。

おい国鉄、そこまで考えてねーのかよ!とツッコミを入れたくなりますが、そんなこんなで「夜行新幹線」はボツとなり、実現することはありませんでした。

 

その「夜行新幹線」と姫路駅13番線ホームは、何の関係があるのかというと。

この13番線は、「夜行新幹線」の待避ホームの名残だったりします。13番線に「夜行新幹線」を長時間停車させたり、12番線などが深夜メンテ中の代理ホームとして活用しようということです。姫路駅に謎のホームがあるのは、「夜行新幹線」の夢の跡だったわけなんです。

 

「夜行新幹線」の遺産は、実は姫路だけではありません。

兵庫県には新神戸西明石、姫路、相生と4つ駅があります。

同じ府県にいくつも駅があるだけなら、広島県山口県も4つか5つあるのですが、それは開業後に追加された新駅も含めて。兵庫県の4つの駅は、開業当時からの駅です。それも、駅の間隔がやけに短い。言っちゃ悪いけど、兵庫県に4つも駅要らなくね?と思いませんか。西明石は百歩譲って許すとして、相生って姫路から乗れよ!と地元ではない住民はつい思ってしまいます。

実はこれも、「夜行新幹線」の名残だったりします。

兵庫県は東京~博多間のだいたい中間地点にあたり、ここで「夜行新幹線」は時間調整で長時間停車したり、列車を待避させたりする予定でした。しかし、新神戸は待避施設なし(あんな山の中じゃあ作れない)、そうなると待避できるのは姫路しかありません。それだけでは24本/1 nightの本数はさばききれません。そのため、

 

国鉄の偉い人「ピコーン!なら駅作っちゃえ!」

 

というノリで作られたのが、西明石駅相生駅だと言われています。

かなり前のテレビで言ってたのですが、内部の歴史に詳しい人によると「ウソのようなホントの話」だそうで、本当に当時の国鉄は新幹線と日本の経済成長でノリノリだったんでしょうね。青天井時代の日本、もしタイムマシンがあるなら一度行ってみたい気もします。

 

「昭和の名残」は、我々がふつうに見て歩いている所にも、まるで存在を消しているかの如く存在しています。そういう遺産を、またいろいろ紹介していきたいと思います。

 

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