昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

中国の幽霊-霊感ゼロの私が唯一「何か」を感じた話

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

霊の存在を肯定したくて心霊スポットを巡った話 - AzuYahi日記

 

今日は、はてなのお題と他記事言及のダブル、二段構えです。

だからといってどうということはありません(笑

 

中国の幽霊

言及先のAzuYahiさんは、数々の心霊スポットを巡った経験から、幽霊はいないという派です。

私も、幽霊はいないという派に属します。だって見たことがないから。 

 でも、心霊写真は怖いという困った人種でもあります。

 

この話でふと頭の中をよぎったのが、あの上岡龍太郎

 

上岡龍太郎

 

大のオカルト嫌いだった彼は、特に幽霊話を極端に嫌っていました。幼いころ、ガンで倒れた母親に自称霊能者や宗教関係の人たちが群がり、食い物にしたトラウマからだそうですが、その証拠(?)に、幽霊(を信じる人を含む)には情け容赦ない。素人でも公の電波で口の公開処刑。しかし、妖怪などの民間伝承には極めて寛容でした。

幽霊を信じる人や霊能者などの理屈には、それ以上の屁理屈で返していましたが、

 

「私は京都で生まれ育ったけど、京都なんて応仁の乱だけで何人死んだと思ってるんや?霊がおるんやったらそこら中に(応仁の乱で死んだ怨霊が)おるはずやで。私は一度も見たことないけど、それはどう説明するんや?」

 

「広島で阪神タイガースの)バースがホームラン打てるってどういうことや?広島の原爆で亡くなった人らが、なんでアメリカ人にホームラン打たせるんや?おかしいやろ!

それ以前に、なんでアメリカ人やカナダ人が広島に住めんねん?(霊能者の理屈やと)呪い殺されるやろ!」

(※上岡理論を今風に言うと、広島カープエルドレッドはホームランを一本も打てず、ジョンソンは沢村賞なんて絶対取れない理屈になる)

 

彼の「芸」である一流の屁理屈のオンパレードですが、この屁理屈がそれはそれで筋が通っていたから大好きでした。

 

基本的に幽霊は信じない私、しかし宇宙人はほのかぁ~~に信じています(笑

 

きっかけは、小学校3年生の頃。

一人で夜道を歩いていると突然空から青白い光が現れた瞬間、気づいたらどこかの乗り物の中に。

目の前には青い服を着た、人間のようで明らかに人間ではない、目だけが大きい異様な生き物が数人、僕を待ち構えているように立っていました。

 

なんてことは決してありませんが、私が宇宙人の存在を0%から0.01%ながら信じるようになったきっかけは。

 

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これです!

仁徳天皇陵?なんでやねん (x_x)ヾ(-_-;)

 

知らぬ者はいないエジプトのピラミッドですが、ピラミッドがなんで宇宙人につながるのか。

現物を目の前で見たらわかります。

これ、人間の手で作り上げるのは無理やろ! 

無理無理無理絶対無理!!

 

ギザのピラミッドの現物を見たことがある人なら、あの予想以上のデカさと精巧さに驚くはず。

写真だけを見ると、ピラミッドの1段は大した高さではなさそうですが、実はけっこうデカい。階段みたいにヒョイヒョイではありません。1段ずつよっこらしょっとと「よじ登る」。ピラミッド一段平均のデータはないですが、私の感覚では平均1mか1m20cmくらい。身長が低い人(150cm台前半)はたぶん登れません。高くなるほど一段の高さも高くなるので、頂上まで登れと言われたら・・・命がけのロッククライミングです。実際、突風にあおられて落ちて死んでいる地元の人も、けっこういるようなので。

 

ギザのピラミッドの完璧さは、初期のピラミッドの現物を見てみると明らか。

ジェセル王のピラミッドなど、初期ピラミッドは作りが甘々で、まだ人間が作ったなという粗雑さがあります。しかし、クフ王のは断じて人間が作り得たものではない。中も含めて人間臭さが、いろんな意味で全くないのです。すべてが完璧すぎるのです。あくまで建築学の素人目ですが、現代人でもこんな完璧なものは作れないのでは。

じゃあ「誰」が作ったのか。消去法で考えると・・・うーん、神様?宇宙人?というのが私の主張。

まあ、私の個人的な戯言なのでスルーして下さい(笑

 

しかし、少なくても現物を目の当たりにすると、

「『宇宙人が作った』説…これまんざらでもないかも」

と思わせるような迫力と威厳が、ギザのピラミッドにあります。

 

 

 

 

霊感はゼロ。もしかしてマイナス。幽霊なんて基本的には信じない私ですが、今でも信じられないような、あるストーリーがありました。

 

 

中国に留学していた時のこと。

当時中国に留学する外国人は、基本的に「留学生寮」に住むことが決まりでした。

 今は開放が進み外国人でも外の物件を賃貸することができますが、当時は広東省深センのような経済特区を除いて禁止でした。

学生寮の設備は大学によって様々で、日本のビジネスホテル真っ青のレベルから(実際、そういう寮は外国人用ホテルも兼ねている)、シャワー/トイレ共同、エアコン何それおいしいのというオンボロまで様々。

私が上海に留学していた寮は前者だったのですが、あまりの「ホテル」ぶりに、同じ大学内の「招待所」という所に引っ越し、わざわざ「バージョンダウン」する人もいたほど。

 

 中国で「ホテル」と言えば、「○△飯店」「XX賓館」という表記が基本です。広東省では「○○酒店」という方がメジャーです。

「中国で『飯店』はめし屋じゃないよ!」

というのは、何十年も使い尽くされた中国あるあるです。

上記は「外国人が泊まれるホテル」だけで、中国には中国人しか泊まれないホテルも存在します。

「○○旅館」や「招待所」がその代表です。

「招待所」は「○○飯店」よりお値段は半額どころか、ゼロの数が一つ違うほどの格差がありました。日本円で言えば、100円くらいで泊まれる所などザラ。今はさすがに無理だと思いますが、地方都市であれば500円クラスならまだあると思います。

「招待所」の設備はピンキリで、ベッドはノミシラミ満載、トイレに逃げたら伝説のニーハオトイレだった・・・という、思い出すのもおぞましい次元もあれば、高級ホテル並の設備なのにシングル一泊ン百円という大当たりまで。

本当は外国人は宿泊不可なのですが、そこは中国、コネとゴネがあれば泊まれます(笑

 

しかし、外国人宿泊不可の「招待所」でも、かなりの確率で泊まれる所もありました。

それが、大学内にある招待所。

大学内招待所は留学生寮を兼ねていることが多く、留学生もゴロゴロ掃いて捨てるほど住んでいる。そこに一泊だけの「超ド短期留学生が住む」のは何の差支えもない、「留学生」なんだから。というのが泊める側の屁理屈。

屁理屈がどうであれ、「招待所」なので「飯店」よりはかなり安く、貧乏留学生の旅行の大きな味方でした。

 

私も、留学生活に慣れた頃に「ホテル住まい」をやめ、「招待所」に住まいを移すことにしました。

留学先の大学招待所は、1950年代に建てられたらしいオンボロ招待所ではあったものの、外国人も泊めるということで全面リフォームされていました。

 

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招待所は3階建てだったのですが、リフォームされていたのはあくまで外国人が泊まる2階と3階だけというのが、いかにもメンツ社会の中国らしい。外国人という「お客様」に粗相をするとメンツがつぶれる。だから外国人が住むところは綺麗にしておく。これが中華流おもてなし。

実際、2階のトイレは水洗で毎日掃除が入りピカピカ。しかし1階は毎度おなじみニーハオトイレ。1階違うだけで天国と地獄でした。

 

2階には、主に日本人と韓国人留学生が住んでいました。現在日本と韓国の外交が冷え切っていますが、1990年代前半はそんなもの関係なし。日本人と韓国人は狭い招待所の同じ階で仲良く共存していました。中国人という「共通の敵」がいたからでしょう(笑

 

3階のスイートルームにも韓国人留学生が数人住んでいたのですが、2階と違って不思議なことが一点ありました。

3階住人の定着率があまりに低いのです。入ってはすぐに出て行き、新しい人が入ってきてはまた出て行く・・・。2階の韓国人の居住歴数年の主もいるほどの定着率を考えると、到底同じ建物とは思えない。

ある日、仲が良く招待所に長く住んでいる韓国人のKに聞いてみました。

「なんで3階の住人はすぐ出て行くん?2階よりええ部屋やのに」

彼は最初ノーコメントだったのですが、しつこく問いただすとようやく口を開きました。

 

「出るんだよ・・・幽霊が・・・」

 

幽霊など毛頭信じない私や、まわりの日本人はそんなアホなという顔をしたのですが、Kの顔は至って真剣。

3階に住んでいた人はみんな「見た」らしく。それも、見た次の日に尻尾を巻いて逃げるほど、恐ろしい体験をしたそうな。 

 しかし、じゃあお前は見たことがあるのかと彼に聞いても、見たことがない。

 幽霊なんて全く信じない私、じゃあ見てやろうじゃないか!ということになりました。

 

ある深夜

 

事前情報によると、幽霊は毎日出没するわけではないとのこと。

しかし、出没する時は必ず、水道の蛇口からポタポタと水が漏れるような音がするそう。我々はその音がする日をじっと待ちました。

ある日、時間は深夜2時くらいだったでしょうか。耳を澄ませると、

 

ポタン… ポタン… ポタン

 

と水が漏れるような音がするのです。

それは事前に聞いた、水道の蛇口から水が漏れる音ではなく、全身ずぶ濡れの人間が廊下を歩いていると水が地面に落ちてピチャピチャと言うような、そんな音でした。

意識してなかったせいか、今までこのような音は聞いたことがありません。

 韓国人Kは、それだけで顔面蒼白。な、ウソじゃないだろ?と私にしきりに小声で語りかけ、不安を払拭しているようでした。

それでも信じない私、なら出没する3階に行って、幽霊さんを見て会話してみようやんかと、躊躇するKを無理やり連れて3階へ。

 

3階は、当時は誰も住んでおらず灯も消され、病院を思わせる一直線の廊下は真っ暗でした。全く音がしない沈黙が、余計に「出るぞ」という雰囲気を醸し出していました。

ここでおかしいことが。2階であれだけはっきり聞こえた、水がしたたり落ちる音が、我々が3階に上がった頃には消えていたのです。無言で耳を澄ませても聞こえない・・・。

やっぱあの音は気のせいだ。さて引き返すぞとKに話しかけた時、「あの音」が聞こえてきました。それも、よりはっきりと。

その音に集中してみると、少し先にある共用トイレから聞こえてくるようです。2階では震え上がっていたKはこの時には落ち着きを取り戻したか、年長者のメンツもあったか、

「俺が行く」

と私より前を歩き出し、光が一つも見えないトイレの入り口へ。

Kも勇気を振り絞って進んだのでしょう。しかし、後ろ姿がとても頼りがなかったことを覚えています。

普段偉そうなこと言っておいて、情けねーなーと思っていたとき、Kが叫びました。

 

「逃げろ!」

 

理由もわからず、条件反射で私もKと一緒に2階のKの部屋までダッシュで逃げたのですが、Kは震えが止まらず、

「見た・・・見た・・・」

を繰り返すばかり。

私は幽霊とやらの姿ははっきり見なかったものの、「黒い、どす黒い何かの塊」ははっきり感じ取ることはできました。この「黒い何か」はとても邪悪なもの、怨念の塊に違いない。臭いはしないが、汚物のような吐き気感がするようなものでした。

Kもはっきり姿は見ていなかったそうです。じゃあ何で逃げろなんて言ったんだ!?と問いただすと、私と同じく「邪悪な何か」を感じ、条件反射で声に出してしまったとのこと。

  

その後、招待所の管理人に話を聞いてみました。
管理人いわく、過去に自殺や殺人などがあったなどは聞いたことがないと言っていましたが、それは自分が管理人になった1980年代後半より少し前までのこと。それ以前は知らんと。
聞くところによると、1960年代の頃にあった文化大革命の嵐は留学先の大学にも及んでいたそうす。私がいた頃は、校舎の壁に「毛主席万歳」という赤い文字がかすかに残ってもいました。ウワサによると紅衛兵どうしの血みどろの争いもあったとかなんとか。
招待所はリフォームされているとは言え、文革前からあった建物です。もしかし、その時に何かがあったのかも!?
文革中の階級闘争とやらで追い込まれて自殺くらいなら、十分あり得る話ではあります。

しかし、真実は本当に、誰にもわかりません。

 

基本的に幽霊は信じない方ですが、この話だけは理屈や科学では理解できない、それとは別世界の何かだったかもしれない。もしかして夢だったのかもしれない。そんな気がしてなりません。

 

 

==お知らせ==

事前にサラッと通告していましたが、8月9日(水)より台湾へ向けて旅に行ってきますが、8日の夕方より移動を開始するので、明日より旅が事実上スタートです。
よって8日から、少なくても17日(木)まで、ブログ更新は休止となります。
お寂しいでしょうが(?)しばしのさようならとなります(* ̄▽ ̄)ノ
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 ==言及元==

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