昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

映画『火垂るの墓』を冷酷に時代考証してみるー前編

『ホテルの墓』・・・間違えた、『火垂るの墓』やった。ホテルの墓ってどんな墓やねん。
初っ端から素で打ち間違えてしまいました。何に疲れているのか分かりませんが、少し疲れているようです。

 

気を取り直して仕切り直し。

 

 

映画火垂るの墓海軍摩耶

 

火垂るの墓という映画があります。
戦争という大人の勝手に振り回される幼い兄妹、そして戦争という大きな渦の中、ゴミのように消えていく二人の命。号泣不可避の映画です。

イギリスの映画雑誌でも、見た後トラウマになる映画の第6位にランクインしたとか。

 

しかし、こんな泣ける映画に

「ちょっと待った!その設定おかしい!」

とクレームをつけた不届き者・・・じゃなくてある人たちがいました。
それが元海軍士官たち。

 

主人公の清太の父親は海軍軍人。いちおう大尉という設定で巡洋艦に乗っていたようですが・・・。
しかし劇中でレイテ沖海戦が起こり、連合艦隊は壊滅。父も行方知れず(おそらく戦死)に。
それだけなら戦争の宿命なので十分あり得ることですが、その後の、兄妹もろともむごい死に方をするという設定が、元海軍士官たちの逆鱗に触れることに。

あの映画の、どこのどこに彼らは怒りを感じたのか。

 

大人の姿をした子供になり、特に昭和の社会史や海軍方面の考察を深めた上で改めてこの映画を見てみると、この映画、脇が甘くツッコミどころが多いのです。今まで涙に濡れて見えなかったものが見えてくる。

今から映画と史実、特に海軍との絡みを時代考証しつつ、冷静に考察していきます。

映画の時代が昭和なので、「昭和考古学」としてもよかったのですが、ここは在野の一歴史家としての考察オンリーで。

 

なおここから、お前の血は何色だ~!と血も涙もない客観的考証をしていくので、『火垂るの墓』のイメージが壊れる可能性があります。お涙頂戴のかわいそうな映画というイメージを崩したくない方は、此処から先は読まないで下さいなんて言わないことはありません。

ええか、絶対読んだらあかんで。ホンマにあかんで。間違っても下の「続きを読む」なんかクリックしたらあかんで(笑)

 

 

清太と巡洋艦『摩耶』

映画では、こんなシーンがあります。

 

www.youtube.com

 

清太「兄ちゃんな、節子の生まれる前、観艦式見たことあったんや」

節子「かんかんしき?」

清太「せや。お父ちゃん、巡洋艦『摩耶』に乗ってな。連合艦隊勢揃いやで」

 

==観艦式(かんかんしき)==

観艦式とは、軍事パレードのひとつで、軍艦を並べて壮行する式のことである。

 

==『摩耶』(まや)==

摩耶は、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦(重巡洋艦)高雄型の3番艦である。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。

レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。

 

考察しながら書くのが面倒くさいのでどちらもWikipediaより抜粋

 

 

 

その後、軍艦マーチをバックに敬礼をした兄妹の父が登場します。

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兄妹の父が海軍大尉だったという設定は、ここで裏付けられます。

何故一発でわかるのかって? 軍服(正式には『第一種軍装』という冬服)の袖にある模様に注目。

 

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黄色で囲んだ部分を袖章(そでしょう)と言い、水色の丸にある襟章(えりしょう)とは別に階級を表す海軍独特のものです。これは世界中の海軍共通のもの。

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(袖章一覧)

袖章は各階級によって紋様が違いますが、上のサンプルと比較すると父の袖章は大尉のものだとわかります。よって大尉であることは確定。

 

 

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袖章は今の海上自衛官にもあり、今でも士官と内々で呼ばれる幹部には金筋の袖章がつけられています。ただし、旧軍はイギリス海軍式で海上自衛隊はアメリカ海軍式。

写真のは一本線なので三等海尉、旧軍の少尉ですね。おそらく幹部候補生学校を卒業したてのペーペー三尉でしょう。

 

それがどうしたと言えばそうなのですが、この階級が後々議論の的、映画の大きな矛盾となるのでいったん置いておきます。

 

ここで清太の回想をまとめると。

1.過去に神戸で行われた観艦式で

2.巡洋艦『摩耶』に乗った父を見た

ということですね。

さて、これを史実と照らし合わせていきます。

 

 神戸の海軍観艦式

神戸で観艦式が行われたことは事実です。昭和に入ってからでも2回あります。

昭和5年(1930)10月 :特別大演習観艦式 神戸沖

昭和11年(1936)10月:特別大演習観艦式 阪神沖(大阪湾一帯)

 

特に昭和5年のものは、明治41年(1908)以来12年ぶりとあって人が殺到。今の阪急神戸線から見える風景が軍艦丸見えで絶景とのことで、阪急電車に客が殺到しました。阪急も宝塚線の車両まで投入してなんとかさばいたものの、最後は変電所がオーバーヒートしてぶっ壊れてしまい、全線運休してしまったという阪急の黒歴史エピソードがあります。

 

清太は昭和20年近くで14歳という設定なので、昭和5年のものはそもそも生まれておらずあり得ない。よって昭和11年のはずですが、原作ではどうやら「昭和10年」となっているようです。節子それ1年ずれてるで。

 

資料を探してると、国立国会図書館にこんなものが転がっていました。

 

昭和11年海軍特別大演習観艦式神戸市記念誌

 

神戸市が観艦式の翌年に公式に編さんした、『昭和十一年海軍特別大演習 観艦式神戸市記念誌』という観艦式の全容です。映画の中で清太が見たという設定の観艦式のすべてが書かれています。著作権フリーになっているので、国会図書館のHPからインターネット上で閲覧可能です。

 

ちょうどええわと中を見てみると、こ、これは衝撃の内容が・・・(((((( ;゚Д゚))))))

 

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昭和11年の大演習は、阪神沖(大阪湾)に戦艦『長門』『陸奥』を筆頭に100隻以上の艦艇が集まり、大阪湾全海域貸切という大規模なものでした。大阪府の半分以上の長さほどの海域に艦艇が配置されていることから、今では再現不可能な規模の大観艦式だったことがわかるでしょう。大阪の皆さんは、大阪市から岬町までの海に軍艦がズラリと一列に並んだ時の光景を想像してみてください。いや、想像を超えて想像すらできないかも。

 

滅多にない海軍艦艇大集合に、神戸の街も奉祝という名のお祭りムード。お店は「観艦式記念セール」を行い、当時の神戸一の繁華街だった元町通りも、下の写真の通り。

 

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夜も花火があがり、街の建物はイルミネーションに輝き全市が不夜城となっていました。神戸ルミナリエの光が神戸市全体を包んでいたと想像してみて下さい。海から見える神戸市は、街全体が海の上に浮かぶ「光の城」のように見えたはずです。

 

 

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当時の神戸の町の夜の光を、『観艦式神戸市記念誌』にはこう書かれています。

 観艦式ご盛儀を奉祝するイルミネーションは、(中略)言葉を変へて表現するならば、『光源の街』と象徴しやうか、はた『燃える神戸』とでも表現すべきか、山に、海に、そして大空に、網膜に映るものもの総てが光を放ち、夜の神戸は實に素晴らしい奉祝情景を現出した。

 

 

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映画火垂るの墓の神戸のイルミネーション

(上の画像はアニメから切り取ったもの)

火垂るの墓』の清太の回想にある、ライトアップされた神戸の街は本当だったということです。アニメに出てくる光景と写真がよく似ているので、作画スタッフはもしかしてこの写真を参考に描いたのかもしれません。

 

その証拠に?

 

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アニメの左上にある飛行機と同じイルミネーションを、公式資料から見つけてきました。資料の方がPDF化されて画質が落ちていますが、ほぼ間違いないと思います。

 

 

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映画の回想の通り、艦艇もライトアップされていることがわかります。

「昭和考古学者」としてはライトアップされた軍艦を特定したいところですが、全くのノーヒントなのでお手上げです。シルエットからして駆逐艦軽巡かな!?

帝国海軍艦艇に詳しいミリオタなら、このシルエットで少なくても「XX型駆逐艦軽巡)」くらいは特定できるかもしれません。

 

ただし、観艦式自体は午後2時10分に終了と書かれているので、劇中の夜のイルミネーションの中の観艦式は完全にフィクションです。
観艦式とはそもそも、市民に見せるものではなく軍の最高司令官である大元帥陛下(=天皇)にお見せするもの。夜の見えない状態で行う観艦式など海外を含めて聞いたこともないし、そもそも意味がない。レーダーもない時代に、大元帥ご乗艦のまま真夜中の観艦式なんてめちゃくちゃ危ないっちゅーねん(笑) 

 

 

この資料を丹念に見ていくと、あることに気づくこととなります。

 

おい、『摩耶』がいないやん!!

 

「いない」って無意識に擬人化していますが(艦これやりすぎやな)、11年の観艦式に参加した重巡は『足柄』『愛宕』『鳥海』『古鷹』『青葉』『衣笠』『妙高』『那智』で、『摩耶』の名前はどこを見てもありません。

第一次公的資料の参加艦艇リストの他に、「神戸市が軍艦に配った祝酒のリスト」「給水した艦のリスト」など複数の項目からチェックしたものなので、これは間違いなく昭和11年の観艦式に『摩耶』は不参加だっということになります。

というわけで、『摩耶』は観艦式に参加していない以上、回想に存在するわけがない。兄ちゃんはウソツキやと節子が言っています。

原作がそうなってたからかもしれませんが、『摩耶』って名指しにせず「巡洋艦」でボカしておけばよかったのに(笑

 

 

清太の父は『摩耶』に乗っていたのか?

ネットでささやかれている、あるウワサがあります。
それは、清太の父が『摩耶』の艦長だったというもの。

この記事を書くために、改めて『火垂るの墓』をノーカットかつノンストップで見てみたものの、劇中では艦長の「か」も出てきていません。

清太は「巡洋艦に乗って」と言っているけれど、『摩耶』などとは一言も言ってないし、そもそも巡洋艦に乗っていたかどうかも確かではありません。観艦式の記憶からの、清太の思い込みの可能性と考える方が妥当です。

何故ならば、昭和16年頃から機密保持が厳しくなり、どの艦に乗っているかは家族にも言ってはいけないことになったから。「巡洋艦に乗ってる」「飛行機のパイロットしてる」くらいはOKですが、「戦艦『長門』に乗っている」など具体的な艦の名前を出すのはNG。

今の海上自衛隊でも、機密保持がいちばんうるさい潜水艦のクルーは、家族にすら乗っているフネの名(「潜水艦に乗ってる」くらいは言っていい)、航海スケジュールを言うのは厳禁です。呉で聞いた話ですが、海自の潜水艦乗りの独身率、カップル破綻率が海自の中でダントツに高いのだとか。しかし、それを覚悟で志願するのが潜水魂。海上自衛隊の潜水艦乗りは、志願したら誰でもなれるわけではないエリート集団なのです。

 

しかし、この話が広まって時間が経っているのか、「主人公兄妹の父は『摩耶』の艦長」というのは定説として固まっていますね。

劇中では全く語られていないソース不明の半ガセネタなのに、何故こうなってしまったのか?

 

私が推定する拡散シナリオは以下の通り。

観艦式で『摩耶』に乗組だったので、清太の『巡洋艦が』という発言もあり昭和19~20年もずっと『摩耶』乗組だと誰かが思い込み拡散。それが広まりいつの間にか「常識」となって定着したと。

昭和11年の『摩耶』に乗っていたから8年後も同じ『摩耶』に乗っているという前提で、海軍の諸制度を知らない素人の思い込みで「父=『摩耶』艦長説」が広まったのだとすると、これは歴史を曲げる由々しき事態。微々たる存在ながら一歴史家として、まずこれを強く否定しておかなければなりません。

 

兵・下士官であれば、同じ軍艦に何年も何十年も勤務し、その艦のスペシャリストになることは十分有りえます。
海軍に奉職して21年、ずっと戦艦『長門』一筋で『長門』のことなら何でも知っているという、天然記念物のような下士官がいたという話もあります。
しかし、それは下士官での話。士官は1~3年おきに定期異動を繰り返すもの。士官が同じ艦に8年も9年も勤務していたなど、海軍の制度的に300%あり得ません。絶対あり得ない。

 

百歩譲って、父が『摩耶』に乗ってレイテ沖海戦に参加したとし、そのまま消息不明(公務死亡=戦死)したとしましょう。そうだとしても、観艦式とは何の関係もありません。つまりただ偶然『摩耶』乗組だっただけ。ドライで申し訳ないですが、これが史実です。

 

世界には、ある共通ルールで結ばれた集団が3つ存在すると言われます。
一つ目は共産主義者。まあこれはほぼ昔話ですね。
二つ目はキリスト教カトリック信者。カトリックローマ法王庁、俗にいうバチカンが管理している大組織で、ミサの方法や聖書の解釈まで、すべて統一されているのだとか。

 

そして三つ目が海軍。
海軍は海という自然の魔物を相手にするせいか国を超えて仲が良く、世界のほとんどがイギリス海軍をベースにしているため、ルールがほぼ共通しています。そして何より、国を超えた横の連携が非常に強い。
世界の海軍には、何かと理由をつけて世界中で集まり観艦式をする習慣があります。
日本では、かなり昔ですが海上自衛隊設立50周年記念という大義名分で、米英仏、ロシアやインドなど、世界中の海軍が横須賀・東京湾に集結したことがありましたが、陸軍・空軍には国の垣根を越える集まりがありません。世界中の戦車や戦闘機がいっせいに集まってパレードするなんて聞いたことないでしょ?
大日本帝国海軍も、同じ国の陸軍より敵のアメリカ海軍の方が話が分かり合え、アメリカの前に陸軍やっちまわないかという冗談(七割くらいは本気)もあったほどでした。

 

その海軍世界共通ルールの一つに、
「軍艦の艦長は必ず大佐
というものがあります。
英語で「艦長」はCaptainです。これは中学英語レベルの簡単な問題。
しかし、Captainにはもう一つの意味があります。それは「海軍大佐」。英和辞典の隅に小さく書かれています。手元の英和辞書を引いてみて下さい。
同じCaptainでも、陸軍や空軍は「大尉」なのですが、海軍だけは大佐。これは艦長=海軍大佐という世界共通ルールから来たものです。
当然ながら、いちおう「軍隊ではない」海上自衛隊もそのルールに従っています。
護衛艦の艦長をググっていくと、ほぼすべて「一等海佐」、つまり大佐だということに気づくことでしょう。

 

アニメの世界ですがガンダムも実は海軍ルール。少なくても、私が見ている宇宙世紀ものの軍艦の艦長はみんな大佐です。

Zガンダム』では、エウーゴに参加したブライト中佐が巡洋艦アーガマ』の艦長になった途端に大佐になっています。これもリアル海軍の「艦長は大佐」というルールが適用されているのです。その前の艦長のヘンケンは大佐ではなく中佐でしたが、たまたま適任がいなかったので中佐が艦長になっていただけということです。これも海軍の世界ではたま~にありますが、アメリカ海軍は艦長の時だけ「期間限定大佐」にして、艦から下りたら中佐に戻すという柔軟なことをすることもあります。

 

大日本帝国海軍も、当然このルールです。それも海上自衛隊よりガチガチの。
戦艦・空母・巡洋艦の艦長はすべて大佐。ごくごくまれの応急処置に少将が就くことがありますが、例外中の例外。
こう書くと、たまにこう噛み付いてくる輩が来ることがあります。

駆逐艦の艦長は中佐だぞ!」

はい、その通りです。駆逐艦の艦長は中佐、潜水艦は少佐が艦長です。

それじゃ「軍艦の艦長は大佐」の法則に外れるやん!と噛み付いてくるのですが、そんな噛みつき方じゃこちらは痛くも痒くもない。

駆逐艦は、厳密には軍艦ではなく「補助艦」扱い。比喩がちょっと無理やりですが、エンジン付きの乗り物でも軍艦が車なら駆逐艦は原付バイク。軍艦ではない以上、別に大佐ではなくていいのです。

 

海上自衛隊の「護衛艦」は、厳密に言えばすべてDD(駆逐艦)です。排水量が約2万トンの最新鋭護衛艦「かが」も「駆逐艦」です。排水量2万トンの駆逐艦(本当の駆逐艦は普通1500~2000トンくらい)なんてルールありかよ!これどう見ても空母やんけ!!と隣の某国が吠えていますが、いえいえとんでもございません、く・ち・く・か・んです(笑

駆逐艦」である以上、別に中佐(二等海佐)が艦長になってもいいのですが、そこは海外に出ても恥ずかしくないよう、国際ルールに合わせているのです。しかし、海外に出ることがまずない艦は本当に駆逐艦扱いなので、二等海佐が艦長になっています。

 

もし清太の父が「巡洋艦」の「艦長」であると設定されてた、もしくはそういう前提で論じるならば、必ず大佐でなければいけません

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劇中で出てきた父の写真です。これは夏服(正式には『第二種軍装』と言います)なので肩を見れば階級がわかるのですが・・・これはビミョーにわからない。

 

しかし、昭和11年で大尉なら、昭和20年前後なら艦長になる資格を持つ大佐にはなっているんじゃないの?という疑問も出てきます。

 

海軍軍人がどれだけの速度で昇進するかは、海軍兵学校を卒業した時の成績である「ハンモックナンバー」で決まりました。

この「ハンモックナンバー」で、海軍軍人としての人生がすべて決まると言っても言い過ぎではありません。「ハンモックナンバー」は首席から最下位まで全員公開で全国紙に晒されます。Wikipediaの海軍軍人の欄を見ると、たいていの人に兵学校入学時成績」「卒業時成績(=ハンモックナンバー)が書かれています。陸軍の士官学校の成績は最後まで「極秘」扱いの非公開だったため、陸軍軍人には成績がほとんど書かれていません。

 

兵学校卒の士官は、大尉まではみんな横並びで昇進するのですが、それより先は人によって若干昇進速度が違ってきます。

そこで、実在の海軍士官14人をWikipedia先生から無作為に選び、大尉から大佐になるまでの平均期間を抽出しました。昇進に左右する「ハンモックナンバー」も、首席の堀悌吉中将(32期)から最下位から11番目(107番/118人)の木村昌福中将(41期)までバラバラに抽出し、バランスを考えました。

そこで出てきた平均値は、14.8年でした。ほぼ15年というところか。

 

海が似合う立派なネイビーとして成長し、めでたく大佐になりました、ではすぐに艦長・・・って海軍はそんな甘い組織ではありません。

それどころか、大佐になったと同時に、

「今までお役目ご苦労さん」

と予備役編入(クビ)になる人が多いのが実情です。大佐昇進と同時にクビ。これを海軍では「名誉大佐」と呼んでいました。今なら「なんちゃって大佐」という名前で呼ばれていたことでしょう。

海軍は自分から辞めたりよほどの不祥事を起こさない限り、大佐までは完全保証してくれます。しかし、そこからは知りません。艦長になれるのは、実は「クラス」という同期の中の15~20%ほどと狭き門なのです。

有名どころの山本五十六の場合、大尉から大佐になるのに14年、軽巡『五十鈴』艦長になるのに更に5年かかっています。山本五十六は途中で干され、遠回りをしていることを考慮する必要がありますが、この遠回りで飛行機と運命の出会いをします。この左遷がなければ、おそらくゼロ戦真珠湾攻撃もなかったし、山本自身少将あたりでクビ。山本・・・あいつ今どこで何してるのだろう?モナコかラスベガスあたりでよろしくやってそうだな、という次元で終わっていたと思います。

逆に山本と同期で「クラス」首席の堀悌吉は所要14年、大佐昇格と同時に艦長になっています。これも「ハンモックナンバー首席」だからこその特別待遇でしょうが、山本五十六とここで5年のキャリアの差が生まれます。

堀悌吉は兵学校歴代2位の成績で卒業した伝説の超秀才ですが、それでも14年かかっています。それほど艦長というものは雲の上の地位であり、憧れの地位でもあったのです。

「艦長やったらもうお腹いっぱい。明日軍人辞めてもいい」

(逆に言うと、1日でいいから艦長やってから辞めたい)

と誰かが言っていましたが、これが偽りなき軍人の本音でしょう。

 

戦争で昇進が早まったという事情もあるかもしれません。事実、兵・下士官の世界では戦争特需といってトントン拍子に出世する人もいたそうです。

しかし、士官の世界はそうはいきません。ましてや艦長となると数百人~数千人の命を預かる身。そうやすやすと艦長にはさせてくれません。

 

どれだけ厳しいかという一例を。

ある海軍少佐の奥さんが、旦那が任務でいつも不在のため、寂しさのあまり魔が差して一夜だけの浮気をしてしまいました。

それが発覚し、旦那の少佐は免官、すなわち懲戒免職です。軍人の免官は過去1年分の給料を、即日満額返納せよというペナルティもあります。

この少佐の免官の理由は、

「奥さん一人管理できない人間が、艦長になって部下を統率できるわけがない」

という管理不行き届き。海軍士官は「艦長養成」がひとまずのゴールなので、艦長できない人、素質がないと見なされた人はさっさと去れという厳しい世界でした。

しかし、人事を預かる海軍省人事局がさすがにかわいそうだと思ったか、こうなりました。

「奥さんと離婚するか、予備役編入(免官と違い、企業で言えば普通解雇)のどちらかを選べ」

温情お裁きのような、究極の二択のような選択になったそうです。少佐が結局どちらを選択したのか、資料には残っていません。結局どっち選んだんやろ?ふと気になることがあります。

 

 

仮に、兄妹の父が大佐で艦長だったとしましょう。

昭和11年で大尉で昭和19年のレイテ沖海戦で大佐となると、所要時間8年くらいで大佐になっているという計算になります。

 敢えて関西弁で書きましょう。

 

ありえへん!!

 

これは大日本帝国海軍前代未聞の昇進ペース。いくら戦争があって昇進が早くなったといっても、いくらなんでも早すぎ。

皇族軍人は昇進が新幹線ペースだったのですが、その中の一人高松宮宣仁親王昭和天皇の弟。最終階級は海軍大佐)は11年かかってます。いや、恐れ多くも大元帥陛下こと昭和天皇でも11年かかっているのですが・・・。

例外中の例外ですが、皇族でもないのに異例のスピード出世をした海軍軍人が一人だけいます。

 

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財部彪(たからべたけし 1867-1949)という大将がいました。

この人も知ってる人は知ってるかな!?という程度の知名度です。別に殊勲をあげたわけでもなく、特別頭が良いというわけでもない。

そんな人が何故異例のスピード出世をしたのか。

それは、日露戦争時の海軍大臣にして海軍のラスボス、山本権兵衛の娘と結婚したから。サラリーマンで言えば、創業者の娘と結婚して二代目社長候補になったような感じですかね。

この人は、時代がちょっと違うとは言え、平均約15年かかっている大尉から大佐までの期間は11年。超特急切符を手に入れたがゆえに実力が伴わず、「奥さんの七光」「財部親王などと、海軍を引退するまで陰口を叩かれ続けました。

しかし、超例外の財部をもってしても11年です。

 

清太と節子のの父はたった8年で大佐、それも艦長。皇族どころか、「現人神」さえ超越した光速昇進。この人は一体何者なのか。大日本帝国海軍史最大のミステリアスな人物として歴史に名を残しているでしょう。(笑

 

アニメだフィクションだとは言え、兄妹の父が艦長という設定は史実と照らし合わせるとかなり無理があることがおわかりでしょう。

 

しかし、同じ『摩耶』乗組でも「副長」だったら全然あり得ます。

「副長」とは艦長に次ぐナンバー2の地位で、艦長の補佐役としてふつうは中佐が就きます。学校で言えば、艦長が校長なら副長は教頭か教務主任というところか。

海軍ではある不文律のしきたりがあります。

「艦長は艦と運命を共にせよ」

軍艦が沈む時、艦長は責任を取って艦と共に沈む。イギリス海軍から受け継がれた海軍鉄の掟です。聞いたことがある人も多いと思います。

日本海軍も艦長は軍艦と共に沈むのが決まり。何を間違って生きて帰ってきたものなら、すさまじいペナルティが待っています。

 

これとは逆に、「必ず生きて帰ってこい」と決められている人達がいます。軍人は戦争に行ったら必ず死んでこいみたいなイメージがありますが、とんでもない。行きて帰ってくるのが「仕事」であり「命令」である人もいます。

それが副長と主計長。艦長や艦隊司令長官から戦闘(作戦)中止・総員退避の命令が出ると彼らは最優先で脱出できます。

主計長は軍艦内の総務部長ですが、彼が何故帰ってこないといけないかというと、『戦闘詳報』という軍艦の戦闘記録の作成責任者だから。

主計長が作成責任者なら、副長は報告責任者。

軍艦単位でもそうですが、連合艦隊にも主計長やナンバー2の参謀長がおり、彼らも生きて帰ってこないといけません。

戦艦『大和』の沖縄特攻を例に取ると。

■第二艦隊司令長官:戦死(大和と共に沈む)

■艦長:戦死(同上)

 

■『大和』主計長:生存

■『大和』副長:生存

■第二艦隊参謀長(※『大和』の前艦長):生存(ただし重傷)

■第二艦隊付主計長:生存

あの『大和』沈没をもってしても、「生きて帰ってこないといけない組」は全員助かっています。

 

もし兄妹の父が「副長」であれば、艦が沈んでも生存する率が高くなることは事実。現実の『摩耶』も轟沈後に副長(と主計長)はすぐに駆逐艦に救助され、戦艦『武蔵』に収容されています

しかし、生きているならば『火垂るの墓』の物語自体が成立しなくなるので、それもあり得ないということか。

 

ここでちょっと一休み

で、ここでちょっと皆さんが誤解している知識を。
「大尉」「大佐」の読み方ってわかりますか?
「たいい」「たいさ」でしょう。そんなの常識じゃないかと。
実はこれ、間違いです。
陸軍では確かに「たいい」「たいさ」でいいのですが、海軍はこう読みます。

いい」

いさ」


陸軍と区別するために敢えて濁ったものと思われますが、今はこの知識はほとんど知られていないのか、民放アナウンサーなら素で「たいさ」と言っています。時代が昭和だったら、テレビ局に抗議の電話が殺到していたことでしょう。電話の主はもちろん元海軍軍人。
「『いさ』や!公共の電波でドヤ顔で堂々と間違えるんじゃねーよ」

と私もクレーム入れてやろうかと思いましたが、じきにどうでもよくなりました(笑)
しかし、間違えそうで間違えないのがNHK。あら探してクレーム入れてやろうかと耳を澄ませて聞いていても、彼らは間違えないんですよね。そこは腐ってもNHK

 

「中将」の海軍での呼び名も、「ちゅうじょう」ではなく「ちゅうょう」なのですが、これは何故かほとんど知られていません。ここ10年くらいはNHKスペシャルですら「ちゅうょう」ですから。クレームをつけてくる煩いじじいどもがほとんどあの世へ逝ってしまったので、チェック機能がなくなり気が緩んでしまったのか。
しかし、私が知っている限りテレビ界では一人だけ、池上彰さんだけは「ちゅうしょう」と言っていました。さすがやなと脱帽でした。
ちなみに、「大将」は「だいしょう」と呼ばず、陸海軍ともに「たいしょう」でした。

 

さて、ここで前半は終了。次は後半に・・・

といくとまた延々と続きそうなので、今回はひとまず終わり。

 

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兄ちゃん、ブログここで終わるのん?

 

後半は、

「何故兄妹は死ななければならなかったのか」

をベースに、引き続き冷徹に考証していきます。 

 

==この記事を書くきっかけとなったブログ==

www.dorakujimi.com

 

==後編はこちらからどうぞ==

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

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