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日本人はなぜ英語や外国語が苦手なのか?歴史・文化的5つの原因

「日本人はなぜ英語が苦手なのか」という永遠のテーマ

 

日本人はなぜ英語が苦手なのか

 

海外で働いていた頃、外国人によく聞かれる質問のトップ3に入るものがありました。

 

「日本人はこれだけ教育レベルも知的レベルも高いのに、何故英語が話せないんだ?」

 

英語に限ったことではありません。

日本人は何故語学が苦手なのか?

ある意味我々にとっては永遠のテーマです。

 

いろんな人がいろんな要因を挙げて語っていますが、よく挙げられる説を。


「日本語は他の言語と比べて文法構造がうんぬん」

この理屈が成り立つのであれば、韓国人やモンゴル人、フィンランド人も苦手でないと、理屈が成り立ちません。
実際は、モンゴル人は英語やロシア語のバイリンガルが多いし、フィンランドの英語普及率は政府が「100%宣言」しています。

これで論理が破綻します。


「日本は島国だからうんぬん」

同じ島国のアイルランド人が英語とアイルランド語バイリンガルという理屈は?
フィリピンがタガログ語(や他の言語)+英語のバイリンガルということを、「島国」というキーワードで説明できますか?
この論理が成り立つなら、イギリス人は英語しか話せないという理屈になっちゃいますが?

これも論理が破綻しています。


私は、外国人が疑問に思う、
「日本人はなぜ英語が話せないのか?」
に、こう答えています。

 

「話せないのではない。『話す勇気がない』のだ」

 

英語もそれなりに出来るので、中国語だけではなく英語の通訳を頼まれたりするのですが、話を聞いてみると、頼む方は外国人が何を言ってるのかはわかるそうです。
リスニングは問題ないということなのです。


しかし、わざわざ通訳を呼ぶ。

 

これは一体どういうことなのか?外国人に説明しても理解できません。そりゃ私も理解できないですから(笑)


今回は、語学と共に生きて約30年の私が、他の人が採り上げない、見落としがちな日本独特の文化的要因から、日本人は何故英語を含めた外国語が苦手なのか?
を考察していきたいと思います。

 

 

 

 

要因その1:完璧主義

Made in Japanの製品は、世界最高品質というレッテルが貼られているくらい、世界中で信頼を勝ち得ています。
海外に住んでいるとそれをひしひしと感じます。
SONYTOYOTAの海外でのブランド力は、日本人の想像以上。
日本にいると全く感じませんが、外国人に言わせれば「日本人を見るとTOYOTAの車やSONYスマホに見える」というほどです(笑)

 

その根本は、日本人の職人気質にあると言えます。
より良いものを、更に良く仕上げるために努力する姿勢、これがMade in Japanブランドの底辺だと思います。
トヨタの「カイゼン(改善)」は、英語辞典に載っているほどビジネス界で知られていますが、我々が「当たり前やんか」と思うこと、これが外国人ってこれができそうで出来ないのです。


そして、職人気質は完璧主義。99点のものでも、1点のマイナスを克服するために頭と手を使い、更に努力していく。
100点、いや100点以上のものを作らないとダメ、それが職人のプライドなのでしょう。

その職人主義が、我々日本人のDNAに刻まれていると言っても過言ではないです。
大げさでもなく、日本人が世界に誇る「特殊能力」と言って良いと思いますね。


しかし、こと語学になると、この職人気質がとんだ足かせになってしまいます。

日本人の完璧主義が語学に与える影響は、かなり大きいです。

発音や文法が「完璧」ではないといけない。
完璧でないとお披露目することなんてとんでもない。

そういう職人気質が、外国語を「話さない」気質に変えているのだと思います。

 

正直、語学に完璧はありません。
ネイティブですら完璧ではないのに、どうして外国人が完璧である必要があるのでしょうか。


やはり完璧でないといけない!と思う方は、ちょっと胸に手を当てて考えて下さい。
「あなたの日本語は、100%、いや150%完璧なのですか?」
答えはNOのはずです。

 

語学に100%や120%を求める必要はありません。50%見切り発車で全然OKです。
語学でメシ食ってるプロは、プロである以上100%以上を目指します。プロにとって100%は当然であり、ただの通過点です。

それでも、100%には遠く及びません。

 

習いたての初心者や海外旅行で困らない程度のものなら、100%なんて不要です。
10%でもいいんです、ホンマに。あとは気合と根性でどうにかなります(笑


語学初心者が

「なんでペラペラになれないんだ・・・」

と悩むのは、中学生球児がイチローと同じプレーが出来ず、

「なんでイチローと同じレベルじゃないんだ・・・」

と悩むのと同じこと。

イチローを目指すのは良いことですが、中学生ごときが彼と同じレベルのプレーができるなんて、自惚れも甚だしい。てめー一体何様だと、私が監督なら激怒します。

 

実際は単語並べたらどうにかなります。通じます。どうせ同じ人間なんだから(笑)

 

 

要因その2:恥の文化

発音が完璧でないといけない、文法も完璧でないといけない。
完璧でないと、笑われたり指さされるのではないか・・・
笑われるのは恥ずかしい・・・
恥ずかしいから話さない・・・

 

「日本は恥の文化」
と、ルース・ベネティクトは著書『菊と刀』で説きましたが、この「恥」が語学面で足かせになっています

自分と外国人の1対1だと抵抗なく話すのに、「複数の日本人対外国人」という場面だと、殻を閉じたように話さなくなる人も、けっこう多いです。


それは何故かと考えたことがあるのですが、「恥」だなという結論に達しました。
1対1だと、間違えても恥はどこかに隠れているのですが、他人の目、世間の目が一つ加わると、「恥」の概念が湧き上がり、途端に話す勇気がなくなる。

そして、その恥は「周囲の目」の親しさに比例して強くなる傾向があります。

 

「英語や○○語話したい!」
という意欲や好奇心より、
「笑われたらどうしよう・・・恥ずかしい思いしたくない・・・」

「友達の前で間違えたらどうしよう・・・私のこと軽蔑するんじゃないか」
という恥の方が先にくるのです。
日本人にとっては、笑われるは恥、恥は死に値するほどの「罪」なのだと。

 

 

要因その3:他人に合わせる、気を遣う

日本人のもうひとつ大きな特徴に、
「他人に合わせる」
というものがあります。


他人の気持ちを読み、他人に気を使う。
これが今、「おもてなし」として海外から来る外国人が、
「日本は素晴らしい!」
と絶賛する第一位と言っていいでしょう。
『Youは何しに日本へ』だったと思いますが、ある外国人が、
「日本は資源がないっていうけど、日本人という無限大の資源があるじゃん」
と興奮気味に言ってたのが印象的でした。よほど感動したのでしょう。

 

しかし、その気質も語学になると足かせになってしまいます

相手の語学レベルに合わせないといけない・・・
完璧な発音・文法でないと相手様に申し訳ない・・・
この気遣いなんですよね。

 

私が中国に留学していた時のこと。
夏休みの短期留学で仲良し女子大生二人組が、うちの大学にやって来ました。
対して、こちらは日本に帰国する金もない不良留学生の残留組。


二人は中国語がほとんどわからないので、
「お前どうせヒマだろ。彼女らに日本語で中国語の基本教えてやれ」
と学校じきじきに命令されました。


俺:「金はいくらだ?」
学校:「ボランティアに決まってんだろ!」


不良留学生がタダ働きの、なんちゃって老師をすることになりました。
まあ、確かにヒマだった上に、授業という名目でかわいい女の子と戯れることができる(笑)


語学は、センス・才能も左右します。「天才」という人種も、まれに見ます。

そして、私の経験上ですがその人の「水に合った外国語」というのもあります。
たとえば、英語はからっきしダメでも、中国語はスポンジが水を吸収するように上達してゆく、という風に。
こういう場合、私は「中国語の水に合った」と言っています。

 

二人組のうち一人は、明らかに「中国語の水に合った」人でした。彼女をA子ちゃんとしましょう。
教え方がヘタクソな私の言うことを、A子ちゃんはどんどん吸収、進歩もすさまじいものでした。
もう一人の女の子(以下B子ちゃん)も着実に進歩していったのですが、
彼女を1週間(実質5日)で完全に置き去りにできる次元にまで達しました。
天才とまではいきませんが、いいセンスは持っていたと思います。

 

「ええ感じやなー。彼女は伸びるぞ!」

私も彼女のセンスに期待して「初心者講習」から離れ、本物の老師に託したのですが、三週間くらい経って二人の中国語能力を見てみると、A子ちゃんの進歩が明らかに止まっていました。


そこで、A子ちゃんだけを呼んで聞いてみたのですが、彼女いわく
「だって、B子ちゃんと一緒に合わせないとかわいそう」
二人は仲良しだからこそ、上達が遅いB子ちゃんを「待ち」の状態。それゆえA子ちゃんの進歩が止まってしまった。
「水に合っている」のに非常にもったいない。


そこを諭して自分だけどんどん進むべき、待つ必要なんかないと説いたのですが、A子ちゃんはでもでもだって・・・の繰り返し。彼女は自分だけが進むことによって、B子ちゃんとの仲が悪くなったりすることを恐れていたのです。
他人の事なので、それ以上問い詰めるのはやめましたが、仲良しという理由でせっかくの才能を自分で潰してしまったな、と残念な思いでした。

 

それから、留学する人にはこう言っています。
「友達どうしで留学するな。行くなら一人で行け。

寂しい?友達なんて向こうでいくらでもできるわい」

 

 

要因その4:教育の弊害

日本の教育は、おしなべて○か×かの二択方式です。
正解は一つだけ、それ以外の答えはすべて×。

この教育が、外国語を話せないことに拍車をかけています。

 

昭和初期に、命令によりアメリカの大学に留学していた海軍中佐がいました。
彼がアメリカの小学校に授業参観に行った時のことです。

 

先生が生徒に質問します。

「あなたは、お母さんにお使いを頼まれました。

15分で帰ってきなさいと言われました。
お使いの帰り、道でおじいさんが倒れていました。
おじいさんはとても辛そうです。でも、おじいさんを助けるとお母さんの言いつけを守れません。
さて、あなたはどうしますか?」

 

生徒はそれぞれ自分で考えた答えを、手を挙げて答えます。

生徒たちの意見が出尽くした後、先生は笑顔で言いました。

「はい、みんな正解!」

このとき、海軍中佐は顔が真っ青になったそうです。

「こんな教育を小学生からやってるのか!米国と戦争したらえらいことになるぞ!」

この中佐は、それまではどちらかと言うと対米戦争賛成派だったのですが、
これで考えを180度改め、戦争反対の急先鋒となりました。

 

これは、語学の教育にも該当します。

英語の授業でも、

「Aという言い方にはBで答える」

という一問一答方式が日本の語学教育では浸透しています。
Aに対して実際はCやD、Eの言い方もあるのに、「Bでなければならない」のでCDEは「不正解」です。
実際にネイティブがCDEの言い方をしているのに、「不正解」とテストでは×をつけられるのです。高校生の頃からおかしいと感じていた問題です。

 

対してアメリカは、「自分の頭で考えた答え」はすべて○なのです。
逆に他人の意見の受け売り、コピペには容赦なく×をつけられます。

 

我々には無意識のレベルで、「正解を話さないといけない」というプレッシャーが襲い、萎縮してしまいます。
①の完璧主義や②の恥もあいまって、
「正解がわからない、正解かどうか自信がない。だったら話さない」
という行動に至ってしまう。

今、小学校から英語の勉強が始まっているそうですけど、幼い時から英語教育より、
私は日本の学校に浸透している、○×方式を無くした方がいいんじゃないかと思います。

 

要因その5:明治の偉人たちの努力の結晶

幕末から明治初期にかけて、欧米から抽象的な言葉や科学用語が大量に日本に輸入されました。
しかし、それに適合する日本語がなかったため、そのまま使っていました。

当時の日本人(特に学生)がどんな会話をしていたのか。

坪内逍遥当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)という小説が語っています。

 

「我輩のウォッチでは、まだテンミニッツ位あるから、急いていきよったら、大丈夫だらう」

 

お前はルー大柴かと(笑)

これじゃいかん!と立ち上がったのが、当時の知識人です。
彼らは西洋の概念語を「日本語化」するため、古今東西書物を読み開き、自分自身の知恵を振り絞り、様々な造語を作っていきます。
今我々がふつうに使っている、「哲学」「小説」「経済」「歴史」「郵便」などはすべて明治時代の知識人の創作です。

 

その一人に、福沢諭吉がいました。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp


で諭吉さんが作った「演説」「社会」「自由」などの造語のことを書きましたが、諭吉の凄さはこれだけではありません。

自分で作った概念語を自分で作った新聞でお披露目し、メディアを通して大衆に浸透させたことです。

諭吉さんが広めたのは言葉だけではありません。むしろ言葉の裏にある「思想」がメインでした。

その一つに、「著作権」「知的財産権」があります。

諭吉の『学問のすすめ』は当時の日本で200万部、今なら1200万部売れたという計算になりますが、大ヒットゆえに海賊版も出回りました。まるで今の中国そっくりです。

それに激怒した諭吉さんでしたが、自分の著作をコピーされたのに怒ったのではありません。「著作権」という概念を知らない日本人の低レベルさに激怒したのです。

そこで英語の

" Copyright "

「版権」と訳し、メディアを通じて啓蒙しました。

今の日本は世界有数の著作権にうるさい国ですが、これも諭吉が日本人のレベルを上げるため生涯を通して広めた遺産なのです。

 

西洋からの外来語は、先人の努力によってどんどん「日本語化」されていきましたが、その中でも生き残った言葉があります。


それが「サボる」

これは元々フランス語のサボタージュから来ており、明治時代初期に伝わりました。
明治中期には「サボ」になり、正岡子規夏目漱石に宛てた手紙に、「サボする」という言葉を使っています。
それが「サボる」になったのが大正時代後期のこと。


今は「怠業」という言葉もありますが、
「今日学校サボろうぜ」を「今日学校怠業しようぜ」となると、なんだかちょっと違うんですよね。
「サボる」は気軽な気持ちだからこそ、カタカナがいいと(笑)

「サボる」は、明治の先達が行った「日本語化」の荒波を生き抜いた、アンモナイトシーラカンスなのです。


この先人の努力には感謝すべきなのですが、これが語学になると足かせになるんです。

 

そもそも、海外、特に発展途上国の人はなぜ英語を勉強するのか。

 

国際化の流れとか、これからは英語の時代だとかなんとか綺麗事を並べる人もいますが、理由はもっと現実的です。


世界の抽象概念や最先端の言葉を、自国語で解説できる程の語彙(単語)が、発展途上国の言葉には存在しません。
自国語に翻訳しようとしても、それが出来るハイレベルな人材がいません。海外には福沢諭吉がいないのです。
仮にいたとしても、浸透するまで長い時間がかかります。
そんな手間隙をかけるなら英語を勉強して英語で最新の学問を学べばいいと。

 

大学も、授業は自国語ではボキャブラリー不足で不可能なため、自国であっても英語で行います。

そもそも、政治や経済、科学などを自国語だけで語れるのは、ごく限られた言語しかありません。

たとえば、大学の高等数学を自国語だけで講義出来るのは、英語、フランス語、ロシア語、日本語だけと言われています。

事実、「数学のノーベル賞」と言われるフィールズ賞の受賞者は、

アメリカ:13人
フランス:12人
ロシア(旧ソ連含む):9人
イギリス:7人
日本:3人
ベルギー:2人

と上記4ヶ国語スピーカーの独壇場です。
ロシアは意外だなと思う人がいると思いますが、ロマノフ朝時代から天才鬼才(奇才)を数多く生む土壌を持つ数学大国です。
ウォッカの誘惑にはかなわないみたいですけど(笑)

 

大学に進学できるのは、英語の授業について行けるほどの英語力がある、一握りの人だけとなります。
英語が話せない人は、そもそも知的レベルの向上が見込めないということです。

英語教育を受けられ、大学の講義に耐えられる英語を身につけられる人は、お金持ちや政治家の子息などに限られます。貧困層にはまったくの無縁。

 貧困層が今の状況から抜け出すには、英語を学んでハイレベルな教育を受けるしかありません。だから、発展途上国の人たちはみんな血眼になって英語を勉強している、という事情もあります。

 

 


日本も文明開化の初期には同じ事が起こりましたが、先哲たちが知恵と努力のおかげで「日本語化」し、それを学校で教えるという好循環で、最先端の用語を隅から隅まで行き渡らせることに成功しました。


新しい概念語ができると、すぐに偉い人が「日本語化」して啓蒙するため、日本人は外国人のように世界最先端知識の吸収のために、血眼になって外国語を勉強する必要がないのです。
日本語って、そういう意味ですごく便利なのです。

 

それは非常にありがたいのですが、語学となると・・・先人もえらいことしてくれたなーと(笑)

 

一億総英語が話せるようになる?It's impossible !!

日本では近年、
「英語を話せる人材を育成しよう」


一億総英語スピーカーに」


と声高に言われています。文部科学省もかなり力を入れています。

 

しかし、数十年語学に携わってきた人間として、はっきり言います。


日本人を全員「英語上手」にするのは無理です!

 

そうするには、日本の文化と伝統を一度根っこからぶっ壊さないといけない!

 

日本人を「アメリカ人」にするくらいの労力と時間がかかる!

 

よほど積極的な人でない限り、

「今から5分以内に英語話さないと死刑」

という切迫した状況でないと話す勇気がない民族性です。いくら文部科学省が旗を振っても無理なものは無理。

「日本人はなぜ英語を話せないのか」

を歴史・文化的に調査研究していない証拠です。

 

英語を話せるようになろう!

これからは英語の時代だ!

と壊れたレコーダーのように繰り返すより、もっと根本の

「英語(や外国語)を勉強する楽しさ」

を教えた方が、よほど効果があると思うのですけどね~。

 

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