昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

余は如何にして完璧主義者となりし乎 前編

something-new.hatenablog.com

 

giovannaさんのここでは私小説となっていますが、私もちょっとした私小説を。
題名は、内山鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎(か)』のパクリオマージュです。

 

f:id:casemaestro89:20170710142852j:plain

 

完璧主義という魔物

あるブロガーさんのコメント欄で、
「30代の自分は黒歴史そのもの。仮に今自伝を書くと、30代はほぼ真っ白」
と書いた記憶があります。
そのころ私は、完璧主義者というもう一人の自分と戦っていました。
否、彼は依然私の中に巣食い、常に完璧主義でなければならないと大声でアジテーションしています。


この厄介者は元々私の中にいた存在ではなく、30代以降に住み着いた居候ですが、庇を貸して母屋を取られる」ということわざにあるように、居候がクーデターを起こして乗っ取り現在に至っています。
30代は、侵略者である完璧主義者帝国に対し、原住民の大雑把主義者が銃を取り反乱を起こしたものの、敗れた歴史。

しかし、完璧主義帝国では敗北は認められないために、語ってはいけない。ゆえに黒歴史なのです。

 

そもそも、私は何故完璧主義というモンスターを飼うことになったのか。

giovannaさんの文をパクリ・・・もとい引用します。

「重い話や、めんどくさい、話はごめんだい」って人は、この辺りでそっ閉じしてくださいね!

めんどくさい話が読みたいという少数の勇者のみ、先へとお進みください。

 ここからは、ドラクエで言えば毒の沼。一文字見る度にHPが減ります。
HPが0になっても知りませんよ~。フェニックスの尾のストックは十分ですか?

・・・節子、それドラクエやない、ファイナルファンタジーや (゚-゚;)ヾ(-_-;) 

 

 

完璧主義に苦しめられた自分

私は本来、チョー適当で大雑把な性格です。計画?そんなもの適当です。
来月の夏休みに台湾に旅立ちますが、

 

飛行機取った!台湾へ10年以上ぶりに行くぞ!

 

しかし、今でも現地で何をするか全く決めていないほど適当です。そんなん現地でメシ食いながら考えたらええやん~。

飛行機のWebチケットも、予約はしたけれど、さて予約番号が書かれたメールをどこに保存したのやら忘れてしまったほどチョー適当です。あ、今はちゃんと思い出したので大丈夫です。


ダメンズの資質たっぷりの腑抜けと間抜けっぷりに、まわりの女子が母性本能をくすぐられたらしく、
「も~~!」
と言いつつ何かとお世話をしてくれました。『ドラえもん』ののび太に何故か惹かれるしずかちゃんといったところでしょうか。

しかし30代以降、完璧主義者が鳴り物入りで居着いてしまい、それ以後適当主義者と完璧主義者という水と油の存在が、一人の人間の中に同居しているのです。真逆の性格の人間が一つ屋根の下に同居する・・・めちゃ上手くいくか全く上手くいかないかのどちらです。

 

例えば、ブログを書くという行為にしても、

 

適当主義者

「適当に書いてさっさと終わらせようや~。誤字脱字?そんなん読者は適当にスルーしてくれるし、気になるんやったら後で見直してリライトすればええやん♪」

 

完璧主義者

「とんでもない!適当だなんて読者に失礼やろうが!100%、いや150%の文章をお届けしないといけない!そもそもブロガーというものは(以下略」

 

この言い争いは、今のところ十中八九完璧主義者が勝ちます。声が大きく、頑固で主張を絶対に曲げないから。
仕方がないなと書き出すのですが、完璧であろう、完璧でなければならないと思えば思うほど、それがすさまじいプレッシャーとなって襲ってきます。

そのプレッシャーたるや、胃に相当な負荷がかかり吐き気を催しトイレに駆け込むほど。実際は吐きませんが、漱石がどこかで書いていた「血を吐くように書く」とはこのことなのか、実感しました。
しかし、基本ベースは上記の通り超大雑把の適当主義なので、そのプレッシャーにポキンと折れてしまい、途中で書いたままブログ自体を放置してしまう。あまりのプレッシャーに、自分のブログを見るのもイヤになるのです。前のブログも、「昭和考古学」以上のニッチさながらアクセス数多めで繁盛していたのですが、まさにそれで更新が止まったようなものでした。
今のはてなブログでも、それと戦いながら書いているようなものです。頭の中で完璧主義者と適当主義者が常にケンカをしているのです。

 

完璧主義者の自分に対する向上心たるや、尋常ではありません。
向上心があるのは立派なことだし、素晴らしい事です。本人もめちゃくちゃ頑張りやさんなのです。

が、それが病的になると話は別となります。
完璧主義者の自分は、理想の自分を目指してたゆまぬ努力を要求します。アメとムチと言いますが、くれるのはムチのみ。適当主義者の自分を全力で全否定し、ひたすらムチで叩いてきます。

 

月2万PV達成しても(実は先月達成しました)
「世の中には5万も10万PVもおる。2万くらいで満足すんなや!」


読者300人達成しても(これも先月達成)
「お前より多い人はごまんとおる。300人くらいで満足してどないすんねん!」


記事に200スターついても、
「たった200で満足するんかこのヘタレが!男やったら400くらい涼しい顔して目指さんかい!」


満足なんて言葉は皆無、叱咤激励という名のモラハラです。
完璧主義者の声は声に出ず、受信した電波を文字に変換しているだけですが、このように完璧主義者のモラハラに常に苛まれているような状態です。

 

厄介なのは、いくら努力しても、どれだけ目標を達成しても、完璧主義者は決して満足しないこと。上昇志向も強すぎるのです。
100%達成ならば、次は120%だ!とハードルを上げ、厳しく鞭打ちを繰り返す。
まるで旧社会主義国のノルマ状態です。やっとノルマを達成したと思ったら、お前やれるじゃねーか、なら次は150%ねと。

 

息抜きなんてそんなヒマあるなら勉強しろと許してもらえない、完璧なまでの完璧主義者に鞭を打たれ続けるとどうなるか。
ある時、何の前触れもなく「心のガス欠」により鬱状態になります。パトラッシュ、僕はもう疲れたよというネロの言葉が他人事ではありません。
常に罵声を浴びて自分を否定されていると精神が病み、自己評価が低くなるのと同じく、精神は病み自己評価はどん底です。
「DVやモラハラされてなんで逃げないの?」
という人がいますが、壊れたラジカセのように罵声を毎日浴びていると、抵抗する気力もなくなります。
私の中の完璧主義者は、クソ真面目かつストイックすぎて常に全力疾走が故にDV加害者と化しているのです。

 

客観的に見ると、そりゃうつ病になるわなと苦笑すら出ますが、完璧主義者は
「だらしないお前が悪い」
と自分の非を頑として認めません。それどころか、気がたるんどるから鬱になるんやと、動けない自分に鞭を振り上げる始末。

 

この根本を解決しない以上、同じことは必ず起こる。
完璧主義故に勝手にプレッシャーをかけ、勝手に心が折れて勝手に更新が止まる・・・それこそ楽しみに見に来てくれている読者に失礼ではないのか。
今まで面と向かって自分を見つめることから逃げていましたが、今が向き合う最大のチャンスではないか。

 

かつては完璧主義ではなかった自分

では生まれつき完璧主義者だったのか、というと首を横にして否定させていただきます。上にも書いた通りの腑抜けでした。
他人ならスルーするような細かいところを気にする性格ではあったけれど、それは人が見えないところが見えているということ。むしろプラスに働いていました。
テキトー故に失敗したことも星の数ほどありますが、若さ故もあったか笑い話で済ませる心の余裕もありました。
そして何より、適当で大雑把ゆえに、他人の失敗にも寛容でした。腑抜けなりに自分を認めることが出来ていたので、自己評価も正当でした。
極めて良い意味で、肩の力が抜けたまま生きていたことは確かです。

 

そんな自分が変わった、いや、変わってしまったのは、やはり就職してからではないかと。
それまでもバイトはしていたので、社会人経験・勤労経験はゼロではありません。
バイトと社員は全く違うのは重々承知ですが、良い意味で肩の力を抜き、楽しく仕事をさせてもらっていました。

本格的に就職したのは、一流ではないけれど、そこそこの商社でした。
糊のきいたスーツに身を包み、憧れの海外出張や勤務はしょっちゅう。ボーナスは年3回。商社マンというだけで合コンじゃモテモテ。
気分はまさに島耕作。「課長」ではなく「平社員」でしたが(笑)
少なくとも、私の中では人生最大のバブルでした。

 

が、今こうして自分をスクリーンに投影すると、仕事内容ではなくその「状態」に満足していました。
他人から認められたいという欲求に満足し、あぐらをかいでしまったと。

 

結果として、仕事の激務に耐えられず心が折れてしまったのですが、完璧主義者の第二の自分がココロの中に棲むようになったのはこの頃。
今までは、仕事の激務がうつ病の原因だと思っていたのですが(今なら信じられないほどの激務だったことは確か)、その時を客観的に見ることが出来る年齢になると、それだけではない。
むしろ完璧主義者が居候した後その居候が武器を持ち、家を乗っ取ろうと「家庭内暴力」を起こし始めた頃から病んできたのではないかと。

 

完璧主義者は一つのミスも、0.1mmのズレも許せないのです
しかし、ミスをする時はする。人間だもの、仕方がない。
完璧主義者はそんな考えすら甘えだと許しません。


「ミスする奴など、人間のクズや!!そもそもそんな考えがお前を堕落させるんや!」


ミスをする度に罵声を浴びるので、次第にミスをする自分はダメ人間だと思い込むようになりました。20代の時には高かった自己評価が、断崖絶壁を転げ落ち谷底へ転落してしまったのは当然でしょう。

こうして客観的になって書いてみると、度重なるDVで無気力になってしまった被害者と流れは同じような気がします。 

 

完璧主義者を巣食わせることにさらに拍車をかけたのが、自己啓発書を読むようになったこと。
30歳を過ぎ、ビジネスマンとして生きていくためには、人としての研鑽も必要だと上司に半ば無理やり頭の中に押し込められたのもありますが、完璧主義者をどうにかなだめようとした、ささやかな抵抗と妥協の産物でもありました。

「立派な人になれと書いている」
自己啓発書には何が書いてあるのと問われたら、この答えで良いでしょう。
しかし、立派な人とは何ぞや。適当主義者の私にはわかりません。
それどころか、立派な人になるつもりもなかったのに、立派な人であれと完璧主義者に煽られた挙句、いつの間にか「天上に輝く完璧な自分像」が出来上がってしまいました。
本当は弱くて繊細な自分なのに、聖人君子の如き理想の自分を勝手に作り上げてしまい、完璧主義者はそれを求めて毎日私に鞭打つのです。
しかしその理想というものは、説明しろと言われても出来ないほど曖昧で、自分でもよくわからないもの。
私は完璧主義者に問います。
「そもそも理想の自分ってどんなもんなん?」
完璧主義者は持っている鞭をぐっと握りしめ、顔を真っ赤にして大声をあげます。
「四の五の言わずに努力すればええんじゃい!」
彼の鞭の強さと罵声が強くなっただけでした。


完璧主義のもう一つの弊害が、人を見下すようになったこと。
自分は完璧を求めて日々研鑽しているのに、周りは毎日遊んでたるんどる!
そう思ったが最後、「たるんどる」人を見下し、俺の方が優れているんだと。
自分の劣等感を癒やすためのネタで、見下すことによって優越感を持ち、不毛の心を癒やした反射的な心理だったのでしょう。

 

このように、30代の約10年間、完璧主義者に毎日鞭打たれた私は精神が荒み、心は完全に柔軟性を失いました。心の中は今や草一本生えぬ不毛の大地。完璧主義は草一本生やすことすら認めない破壊神となっていたのです。
このままでは心身ともにもたない・・・解決策もないまま不安だけを抱え、不惑を迎えました。

 

(後編に続く)

 

☆☆最後までご覧いただき、ありがとうございます。

よろしければ、立ち去る前に下のボタンを押していただけると喜びます♪☆☆