昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

噴泉浴場-スパワールドの「前世」をさぐる

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先日の記事で、大阪まで図書館はしごに向かったことを書きました。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

蔵書が書庫から出てくるまで、モノによってはけっこう時間がかかります。

特に大阪府立中央図書館は、地下にある書庫がデカすぎて書庫内を自転車で移動するという伝説を持つ図書館。探すだけでもちょっとした運動。混んでいると30分以上かかったりします(ふつうは15分くらい)。

その待ち時間潰しに、たまたまそこらへんにあった本を取り、適当に読んでいました。

こんな10分程度のすき間時間、今までなら外に出てタバコを二本ほど吸うのがパターンでした。

しかし、ただいま絶賛禁煙中。

絶好のすき間タイム殺しを自ら封じ込めている上に、我が脳の司令塔がパターンを覚えてるのか、時間空きました、はいはいタバコタイムですよ~とご丁寧にお知らせしてくれる。余計なことアラームかけてお知らせしてくれんでええねんて!

ニコチン中毒うんぬんより、これが数ヶ月~数年、もしかして死ぬまで続くと思うと泣きたくなるほど辛い。

 

仕方ないので本を読んで時間稼ぎをしていると、ふと目の前に面白い記述と写真が。

 

 

ジャンジャン横丁にあった噴泉浴場の写真

 

「ラヂウム温泉」と書いてあるので、明治か大正時代の温泉か銭湯のようなものでしょう。

「噴泉浴場」と本の説明文に書かれています。

ふむふむ、今でいうスーパー銭湯のような、当時はハイカラな銭湯ってことね。

で、それがあった場所というのが、大阪のこってりゾーン、あの新世界。それもさらに濃度が濃いジャンジャン横丁

 

ほう・・・。

 

ここで、私の頭脳がフル回転を始めました。

戦前にここに「浴場」があったということは、あのスパワールドの元祖やん。言葉を変えれば、100年前にスパワールドがあったということか。

試しにググって誰か調べてないかなーと事前調査しても、ほんの数人しか調べておらず。

棚ぼた的な発見とは言え、これは「昭和考古学」的に面白いネタになるかも。

そうと決まったら話は早い、急遽予定変更。用事を済ませて新世界へ向かいました。

 

 

御堂筋線の動物園前で地下鉄を降り、いざ新世界へ。

 

通天閣

 

新世界の町並み

 

土曜日のせいか、めちゃくちゃ人が多かったです。

特に多かったのが外国人観光客。昔はこんなところにガイジンなんて全然見なかったけど、今はひと目でわかる欧米系だけでなく、東南アジアや中国語・広東語を話す中華系

も目立つ。

明らかに外国人観光客が多くなっていることは、視覚でも聴覚でも、感覚でヒシヒシと伝わります。

 

新世界のたこ焼きしらんがな

 

こういうネーミングが、なんだか大阪らしい。

ここのたこ焼きおいしいの?しらんがな!!

・・・これ言ってみたかっただけです(笑

 

新世界をもう少しブラブラしたかったのですが、如何せん人多すぎ。すっかり人ゴミで疲れてしまう田舎者と化したので、ここはいったん新世界の喧騒を離れジャンジャン横丁へ。

 

 

大阪のスパワールド入口

 

本記事のサブタイトルでもある、スパワールド・世界の大温泉です。

出来た当初は、こんな大阪のど真ん中に温泉作ってどないすんねん!10年くらいで潰れるんちゃうか!?と思ったものでしたが、なかなか好評みたいで現在でも繁盛しています。

しかし、地元なのに、いや地元だからか、いつでも行けるわと一度も行ったことがありません _| ̄|○

今度・・・今度大阪に帰ったら行ってみることにします。

 

歴史の道草:幻の新今宮駅

新世界はそもそも、今から110年前の明治36年(1903)に行われた内国勧業博覧会の会場でした。「内国勧業博覧会」とは舌が噛みそうな名前ですが、要するに万博のようなものと思っていいでしょう。

博覧会が終わった後、跡地を再利用しましょということで、新世界という空間が作られたという経緯です。

 

スパワールドや新世界の最寄り駅の一つ、JRと南海の新今宮駅は戦後の昭和39年(南海は41年)に作られた駅です。めちゃくちゃ昔からあった気がしますが、駅としてはかなり新しい方です。

地下鉄の動物園前駅は戦前に開業していたので、そんなイメージがないですが新今宮駅より古かったりします。

 

 

しかし、事実は小説より奇なり。

 

実は明治時代、「第ゼロ代新今宮駅(仮称)」がほんの一時期存在していました。

 

内国勧業博覧会」の期間中、見物客のために仮駅を作ったと記録に残っているのですが、記録を参考にその場所をGoogle map上に表示させてみると、

内国勧業博覧会中の会場前にあった仮駅の位置

(参照:『続 大阪古地図むかし案内』)

 

ちょうどスパワールドの前にあったことがわかりました。

途中から別に線路を敷き、地図の位置あたりに仮駅を作っていたようです。

当時の鉄道は決して庶民の乗り物とは言えませんでしたが、鉄道で遠くから来る客を運び、会場前の仮駅で下ろしていたのだと思います。
新今宮駅の開業は確かに戦後の話ですが、その裏には数ヶ月で消えた幻の「第ゼロ代新今宮駅」があった。これも歴史の大河の中のほんの一滴のしずくながら、確かにあった事実です。

 

ジャンジャン横丁の喧騒

 

話をジャンジャン横丁に戻します。

 

スパワールドから見たジャンジャン横丁入口

 

ジャンジャン横丁の中の喧騒

 

新世界のあまりの人の津波に逃げてきた私ですが、ジャンジャン横丁は狭い分密度が濃かった(汗)

写真ではあまり人がいなさそうですが、ここから先がすごく人・ひと・ヒトでしたわ・・・。

 

それはさておき、ジャンジャン横丁という一風変わった名前の通りは、

 

ここぞTHE OSAKA!!

 

と名乗れるほど、コテコテ大阪が凝縮されております。

大阪人でさえ、あまりのコテコテぶりにむせるほど(笑

 

ジャンジャン横丁の串かつ屋

 

二度漬け禁止で有名な新世界の串かつ屋や、

 

ジャンジャン横丁のバカ安いうどん屋

 

なんか変なもん入っとるんちゃうんか!?

と不安になってしまいほど安いうどん屋に、

 

ジャンジャン横丁の囲碁・将棋クラブ

 

囲碁・将棋クラブ。

今でも真剣師(賭け将棋を生業にした人)が居そうな雰囲気です、マジ。

 

ジャンジャン横丁のホルモン屋

 

じゃりン子チエ』に出てきそうな、ホルモン屋です。

 

大阪を舞台にした『じゃりン子チエ』は、セリフがすべて大阪弁。アニメで見てあの濃い~世界観にビックリした経験がある非関西人の方も多いかもしれません。

じゃりン子チエ』は原作のマンガとアニメがあるのですが、それぞれ舞台が違います。

原作は萩之茶屋という、またディープなエリアが舞台となっていますが、アニメは新世界。ちょうどジャンジャン横丁あたりがモデルです。

行政区域も西成区(萩之茶屋)と浪速区(新世界)と違うし、距離もそこそこ離れています。

 

じゃりン子チエの舞台地図

 

地図上で表示すると、こんな感じです。

距離的にはお互い歩いて行ける距離なのですが、町の雰囲気は全く違います。

新世界は常に観光客が行き交う観光地ですが、萩之茶屋は大阪のアンタッチャブルゾーンと言われている、男でも独り歩きはちょっと怖いエリアです。好奇心だけなら女性の独り歩きはおすすめしません。拉致されてヤクザにシャブ中にされて情婦になりたいなら、どうぞお止めは致しません・・・っていつの時代やねん(笑

 

どれだけ怖いか、画像をどうぞ。

 

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大阪府警西成警察署です。

実際見たらすごいのですが、本当に要塞というか、鉄とコンクリートで作られた戦国時代の砦のような感じです。日本広しと言えども、こんなに市民に開かれていない感MAXの警察署はないと思います。

なんでこれだけいかついかというと、ちょくちょく襲撃され、時には焼き討ちに遭っていたからです。これだけでどんな所か、わかることでしょう。

まあ、敢えて庇うとすれば、今は昔よりかだいぶマシになってます。たぶん。

少なくとも、昔母親に言われたように、

「用事がなかったら行くな。用事があっても行くな!」

と言われていたところではなくなった気がします。

でも、好奇心だけの女性の独り歩きは。。。やっぱ避けた方がよろしいかと。

 

 

ジャンジャン横丁の話に戻ります。

 

千成屋ミックスジュース復活

 

大阪人のソウルフードはたこ焼きとお好み焼き。そして人によってはどて焼き。

そして、大阪人のソウルドリンクと言えば!!

 

 

 

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ミックスジュースですわな。

 

東京に住んでいた頃、喫茶店に入ってミックスジュースを飲もうと思ったら、メニューにないのにショックだったこと。日暮里あたりの喫茶店でやっと「ミックスジュース」があったので頼んだら、出てきたのはニンジンとトマト等の野菜ジュース。

そりゃミックスジュースには変わらんけど・・・テーブルに届いた途端、

「ちゃうわ~!」

と声に出して叫んでしまった思い出が懐かしい。

 

大阪人にとっては、あって当たり前。私もヒマな時はミキサーで果物ぶち込んで作るほどのお馴染みドリンクですが、大阪の皆さん、ミックスジュースが全国の喫茶店どこでも飲めると思ったら大間違いですよ。

 

その発祥の地が「千成屋」という、ジャンジャン横丁にある・・・いや、「あった」喫茶店でした。

果物屋もやっていたお店が、余り物の果物がもったいないと作ったものですが、私でも5分で作れるほど作り方が超シンプルなので、それがいつの間にか大阪を代表するソウルドリンクに。

長く「発祥の店」として親しまれたのですが、去年に「もう年やさかいしんどいわ」と、店主老齢により惜しまれながら閉店。

しかし、発祥の地を無くすには惜しいと、ある人が店主と話し合いの末に「復活」することになりました。

 

私が行った時は、オープン数日前ということもあってテレビ局の取材らしきカメラが数台、新オーナーか店主を囲んでいました。上の写真の角度が妙に変なのも、横でテレビの取材やってたからなんです。

 これだけでも、大阪人にとってミックスジュースがたこ焼き並の存在であることがわかるでしょう。

 

 

 

日本一狭いレトロゲームセンターサリガニ

 

こんなものも見つけました。

「日本一狭い

と狭いのを逆手に取った自虐ネタに、大阪の魂を感じます。

こちらについては別記事でまとめたので、下記よりどうぞ。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

 

ジャンジャン横丁、あまりに濃すぎて往復しただけでブログネタが3つ4つ出てきます。店の一軒一軒がネタになると思います。

ブログネタに困ったら是非ジャンジャン横丁へどうぞ(笑

 かく言う私も、今回は串かつもミックスジュースも味わってないので、日を改めてまたジャンジャン横丁へ行ってみたいと思います。

 

 

噴泉温泉の歴史

 

ここまで来たところで、本題の「噴泉温泉」の話に入ります。

 

ジャンジャン横丁にあった噴泉温泉

 

f:id:casemaestro89:20170603101942j:plain『廃懐ブログ』Chaos in the pocket』様より提供)

 

この温泉は、新世界の見世物の一つとして大正2年(1913)にオープンしました。

新世界の建物の中でも、もっとも大規模かつ異色のもので、敷地は700坪。建設費は予定の10万円をはるかに超えた16万5千円で、今のお金にざっくり換算すると、だいたい40億円くらいといったところでしょうか。

浴場建設時の解説文には、

「欧米各地における浴場の長所を集め、さらに本邦人の趣味を配したるわが国未曾有の大浴場なり。

さればその構造の宏壮美麗をつくせると施設の完備、充実せるとは確かに在来大浴場の比にあらざるや勿論なり」

 

と書かれており、並々ならぬ自信のほどが伺えます。

 

写真の通り二階建ての洋館の中に、複数の浴場をおさめる温泉リゾート施設。普通浴槽でも西洋の浴場を模した二重の円形になっており、大人が泳げるほどの広さと深さがあったといいます。

また、中央には大理石で作られた美人像があり、その頂上(口?)から湯を滝のように流し、足元に雨のように降り注いでいました。これが「噴泉浴場」の由来となっています。

 

これだけの記述でイメージするものは何でしょうか。ローマ帝国時代の大浴場のように想像できます。

私が真っ先に思い浮かんだのは、ハンガリーブダペストにある温泉の数々。

ハンガリーはヨーロッパ屈指の温泉天国で、温泉に入るのに医者の処方箋が必要な所が多い欧州の中で、誰でもフリーで入れるとして世界中から観光客がやって来ます。無論、私もブダペスト滞在中、いくつか温泉を巡ってきました。

 

ブダペストの温泉。新世界の噴泉浴場

 

ブダペストの温泉で、噴泉浴場の記述に近いイメージの画像を探してみましたが、私の頭の中の想像図ではこれがいちばん近いかなと。

 

他にも、サウナや薬湯風呂などを設けたのですが、薬湯にはドイツから輸入した「ラデューム(ラジウム)」を使用し大いに繁盛したと伝えられています。

上の画像にも「ラデュム温泉」と書いていますが、 噴泉浴場は「ラデューム温泉」という名でも知られていたそうなので、この薬湯はかなり斬新かつ人気があったのでしょう。

二階には大休憩室と演舞場、理髪室などがあり、「米国式軽便食堂」もありました。

「米国式軽便…」ってなんじゃそりゃ!?と思われるかもしれませんが、今風に言えばセルフサービスのバイキング方式ということらしいです。

 

 

噴泉浴場の食堂メニュー表面

 

噴泉浴場の食堂メニュー裏面

 

『廃懐ブログ』Chaos in the pocket』様よりお借りしてきた、大正11年(1922)の食堂の献立(メニュー)です。上が表面、下が裏面です。

 

こんなさりげない資料にも、当時の生活史が立体的にあらわれてきて、細かく読むと面白いのです。

この時には、今ではお馴染みの洋食のエビフライやカレー、オムレツなどのメニューが見えます。エビフライが、何故かこれだけ「時価」になってるし。

キリンビールの左の左にある「三ツ矢平野水」とは、今の三ツ矢サイダーのことです。

戦前の三ツ矢サイダーは、兵庫県川西市平野にあった冷泉(温泉じゃなくて)の炭酸泉を汲み、飲みやすいように砂糖を入れただけのものでした。なので「平野水」と呼ばれていました。もちろん、今は違います。

昔源泉を汲んでいた場所は、「三ツ矢記念館」として残っています。

 

 

戦前はこういうタイプのサイダーが多く、台湾の蘇澳という炭酸冷泉が出る所でも、「蘇澳サイダー」なるものが台湾中で売られていました。

 

 

噴泉浴場が設置しようとした、現代を先取りしたかのような施設がありました。

それが「貸し切り風呂」

総ガラス張りの蒸し風呂もセットになった、家族用の個室風呂を10室分作る計画がありました。

昨今、露天風呂を貸し切りしたり、部屋に露天風呂を作ったりしてこういうタイプのお風呂が増えていますが、噴泉浴場はその約100年も先取りしていたというわけか!?

これが出来ていれば「日本初の貸し切り風呂」の栄誉はあなたのもの!だったのですが、家族と偽った男女がウフフなことをする温床になったり、売春に利用されるおそれありと許可が下りなかったそうです。

 

ここまで書くと、スパワールドスーパー銭湯と何の変わりもないことがわかると思います。

スパワールドのご先祖様、いや「元祖スパワールドと言っても過言ではないスーパー銭湯が、100年前の新世界にあったのです。当時の新世界は、コテコテの世界ではなく日本最先端の娯楽場だったということが、噴泉浴場一つを取り上げてもわかると思います。

 

我々にとっては「最近出来たもの」と思っていても、実は大昔に元祖があった。そんなものは多数存在します。

ラブホも元をたどれば江戸時代から戦前にあった連れ込み宿だし、今風のプリクラも、大正時代には存在していました。

遊廓は遊女本人が店の前に立つ「顔見世」が人権意識の高まりで廃止され、代わりに写真を並べる「写真見世」が出てきました。その時あまりに「プリクラ風写真整形」が多く、実際の顔とのギャップに客とのトラブルが多発したという話が、全国各地の遊廓の話として伝わっています。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

上のブログでも書きましたが、メイドカフェの元祖は昭和初期に流行った「カフェー」という見方もできます。

 

「今あるものの元祖、ご先祖様」を探すだけでも、立派な「考古学」となります。あなたも一つ、新しい考古学の世界へと足を踏み入れてみませんか?

 

・・・と、なんだかエンディングのようなフレーズになってしまいました(笑

いや、まだまだ続きます。

 

 

 

噴泉浴場の場所

 

噴泉浴場のことはわかった。しかし、それがどこにあったのか。

次はそれを探っていきましょう。

 

大正2年(1913)の新世界の地図

 

大正2年(1913)、噴泉浴場が出来た年の新世界の地図です。

ちょうど真ん中あたりに「通天閣」という文字が見えると思います。

通天閣から「ルナパーク」を隔てたところ、赤い矢印の場所に、この画像では見にくいですが「噴泉浴場」と書かれた建物らしきものが描かれています。その横の縦に伸びる道が、今のジャンジャン横丁です。

 

 

大正7年の新世界の地図

 

大正7年(1918)の大阪市の地図には、もう太字で「噴泉浴場」と書かれています。

かなり鳴り物入りだったのでしょう。

 

さらに、

 

大阪市パノラマ地図

 

大阪市パノラマ地図」(大正13年製)という、大阪市の俯瞰図です。

これは俯瞰図ながら相当精巧な地図で、完成度が非常に高い地図の芸術ですが、この時が確か、大阪市東京市を抜いて人口日本一になった時のこと。当時の大阪の勢いと誇りを感じさせる地図ですね。

上はあくまで画像を晒しただけですが、ここのページでデジタル保存されており、ネット上で拡大し放題で閲覧可能です。地図の芸術作品としての完成度が高いため、見てるだけで非常に面白いです。

 

その中で新世界あたりを見てみると。

 

大阪市パノラマ地図。新世界

 

噴泉温泉のあたりに建物が見えます。

大坂相撲国技館も新世界にあったのですね。国技館があったのは知ってたけれど、新世界にあったとは、素で知らんかった。

 

 

大阪市パノラマ地図。新世界のアップ

 

もっとズームしてみると、噴泉浴場の名前こそないものの、洋風の建物があったことがわかります。

 

これらの地図を参照に、現在のGoogle mapで反映させてみるとこうなります。

 

噴泉浴場の跡はここ

 

この場所で間違いありません。

 

 

謎の「○○旅館」

 

噴泉浴場は、設立の時こそ

「脱衣所で財布や服を盗まれる」

「お湯は消毒せず垂れ流し。非常に不潔」

「女性風呂に入った客が従業員に強姦される」

などというデマを『大阪日日新聞』に流されたのですが、それをはねのけ繁盛し、新世界随一の名所として栄えました。

 

浴場を経営していた「噴泉浴場株式会社」は浴場オープンの5年後に、隣に保有していた600坪の敷地を整備し、建坪300坪の二階建て和風旅館を作りました。時期は大正7年(1918)。

客室は25室、1Fは花の名前、2Fは鳥の名前で部屋が統一され、宿泊者専用の温泉も用意されていた本格的な旅館でした。

 

それだけなら、繁盛してるからお客用の宿泊施設でも作ったのかで終わりなのですが、その名前がすごく謎なのです。

 

その名は「電気旅館」

名前からして全く意味不明です。「電気」やから洋風のホテルかと思えば和風旅館。それも何をもって「電気」なのかわけわかめ。大阪らしいと言ってしまえばおしまいですが。

どうも館内の設備が「電化の限りを尽くした」ものだったと伝えられているのですが、それが一体何なのか。詳細は残っておらず全く謎となっています。

 

ホンマにそんな名前なんか!?と訝しんでいる方は、これをご覧あれ。

 

電気旅館(電気噴泉)と噴泉浴場の位置

 

昭和10年(1935)の地図をアップしたものですが、噴泉浴場の上に「電気噴泉」と書かれた建物があったことが確認できます。

私の資料では「電気旅館」なのですが、「電気噴泉」と書かれていることから、おそらく後者が正式名称だったと思われます。

 

噴泉浴場のその後

 

噴泉浴場がオープンした大正2年から電気旅館ができる7年までは、日本は第一次大戦の軍需景気で未曾有の好景気となりました。今に言う「大正バブル」です。

 

 

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この絵、学校の歴史の教科書で見たことがある人も多いはず。

この絵の正式名称は「成金栄華時代」と言うみたいですね。私も調べて今知りました。

 

いわゆる「成金」の絵ですが、おっさんが燃やしているのは100円札です。

大正時代の100円は、東大卒のキャリア官僚の初任給が90円だった時のもの。今なら20万円くらいでしょうか。

今20万円を燃やせと言われたら、絶対に首を縦に振らないと思いますが、それくらいバブルだったということなのです。

 

しかし、第一次大戦が終わると「大正バブル」は崩壊、一気に不景気に突入します。景気が悪い雰囲気のまま昭和に入るのですが、噴泉浴場はそんなの関係ねーとばかりの大盛況。大正時代を通した入場者数は、1日1万人以上だったという記録が残っています。

その繁盛ぶりを物語るか、昭和2年(1927)には設備を拡充します。屋上運動場や25メートルの男女別プールまで新築しています。

 

しかし、繁栄は戦争によって急速に萎み始めます。

戦争前や戦争中の記録は見つけていないですが、おそらく「贅沢は敵だ」の掛け声のもと、規模は縮小されていたと思われます。

 

浴場は戦争で焼けたのか?

噴泉浴場は、昭和20年(1945)の大阪大空襲で跡形もなく焼けてしまった・・・とされています。

 

しかし!そんな説など鵜呑みにはしない人間不信「昭和考古学者」のBEのぶ。

今まで「空襲で焼けた」と言われていたものが、資料をほじくって調べると実は焼けていませんでした・・・なんてことは、何度も経験してまいりました。

今回も、本当かどうかこの目で確かめてみようと思います。といっても、過去にタイムスリップするわけではありません。

 

さて、いつもの航空写真で新世界を見てみましょう。

 

昭和23年(1948)天王寺、新世界航空写真

 

昭和23年(1948)撮影の、天王寺駅から天王寺公園、新世界あたりの航空写真です。

終戦から3年が過ぎているとは言え、天王寺近辺や現あいりん地区は空襲の被害を受けていないようですね。なお、新今宮駅は昭和39年開業につき、この写真当時は存在しません。

赤い丸のあたりに噴泉浴場がありました。ここで拡大してみると・・・

 

昭和23年(1948)撮影航空写真。新世界ジャンジャン横丁付近

 

赤で囲んだ噴泉浴場があった場所に、建物が建っていることが目視できます。

下の黄色で囲んだ場所には、「電気旅館」があったはずです。ここは写真の解像度の関係で建物の有無は微妙ですが、庭園のような広場のようなものは見えます。

 

「跡形もなく焼けた」というのは、航空写真で見る限りちょっと眉唾ものかなと。

しかし、外観はそのままでも焼夷弾で中は焼けたという例はあります。

そこで私は、いつも疑問に思うのです。

「新世界って、空襲で焼けたのか?」

 

新世界は空襲で焼けたのか?航空写真から確認してみる

新世界が空襲で「焼け野原になった」という話は、私は聞いたことがありません。住民が空襲警報で避難したという話はありますが、焼けたかどうか否か、この肝腎なことがネット上では曖昧なまま放置されています。

 

こんなものはいつもの府立図書館で、

「3月の大阪空襲の戦災被害地図、場所は浪速区。よろしく!」

と言ったら、桂文枝師匠ネタ風に「そんなんでええのん?」と即で出てきそうなものですが、遺憾ながら私、現在島流し中なのよね。

仕方ないので、航空写真で推定します。

 

昭和23年(1948)新世界・でんでんタウン・今宮戎・恵美須町周辺航空写真

 

昭和23年の航空写真を広範囲に縮小したものですが、「焼けて跡形もない」ことは事実な大阪の古本屋街(今のでんでんタウン)が、家もまばらにしか建っていないのと比べれば、新世界は「無傷」に等しい

(※でんでんタウンは今でこそ「大阪の秋葉原」ですが、戦前は「東の神田、西の日本橋」と言われた古本屋街でした。当時の雰囲気は、陳舜臣氏がエッセイに書いていたはず)

写真左に「えべっさん」と書いている今宮戎神社も、3月14日の空襲で全焼しています。写真ではよくわからないですが、更地になっているような気がします。

 

ここからわかることは、新世界の周りは空襲で焼け野原になったものの、新世界は周囲に比べれば被害は軽微または無傷ということ。多少焼夷弾は落ちたかもしれませんが、被害は軽かったと推定できます。

 

ちょっとおまけなのですが、航空写真とにらめっこしていたら、興味深いものが。

 

昭和23年(1948)天王寺駅拡大写真。阪和電鉄天王寺駅の駅舎が残っている

 

JRの天王寺駅を拡大したものですが、以前阪和電鉄(現JR阪和線)の天王寺駅の謎を記事にしました。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

この際に、駅のホームから伸びる地下道の話をしました。

 

阪和電鉄時代の天王寺駅別アングル

 

上の写真後ろが阪和電気鉄道時代の天王寺駅

手前の赤で囲んだのが、駅から伸びる地下道の出口と説明しました。

 

この二つ、どうやら阪和電鉄→南海山手線の国有化の時も取り壊されず、戦災も免れ、航空写真が撮られた昭和23年時点では残っていたようですね。

 

昭和23年(1948)天王寺駅拡大写真。阪和電鉄天王寺駅の駅舎が残っている

 

①の矢印の先が駅舎、②はかなりわかりにくいですが、駅舎の前に屋根と建物が残っています。阪和天王寺駅の駅舎は、国有化以降どうなったか資料が全く残っておらず、これはとんだ棚ぼたな発見でした。

 

現在の噴泉浴場跡の姿

 

ジャンジャン横丁スパワールド側から歩いていった終点の右側が、噴泉浴場の跡になります。

 

朝日理容-噴泉浴場の跡

 

角に「朝日理容」という散髪屋があるのですが、ここが浴場の跡の角となります。

しかしまあ、800円は安いな。写真見て気づいたけど、ついでにここで髪切ってもらったらよかったか(笑

 

噴泉浴場の事を書いたサイトやブログは、「朝日理容」がある側を「入口」としていることが多いのですが、

 

噴泉浴場-大阪市パノラマ地図より

 (『大阪市パノラマ地図』より)

 

上で挙げた地図を見ると、天王寺公園側がメインの入口のように思えます。

 

新世界噴泉浴場絵葉書

 

上に挙げた写真は、「朝日理容」側ではなく、反対側の天王寺公園側ではなかったかと。

偶然手にした本にも、

「新世界の東南。天王寺公園と接した場所」

と浴場の位置を書いているので、

 

噴泉浴場跡ーかつてのメイン入口側か

 

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こっち側ではないかと推測します。

 

新世界電気旅館の跡(スパワールド第二駐車場)

 

隣りにあった「電気旅館」は、現在スパワールドの第二駐車場となっています。

 

戦前は繁盛した浴場も、戦後は「電気旅館」ごとなくなり、映画館を経て現在は往時を偲ぶものは何も残されていません。

それ故今は人々の思い出に残る、いや時代の流れで知る人ぞ知る過去の遺物になった噴泉浴場でしたが、そのDNAはスパワールドに残されて、現在に存在している。

私はそんな気がしてなりません。

 

==SPECIAL THANKS==

ブログ(咲-saku-様)

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