昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

空蝉

淡路島と明石海峡大橋

淡路島には電車がない。よって通勤は自然と車か自転車となります。近くにあれば徒歩でもいいのですが。
淡路島に来て気づいたことが一つあります。それは島民の原チャ率が非常に低いこと。
島に来る前の事前ググり調査で、淡路島には原チャがほとんど売られていないということは知っていましたが、実際に来てみると1年住んでて10台見たかな!?という程度。
それも、島ナンバーではなく他府県ナンバーだったり。いちおう大学や専門学校もあるので。
島では原チャ=不良の乗り物というイメージがある、だからみんな乗らないという書き込みもありましたが、事実かどうかはわからない。
ただ一つ言えることは、明らかにメチャクチャ少ないということです。

 

私の通勤は、来た当初は自転車でした。といってもママチャリではなく、クロスバイクというスポーツ用自転車です。
姿格好はマウンテンバイクに近いですが、街中や中距離を快適に走る重視の自転車です。
大阪に住んでいた頃は、運動がてらクロスバイクに乗ってあちこちをウロウロ、標高差がほとんどない平野部を走れば大阪市内はもちろん、大阪の南の端(岬町)までなら余裕の余裕。
気分がいいと一山越えて奈良市内まで足を・・・ではなく自転車を伸ばすこともありました。岸和田から奈良市内ってかなり遠い気がしますが、いざ行ってみるとクロスバイクでも全然行けます。ただし、夏は本当にやめておいた方がいです。油断すると脱水症状で死にます。

 

 


淡路島にもクロスバイクを持参し、しばらく自転車で通勤していました。
だいたい25分くらいの通勤時間ですが、島に広がる日本の原風景(田畑)の中を、時間がゆっくり流れる中自転車で走っていると、セコセコしている自分が小さく感じられます。
しかし生活していくと、自転車だけだと生活に徐々に不便が発生してきました。車を買った後はほぼ車通勤にシフト。
ところが、車通勤にしてからというもの、太るは足腰が弱くなるは自転車に乗ったらすぐ息が切れるは、こちらもこちらで生活に支障が発生。
年齢のせいかもしれないが、自転車通勤を止め少し運動しなくなっただけで、これだけ体力が落ちるものなのか。

認めたくないものだな、自分自身の、年齢(と運動不足)ゆえの体力低下というものを。


と嘆いているばかりでは何の解決にもならない。
ダイエットのため、高血圧予防のため、糖尿病予防のため敢えて自転車通勤の復活を決心しました。
・・・高血圧だの糖尿病だの、自分で書いていてなんだか情けなくなってきた(笑)

 

こんな夏の暑苦しい頃にしなくてもええやんという話もありますが、汗をかくと何故か気持ちが良いのです。
運動したという実感があり、身体に溜まった余計な水分が汗として飛んでいくような気がする。
あくまで「気がする」というだけだし、科学的根拠もへったくれもないですが、汗はうっとうしいよりむしろ清々しい。

 

「なぜクソ暑い時にオリンピックするの?」
というネットの書き込みを、どこかで見たことがあります。
40℃近い炎天下の中、失神しそうな顔をしながらマラソンランナー。
特に日本の高温多湿の夏は
「息ができない」
と外国人が悶絶するほど。言われてみれば、夏の暑い時、少し息がしにくいなとは思う時はありますね。
日本大好きという外国人に話を聞いても、
「あの夏さえなければ・・・」
という声が案外多いです。
そんな「呼吸困難」になりそうな真夏の東京で2020年にオリンピックが開かれますが、
そういう困難な状況だからこそ、アスリートたちのアドレナリンも高くなるのかもしれません。
快適な環境でスポーツをしてもなんの充足感もない。自分を追い込みたい…彼らは総じてそういう気持ちなのかも。
少なくても夏にオリンピックは今も続いているわけで、それにはそれなりの理由があるのだと私は思っています。
イヤなら春か秋にでもやればいいのだし、実際1964年の東京オリンピックって秋じゃなかったでしたっけ。
…と調べてみると、「体育の日」って東京オリンピックを記念に制定された休日だったのか。

 

今日もズボンの後ろポケットに、100均で買った手ぬぐいを入れ、噴出する汗を拭いながら朝の島の田の道をのんびり滑走していると、いつも横を通る公園の木にあるものが止まっていたことに気づきました。


周りはうるさいくらいの蝉しぐれ。しかし、その中にふと空蝉(うつせみ)を見つけました。

 

 

空蝉

空蝉を間近で見るために自転車を止め公園へ。
空蝉とは写真の通りセミの抜け殻のことで、

 

旧姓といふ空蝉に似たるもの  辻美奈子


という風に俳句の夏の季語となっています。
結婚したら変わる旧姓なんて、空蝉のようなものね、という作者のため息すら聞こえてきそうな句です。

私が幼い頃は、抜け殻など珍しくも何ともない、夏の一風景でした。
それが、いつの間にか見なくなりました。見なくなったのは何時(いつ)のことか、忘却の彼方です。
今日ひさしぶりに間近で見て、ああ空蝉なんてしばらく見なかったな、最後に見たのはいつやったっけなと感慨深かったです。
セミの幼虫も、やっと土の外に出て成虫になっても1週間くらいしか生きられない。
一週間のうちに、オスは生物として次の種を残すために生命いっぱいに鳴き続ける。
無事パートナーを見つけ種を残すと、我が役目は終わったと散りはてぬ。
日本人の美学は桜にありと言いますが、散り際のはかなさに関してはセミも同じではないかと思います。
ただ、セミは「虫」な分ポイントがマイナスされるのかなと。


車通勤していると気づくことなく通過していた公園、間違いなく見逃していたこの空蝉。
今日は早起きのため時間に余裕を持って家を出たので、爽やかな朝の中、しばらく空蝉を眺めていました。
退勤時の寄り道はしょっちゅうですが、出勤時の寄り道も本当に久しぶりでした。気づくとそんな余裕もなくなっていたなと、
自分を見直す短くも良い時間となりました。

 

ちょっと某俳句番組風に。

 

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(リアル淡路島(洲本市五色だったはず)の夏の風景です)

 

「夏の風景の写真で一句」

木漏れ日の下(もと)にひびける蝉時雨 雲古句斎


・・・あかん、凡人やな。

 

 

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