昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

X68000

最近力が入らざるを得ない記事の連続で、肩が凝って少しお疲れ気味の私。今日は体の力を思い切り抜いて書こうと決めました。

するとあら不思議、力を抜くと「素」が出てしまうのか、Google翻訳のように文章が大阪弁に。最後まで書き上がったところでそれに気づき、すべて書き直しかよ~!とぐったりしてしまったのですが、たまには大阪弁垂れ流しも乙なものかもしれないと、なおすの面倒くさいのでそのままにしました。よって、久しぶりの大阪弁エッセイとなります。

 

むか~しむか~し、あるところに

 

シャープのX68000

X68000

 

というパソコンがありました。

これを作ったメーカーは、ちょっと前に台湾企業の傘下になった、大阪に本社があるあの会社であります。

 

 


古くからパソコンにいそしんでた方にとっては、ごっつい懐かしい骨董品パソコンでもあると思います。またの名を、バツロク」「ペケロク」とも呼ばれとりましたな~。
私が中学生の頃あたりに登場したパソコンやったけど、名前の68000とは何か。それはゲーセンのゲームで使われていたCPUのことで、X68000のCPUがその68000でした。なのでゲーセンのゲームが移植しやすく、その上クオリティもゲーセンのまま、というのがこのPCのキャッチフレーズだった記憶があります。目の付け所がシャープなパソコンやったけど、いかんせん中学生目線やったから、それしか見えてへんかったということもあるやろうけどね。


事実、X68000には、ファミコンや、当時ファミコンの強力なライバルだったPCエンジンセガのハードでは、移植など到底不可能やったゲームが、ほぼそのまま移植されていきました。スペースハリアーやA-JAXを初めて見た時は、ゲーセンそのままの画面に、女以外でイキそうになりました。

当時自他共に認めるゲーム馬鹿やった私は、これが欲しゅーて欲しゅーて、パソコン雑誌を立ち読みしたり、当時毎週日曜の朝に放送されていた、パソコンサンデーという番組を見ながら妄想にふけっとりました。

しかし、現実は極めて暗い。我が家はファミコンですら全く買ってくれず、ある時数日間祖母の家に「抗議の家出」をし、買うまで絶対に帰らん!と数日間籠城を決め込んだほどでした。孫に籠城された上に、食べ盛りのオスに大量のエサ与えなあかん婆ちゃんも大変やったと思うけど、親のファミコン禁止令という子供の世界を抹殺するかのような暴政に対し、ついに耐えられなくなり反旗を翻したのです。

結果的にそれでも買ってくれずファミコンで数年間親と闘い続けたほどやから、パソコンなんか到底無理やろと。どうせダメ元の軽い気持ちで親の機嫌がええ時を狙い言うてみました。すると、

 

「公立高校にうかったら考えてもいい」

 

おっと、予想もせえへんかった回答が。

大人の都合で色々あったらしゅうて、生活に支障がない程度の貧乏やった我が家でしたが、当時は1989年~1990年。つまりあの、あのバブル最盛期やったんです。この意外な返事は、我が家もかなりバブルの恩恵が降っていた間接的な証拠やったんかもしれませんな。かといって、小遣い上がったとかいう記憶はないんやけど。

口約束とは言え親の約束を取り付け、これ欲しさに心を入れ替え猛勉強・・・・した記憶もなく、家にPCがある生活を毎日妄想した結果、合格。
せやけど、この約束は大人の狡猾さによってあやふやにかわされ、未だに果たしてもらってません。
同じような約束をして親に買ってもろた中学当時の友人は、X68000がそのままパソコンデビューとなり、それ以後コンピュータ道まっしぐら。相方をiMacに変えて今でもその関係の仕事に就いています。
私はもう羨ましくて羨ましくて、ゲームしたさに毎日その友人の家に入り浸り。学校の創立記念日とウソをつき、学校を休み丸一日ゲームしとったこともありました。

 

それから25年以上経った現在、もちろん全額自腹でパソコンを手にして、こうしてブログも書いとるわけやけど、こんな時からパソコンに興味があったんやなーということを思い出しました。まあ、興味のシフトはPC自体ちゅうよりゲームやったんやけどね。


そして、唐突にこのX68000のことを思い出し、

「あのPCは果たしてどんなんやったんやろ?」

と調べてみました。ガキ当時は、それはそれはスーパーなパソコンやったけど、記憶の中にはおそらく、憧れという思い出補正も少なからず追加されとるはず。ここはスペック厨よろしく、冷静に数字で伝説のペケロクを見てみようと。
ネットに転がっている当時のカタログと、Wikipedia先生の記事によると、中学生当時、パソコン雑誌とかを見て知っとった「X6800」、実はX68000 Aceという二代目やったということを、二十数年経った今知りました。

そして、27年前のパソコンにはチョー画期的やったHDD内蔵のタイプもありました。こんな大昔からHDDってあったんやな、そっちの方が新鮮やわ。
その常識はずれの容量は、なんと!!

 

20MB!!!

 

20GBちゃいまっせ、20MBでっせ。私の入力ミスと絶対ちゃいますからね。

そんなヘボすぎる容量で何が保存できんねん?というのは今の常識。当時は今のように、ハイパーインフレの如く容量を使うツールがそもそもなかったんです。

 

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当時の保存媒体は、フロッピーディスクというものが主流でした。CD-R?SDカード?そんなものあるわけがない。

フロッピー1枚でだいたい1MBやったけど、ワープロソフト(今のWordのご先祖様?)で作った文章ならこれ一枚で十分。SDもフラッシュメモリもないWindows98の時は、画像もワードエクセルのファイルもフロッピー1枚で全然OKやったもんな。

で、当時のゲームがフロッピー2~5枚分やったから、1ゲーム=2~5MBというところだったのでしょう。今やNINTENDO DSのゲームでも1ギガ2ギガ当たり前の今の時代やけど、ゲームの楽しさは容量やない、たった5MBとかの方が名作ゲームが多かった気がする。

ちなみに去年、高卒で入ったばかりの会社の女の子にフロッピーディスクのことを話したら、首を傾げながら

「なんですかそれ?」

そうか、フロッピーを知らん世代ちゅうのが社会人になる時代になったんか。私もそりゃ年をとるわけやわ。

 


ペケロクのHDDは、オプションでもう40MB(これもGBやありませんで)増設できると書いているのですが、その値段も驚くなかれ!

 

¥120,000

 

おっさん、それ桁一つ間違ってへんか?と突っ込まれそうやけど、拾弐萬圓也で間違いありません。


こんなことでまだ驚いたらあきません。

メモリの欄を見てみると、驚愕の容量なんと!

 

 

 

1MB


ギガちゃいまんねん、メガでんねん。スマホの写メ1枚で終わりやんけ。
このパソコンに無理矢理Windows 10を押し込んだら、どないなるんやろうな。

パソコンから火噴くやろな。


更にさらに、当時はゲーセンのゲームも忠実に再現できた(らしい)綺麗な解像度って言うても、解像度は512X512。今時のPCのセーフモードでも800 x 600らしいのに、512なんか粗すぎて凝視できるんかな?ゲーセンのゲームの解像度ってそんなもんやったんか?今週末の連休で、かのザリガニに行ってこの目で確かめてくるか。
今じゃ常識以前のCD-ROMも、当時は確かPC8801の何とかって機種と、当時16歳くらいだった観月ありさがCMをやっとった、富士通のFM-TOWNSというパソコンにしかなかった時代、X68000のソフトは当然フロッピーでした。それも、今や絶滅してしもた、紙のようにペラペラで、A5用紙くらいの大きさがあったような気がしないでもない5インチフロッピー。


それで気になる価格は?やっぱりお高いんでしょ?

上に書いた20MBのHDD付きで、お値段なななんと!

 

 

 

¥399,000

(※当時、消費税はありません)

 

高っ!

 

昔のパソコンってこんなに高かったんか~!?

25年前の40万やから、今の物価やったら45万と50万の間か!?


今まさにこのブログを書いているパソコン(VAIO)が、HDD750GB、メモリ4GB(8GBに増設済み)で、値段は¥120,000に毛が生えた程度やけど、X68000のスペックだけ見ても、まさに骨董品というか何というか。せやけど、ペケロクがヘボスペックに見えるのは、まだ25年ちょっとしか経っていないのに、コンピュータの進化の方がすさまじいから。ペケロクは当時としてはすさまじい、夢のようなスペックのPCやったんです。
X68000は中学生時代の私の大きな憧れでもあり、夢でもあり、目標でもあったパソコン。こうして記事を書いているだけで中学校当時の日々を思い出します。嗚呼、懐かしいな~、何の悩みもなかったあの頃に戻りたい・・・(遠い目

 

せやけど、上にも書いたとおり中学の時の「約束」、まだ果たしてもらってへんし。
両親よ、そろそろ約束を果たしていただこうかしらね。

ってもう要らんっちゅーねん(笑

 

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