昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

大阪の「雷伝説」を訪ねるー長承寺の雷井戸と歯痛地蔵(堺市西区)

 

少し間が空いてしまいましたが、新年の「くわばらくわばら」の由来を訪ねる第二弾です。

parupuntenobu.hatenablog.jp

 前回は、「くわばらくわばら」という言葉の由来と言われる「西福寺」(大阪府和泉市)というお寺を訪ね、「くわばら」は「桑原」が絡む話を含め解説しました。

 

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次に訪ねたるは、西福寺から約6キロほど北にある、「鳳」(おおとり)というところ。

鳳凰の「鳳」という、地味に格好いい名前がついたこの地域は、日本武尊ヤマトタケルノミコトと深いかかわりがあります。日本武尊は死後、魂が白鳥(大鳥)となったという話は有名ですが、鳳は最後に舞い降りたという地とされ、ここに日本武尊主祭神とする大鳥大社が建てられています。

その「大鳥」が明治になり、「鳳」という縁起の良い字に変わったというわけです。

 

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また鳳は、南北を熊野街道が貫く交通の要衝でもありました。大鳥大社への参拝客はもちろん、熊野詣での巡礼者もここを通り、古代・中世近畿を南北に貫く幹線道路でした。そのせいか、古い時代から人があつまり、街道沿いに集落が作られていました。
すでに平安時代には、特殊技能を持った人たちが住んでいたという「陰陽師村」、下層の賤民とも音楽を演奏する芸能集団とも言われる、「夙(しゅく)」または「夙の者」と呼ばれた人々が住んでいた「夙村」もありました。「夙村」は関西独特の集落で、関西各地には、時折「夙」がついた地名が目につきます(神戸の「夙川」が有名ですね)。

鳳界隈の歴史はなかなかもって謎が多いので、ほじくってみると色々面白いネタが出て来るかもしれません。

実はここにも、雷様伝説が残っているのです。

 

 

JR阪和線鳳駅の東口を出てすぐ左折すると、熊野街道との交差点に当たります。そこを右折し商店街となっている旧街道を南下、商店街のアーケードをくぐって出た所は、その昔「長承寺」と呼ばれた地域だったそうです。

 

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現在、「長承寺」という地名は残っていません。バス停とだんじりの寄合に、わずかにその名を残しているのみです。「長承寺」そのものも現存していませんが、地名で残っているほどなので、昔は存在していたのでしょう。

 

それはさておき、ここ長承寺にも西福寺のような雷様伝説があることは、前回書いた地域が有名すぎて、あまり知られていません。ググっても3~4件しかヒットしないことから、ほとんど知られていないのでしょう。実際、『くわばらくわばら』の由来として西福寺に来る人は多いものの、ここはほとんど見逃している。嗚呼、せっかく和泉市まで来たのにもったいない。これも灯台下暗しというのでしょうか。

長承寺の雷様伝説はどんなものかというと。

 

昔、長承寺村(今の西区鳳南町)には、家や田圃に家や田圃などに雷が落ちることが多く、村人たちは困り果てていました。
長承寺の住職はその難儀を見かねて、ある夏、境内に落ちた雷を法力を用いて捕まえ、井戸中に押し込めました。
雷は泣きだし「二度と落ちません」と謝りましたが、「落ちないのはあたりまえじゃ、それぐらいでは許すものか」と脅しかけたところ、「では旱天の夏に雨を降らせて差し上げます。『長承寺の雷はん』と何度か唱えてください。きっと降らせます」と誓いましたので、和尚は呪縛を解いてやりました。
それ以来、この地方には雷の災いから逃れるようになったといわれています。

 

「くわばらくわばら」という言葉こそ絡んでいないものの、前回の西福寺などに伝わる物語と、大筋は一緒です。
大阪(2ヶ所)に兵庫、そして長野というなんの接点もない地域に、話の大筋が同じ伝説が残っていることが、日本史の大きなミステリーだし、かつ面白いところですね。

長承寺の雷伝説は、地元では古くから伝承されていたらしく、だんじり地車)にもこの話が彫刻として描かれています。

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 ここ鳳だんじりは、知る人ぞ知るだんじりのメッカ。
え?岸和田じゃないの?という人もいますが、ほとんど観光客向けの見世物と化した感がある岸和田に比べ、鳳界隈のは昔の泥臭さを色濃く残す、通好みのだんじり
だんじりの起源はいくつかあり、まだはっきり決着がついていないのですが、ここ鳳も起源の一つとされています。少なくても岸和田ではないことは確かで、岸和田のだんじり天明5年(1785)、隣の泉大津から伝来と記録に残っています。

 

 長承寺の雷井戸を訪ねる

長承寺雷井戸の場所

長承寺の雷井戸は、上の地図の矢印の場所にあります。
ここあたりはいわば「鳳の旧市街」に等しく、狭い道が幾重にも絡んでいます。
裏路地大好きな人生裏街道の方冒険好きな方にはたまらない道です。方向音痴な方は、かなり不安になることでしょう。

 

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雷井戸の前には、「南公園」と呼ばれる小さな公園があるのですが、そこを目印にするとベストです。車では到底通れない狭い道なので、車で来るつもりであればどこかで置いて徒歩で来た方が良さそうです。

 

 

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地名に残る長承寺はここに、あるいはここ付近にあったとされています。
現在はここに薬師如来を本尊とする「ちちやくし堂(乳薬師堂)」が建てられ、お乳がよく出るようにと授乳・安産祈願のお参りをする人が多かったお堂です。

 

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 こちらが鳳に伝わる「雷井戸」です。

和泉市の西福寺もそうですが、井戸がとても小さい。雷様はもしかしてめちゃくちゃ小さかったりして。

周囲はふつうの住宅街になっておるのですが、その間にお堂と雷井戸という異空間が、口を開けたように存在しています。ふつうならとうに忘れ去られ、壊されていると思うのですが、こうして残っているということは、地元住民によって長い間守られてきた「何か」があるのでしょう。それが本当に雷様かどうかは、雷様のみぞ知る。

 

もう一つの古跡ー歯痛地蔵

雷井戸の近くには、もう一つ不思議なものがあります。

 

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雷井戸の左側に、「歯痛地蔵」と書かれた場所があります。

徒歩したら十数秒・・・っていちいち書くまでもない時間で到着。

 

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実際に行ってみると、こんな感じになっています。

きちんと雨除けの屋根もつき、花も新しい。地元の人に忘れられず大事にされていることがわかります。

この歯痛地蔵はその名のとおり、歯が痛い時に手を合わせると歯痛が治ると言われております。そんなアホな、迷信やと片付けるのは簡単ですが、長い間伝えられている伝承は、伝わるうちに話が違う方向に進んでいるとは言え、元にあった話は伊達ではない。私はそう思います。まあ、今なら歯が痛いなら歯医者行けでおしまいでしょうけどね。

歯痛地蔵は全国に数体あるようで、熊野街道をはるかに南に進んだ、世界遺産になっている熊野古道沿いにも、有名なものがあります。「歯痛地蔵」で検索すると、おそらくそちらが出てきます。こちらの歯痛地蔵は熊野街道からは少し外れているものの、同じ熊野古道つながりで歯痛地蔵があるというのも、少し不思議です。

 

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この地蔵尊で不思議なことがもう一つあります。

写真は真正面なのでわかりにくいですが、長方体の石塔の4面に地蔵尊らしき姿が彫られている、ちょっと変わった形です。特に右側は、一面に着座した姿が4体分彫られ、それが4面。何故かは全く不明、誰もわからないそうです。そのそもこのお地蔵さんがいつつくられ、いつからここにあるのか、誰もわからず。うっすら「元禄」と書かれているそうですが、それが建立日と関係あるのかどうかもわからない。

もしかして、かつてあった長承寺にあった遺留物かもしれません。

 

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裏に何やらひらがなで書かれた字が彫られているのですが、何が書いてあるやらよくわかりません。

 雷井戸が目的でやってきたものの、むしろこちらの方がミステリーになってきました。

 

鳳は、私が生まれ育った場所の隣の地域と言っていいほど、昔から馴染みの場所だったのですが、ここにこんなものがあったとはつい最近まで知ることはありませんでした。キラキラ輝くほどではないものの、小さな、小さいけれどいぶし銀に光る小さな歴史の宝を今の今まで見逃していた、自分の堀りの浅さを反省しないといけませんな。

私の歴史探求の旅は、この身朽ち果てるまで続く。