昭和考古学とブログエッセイの旅

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228事件と台湾の限界

news.ltn.com.tw

 

「歴史教科書に228事件加害者の記載なし

高校教師・歴史学者が怒りの抗議」

(台湾 自由時報より)

タイトルを意訳すると、こんな感じになります。

さて台湾の教師たちは、「228事件」になぜこれだけ怒っているのでしょう。

東日本大震災で、台湾の方々が送ってくれた膨大な義援金や気持ちから、台湾に目を向ける日本人が多くなっています。日本は現在空前の台湾ブーム、昨年の日本人の海外旅行先トップがダントツ台湾だったことも、その現れの一つと見ていいでしょう。日本と台湾は現在「相思相愛」、日台関係史で最良の時代と言っても良いかと。

 

しかし、台湾の歴史になると知らない人が非常に多いことも事実です。

おそらくは、

「日本の植民地だった時代があって・・・」

という漠然としたイメージがないのではないでしょうか。「植民地」というのも、個人的にはちょっとなんかちゃうんやけどな・・・と思うビミョーなワードではありますが、知識がないとそんなものだろうと、私は半分諦めと悟りの境地に達しています。

この228事件は、台湾史において絶対に避けられない事件です。戦後の台湾に起こった最大の悲劇であり、そして謎多き事件でもあり、そして立場が変われば台湾史に歴然と存在する「黒歴史」でもあります。その歴史を大雑把に見ていきましょう。

 

228事件と台湾の黒歴史

この事件は、50年続いた日本統治時代が先の戦争における日本の敗戦で終了したことから語らないといけません。

日本の敗戦により、台湾には中華民国軍・・・いや国民党軍が駐留するようになりました。

「日本統治が終わった!台湾が祖国に復帰した!」

と最初は喜んでいた台湾人でしたが、国民党軍の兵士の「だらしなさ」を見て唖然呆然。兵士の姿はボロボロ、隊列は乱れに乱れ、べちゃくちゃ喋りながら行進したり、そこらへんに唾を吐きまくる兵士もいる。

「国民党軍ってマジヤバくね?」

と、今の日本の若者風に書くとこんな気持ちだったんでしょう。

日本軍の堂々とした姿を見慣れていた台湾人は、国民党軍兵士のあまりのレベルの低さに、見たくもない「現実」を突きつけられました。

しかし、彼らの悲劇はまだ始まったばかりでした。

台湾にやって来た国民党軍は、日本が台湾に残した資産を占有し、横領するして横流しするわ、事あるごとに賄賂を要求するわのやりたい放題。日本統治時代とは「えらい違い」におっかなびっくり。そして、インフレにより経済は破壊同然となり、台湾人の不満とストレスはどんどん溜まっていきました。

国民党が「接収」した日本統治時代の資産は、「中華民国」に収められたとお思いでしょ?中国の歴史はそんなに甘くありません。実は国民党のポケットに入り、国にはほとんど入っていません。「国民党」の財布と「中華民国」の財布は別物なのです。その資産は国民党支持者に配分されて利権にもなり、「鉄票」と言われるガチンコ国民党支持者の票田にもなりました。

しかし、「中華民国=国民党」の時代ならまだ屁理屈で乗り切れますが、民主主義が進むとそうはいきません。日本のマスコミは一切触れてませんが、2016年の総統選挙で蔡英文氏が当選し現在も総統ですが、彼女の公約に、

「国民党がネコババした日本の資産の残り、雁首揃えて全額国に返還してもらいましょうかね!」

というのがあったりします。国民党はガクブル、負けたらヤバいと必死だったのですが、本当に負けてしまいました。さて民進党が本当にブラックボックスを追求するのか、これからお手並み拝見というところです。

 

この混乱時代を的確に語る、ある言葉があります。

「狗去豬來(犬去りて豚来たる)」

「犬」は日本人のこと。「犬」はワンワンうるさいが番犬になって家を守ってくれる。しかし中国人・国民党(軍)を指す「豚」はただむさぼり食うだけ。台湾人が中国人を罵る言葉の最上級が「豚」なのですが、それはここから来ているとされています。

この言葉に関するこんなエピソードがあります。

事実上の「駐台湾日本大使館」にあたる「公益財団法人交流協会業務執行理事 台北事務所長」に、元外交官の沼田幹男氏が2014年に就任しました。名前は長ったらしいですが、事実上の駐台湾大使です。ご存知の通り台湾とは国交がなので、民間団体の皮を被った外務省の外郭団体が「大使館」になっております。

その彼が、2015年9月の李登輝氏の著書出版パーティーに出席し、こう挨拶しました。

「皆さんお馴染み、『犬去りて豚来たる』の犬代表です」

台湾では、

「ウィットがきいた挨拶じゃねーか!」

とウケたようでニュースになってましたが、それだけ台湾人の間で定着している、台湾生まれの「四字熟語」と言っていいでしょう。

 

そして時は下って1947年。

台北の道端で闇タバコを売っていた現地のおばさんに対し、取り締まりの役人が暴行を加えました。

「こら、無防備な女性に暴力を振るうとは何事か!」

と周囲の台湾人が止めに入ったのですが、パニクった役人は思わず発砲、流れ弾が一人の男性に当たってしまい、死亡します。

暴行されたおばさんはどうなったのか、個人的に気になってたのですが、調べると後に亡くなってしまったそうです。これに怒った台湾人は市庁舎に向かい、暴行を加えた役人の処罰などを求めてデモを行いました。

しかし、取り締まる側の憲兵がデモ隊に向かって発砲、デモ隊に死者や負傷者が出ました。無防備なデモ隊に権力側が発砲・・・どっかで聞いたことがありますね、そう、どっかの国の北京って所で1989年にあったような・・・ね(笑

この発砲事件をきっかけに、日頃から溜まっていた台湾人の不満・不安が大爆発しました。まずは国民党政府が占領している建物を占領、「中国人」を吊るし上げます。しかし、殺すまでの暴走には至らなかったと言います。そして統治時代はNHKだった台北のラジオ局を占領、

「台湾人よ、立ち上がれ!」

と軍艦マーチを流しながら「日本語で」全島に呼びかけました。それを聞いた台湾人が全国で蜂起、運動は台湾各地に広がります。それが2月28日だったため、「228事件」と言われています。

そのラジオ局は、現在「ニ・ニ八記念館」として開放されています。

彼らは道行く人を、「中国人」とわかれば捕まえて暴行してたのですが、台湾人と中国人をどう分けたのか?キーワードは「日本語」です。

50年間の台湾統治で日本語定着率が7割を超えてたため、道行く人に「日本語しゃべってみ」と問い、話せないと「中国人」とみなして排除しました。

しかし、これは台湾を少しかじっただけの日本人が大いに誤解していることでもありますが、当時の台湾人全員が日本語を話せたわけではありません。中には日本語が話せない人もいます。

その時は「君が代」攻撃。「君が代」は国歌として全員が歌えたので、「君が代を歌え」と聞いたグループや、「教育勅語の暗唱」を合言葉にしていたグループもあったようです。

 

陳儀国民党台湾

当時の国民党側の統治者は、陳儀と言う人物だったのでした。彼は福建省主席時代に省全体を賄賂漬けにした典型的な「中国的官僚」で、それだけに狡猾でもありました。

彼は台湾人側にまず落ち着くように要求し、彼らの声に耳を傾けようとしました。しかし、それは「ワナ」だったのです。

台湾人側の要求を全部呑むフリを見せながら、陳儀は裏でコッソリ本土の蒋介石に助けを求めます。蒋介石は陳儀の要求どおり本土から援軍を派遣します。そこから、国民党軍による反撃、いや反撃以上の何かが始まります。

国民党軍は台湾人を根こそぎ襲いましたが、特にターゲットになったのは日本統治時代に高等教育を受けたインテリ階級でした。

 

台湾ニニ八事件

(国民党兵士によって虐殺される台湾人)

日本の旧制高校・大学を卒業したインテリも当時の台湾には多くいて、2月28日の一斉蜂起でリーダーになった人もいました。彼らは次々と捕まり、拷問されたり途中で殺害されていきました。逮捕されると命の保証はないため、台湾から沖縄の石垣島まで泳いで亡命した人も、一人二人じゃないそうです。また、一般市民にも無差別に発砲した部隊もあり、実態は一方的虐殺と言っていいくらいの惨劇でした。

この事件は「事件」になっていますが、知れば知るほど

「これって、『台湾大虐殺』じゃないのか」

という確信を持ちつつあります。

死者の数はその後国民党が闇に封じ込めたため、1万2千人~4万人と調査機関によって差があり、今でもよくわかっていません。

それ以上に事件をややこしくさせているのは、これについての証言が「被害者側」しか聞こえてこないこと。
加害者側は、都合が悪いのかいっさいダンマリを決め込み、加害者の大多数は真実を墓場まで持って行ってしまいました。
被害者側もPTSDになった人が多く、
「もう話したくない、思い出したくもない」
と証言しようとしない傾向にあります。
台湾最大の悲劇と内外ともに認める「大虐殺事件」ですが、現在も謎多き黒歴史でもあるのです。

 

その後も、「白色テロ」と呼ばれる台湾人弾圧が数十年続きました。この事件から40年後に総統になる李登輝氏をして、

「(数十年間)夜にろくろく寝たことがなかった。台湾をもうこんな国にさせない」

と司馬遼太郎に語った政治的暗黒時代を迎えます。

日本統治時代の終わりから228事件、「白色テロ」の時代の台湾を描いた映画に、「悲情城市」という名作があります。かなり重い映画ですが、台湾史に興味があったりこれから台湾に旅行に行く方の予習にどうぞ。

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ところで、知識人を惨殺していく手段も、どっかで聞いたことがありますよね・・・。そう、どっかの国の「反右派闘争」とか「文化大革命」とか・・・ね。つまり、共産党と国民党、名前や政治理念は違えど結局は根っこでつながる同じ穴の狢ということです。中国現代史を学んだ上で台湾の現代史を見てみると、今まで見えなかったものが見えてきたというより、見てはいけないものを見てしまった感があります。

 

教師たちの怒り

このニュースで、台湾の教師たちが何故怒りをあらわにしているか。

台湾は、認める認めないにかかわらず現在も「中華民国」であります。228事件に関しては中華民国としては李登輝総統が公式に謝罪をし教科書にも掲載されましたが、馬英九政権になり、教科書に掲載される228事件の「加害者」が曖昧になっているようです。

中華民国としては、228事件は最大の「黒歴史」なので、できれば「なかったことにしたい」。しかし、「なかったことにしたい」とは歴史の改ざんに等しい。そこをぼかしているのは歴史の改ざんではないのか、と彼らは怒っているのです。

自分たちの都合の悪いことは「なかったこと」にしたい、でも都合が良ければ「歴史ファンタジー」でも何でもやる。これが中華四千年の「歴史観」なんですよね。

 

話は少しずれますが、比較的公平と思われていた、中国歴史書の原点である司馬遷の『史記』も、都合が悪いところは「書かない権利」を行使しているんじゃないか?と疑いの目を向けられています。

それは、1986年に四川省で発見された三星堆遺跡。目玉が飛び出た青銅の像などの奇妙な青銅器が非常に多く発掘されたので、日本でも知ってる人は多いと思います。見つかった遺物からも、四川省に「中華文明」とは明らかに違った別の文明があったことは明らかです。

この三星堆遺跡出土の青銅器の年代測定から、あることがわかったそうです。それは、三星堆遺跡の青銅器は司馬遷より少し前、あるいは同時代に作られたものだということ。ということは、若いころ中国各地を旅したと自分で書いてる司馬遷が、高度な青銅器を作れるような文明力を持つ三星堆文明(仮称)の存在を知らないわけがない。つまり、司馬遷は三星堆文明(仮称)の存在を知っておきながら、故意に無視した可能性があるということです。

正直なところ『史記』は公正明大なんじゃないかと思っていたので、この仮説はちょっとショックです。でも、中国の歴史を勉強すれば「まあ、こんなこと」ですね(笑

 

台湾の限界

台湾の教師がお怒りなのはごもっともなのですが、これが現在の台湾の限界をあらわしているものとも言えます。

要するに、国民党が台湾にいる以上、228事件の完全解決にはならないということです。先の総統選挙+立法院選挙で民進党が政権を握ったので、教科書もまた変わると思うのですが、政治的都合で内容がコロコロ変わるのも、習う方としては混乱するだけで

「一体どれがホントなの?」

となるでしょう。それだけで台湾の教育にはマイナスです。

真実を書きたくても書けない、これが台湾の限界。これからの台湾が超えるべき課題です。

しかし、これは台湾だからできること。中国で同じことをしたらどうなるか。次の日には抗議した教師は全員、抗議した出来事もろとも「この世になかった」ことになってるんじゃないでしょうかね。

 

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台湾を知る―台湾国民中学歴史教科書

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