昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

『千と千尋の神隠し』を遊郭という角度から考察する

 千と千尋の神隠し鑑賞 1回目

千と千尋の神隠しと遊郭


先日、『千と千尋の神隠し』をDVDで見てみました。

実は、この映画は初見なのですが、まずは1回目、素直に見てみた感想は、


『少女が色々な経験を積んで成長していく物語』


というような感じでした。


人の家にあがる時に「お邪魔します」「失礼します」さえも言えない、ある意味現代っ子のような千尋が、だんだんと礼儀を身につけて最後は「お世話になりました!」とハキハキ言えるようになる・・・。

いちおう、社会人として基本的な礼儀、つまり朝に

「おはようございます!」

と挨拶。そして仕事終わりに

「お疲れ様でした!」

と挨拶。

それさえ出来ない人間は働く資格すらない、というのが私の持論です。

「そんなもん会社で教育したらええやん」

と思いますが、会社は学校じゃございません。

社会人としての資質を伸ばすための人間教育なら、会社が教育する範疇です。が、人間としての最低限の礼儀や挨拶を教えるのは会社でも学校にあらず。家庭です。そこらへんをわかってない「大人」が最近多い。子どもの「無礼」はイコール親の責任なり。

それはさておき、『千と千尋』を最初見た時、オロオロするばかりで基本的な礼儀が出来てない千尋に対して、

「ちゃんと挨拶せんかい!(怒」


「そこは『ありがとうございます』やろ~!(怒」


とハラハラかつイライラしながら見ていたわけですが、だんだんと成長していって最後はちゃんと「礼儀」を身に付けた彼女に対して、

「よしよし、それでよろしい」
と、何か兄貴か父親のような目になってしまいました(笑

 

たぶん、宮崎監督は現代っ子を千尋という人物に凝縮して風刺しつつ、成長して行く姿に

「子供は親がいなくても自然に色々感じて成長していくのですよ」

ということを言いたかったのかな?と思います。

そして、私は子供の世代では当たり前のようにいた「近所の大人」が呆れつつ叱ったり、何も言わず見守ってくれる姿も描きたかったんかな~?と。
最近そういう人がおらず、大人の方が子供に気を遣い、機嫌を損ねないために注意しないというのもあります。

そういう、最近少なくなった「近所の人」を釜爺という人物に描写させたのかな?

 

『千と千尋の神隠し』と風俗!?

 

一説によると、この「千と千尋の神隠し」には、別のメッセージもあると言います。

その一つが、「風俗・売春を描いたもの」というもの。

『千と千尋』がそういうメッセージをはらんでいることは、どーやら宮崎監督自身認めている気配があります。
日本版『プレミア』の2001年6月21日号のインタビューで、

 

「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」


「今の女性たちは売春婦が似合いそうな人がものすごく増えている」


と述べています。風俗産業だ売春婦だと、偏っている女性人権団体が聞くとヒステリーを起こしそうですね。

また、そのアイデアを出したんは鈴木敏夫プロデューサーで、

「人とちゃんと挨拶ができないような女の子がキャバクラで働くことで、心を開く訓練になることがあるそうですよ」

 

と言ったら、「それだ!」とひらめいたそうな。

そして、アカデミー賞受賞後、宮崎駿が鈴木氏に


「あの話(千と千尋)は鈴木さんのあの話から始まっているんだよね~」

と言って、何のこと?と思ったら鈴木氏が聞き返すと、


「キャバクラの話だよ」

と言って二人で笑ったという話を、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で鈴木氏が言っていました。
第三者の想像ではなく、監督自身がそういうことを言っています。すると、この映画には何かメタファー、隠された仕掛けがあるのではないかと。

 

 数日間の空白をわざと置いて見てみた2回目、『遊郭・赤線界のインディー・ジョーンズ』が、斜め上45度の視点で『千と千尋』を考察してみます。

 

『千と千尋の神隠し』鑑賞、2回目

 

『千と千尋の神隠し』と遊郭 

この映画のストーリーを超簡単に説明すると。

「『不思議な世界』に迷い込んだ千尋と両親。ふとしたことで両親がブタにされたので、千尋が両親を助けるために『油屋』という銭湯で働く」

というもの。

この映画の主な舞台になる「油屋」、斜め上の視点で改めて見てみたら、

千と千尋の神隠しの油屋

 

遊郭やん!!

私の直感がそう叫びました。
この赤い外壁は遊廓の象徴みたいなもの。昔の吉原や洲崎遊郭にあった大妓楼は、まさにこんな感じだったと言います。
また、「油屋」の前にある灯篭も赤。夜になった時の灯篭の明かりは、赤とは言わないけどちょっとピンクがかった色。
「油屋」の前の町も、昭和初期の看板建築をモチーフにしたようですが、西部劇的な臭いもするし大阪の新世界的情緒もある「飲み屋街(?)」の提灯の色も赤。
大阪の旧飛田遊廓近くの飲み屋街って、こんな雰囲気なんですよね。

 

そして、この映画自体があまりに赤々しくて問題にもなった事もありました。これにも隠されたメッセージが隠されている気がします。

なぜならば、

 

赤は色街に欠かせない色

だから。
今の風俗街のイメージカラーはピンクですが、戦前の遊郭は赤でした。

 

また、「油屋」に架かっている橋もキーポイントと思われます。
その昔、遊郭は堀や壁で囲まれた所が多かったのですが、それには理由がありました。

もちろん、遊郭で働く遊女の逃亡防止のこともあったものの、橋は日本では遊廓という別世界と娑婆(俗世間)と区切る境界線という意味もあります。

 

今の遊郭跡も一部に堀や壁が残っていたりして、実際に訪れてみたら橋の向こうは別世界だった・・・という雰囲気を感じる場所もあるのですが、この「油屋」の橋も「橋を渡ったら別世界ですよ」を描写するための小道具の一つかもしれません!?

 

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これは一部色が塗りなおされていますが、昔の遊郭の建物の一つです。

「油屋」の外壁と同じ色でしょ?

 

 

で、ここで思い出したのが、奈良県は大和郡山市にある遊郭跡。

失われた古代遺跡のように、ほとんど誰にも知られることもない遊廓跡が、今でも当時の姿をかなり留めて残っている場所があります。

 

奈良県大和郡山の東岡遊郭

この木造3階建ての建物は、その存在感たるやものすごいものがあって、実際に目の前にすると感動の前に圧倒されて唖然としてしまうものがあります。もはやここまで残っている建物は、ほとんどないと思っていいと思います。吉原などの大遊廓は、紅色に塗られた、このような妓楼が大通り沿いにニョキニョキ建ってたらしく、

「木の摩天楼」

と言っても過言ではないと思います。

 

油屋のシーンの前に、『千と千尋』でピンと来たのがこの一コマ。

 

千と千尋の古い祠か無縁仏

 

道を間違えて山道に入ってしまった家族がふと車を止めた所に、こんなものがありました。

 

大人は全く気付かず感受性が強い子供の千尋だけが気になり母親に聞いたのですが、

「神様の祠(ほこら)」
とそっけない反応。
この「祠」の上に鳥居があるので神道に基づく何かかもしれないですが、「斜め上45度」の視点の私には、遊女の無縁仏に見えました。
遊廓には、規模の大小にかかわらず数多くの遊女が働いていました。しかしその大多数は名前すら知られないまま亡くなり、一盛りのように無縁仏として寺に放り込まれたそうです。

その無縁仏が遊廓跡の各地にあったりします。無縁仏の雰囲気は映像のような放置状態なことが多いのです。


そしてもう一つ、ピンときたんがこのシーン。

 

千と千尋の神隠しの一シーン

 

まあ、普通ならスルーしているか、
「きれいやな~」
で終わりになりそうな、川の向こう側の夜景です。

このシーンでふと思い出したのが、東京にあった洲崎遊郭のこと。
今は東京のど真ん中にある洲崎も、出来た当時は正面が海。東京ディズニーシーの遊廓版のようなウォーターサイド遊廓でした。

 

明治時代、洲崎には「大八幡楼」という大妓楼がありました。
大きさについての具体的な記述はないのですが、住所は洲崎弁天町1丁目17番地、つまり地区まるごと妓楼でした。中には庭園や、今のスーパー銭湯ほどの大きさの銭湯まであったと言います。
この「大八幡楼」は元々根津という遊郭にあった大妓楼でした。根津とは今の東大の真横、そこに根津遊郭という大きな郭(くるわ)がありました。

しかし、東大が作られた後、「学問の邪魔」という理由で追い出され洲崎に移動。それが洲崎遊廓のそもそもの始まりです。

その「大八幡楼」の根津時代に、坪内雄蔵という東大の学生が花紫という美人の遊女目当てに通っておりました。二人はたまたま同郷なのもあって意気投合。そのまま恋仲になり、いろいろすったもんだがあったものの、結局結婚出来たという実話があります。
(すったもんだは書くのが邪魔臭いので省略)
その坪内雄蔵とは。
のちの文学者・劇作家であり、近代日本文学史を語るには避けて通れない坪内逍遥
そう、坪内逍遥の妻センは端的に言うたら元フーゾク嬢なのであります。

ん?待てよ?

『千と千尋』の『千』とセン

・・・まあ偶然か。

 

「大八幡楼」の建物自体は、大正5(1916)年2月に放火によって全焼しました。ところが、その跡に30軒以上の建物が建てられたというから、ものすごい広さだったことが想像できます。
で、その「大八幡楼」には、遠くからでも一目でわかるような大きな時計塔があったと言います。

 

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これは、年代不明(おそらく明治後期)の大八幡楼を写した貴重な写真ですが、時計塔がバベルの塔のように建っていて、かなり目立つ存在だったことがわかります。

 

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明治24年(1891)に描かれた洲崎遊郭の絵ですが、時計塔も描かれています。

 

 

 

千と千尋の神隠しの画像時計台

 

映画の中の時計台はこんな感じ。形は似てないですが、和の上に時計台という洋を付け足すという発想は同じです。

 

東京名所州崎遊郭之遠望(明治三十五年)

「東京名所州崎遊郭之遠望(明治三十五年)」という洲崎遊郭の遠景を描いた絵ですが、遠巻きからでも時計台が確認できます。

 

千と千尋の神隠しの一シーン

『千と千尋』のこのシーンと比べてみましょう。どう感じるかは読者次第。

しかし、船から遠く洲崎を見ると、暗闇の中にまばゆいばかりの光が集まって幻想的な風景だったそうです。このシーンを見てふとそのフレーズを思い出しました。
その昔、海から見た洲崎遊廓ってこんな感じやったんやろなーと。さすがに明治時代にネオンはないけど(笑

『千と千尋』の建物描写は、無国籍的というか和洋折衷というか、一見メチャクチャなものの、それが幻想的にさえ感じてまうのが宮崎アニメのおもしろい所。
明治から大正にかけての、和と洋がチャンポンになったような風景って、もしかして宮崎アニメのような風景だったのかもしれません。


この世に実在した油屋!?

しかし、ここである疑問が浮かびます。

『千と千尋』の「油屋」みたいな5階建ての建物なんかあったんかいな?
今は5階建てなんかマンションでも当たり前のようにありますが、明治はおろか昭和初期でも5階建ての建物など「超高層ビル」のようなもの。
今でも遊郭跡に残る木造3階建てでもすごい迫力なのに、5階建てなんか・・・
と思って調べると、その昔吉原遊郭に

「木造6階建て」(!!)

の妓楼があったそうです。
その「6階建て」の名は「金瓶楼(きんぺいろう)。明治11(1878)年に建てられました。当時の建物の写真は現存しないようですが、当時を物語る浮世絵などが現代に残されています。

 

新吉原江戸町壹丁目 金瓶楼上図

早稲田大学が所蔵しネットで公開している、

「新吉原江戸町壹丁目(歌川芳虎作)

という浮世絵です。階層はわかりませんが外観の一部が見えます。

 

早稲田大学所蔵の金瓶楼上図、歌川芳虎


同じく「新吉原江戸町壹丁目上之図」から。

 

金瓶楼の遊女と伝えられる写真

 

これは「金瓶楼」と伝えられている遊女の写真です。
遊郭は確かに端的に言ってしまうと「売春街」です。金瓶楼はいくら優雅で雅でも、言ってしまえば「売春宿」です。
しかし、吉原みたいな所は格式(ランク)があります。格式がある妓楼で遊ぶには、金はもちろん、遊ぶ方にもそれなりの教養を持っているのが前提でした。

「金瓶楼」は中に日本舞踊の舞台や中庭もあったようで、『千と千尋』の「油屋」をしのぐ6階建て、外観は不明ですが「油屋」みたいな豪華絢爛。かなりの威圧感があった明治の「木造の超高層ビル」だったと思われます。
「油屋」はもちろんアニメの世界ですが、アニメに近い「現実」が100年前の日本にあったわけで。

 

また、鎖国を廃止し開港された幕末の横浜には、海を埋め立てて造られた「港崎町」(みよざきちょう)という町があって、そこに「港崎遊郭」という、外国人のための遊郭があったそうです。吉原をコピーしたかのように造られた15,000坪の遊郭はまさに「ハマの吉原」そのものでした。
そこに、今でも伝説になっている「岩亀楼」(がんきろう)という妓楼がありました。

 

横浜港崎廓岩亀楼異人遊興座敷之図

 

ここに、

「横浜港崎廓岩亀楼異人遊興座敷之図」

という一枚の浮世絵が残っています。

 

横浜岩亀楼の中庭幕末日本図絵アンベール

(横浜の岩亀楼の中庭-日文研データベースより)

「岩亀楼」の中庭も、外国人が描いた絵として残っています。かなりの大楼だったことがわかります。
ここは贅を尽くされた造りで、昼間には見物客が押し寄せて見物料を取ってたという話が伝わっていますが、奇しくも6年後の慶應2年(1866)の港崎遊郭の大火で焼け落ちました。

港崎遊郭は今の横浜スタジアムあたりで、そこには「岩亀楼」の灯籠が今でも残っています。


「岩亀楼」自体は遊郭が今の高島町(高島遊郭)に移り、明治9年(1876)7月に「二代目岩亀楼」が完成します。

 

岩亀楼高島町

写真の通り和装折衷の豪華絢爛な造りで、286坪の敷地に和風・洋風の部屋をあつらえていた「6層」の建物だったそうです。
写真を見るとどうしても3階建てにしか見えないのですが、写真が間違っているのか、記述(記憶)が間違っているのか、それとも真実か・・・それは私もわかりかねます。興味がある方は調べてみて下さい。

 

遊女になった理由


そして、『千と千尋』の「親を助けるために必死に働く子供」という構成自体、遊廓の匂いがプンプンします。そもそも親が他人のところで無銭飲食ってあーた。
大人、特に子供を持つ親にとっては耳が、いやそれ以上に心が痛くなって欲しいようなストーリーですが、遊廓にいた女性たちは何も好きで遊廓で働いてたわけではないのがほとんどでした。


遊廓は警察や行政に厳しく管理されていたのですが、昔は遊女だけを診る専門病院が、都道府県に必ず一つ存在していました。

 

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(1900年発行『大阪市街全圖』より)
その一つに、大阪の難波、今のヤマダ電機LABI1なんば店の西側にあった「府立難波病院」がありました。難波病院は大正13年(1924)住吉区に移転、公娼の廃止と共に一般病院となり、今は府立急性期・総合医療センターと名前を変えて現存します。

ちなみに、難波病院が移転した年の12月、跡地の一部を使い「大阪金属工業」という町工場が創立されました。その会社は現在、日本人なら誰でも知っている「ダイキン工業」となっており、ダイキン発祥の地は近いイコールで難波病院でした。


そこの遊女専門病院の院長に、上村行彰という人がいました。彼は遊女を診察しているうちに彼女らの生態に興味を持ち、今となっては貴重すぎるデータを遺してくれています。
さすがは医者か、理系的に統計を取ってくれて100年近くたった今でも非常に見やすいのですが、彼が大正7(1918)年にまとめたデータの中に、

「娼妓となった原因」

という項目があります。
遊廓で働く遊女809人に聞き取りをして「何で遊女になったの?」ということを聞いたところ、以下のデータが出ました。

家の借金や貧窮のため:364人 (44%)

家族を養うため:86人 (10%)

その他家族の事情(親の事業失敗など):55人 (6%)

 

 

「家族の事情」で遊女になった者が半分以上、特に「家の借金や貧窮」が44%と最も多いのですね。

実は、遊廓で働く条件に「遊廓で働かざるを得ない理由」を警察に提出して審査してもらわないといけないという事情があります。だから審査が通りやすい「家族の貧窮」を書いて提出していた事情もあるものの、筆者は「それもあるけど、それだけじゃない」と述べていて、
「親が無職、または働いていても生活に困るくらい遊び呆ける『因襲的貧民』もある」
と結論づけています。

 

遊郭で働く女性たちがここで働かざるをえない事情は、もう一つあります。

それは、教育レベルの低さ。つまり「低学歴」です。

遊郭で働くには、「ここで働かざるをえない相応の理由」と共に警察の審査が必要、というのは上に書いた通りですが、女学校(今の高校)卒はまず審査に通らなかったといいます。

なぜならば、戦前の女学校卒はかなりの高学歴で、遊郭で働かなくても働き口があったから。代用教員というルートもあれば、学校で洋裁などの技術も習うので、今で言うカルチャースクールを開くこともできます。 

実際に遊郭で働いている女性の学歴はどうだったのでしょうか。

ここに信頼すべきデータがあります。

尋常小学校中退:52.9%
尋常小学校卒業:28.4%
無就学:13.3%

(出典:『日本公娼史』 山本俊著)
※大正13年(1924)に、内務省警保局(現警察庁)が全国の遊郭で働く女性48,129人から取ったデータ

 小学校を出ているだけまだマシなレベルであることがわかります。

中でも「無就学」という、小学校にすら行っていない人も1割以上いることに驚きます。

北海道札幌にあった白石遊廓に、昭和9年に遊廓事務所の書記として入ったある男性の回想によると、

 

「ほとんど(の遊女)が尋常小学校卒程度で、字も満足に書けない、自分の名前がやっとという有様でした」

(『ものいわぬ娼妓たち』)


「自分の名前」も、おそらくはひらがなカタカナが関の山、漢字も書けないレベルだったのでしょう。
遊郭とは関係ないですが、連続殺人事件で死刑になった永山則夫の母親も漢字が書けず、永山が全文カタカナの手紙を出していました。母親は戦前の小学校を出ているかどうかという学歴だったのでしょう。

遊郭の遊女はかわいそう・・・遊郭の話題になると、この面ばかり取り上げられます。特に女性と遊郭のことについて話すと、こういう感情に走る人が多い。感情移入しすぎたか、ひどいと泣き出す人すらいます。

それは一面に過ぎません。「かわいそう」の一つは教育、果ては親の無教養や教育に対する無理解にも一因があることを、決して忘れてはいけません。

 

「湯女」とメイドカフェ?


千尋が働くことになる「油屋」というのは銭湯のことですが、江戸時代、お風呂屋には

「湯女」(ゆな)

という女性がいました。

湯女とは何か?手元の辞書にはこう書いています。

 

ゆな【湯女】

①温泉宿にいて客の接待をする女

②江戸時代、市中の湯屋にいた遊女

(『大辞林』より)

 

「温泉場や風呂屋にいて浴客の世話をした女性のこと。一部は私娼(ししよう)化して売春した」

(『日本大百科全書』)

湯女とは、上の意味にもあるとおり、元々は銭湯で客の垢すりを落とすサービスをする女性でした。

しかし、それがだんだんと性のサービス、つまり今で言うソープランドのようになっていきました。湯女はソープランド姫の直接のご先祖様と見ることもできます。


江戸ではその時には既に、公に認められた吉原があったのですが、遊郭は敷居や格式が高く庶民がおいそれと行けるところではありません。

そこで、「庶民的」な銭湯にいる湯女が人気を集め、遊廓を脅かす存在になりました。こちらの方が「気楽」に行けるし、何より

「風呂行ってくるわ~」

という大義名分で風俗に行けるのだから。

しかし、それにつれて風紀も乱れてきたという理由で湯女は取締の対象になり、今で言う警察のガサ入れで大量の湯女が吉原送りになったこともありました。

 

元々はそんなつもりで誕生したわけではないけれど、次第に過激になって性風俗っぽくなったものは、湯女だけではありません。
大正時代末期に大阪の道頓堀に出現した「カフェー」もその一つ。「カフェ」ではありません。「カフェ」です。


今街中にある喫茶店やファミレスと基本は変わらないのですが、違うのは「客に『女給』と言われる女性が隣につく」ということ。
最初はそれこそ、女の子としゃべりするだけだった。ところがある大阪のカフェーが「チップ払えばおさわりOK」的なエロいサービスを売りにしたところ、それが大ウケ。たちまち全国に広がりました。

カフェーは、大正末期~昭和はじめの不景気時代には社会現象にもなり、永井荷風などが足繁く通っていました。
このカフェーは現存しないものの、法律用語として今でも残っています。風俗営業法第二条第二項に、

 

「待合、料理店、カフェーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」

 

とあります。
このカフェーは、昭和33年の売春禁止法で赤線が廃止になった後は、法律用語で残ってるだけだったのですが、時代が昭和から平成に、世紀が20世紀から21世紀に変わり、形を変えて「復活」しました。それは何を隠そう、

メイドカフェ

です。
実は、メイドカフェって無の状態から突拍子に発生したわけではなく、戦前にあったカフェーの子孫だ、というのが私の説です。

初期のメイドカフェは、有名なトミー・リー・ジョーンズ出演の缶コーヒーBOSSのCMのように、

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メイド姿の女の子が横についてくれ、「萌え萌えじゃんけん」や、オムライスの「あーん」もしてくれます。(動画はこちらをどうぞ

何気ないシーンに見えますが、これはまさしく「平成のカフェー」。昭和史勉強中の人間から見れば、数十年ぶりにカフェーが歴史の墓場から蘇ったという重大ニュースです。

エログロナンセンス真っ盛りのカフェーってどんなのだろう?と想像できない場合は、こんな感じを想像いただけると、当たらずといえども遠からず・・・いや、アルコールとオプションの「エロサービス」があれば、カフェーの完全復活です。

CMでおおっぴらにやってるので、当時は受け入れられたのだと思いますが、これって実は思い切り風俗営業法違反。「カフェ」は「萌え萌えじゃんけん」どころか、従業員が客の横につく自体アウト。
メイドカフェが風営法の「カフェー」に該当するのではないか、これって警察黙ってへんのとちゃう?と思っていたら、やはり警察がフラグを立てたそうな。よって、今のメイドカフェはこんなことをやっていない、というかできないはず。風俗営業店の許可を取っていれば話は別ですが・・・。

 

 

千と千尋の神隠し湯婆婆

その「油屋」の経営者が湯婆婆(ゆばーば)という二頭身のおばはん。
「油屋」の経営者として非情で腹黒い所がある、『千と千尋』の中では悪役みたいな所がある人物ですが、千尋はその湯婆婆によって名前を取り上げられ、「千(せん)」という名前に変えられてまいます。
これも遊郭という面で見ると、湯婆婆は妓楼にいた「遣り手婆(やりてばばあ)」か女郎上がりの妓楼の楼主って見方も出来ます。
千尋は契約書にサインした後、名前を取られて「千」という名前に変えられてしまいますが、「千」という名前はまさに源氏名。ただの風呂屋なら名前を変える必要なんかあらへんやん、と思うんは私だけでしょうか。

 

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その湯婆婆をイメージするのが、落語家の長老にして『笑点』でもお馴染み桂歌丸師匠です。
歌丸さんは横浜の真金町生まれのハマっ子で、今もそこに住んでいます。真金町とくれば、遊郭史を調べている人には説明不要、横浜最大の遊郭があったところでした。
歌丸さんのお婆さんは『富士楼』という、真金町でもトップ5(歌丸師匠本人はトップ3と述べています)に入る大きさの妓楼の主で、
「真金町の三大ババア」
と呼ばれ恐れられていたそうです。まさにリアル湯婆婆

歌丸師匠はその孫として妓楼の中で育ち、遊郭で働く女性から

「若様」

と呼ばれていました。関西風に言えば超ボンボン、ご本人もわがまま放題に育ったと自嘲しています。

小学生だった1980年代に『笑点』を初めて時、しぐさと口調の端々に「女」を感じる歌丸師匠に違和感を感じました。この人オカマなのじゃないかと(笑)

当時は小学生だったのでただの直感でしたが、大人になり師匠の人生を拝見し、なるほどなと合点がいきました。幼少期の遊郭経験が肉や骨になり、それが言動の端々から漏れているのだと。 

 

「桂歌丸=『笑点』のおじいちゃん」

というイメージしかない人は、この人にこんなすさまじい芸があるのを知りません。

 

www.youtube.com

歌丸師匠若き日の伝家の宝刀、「化粧術」です。芸が円熟し『笑点』でも知名度があがった今ではほとんど演じられないそうですが、若手時代の必殺技がこれでした。

女性の髪結いなどの身支度を滑稽に描写した芸ですが、表向きは師匠から一度破門された後、化粧品セールスマンをしていた時に身に着けたことになっています。

しかし、描写はどう見ても和装で髪結いも日本髪。私論ですが、幼いころに遊郭で見た女性たちの身支度をモデルにしているのではないかと。

 

遊郭にかかわる関係者は、自分が遊郭と関わっていたことを隠す傾向があります。知っていても口に出さない場合が多く、彼らの口は非常に重い。

仮に話してくれても、

「話はするけど、頼むからネットには書かないでくれ」

とお願いされることもあります。

「しかし、私は書きます。脅されても書きますよ。何故ならばそれは事実だから。ただし、一方的な見方をせず極力客観的かつ公正に書きます。私の「腕」を信じて話して下さい」

遊郭・赤線を知る人に対しては、上に書いた私の歴史観を理解していただくことにしています。隠したい気持ちはわかるけど、歴史において隠す、書かないのは故意にウソをついているのと同じこと、それは理解して欲しいと。そう言うと、たいていの人は納得してくれます。
対して、歌丸さんはおおっぴらに遊郭育ちだとテレビでも公言しており、落語のマクラでも堂々と語っています。驚くことに『富士楼』の間取りまで覚えており、妓楼の中身はどうなっていたのかを知る貴重な資料となっています。
江戸落語には、上方落語にはない「廓噺(くるわばなし)」というジャンルがあります。主に吉原遊郭でのお話ですが、数ある落語でも難易度A級とされる花魁・遊女の演技について、

「あたしにとっては簡単です。その世界をこの目で見てきたんだから。見てきたことをそのまま高座で演じればいいだけ」

と平然と語っています。
遊郭に興味がある人は、歌丸師匠の自伝や落語は必見です。「人買い」の話など少し生々しいところもありますが、「遊郭を知る最後の人物」として、歴史的に貴重な証言をしてくれています。マクラが丸ごと遊郭ドキュメンタリーなこともあります。歌丸さんも、おそらく自分が見てきた遊郭がじきに歴史に埋もれることを意識し、文字や声にして遺してくれているのだと、私は勝手に思っています。

 

映画では、センこと千尋が下働きをしているシーンもあります。
遊郭は原則として18歳以上にならんと客を取ることは禁止され、適当な年齢になるまでは炊事洗濯の手伝いをさせられる「見習い期間」でもありました。

 

 

「回春」に秘められたメッセージ!?


更に更に、ボーっとしとったら気付かないかもしれませんが、腐れ神様が「油屋」に来て入り口でお迎えする時、湯婆婆の後ろにあった衝立には、

「回春」

の文字が。
「回春」とは何ぞや?
手元の国語辞典で調べてみたら、

 

①若返ること
②春がめぐってくること。新年になること

とあります。
映画のシーンじゃ日の出が描かれとるさかい、②の解釈ってことでめでたしめでたし・・・。
いや、待てよ。
と思って試しにググってみたら・・・


お~い、風俗店のHPしか出てこえへんやないかい(笑


40件以上探して、50件目くらいにやっと薬局のHPが出てくる始末。
さて、この「回春」の文字、国語辞典に忠実に解釈しますか?それとも「隠れたメッセージ」を汲み取りますか?


『千と千尋の神隠し』は何せアカデミー賞も取ったヒットものの作品なので、今でも話題を呼んでる理由はよくわかります。しかし、だからと言って「○○に違いない」「○○なわけがない」という、一つの固定概念だけでで見るのもどうかと思います。
物事は別の角度で見ると、常識とは全く違う見方も出来ます。そういうフレキシブル(柔軟)な見方が今の日本人に求められることだと思います。

「これはこうに違いない」

という堅苦しいかつ狭い解釈は、このアニメには不要、

「見方によって無数の解釈が出来る」

というのがこのアニメと宮崎アニメの醍醐味。『千と千尋』が名作と呼ばれる理由ではないかな?と思います。

他にも、「日本の雇用社会への風刺」「北朝鮮の拉致被害者のことを描いてる」などなど、そういう見方もありかいなという解釈が調べてみたら色々あり。
あくまで表向きは「世間知らずの女の子が社会経験を通して一人前の人間になっていく」ということだと思いますが、十人十色の解釈がこの映画にはあります。

 

「見た方の想像力と思考力にお任せします。でも・・・

想像力と思考力に乏しい現代人にわかるかな?」

 

想像力が乏しくなった我々に対する、宮崎駿からの挑戦状かもしれませんよ(笑



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