昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

日本軍=丸坊主!?【昭和史万談】

 「日本軍=坊主頭」というイメージ

私が高校に合格し、さて入学式と校門をくぐった時、そこには今まで見たことがなかった、少し異様に思えた光景がありました。全員ではないものの、男子のだいたい半分からそれ以上が、坊主頭だったのです。
中には丸刈りな男子もいたのですが、私の中学時代、つまり一般中学生の常識の範疇では「丸刈り・坊主頭=野球部」。特に野球部が強いというわけでもない、ごく普通の公立高校でしたが、こんなに野球部入部希望の男子がいるのかと。


しかし、その認識は大きく間違っていました。
良くも悪くも地元ローカルの高校だったのですが、入学する生徒も地元の中学出身が大多数。その大多数の中学が、実は校則で丸坊主だったのです。
私の中学はそうではなかったのですが、仲が良くなった友達に中学の卒業アルバムを見せてもらうと、揃いに揃って男子は全員丸坊主。

今の中高生には考えられないと思います。いや、今でもあるのかな!?

 

近代日本では、何故か坊主頭が推奨されていました。大人の世界はそうではないものの、子供の世界は丸坊主一択と言ってもいいでしょう。

 

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(昭和10年頃 旧制高知高校の学生)

以前紹介した旧制高校くらいになると、「長髪」が流行りだったのですが、今の時代ではこの程度は長髪でもなんでもない。しかし、戦前の常識ではこれで十分「ロン毛」だったのです。

ちなみに、自由・自主・自治の三本柱の旧制高校も時代の流れには勝てず、昭和14年(1939)には全員丸坊主令が出ています。

 

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組織での強制丸坊主の最たる例は、旧日本軍です。
メディアに出てくる軍人の映像のほとんどが偉いさん。年齢を重ねて頭が砂漠化しペンペン草すら生えなくなった姿のことが多いですね。
いちばん下の一般の兵隊などはどうだというと、それは青々しい、いや痛々しいほどの丸坊主。

 

では、軍隊では全員坊主が必須だったのか!?
おそらく、日本軍に対しぼんやりとしたイメージしかないと、ついついそう思ってしまいます。
ところが、坊主ではなくても良い例外がいくつか存在します。

 

 

 

 

坊主頭にならなくて良いいくつかの例外

1.海軍准士官以上

日本軍といっても、陸軍と海軍では文化や価値観の違いはヘタな外国以上でした。そもそも、ドイツ陸軍を模範とした帝国陸軍*1に比べ、海軍はイギリス海軍の忠実な弟子。良くも悪くもすべてが「イギリス」でした。モデルの国が違えば文化も違うのは火を見るよりも明らかですが、とにかく陸海軍は仲が悪かったのです。もっとも、陸海軍で仲が悪かったのはアメリカもでしたけどね。


帝国海軍の悪い習慣に、「鉄拳制裁」や「精神棒」で尻を殴る制裁がありましたが、あれも実はイギリスからのコピペ。

「武士道には、殴って教える教育はない」

と、海軍兵学校の鉄拳制裁を廃止した鈴木貫太郎校長(のちの終戦時の総理大臣)もいましたが、最後までなくなることはありませんでした。
こういう肉体教育は、「教育的には良かった」(豊田穣元中尉)「百害あって一利なしだった」(高木惣吉元少将)と、元海軍軍人の中でも賛否両論です。

 

良くも悪くも帝国海軍の習慣を引き継いでいる海上自衛隊では、果たして鉄拳制裁も引き継がれたのでしょうか。

「そこんとこ、ぶっちゃけどうなのよ?」

江田島の幹部候補生学校に入学していた、現役海上自衛官に聞いてみたことがあります。

「さすがに今はありませんww」

彼は手を横に振り、さわやかな笑顔で答えました。そのかわり、「殴らない代わりにトイレで毎晩涙を流していただきます」というほどしごかれるそうです。

 

で、何事も規律規律とうるさい軍隊(規律がない軍隊なんかヤクザ以下)のこと、髪型にもちゃんと規定があります。
帝国陸軍は、階級問わず丸坊主と規定されています。不良下士官は今のスポーツ刈り・角刈り程度にしていて涼しい顔をしていたそうですが、当時の常識として五分刈りが原則でした。そりゃあ、平成一桁まで中学生は丸坊主というところがあったほどですからね。それも地方の片田舎ではなく大阪で。

 

対して海軍はどうか。
水兵・下士官は坊主頭と、海軍内の準法律である「諸例則」に書かれています。
しかし、准士官(兵曹長)以上になると、坊主にしろなんてどこにも書いておりません。ただ、

「頭髪はこれを梳る(くしけずる)べし」髪はちゃんとセットしろ)

という文言があっただけ。
坊主にしろいう規定がどこにもないため、海軍の士官以上になると髪の毛を伸ばしていた人は特に珍しくなくなります。

 

米内光政YonaiMitsumasa海軍大将

典型的な例は、連合艦隊司令長官(23代目)、海軍大臣、総理大臣(第37代)を歴任した米内光政海軍大将。

読み方は「よない」。「こめうち」と読んだ人、素直に手をあげなさい。


米内は兵学校を卒業後ずっと髪を伸ばしており、いつも整髪料で髪の毛をセットしていたおしゃれな提督でした。その上当時としては背も高く(175cm)、コーカソイド系の風貌と得も言われぬ度量の大きさで、海軍芸者から昭和天皇にまでモテモテでした。

で、上官から間接的に「髪を切れ」と言われても、フフフンと素知らぬ顔をして、最後の最後まで長髪を貫いていました。
戦争末期の話ですが、坊主頭にしろと言われた主計士官が、
「私の尊敬する米内海軍大臣は、髪を伸ばしております。私は大臣にあやかりたいと思っております。それに陸軍と同じこと(坊主)をしろと言うのなら、それは間違っておると思いませんか!!」
と上官に食ってかかったこともありました。
もっとも、彼は上官に、
「上官の命に口答えするなど、素行は極めて不良なり」
と成績表に丙をつけられたそうですが。

 

1895年東郷平八郎

なかなかのイケメンですが、これは明治27年、ちょうど日清戦争が始まった頃の東郷平八郎です。軍艦『浪速』艦長時代のものですが、やはり髪の毛を伸ばしていますね。

どちらかというと、整髪しているヒマがない軍艦の上の勤務では、みんな坊主になる傾向がありました。海軍省などの陸上勤務では、髪の毛を伸ばす傾向があったようですが、あくまで個人の自由なので一概には言えません。山本五十六のように、

「髪のセットめんどくせー」(by本人談)

という哲学(?)で坊主になっていた人もいましたし。


1.海外駐在員

軍人のお仕事は、何も武器を持ってドンパチするだけではありません。兵器開発もあれば、「副官」という偉いさんの付け人兼クレーム処理係もあれば、軍楽隊もあります。海軍の巡洋艦以上の軍艦では、「庸人」という海軍に雇われた民間人も乗っており*2、コックや散髪、クリーニングなどに従事していました。給養艦『間宮』のように、乗員の85%が軍人じゃない軍艦もありました。


海軍士官のお仕事の一つに、「駐在武官」というものがあります。これは現在の自衛隊でも、主要国の大使館に配置されています。

駐在武官の仕事は、大きく分けて2つあります。
一つは、派遣国の軍人や各国大使館勤務の武官と交流して親睦を図ること。つまり外交官としての顔です。
対米開戦(真珠湾攻撃)時の駐米特使だった野村吉三郎という人がいました。彼は元海軍大将で、外務大臣の経験もあった人ですが、彼が何故アメリカとの戦争の瀬戸際に特使になったのか。彼には駐米武官経験もあるのですが、その時の人脈が豊富で、それが戦争への最後の切り札とみなされたからです。

 

もう一つが、軍事情報収集。これは「スパイ」としての顔
「スパイ」というと007のようなのをイメージしますが、あれはあくまで映画。仮に実在でもジェームズ・ボンドの仕事は、スパイの世界ではザコキャラのすることです。
スパイのラスボスは、雑魚が集めた情報を分析し、報告書にしてまとめ上に報告する「情報のコック」です。駐在武官のお仕事はそれも含まれます。


山本五十六元帥は駐米武官の頃、ポケットマネーでアメリカ国内や中米を旅した経験があり、その結論として

「デトロイトの工業地帯とテキサスの油田を見たら、誰もアメリカと戦争するなんて気にならないさ」

と、終始戦争に反対していました。アメリカがまだ手を付けていないメキシコの油田を買えと、日本に報告したこともあります。

ちなみに、メキシコで旅費が尽きてパンとバナナだけで暮らさざるを得なくなり、服装も乞食同然。そのためメキシコ警察に不審者として捕まり、
「木賃宿に止まっていた日本人浮浪者を捕まえたのだが、自称海軍駐米武官のイソロクヤマモトと名乗っている。本当にそんなヤツいるのか?」
と駐米日本大使館に身分照会が入ったというエピソードがあります。


ちょっとめずらしい写真があります。

 

米国駐在武官のときの山本五十六

さて、これは誰でしょう。

アメリカ駐在武官当時の山本五十六です。

 

山本五十六中将時代

これが、写真でよく見る山本五十六デフォルトバージョンです。

上に書いたように、「髪の毛のセットすんのめんどくせ~」という理由でずっと坊主頭でしたが、海外では坊主頭というと、あまり良いイメージがありません。

昔の駐在武官も、坊主頭では人付き合い上支障が出るということで、陸海軍問わず髪の毛は伸ばしていました。

 

また、こんな非常に珍しい写真があります。

 

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同じく山本五十六の駐米武官時の写真をカラー化したものですが、左端が山本です。
彼の右右隣りは、前任の駐米武官だった長谷川清
ずっと私のブログを見てくれている人なら、どこかで聞いたことがある名前だな!?と感づくかもしれません。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

その予感は正解。上の記事に挙げた元台湾総督、長谷川清海軍大将のことです。アメリカ駐在武官も経験し、その後任が山本でした。上の写真は、その引き継ぎ時に撮られたものでしょう。

 


2.留学生


軍人にも「留学」があります。
留学と書くとイコール海外と思われがちですが、旧日本軍の場合は国内の学校に派遣され、勉強することも「留学」でした。
陸海軍には「陸軍大学校「海軍大学校」、現在の自衛隊にも「指揮幕僚課程」という上級学校がありますが、その他に国内外の学校に派遣され専門を極める課程が存在しました。なお、軍人の留学は「命令」なので、基本的には拒否できません。


陸軍は東京帝国大学が多く、兵器の専門家として3年間、みっちり「東大生」となって勉強していました。
中には優秀なため大学側が離さず、大学院まで修了してしまった人もいたそうです。

 

山口一太郎大尉二二六事件

その中の一人に、山口一太郎(陸軍大尉)という人がいました。この名前で「もしやあの人・・・」と思った人は、昭和史をかなり深く掘っている人だと思います。ふつうはこんな人知りません。


山口は大正末、航空写真機の研究のため東大理学部物理学科に派遣され、陸軍の光学(兵器)の専門家として、日本初の航空写真機の開発を小西六(今のコニカミノルタとソニーのカメラ部門)と共に行いました。
また、キヤノンの国産カメラの開発や(キヤノンのエンジニアが山口に弟子入り)、今のICレコーダの元祖というべき録音機の開発にも間接的に関わりました。軍人でありながら総合家電メーカーのエンジニアのようなこともしていたのです。
末は大将か大臣かというコースからは外れているものの、陸軍内のオンリーワンとして、山口は順風満帆な軍人人生を送る・・・・・・はずでした。

 

 

ある事件が、彼の人生を大きく狂わせてしまいます。それは二・二六事件

当日の決起には参加しなかったものの、決起将校の行動(実弾持ち出しなど)を黙認し、事件後に青年将校の行動を陰でフォローしたことにより「反乱者を利す」、つまり共犯として無期禁錮刑を食らいます。

 

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(大阪毎日新聞 昭和11年8月1日)神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ 【 新聞記事文庫 】

事件に直接参加していなかったため知名度は低いものの、山口は当時の青年将校の中ではリーダー格、当局から見れば要注意人物の筆頭でした。226事件の主要決起将校、安藤輝三大尉(事件後死刑)と共に、この二人が動く時事件が起こるとまで言われ、「中隊長の山口と安藤がどちらも週番司令(兵隊を自由に使える権限を持つ夜勤)に着く直近の日、つまり2月25か26日あたりがヤバい」と憲兵にマークされていました。そこまでわかっていて、何故事件を止められなかったのか。それは、陸軍の派閥争いなどが絡んだ「大人の事情」があったようで。

結果、山口は免官(懲戒解雇)となり、軍籍も剥奪。軍から放逐されます。

 

しかし、こんな人を民間が放っておくわけがない。

山口は獄中でも図面を引く特権を与えられ、さらに5年で仮釈放。その後は発展途上だった日本光学分野のスペシャリストとして、メーカーから熱烈歓迎。軍や政治活動とは距離を置き、エンジニアとして日本のものづくりの向上に腕をふるうこととなりました。

上述したとおり、山口一太郎大尉とくれば二・二六のあの人ねと、歴史に詳しい人なら連想できますが、彼が「カメラの専門家」だったこと、日本カメラ史創世記のキーパーソンだったことを知っている人は、意外にいないと思います。

 

対して海軍は、海外とのお付き合いが多い性質上、優秀な人材はどんどん海外へ出していました。なので、国内への派遣は陸軍ほど多くありません。優秀な大学生を引き抜いたり、大学にお金を出して育成を委託していたので、そんな必要もなかった事情もあります。

海軍軍人の国内派遣は、どちらかというと「語学・各国情勢」のお勉強、かつ外交官としての広い視野と教養育成に、東京外国語学校(今の東京外国語大学)が多かったようです。


光学研究でも、海軍は陸軍と違い民間に委託という道を選びました。

その中の一つに、日本光学工業という会社がありました。日本光学は戦前からレンズや双眼鏡などを納入していた、ほぼ100%軍とおんぶにだっこの企業でした。

 

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戦艦大和・武蔵に搭載された、世界最大の大きさを持った索敵用測距儀も、日本光学が技術のすべてを注ぎ込んだ製品です。正式名称は「倒分像立体視式十五米二重測距儀」と言います。こんなもの大学入試でも出てこないので、別に覚えなくても結構です。

 

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「艦これ」をやっている人なら、武蔵改二にもれなくついてくるこれと言えば、ピンとくることでしょう。

 

ところが、戦後の海軍消滅により、日本光学は最大の顧客を失ってしまいました。

どないしよ~と窮余の策で作ったのがカメラ本体。その性能が海外のプロカメラマンに評価され、世界中で売れるようになったのですが、その後まさか世界のNIKONになるとは、当時は誰も思うまい。


3.皇族

戦前は習慣的に、皇族は「超法規的存在」で各種ルールの適用外。
さもないと、いや、そうしておかないと、大元帥陛下である天皇が長髪なのに、臣下は坊主頭という理屈が成り立たなくなります。

そうでなければ、
「畏れ多くも大元帥陛下は長髪であらせられます。軍人は坊主だというのなら、陛下が率先して坊主にしないといけないのではないでしょうか」
と理屈を放たれたら、上官は言い返せません。もっとも、そんなこと口に出そうものなら、後でこっそり半殺しの目に遭うでしょうが。

しかし、海軍ではこんな実例がありました。

長髪うざいと丸坊主を勧める上官に対し、部下いわく。

「部下に丸坊主になれと言うのなら、あなたがまずヒゲを剃るべきでしょう!」

つまり、

「人に坊主になれと言うんだったら、まずてめーがそのうざい髭を剃れよ!」

ということですが、言われた上官は口に見事なカイゼル髭を蓄えていたのです。

上官も一理あると思ったのか、翌日その髭を落としてきました。それを見た部下も、わかりましたと翌日に丸坊主にしてきたそうな。


4.憲兵(一部)

憲兵という言葉は、今ではなんとなくマイナスイメージを醸し出す言葉です。
街角に立ち、「憲兵」という腕章を付け国民を弾圧した悪の手先・・・的なイメージね。
そもそも憲兵は「軍隊の中の警察官」。警察権を持っているので国民を拘束することは出来るものの、そんな細かい事は警察がやればいいとほぼノータッチでした。

終戦時の鈴木貫太郎内閣で書記官長(今の内閣官房長官)だった迫水久常も、自伝で

「戦後の憲兵隊の印象が悪いのは、すべて(憲兵隊を言論弾圧や自分に歯向かう者に対する脅迫の道具に使った)東条英機のせい。憲兵って本当は職務に忠実な正義の味方なんだよ」

と、はっきり述べています。

ただし、憲兵には元を含む軍人や、警察が手を出せない大物の監視という仕事はありました。今でも警視庁は大臣級の大物の汚職などには手を出せないですが、「大きな獲物」専門の地検特捜部があるように、憲兵にもそういう仕事がありました。

戦後首相になった吉田茂は、戦争中に反戦グループとして憲兵隊の監視対象となり、実際に自宅にスパイを入れられたことがありました。
それがきっかけで逮捕されましたが、そういう「私服憲兵」は基本長髪でした。坊主頭のままだと、私服を着ていても憲兵だと丸わかりで、尾行や潜入捜査にならないから。

また、「ふつうの憲兵」でも上海のような国際都市の警備などは、都市の性質上長髪が許されていたそうです。

 


5.飛行機乗り

航空機は陸海軍共に持っていました。陸軍の方はよくわかりませんが、海軍では飛行機乗りに長髪が多く見受けられました。

別にパイロットは長髪でもOKという特例があったわけではありません。何故かというと、頭をぶつけた時髪の毛があると、それがクッションとなってくれるから。


今でこそ「数字的にはいちばん安全な乗り物」と言われる飛行機ですが、昔は航空学校を海軍で「人類屠殺学校」と呼んでいたほど、航空機の事故・死亡率が高かった時代でした。

軍艦のカタパルトから飛行機を射出させただけで手当が6円ついたほどで、給料日前で財布が寂しいベテランパイロットは、


「金ねーなー、いっちょ飛ばすか!」


と、「訓練」で6円をせしめていたとか。これを「ポン六」と呼んでいました。ポン!と飛行機を飛ばすだけで6円ゲットだぜ、という意味です。

ちなみに、当時の6円は同時期の東京~大阪間の鉄道運賃(3等車)と同じ。感覚的価値なら現在の3~4万円といったとこでしょう。ただし、射出のGによる気絶や航空機の空中分解で、空ではなくあの世へ飛んで逝ってしまった人も数多くいました。

 

上にも書いた通り、戦争の「非常時」とると男は全部坊主だとさかんに「奨励」しました。まあ、軍やお上の言う奨励はほぼ強制です。

その虎の威を借る狐と化した、「大日本国防婦人会」とかの国民が、道行く長髪の人に、

「コラ!何故坊主にせんか!」

「贅沢は禁物なのに、パーマなんか当てちゃって!」

とご注意申し上げていたそうで、上は文豪永井荷風、下は名もなき国民まで口々に、非常にうざかったと述べています。

 

海軍のゼロ戦パイロットたちは、そんな頭カチンコチンの石部金吉をからかってやれと、ドッキリを仕掛けました。

戦争中なのにオールバックに髪を整え、白い上下のスーツを来て街を闊歩。するとたちまち「狐」たちがあらわれます。

 

「コラ!お前ら兵隊さんたちが頑張っているのに、何という格好をしているのだ!それに、なんだその髪は!」

 

「いやー、仕事の関係で髪伸ばさないと危ないんですよね~」

 

「何の仕事だ!」

 

「戦闘機に乗ってますが何か*3

 

「し、失礼しましたぁ~~!(逃」


こんなこともあったそうです。

夜間、灯火管制中に歩きタバコをしながら街(確か広島だったはず)を歩いていたところ、やはり「狐」が。

 

「コラ!灯火管制の中タバコ吸うとは何事か!敵機に見つかったらどうする!」

 

「こんなタバコの火くらい見えますかww」

 

「いや、見える!絶対に見える!!」

 

「そうですかねぇ~。私、毎日この上を飛んでますけど、タバコの火なんか見えないですけどねぇ~(・∀・)ニヤニヤ」

 

「ウソつけ!」

 

「申し遅れました。わたくし、不束ながら戦闘機に乗っております」

(と、海軍少佐と書かれた名刺を渡す)

 

「し、失礼しましたぁ~~(震」

 

 

 軍は何故丸刈りなのか

軍隊の丸刈りは、何も日本軍だけではありませんでした。
同時期のソ連軍も一般兵は丸刈りだったし、アメリカの軍士官学校生徒は今でもクリクリの丸刈りです(女生徒はベリーショート)。
韓国軍も、芸能人が入隊する時は坊主頭にしているので、やはり坊主頭なのでしょう。
ただ、現代の世界レベルで見る「坊主頭」は、今で言えばスポーツ刈りくらいのようです。

 

しかし、何故軍隊=坊主頭なのでしょうか。

私が考えるいちばんの理由は、やはり衛生面。

100年前までの戦争でのいちばんの敵は、敵兵ではなく戦場での流行り病でした。
それまでの戦争は「戦死者<戦病死者」

以前にどこかで書いた記憶がありますが、日清戦争での「死者」はこんなふうになっています。

=日清戦争で死亡した陸軍兵士の数=

戦死:1,417人

変死・死因不明:177名

戦病死:11,894人

(陸軍参謀本部統計)

 

死者の総数に占める戦病死者の割合は88%。戦場に散ると書くと勇ましいが、現実は「病死」だらけでした。

この戦病死の割合がいちばん高かったのが、「脚気」という病気。赤痢やコレラなどもあったものの、明治の日本軍の戦病死率トップはこれ。
これは伝染病ではなく、ただのビタミンB1欠乏症ですが、軍隊には「白米食べ放題」という特権があったので、ごはんを「おかず」にした結果、脚気で倒れる人が続出しました。
陸軍と脚気との戦いは陸軍消滅まで続いたのですが、陸軍がある製薬会社に研究をお願いした「脚気予防薬」が、

 

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今のアリナミンAです。陸軍の薬イコール正露丸とイメージする人が大多数ですが、実はアリナミンAもそう。もっとも、開発中に依頼主が消えてなくなってしまったので、正露丸ほど知られていません。


私の記憶が正しければ、世界史上ではじめて「戦死者>戦病死者」になった戦争は日露戦争でした。それでも、陸軍の脚気患者が25万人も発生し、その10%にあたる5万人が戦病死となっています。

 

死ぬまでとはいかないものの、戦場の兵士のいちばん身近な悩みのタネは、蚤虱。ノミとシラミです。
ノミシラミは戦争だけではなく、戦後間もないころの私の両親も悩まされたそうですが、髪が長いとシラミが奥に入り、なかなか退治できなくなります。
シラミはかなり痒くてうざいらしいのですが、丸坊主だと手で払うだけで退治がしやすいという理由もあるのではないかと。

また、負傷した時の手当のしやすさもあるかと思います。
戦争では、頭部をケガする確率が高くなり、しかも迅速に対応する必要があります。
ヘルメットをかぶっているから大丈夫じゃないかと思われがちですが、普及したのは第一次世界大戦の時です。
坊主だと傷が発見しやすく手当が早く、戦死者が減るというメリットがあります。

そういう意味では、丸坊主も理にかなった髪型というわけなのですね。

 

昔は丸坊主になれというと、思春期真っ只中に坊主なんてイヤだ、絶対にごめんだと思っていたのですが、今は髪の毛が薄くなってなってしまった私。今なら・・・今なら坊主にできるかも!?

そんな意味のないことを思いながら、今日も頭上に冷たい風が吹いています。

 

==こんな記事もあります。興味があればお読み下さい==

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

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*1:元々はフランス陸軍がベース。ドイツ式に替えてもフランス式を捨てたわけではなく、一定数のフランス留学組も最後までいました。

*2:「口入れ屋」という今の派遣会社の元祖のような会社に登録していた人材を派遣していました。勤務は過酷だけど給料が高かったので人気があったそうです。

*3:「これでも海軍大尉ですが」というバージョンもあったそうです。