昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

ブログを捨てよ、書の旅に出よ


しろくまさんのブログより

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

はてなブログに移った初期の初期から読んでいるのですが、心理学、特に承認欲求関連のコラムこの人の名前がよく出てくる。
なんだかしれっと雑記を書いているけれど、承認欲求が専門の有名な人だということを最近知りました。

 

記事の主旨は、「ブログを読むより本を読みなさい」というシンプルなものです。

他人のブログが刺激になることもあります。私が今回、しろくまさんのブログに刺激を受けたように。

読む方としてはそれで問題はないものの、書く方の立場の視点から見ると、ブログより本を読めと言うのが、彼?いや彼女?あれ、どっちやろ?の主旨です。

 

 

本の効用

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私個人の話でいうと、いろんな事に興味・好奇心を持っているので、読書が乱読になりがちです。
図書館でも、5冊借りるとしたら全部全く違うジャンルのものを借りるのがクセになっています。
良く言うと--自分で言うなというツッコミはおいといて--視野が広く博学博識になれる。悪く言うと、超がつくほどの飽き性に浮気性。ただし、人間の浮気はしません。


しかし、こういうタイプ最大のデメリットは「専門がない」こと。正直、やりたいこと、勉強したいことが人生一回じゃ足りないほどあり、あちこちに手を出した結果、自分でも専門が何かわからくなるのです。一言で言うと「器用貧乏」です。
元々放浪癖がりますが、好奇心まであまりに目移りしすぎるため、発達障害ではないかとマジメに悩んだこともあります。

私のような「専門が自分でも何かわからない」有名人で言えば池上彰さんがいます。
NHKに限らず解説委員はある分野の専門知識が必要なのですが、この人は知識が浅く広くなりすぎて専門がありませんでした。
これがNHKを辞めた原因だけれども、そのデメリットが民間に下って本領を発揮しているというのが、また人生万事塞翁が馬というところ。

 

私も専門性のなさを反省し、先日書いたブログ記事をきっかけに、台湾史に思い切りハンドルを切っています。
台湾関連のブログを見ても、料理おいしいね、親日だね、お年寄りが日本語話せるね、くらいしか書いてない。じゃあ、何故親日なのか、何故お年寄りが日本語話せるのか、「何故」を深く追求していない。

しかし、そこが逆にニッチな知の漁場となります。20年前、日本語世代の「諸先輩」方に、

「日本人は台湾の歴史を知らなすぎる!我々は歴史を50年共有してきたのに何故理解してくれない!」

と事あるごとにコテンパンに叱られ*1、こん畜生、だったら勉強してやる!と概要くらいは勉強した土台は残っています。
そして20年後、それをベースにニッチに「台湾昭和史」を深掘りしてみようと。中国語からでもソースが取れ、翻訳不要というアドバンテージもある。
ようやく私も腰を据えて研究できる「テーマ」ができたかなとホッとしていますが、また2週間くらいでエネルギーか切れて飽きないよう、長~~いスパンで考えようかと思います。

 

図書館で借りる本も、息抜きの一冊を除いて台湾ものにしていますが、その中にこういう本があります。

 

 中身を読んでみると台湾史の専門家による小論文集でした。正直、タイトルに騙された感があります。内容も非常に堅苦しく、読み終えた頃には10kmほどのミニマラソンを完走したくらいの疲労感が。

しかし、この本一冊だけでも、日本人が全く知らない、論文作成者以外誰も見向きしていない、隠れた台湾戦後史が浮かび上がってきました。
この一冊だけでブログネタが5つは拾うことができ、まさに「宝島」やな*2やはり本はブログネタの宝庫だと膝を打ちました。

 

本のもう一つの効用は、書き手の文章が身につくということ。
この人の文章、なんだか面白いな、深いななど、読者に「おや?」と思わせたり、「おお!」と首を突っ込ませるような文章を書く人は、少なからず本を読んでいると思います。少なくても、読書嫌いな人はいないはず。

 

www.gw2.biz

私がよく言及するまけもけさんは、読むとわかりますが独特の文章です。相当人を食っています(笑)
が、文章の裏にある地下水脈のような知がすごい。ほんのごくまれにそれが間欠泉のように噴き出してきますが、この人、相当本を読んでるなと。正直、嫉妬します。合掌。

 

文章力は、よほどの天才でない限り、人を魅せる文章は先天的には身につきません。ある程度の訓練は必要です。訓練を積ませる学校や通信教育も存在しますが、いちばん古典的、かつ確実な方法は「ラーニング」
「ラーニング」とは、ある有名なゲームの、相手(敵)の特殊能力を覚える技能なのですが、「写経」が「敵」の文章をそのままコピーできる故に、言葉を拝借して「ラーニング」と呼んでいます。スク○ェア・エ○ックスから使用料の請求が来ないか、心配です。
これが文章「ラーニング」の王道。一朝一夕には身につきませんが、書いたり声を出して読んだりして文章のリズムや語彙などのパターンを覚え、自分の文章力向上に貢献してくれます。これだと決めた作家の本を一点集中で5冊か10冊読むだけでも、それなりの効果はあります。

 

ただし、「ラーニング」する相手を選ぶことも肝要です。
私の場合、最初は司馬遼太郎の文章を「ラーニング」していました。
しかし、「ラーニング」すればするほど、自分の文章力に自信を失っていくというジレンマに陥ってしまったのです。私にはこんなハイレベルな文章は書けないorz 
悩んだ挙句、司馬遼太郎の境地を捨て、自分の肌に合った作家を探すべく、読書オデッセイ*3に出ることにしました。
そこで落ち着いたのが、阿川弘之や遠藤周作の、肩が凝らないエッセイ。同じ阿川・遠藤ものでも、小説や伝記の「ラーニング」はとても無理ゲーですが、書いている方も力を抜いているように思えるので、こちらも「ラーニング」しやすいのだろうなと。

ここで、書く時の「ラーニング」の方法について。
ネット上でも、手書きでないといけないという人から、いやキーボード叩くだけでもいいよという人まで、十人十色の意見があります。
ただ、個人的には、「どちらでも良い」と思います。自分の肌に合う方を選べば良い。
私はキーボード叩き派で、ヒマな時にEvernoteに写経用フォルダを作っては書きなぐっていますが、その蓄積はブログに書く時の引用にも使えます
「写経」のつもりで書いた文章が、いつの間にか自分の知の財産となる。世界って何ておもしろいのだろうとは思いませんか。

 

武道に、「守破離」という言葉があります。
Wikipedia先生では、ラーメン屋になぞらえて説明していますが、ここはブログらしくブログの表現に焦点を中心に置き換えます。
「文章」と書いていますが、表現方法によってイラストや写真という言葉に脳内変換しておいて下さい。

「守」は、好きな文筆家の文章をそっくり身につけ、「型」を作ること。「真似る」は「まねぶ」(学ぶ)が語源、「ラーニング」は学びの第一歩。


「破」は、「守」で身につけた文章力に、自分なりのアレンジを加える。またはさらに広く「ラーニング」する。時にはちゃぶ台ひっくり返すが如く、「型」を全否定する「型破り」も必要。


「離」は、自分だけの独特の世界観や、誰も手を付けていないニッチな世界を自分だけの発信方法で発信する。

武道や茶道・華道などでは、「守破離」を身体で学習します。特に「守」は身体に叩き込まれます。
この守破離をみればわかります。「守」でさえままならない、「型」も出来ていない人がやれアフィリエイトだ、やれブログで稼ごうだということは、とんだ「形無し」ということを。

 「守」だけでも、一朝一夕には身につきません。時間はかかります。しかし、いったんそれが身につくと、自分の武器となり、財産となります。そこから「破」「離」は意外に近いところにあります。

 

ブロガーをやっている以上は、ある程度ブログにかじりつかないといけない部分もありますが、そこから一歩離れのんびり「充電」すると、見えなかったネタの種が落ちているかもしれません。ほら、意外なところに。

 

*1:今思えば、我々は日本をこんなに想って気にかけているのに日本は全然振り向いてくれない・・・というイライラから来る八つ当たりだったんじゃないかなと。私に当たってくれても困るわけですが。

*2:台湾の別名は「宝島」

*3:ホン○の車の名前ではありません。長い冒険旅行のこと。