昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

恐竜が斃(たお)れた時ー小売業界の盛者必衰

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今から約6,600万年前、地上の王者であった恐竜が滅亡しました。

恐竜は一億年にわたって地上の生物の頂点として君臨していたそうですが、その滅亡はまことにあっけないものでした。

で、恐竜が我が世の春を謳歌していた頃、吾等が祖先の哺乳類は何をしていたか。ネズミほどの大きさで、巨大な恐竜に怯えながら暮らしていた小さな、とてもか弱い存在でした。あまりに怯えていたのか、昼は外で動けず夜行性だったそうです。

 

 

そんな矢先、こんなまとめサイトが目に入ってきました。

matome.naver.jp

 

かつては小売業の恐竜として怖いものなしだったダイエーが、イオンの連結子会社に吸収されて久しいですが、あのダイエーの屋号も今年で消滅するとのこと。

そうか…ダイエーがついになくなるか…。母校が廃校になるような、一筋の寂しさがこみ上げてきました。

 

 

小売業界の「恐竜」

 

 

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私の幼少期は、ダイエーが最後の輝きを放っていた時期でもありました。
ダイエーは昭和32年、中内功によって神戸で創業されました。

それまでの小売業界は、定価売りが基本でした。メーカーの価格設定の言いなりだったのですが、
「価格はお客様が決めるものだ!」
とその権利を小売側に持ってくることによって、日本の流通・小売業界を一変させた革命的企業でした。

「良い品をどんどん安く」

このキャッチフレーズを覚えている人も多いかと思います。


ダイエーの事業拡大は高度経済成長時代の波にも乗り、1970年代後半には小売業界の恐竜として絶対的な地位を築いていました。「小売業界の皇帝」なんて呼ばれていた時期もありましたね。

特にダイエー帝国直轄領というべき関西では、ダイエーなしでは生活できないほど生活に密着していました。私が住んでいた地域でも、中学生の行動範囲にダイエーが3軒ありましたが、そんなに要らんやろと子供心でも思っていたほどでした。

 

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 その中でも一つ、「鳳ウイングス」という大型店舗がありました。
今の郊外型ショッピングモールに比べると、ちょっと中途半端な大きさではありますが、ここにダイエーが入っており地域住民の生活旗艦となっていました。
また、我々子どもの遊び場ともなっていました。
小遣いのなけなしの100円玉を握りしめゲーセンで遊んだり、悪ガキ時分はかくれんぼや鬼ごっこをしては警備員に怒られていました。ジャスト30年前、社会現象にもなったゲーム、ドラクエⅢを買うために並んだのもここでした。


少しマセて中学生になると、甘く切ない思い出も経験しました。
ある女の子にデートに誘われ、夏休みのある日ここでこっそりデートしたことがありました。

しかし、地元の悪ガキどものたまり場でもあるウイングス。当然同級生に見つかり、女の子にさんざんからかわれたこともありました。そんな所でデートをすれば見つかるどころか「見つけてくれ」と言わんばかりですが、当時はまだいろんな意味で若かった。

右を向いてもダイエー、左を向いてもダイエー。少なくとも私は、こんな環境で育ったことは間違いありません。


じきに小型スーパーにかわってコンビニが出てくるのですが、これもうちの周りは「ローソン」が中心でした。まだコンビニが一般的ではなかったうちの周囲はローソンだらけ。

「ローソン行ってくるわ」

と言うものの、実際に行ったのはファミマだったということはザラ。「コンビニといえばローソン」というコンビニの代名詞でした。

あ、ローソンも元はダイエー系のコンビニですからね。

 

1990年代、関西には恐竜ダイエーの後を追うもう一つのオオトカゲが棲んでおりました。

 

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SATY(サティ)ことMYCAL(マイカル)グループです。

今のイオンのロゴの色使いがMYCALそっくりなので、イオンめパクりやがったなと、昔の私は感じました。

 

このMYCALグループも、私が小学生だったころは、

 

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「ニチイ」という小さなスーパーでした。

関西だけでなく、西日本に広く店舗展開をしていたスーパーで、

「ニチイ、懐かしいなー!」

と、いま遠い目で昔日の思い出に浸っている人は、少なからず西日本の団塊世代Jr.くらいまでの年代でしょう。逆に言えば、イトーヨーカ堂帝國の東日本ではあまり馴染みがないかもしれません。ちなみに、「ニチイ」って「日本衣料」の略だったことを最近知りました。

そんなニチイがいつの間にか急成長し、いつの間にかSATYとか小洒落た名前になり、小売業界のティラノサウルスに正面から噛み付くことができる第二の恐竜に成長していました。

 

高校生の頃(1990年代前半)、私はダイエーとSATY、両方でバイトをしていた時期がありました。ダイエーは上述した家の近く、SATYは高校の近くという場所の違いはありましたが、配置された部署はどちらも同じという偶然でした。

重複していた期間は半年足らずだったものの、小売業界の両巨塔の状況を比較はすることができました。

細かく違いを挙げればキリがないですが、ダイエーの社員はとにかく上司からの指示がないと動かない、何もできない。こいつら考える脳みそがあるのか!?と思ったほどでしたが、新人研修で上司に忠実なロボットを育成していたということを、インターネットが発達した後で知りました。

その点SATYは、たかが高校生バイトを、志願とはいえ学校を休ませて棚卸しに参加させるほど人使いは荒かったものの、「少年兵」でもやる気があれば第一線に立たせさせてくれる大胆さを持ち合わせていました。

 

さらにビックリしたことがありました。

大阪の小売業、というか家電の名物は、言わずと知れた「値引き」。

客「にいちゃん、ほなこれ買うわ!」

店員「まいどあり!」

客「で、これなんぼになんの?(値引きしてくれんと買えへんで)

というふうに、大阪では「買う!」と表現・宣言してからが値段交渉。最近は店員がノッてくれなくなりこの文化も衰えた感がありますが、値引きというツールで店員と楽しくコミュニケーションを取ろうとするのが大阪文化なのです。

大阪人は上の流れのやり取りを、さぞ当たり前のようにやりますが、関東でこれやったらものすごい顰蹙を買います。値引きをするなとは言いませんが、「買う」と意思表示して現物を出してもらった後、「まけてーな」は明らかなマナー違反です。

 

それはさておき、私が働いていたSATYは、3%か5%までの範囲(商品・価格によって違ったはず)なら自由に値引きする権限を、高校生バイトに与えた太っ腹ぶりでした。値段交渉でいちいち呼ばれたら敵わんわという上司の独断かもしれませんが、ダイエーとは明らかに違う、「高」ではないが「好」待遇ぶりに働くモチベーションが上がらないわけがない。SATYでのバイトは、お金をもらって社会人修行が出来た、立派な「学校」でした。

結果的に、どちらか一本に選ばないといけない状況となったのですが、モラルがいまいちのダイエーを見限り、時給は20円安かったものの、現場改善のため高校生バイトの意見も聞いてくれ、さらにかわいいおねーさん従業員が多く人間関係も良好だったSATYを選んだのは必然でした。

 

 

「恐竜」の陰で怯えていたあのスーパー

ダイエーvsSATYという恐竜どうしが壮絶な食い合いをし、草食系スーパー(?)のイズミヤとライフがその横で草を食っていた1980~1990年代前半の地元小売業界でしたが、彼らの街の片隅で、ひっそりと営業していた小さなスーパーがありました。

 

JUSCOジャスコ


子供の行動圏からは外れるのですが、大人の生活圏内にはJUSCOというスーパーもありました。JUSCO改めジャスコ・・・って同じですが、ご存知イオンの前身です。

堺の、南海電鉄の諏訪ノ森駅前にその昔、小さな、小さなジャスコがありました。

 

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といっても、今でも「イオン諏訪ノ森店」として現役なのですが、去年超ひさしぶりにこの店を見た時、あまりの「成長ぶり」に驚きを隠せませんでした。

私が知っている「ジャスコ諏訪ノ森店」は、今の一店舗型100円ショップほどの、小さな小さなスーパー。建物はボロボロとまでは言わないものの、ピカピカのダイエーに比べると子供の目から見ても見劣りしていました。敷地も今の半分くらいじゃなかったかなと。

まともにやりあったら到底勝ち目はない。進撃の巨人、ダイエーに怯える小さな存在。それが私の小中学生の頃、1980年代のジャスコでした。

 

しかし、当時の私は知りませんでした。関西ではダイエーが左団扇で君臨していたこのころ、ジャスコは虎視眈々と恐竜の急所を狙っていたことを。

 

イオンの逆襲

昭和40~50年代は洪水のように進出するダイエーにフルボッコにされていたジャスコは、ある戦略を立てます。

それは「逃げの戦略」。逃げて逃げて逃げまくる。攻撃は最大の防御、敵前逃亡は死刑一択の日本では感情的に受け入れがたい戦略でした。

具体的には、ダイエーが進出する大きな都市を避け、小さな小都市や、町と町の間にある郊外に店舗を構えるというものでした。

兵庫県で言えば、大ダイエー帝國の神戸市や阪神間、明石や姫路には進出せず、加古川や小野などの隙間に店を出し、ダイエーが進出してくると真っ向勝負はせず、傷が浅いうちに撤退することもありました。

当然、リアルタイムではこんなこと知る由もなかったですが、今こうして客観的に見ると、当時のジャスコの社長は中国史を経営に応用したのかもしれません。強敵とは戦わず逃げまくった結果、天下を取った劉邦(漢の高祖)という実例が古代中国にあるからです。ジャスコの「逃げの戦略」は、劉邦の戦略そのままだと私は感じました。

しかし、劉邦もそうであったように、ジャスコもただ尻尾を巻いて逃げていたわけではありません。逃げながらじっくりと実力を蓄え、刃を磨いて逆襲の機会を伺っていたのです。

 

臥薪嘗胆ン十年、その時はやってきました。

地方で実力を蓄えたジャスコは平成元年、満を持して「イオン」に屋号を変更します。といっても、海外は相変わらず「ジャスコ」で、私が中国に留学・駐在していた当時の中国・香港のジャスコは、2002年でもJUSCOのままでした。

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ちなみに、ジャスコは中国語で「吉之島」なのですが、ジャスコが何故「吉之島」なのか、いまだにわかりません。考えてみてもわかりません。ネイティブに聞いてもわかりません。誰か知っている人がいたら教えて下さい。

 

 

ジャスコがイオンに脱皮したころ、流通の巨大船ダイエー丸の舵取りが怪しくなり始めていました。バブル崩壊でイケイケの店舗経営に陰りが見え始めたのです。
さらに、1990年代は郊外に巨大なショッピングモールを作る方式が主流となり、イオンとイトーヨーカドー(セブン&アイグループ)がその波に乗りました。
対してダイエーは駅前などの市街地型。ダイエーは店舗と同時に土地も買い、それを担保にまた店+土地を・・・という、バブル型経営でした。これ、バブルがはじけると「とんでもないことになる」ことは、今なら高校生でもわかります。
その昔、ダイエー内のモチベーションがいまいちだったのは気のせいではなく、ダイエー丸に穴が開き船体が傾き始める前兆だったでしょう。

攻守が逆転したイオンは、昭和時代にいじめられた鬱憤を晴らすかのように、ダイエーを閉店に追い込みました。昔はさんざんバカにしていた、かつての弱小スーパーに食われていくザマを、ダイエーは想像すらしていなかったことでしょう。

 

さらに追い打ちをかけたのが、専門量販店の成長。例えば「しまむら」「ユニクロ」「ニトリ」などです。
彼らはアパレル・家具などの餅屋の特性を活かし、小回りのきいた商品展開を行いました。

また、この時は円高の時代。生産拠点を海外に移したり、輸入ものを販売するするなど、「良い品をより安く」のお株を奪う販売を行いました。
ダイエーは、恐竜だったからこそ小回りがきかず、時代に取り残されてしまったのです。

巨大戦艦ダイエーが、敵ではなかった駆逐艦の魚雷を浴び沈んでいく姿。我々は過去の歴史で見たことがあります。
100年前の日露戦争、世界一と謳われたロシア帝国海軍に比べれば、日本海軍など蚊トンボ程度でした。世界の下馬評も、1000人中999人がロシア勝利でした。
しかし、先人たちの努力の結果、世界最強がその蚊トンボに破れたことは周知のことです。
その50年後、世界海軍界のビッグ3にまで成長した日本海軍は、自分らが「飛行機の時代」の幕を上げたのに自らの頭がついて行けず、巨大戦艦たちは飛行機と潜水艦という蚊トンボの攻撃を受けその巨体を海底へ沈めていきました。ダイエーはその歴史と同じ轍を踏んだのです。

 

ダイエーの没落の原因は、巨大企業なのに個人業主並のワンマン経営、その経営者が「安ければ買ってくれる」の時代が終わったことを読めなかったなど、挙げていけば山ほどありますが、一言で言えば「環境(時代)の変化についていけなかった」のです。

生物の法則では、環境の変化についていけない生き物は滅びゆくのみです。ダイエーはその法則が経済社会にも当てはまることを、企業をもって証明してくれたのです。

 

逆襲のイオンの頃私は当時中国にいたので、イオンの躍進とダイエーの衰退を消費者として見ることはあまりありませんでした。
しかし、気づけばイオンばかりなり。オレンジのダイエー帝国だった関西にも、ピンクのイオンの旗が目立つようになりました。
同じピンクのSATYも、結果的に経営破綻した挙げ句イオンに吸収されていきました。

 

ところで、私が幼い頃、こんな歌が流行りました。

「ジャスコで万引き、(チャララーン)ダイエーで食い逃げ、ニチイで捕まり、警察(刑務所)へ♪」

全国規模で流行った(らしい)ジャスコの歌の替え歌ですが、これが有名になりすぎて元歌がわからない人が多いほど。
元歌は下の歌です。ダイエー帝国育ちの私は替え歌の方がおなじみなのですが、アラフォー以上のジャスコ共和国世代には涙なくして聞くことができません。

www.youtube.com

誰が考えたのかわからない出処不明の替え歌でしたが、これらがのちに同じ「イオングループ」として同じ会社になることを、「ジャスコで万引き♪」と歌っていた我々は知る由もない。

これが今なら、

「イオンで万引き、(チャララーン)イオンで食い逃げ、イオンで捕まり、警察へ♪」

全部同じやんけ!!


盛者必衰の理をあらわす

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ

『平家物語』の冒頭の有名なフレーズです。
幼い頃からお馴染みだったダイエーが衰退し消えていく様は、まさにこの平家物語のとおり。ダイエーマークのオレンジの色、盛者必衰の理をあらわすといった感じでしょうか。


不沈戦艦が沈んだように、恐竜企業も舵取り一つ間違えると、その巨体ゆえに滅んでしまうのです。世の中に絶対はありません。

 

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ダイエーHPより

現在のダイエーの店舗数は175。かつては全国に400店舗以上あったそうですが、今は関東と関西のみ。イオンの完全子会社として、人工呼吸器をつけないと生きていけないようなひ弱な存在に。
あの元気だったダイエーの姿を知る者の一人として、この姿は見るに堪えません。

 

おごれる人も久しからず。50年間の繁栄も風の前の塵のように去りつつあります。
これを、経営者の怠慢なので自業自得と冷たく切り捨てることもできます。
しかし、それに一抹の寂しさを感じるのは、私だけでしょうか。

そして、現在は高笑いが止まらないイオンですが、それでもいつ「食われる」側に立つかわかりません。
そう、かつての恐竜、ダイエーのように。