昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

映画『火垂るの墓』の矛盾を考察してみるー後編

前編では、劇中で触れていた巡洋艦『摩耶』を中心に、海軍の諸制度と絡めてアニメとの世界観の矛盾を考証していきました。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

今回の後半は、清太・節子兄妹は果たして死ぬ必要があったのか!?
という考察を広げていきたいと思います。

 

 

二種類の「大尉」

前編で説明し忘れたのですが、海軍の階級や「士官」「下士官」「兵」などの違いを説明します。これを説明しないと、おそらく続きを読んでもわけがわからないと思うので。

 

暑すぎて外に出る気がしないのでエクセルでこんな表を作ってみました。

 

大日本帝国海軍と海上自衛隊の階級比較表

大日本帝国海軍と海上自衛隊の階級比較表です。

対照の階級を色で分けたのでかなり見やすいと思います。自分で作って言うのもなんですけど(笑

(※上の画像はコピー防止の刻印をしているので、もしブログなどで資料として使いたい方がいれば、フリーで元データを提供しますのでご連絡下さい)

 

『火垂るの墓』は戦争中の話なのでメインは右の旧軍側になります。

清太・節子兄妹の父親は、前編の考証から昭和11年時点で大尉(「たいい」じゃないよ、「だいい」だよ)ということが確定しています。

この映画について語っている99.9%の人は、父が兵学校を卒業したエリートという前提で考察しています。私も前編ではそれ前提で書きましたが、実は「大尉」といっても二種類あるのです。

上の表には、「特務士官」というものがあります。現在の海上自衛隊にはない独特の階級です。

「特務」といっても、別に特殊な仕事に就いているという意味ではありません。表の右下の、虫けら以下扱いの四等水兵からスタートし、30年も40年も海軍のメシを食った超ベテランの人たちのことですが、「特務士官」の下の「准士官」である兵曹長でも、数々の昇進試験をパスし、成績優秀により選ばれし者。戦争がない平時なら、数百人に一人なれるかなれないかの超狭き門です。

兵曹長になると兵・下士官の世界ではその軍艦・あるいは砲術なら砲術のエキスパート中のエキスパート。さらに上をゆく「特務士官」になるともっとすごい。階級ではないですが、「掌○○長」という役職に付き、下士官・兵からは神の如き存在で見られます。「掌」とは、平成の世の中風に言えば「神」というニュアンスで結構です。

海軍のキャリアだけなら艦長なんてガキ同然、レイテ沖海戦時の『大和』には、日露戦争前後に海軍に入った勤続ン十年、同じ『大和』に乗っていた司令長官よりキャリアが長い「掌○○長」が何人もいたんだとか。

ただし、「士官」と「特務士官」には絶対に越えられない壁が存在していました。大尉と「特務大尉」は制度上、どちらが偉いか。大尉です。「特務大尉」は「大尉」の下にあたるので、大尉の命令に従わなければなりません。

制度上、少佐になると士官と合流し確かに同等になりますが、特務大尉自体が超レアものなのに、少佐まで上がった人は海軍の歴史を通して数人しかおらず。それも軍楽隊です。

この「特務士官」制度は昭和19年に廃止になり、「特務大尉」と「大尉」が同等になりますが、1年経たないうちに戦争が終了し海軍が消滅。特務士官出身の「艦長」などが生まれる快挙はありませんでした。

 

清太・節子兄妹の父が、兵学校を卒業した大尉ではなく「特務大尉」という可能性もあるのではないか。私はこう考えてみました。

しかし、平時の特務大尉は30年近く海軍のメシを食った筋金入り。若くても40代後半、常識で考えて定年間近に達していることが多く、可能性はかなり低いかと思います。

しかし、めちゃくちゃ優秀な人だったのでしょう、戦艦『武蔵』に45歳の「特務中尉」が乗っていた記録もあるので(ある意味、昇進激速の戦争ならではですが)、可能性はゼロではありません。まあ、そんな優秀な「特務士官」なら必ず戦艦に乗っていて、巡洋艦に乗っていることはないと思いますがね・・・。

まあ、制作側が海軍特有の「特務士官」のことを知っていたら、アニメの時点で『摩耶』はあやふやにぼかすはず。そもそも清太が見たという観艦式に、『摩耶』は参加していなかったのだから。

ということで、この考証は、父は正真正銘の士官だったということで確定としましょう。

 

 

 

兄妹は死ななければならなかったのか?

元海軍士官たちが怒った核心は、兄妹のみじめな境遇とその死に方でした。
海軍士官の子供が露頭に迷って餓死なんて、海軍の誇りにかけて絶対に有り得んと。

 

彼らにはちゃんと根拠があります。
兵学校の同期生を海軍では「クラス」と言います。
クラス同士は家族ごとの緊急連絡先などを海軍が管理しており、クラス同士の飲み会は「准公務」、つまり仕事と見なされたほど。なので、同僚に「クラス会」という名の飲み会が発生すると、平時なら勤務を変わらないといけません。今で言う有給休暇も取れます。
海軍は陸軍に比べて所帯が小さい分、クラス同士の横の団結の強さをモットーとしていました。それ故に、海軍はちょっと馴れ合い・身内庇いが強かったデメリットもあったことは事実です。
 

違う映画ですが、『男たちの大和』で主人公が、戦死した戦友の親元に報告に行くシーンがありました。
あれは善意やボランティアでやっているのではなく、戦友の死を看取った者の、軍人として最後の仕事。キザな言い方をすれば軍人としてのミクロの戦後処理。生き残った者が何十年かけてでもやり遂げなければならない義務なのだと。元海軍兵曹だった祖父が言っていました、だから死んだ方が幸せなのだと。

生き残ると何人、何十人、人によっては何百人分の思いを背負って生きていかねばならない。その重みと罪悪感に耐えきれず腹切った(自決した)り、精神を病んだ人は何人もいたと。
水兵でもこれです。鋼鉄の団結力と言われた海軍士官が何も音沙汰なしというのは、当時の常識としては明らかにおかしい。

 

仮に父が重巡『摩耶』に乗っていたとしましょう。

『摩耶』は昭和19年10月23日7:05に沈没しています。

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沈没地点は北緯09度27分 東経117度23分。上の地図の場所となります。フィリピン領のパラワン島沖、今フィリピンと中国が領土問題で揉めているスプラトリー諸島(=南沙諸島)ではありませんか。

 

それはさておき、『火垂るの墓』に出てくる神戸の空襲は、昭和20年6月5日という設定で、これは原作にも描かれているので確定事項です。

しかし、レイテでの「戦死」から8ヶ月ものタイムラグがあります。ただでさえ人数が少なく、初級士官が戦争で消耗して「艦長候補不足」になりヒーヒー言っていた状態の海軍。士官が8ヶ月も行方知れずで音沙汰なし?まずあり得ません。

清太は連合艦隊の壊滅と父の戦死(?)を知らなかったとなっていますが、仮に父がレイテで戦死となると、母には少なくても戦死公報という公文書が届いているはず。
清太に隠していた可能性もありますが、彼はものの分別がついている年齢だし、隠していたとしたら母親は軍人の妻としては失格。
父も軍人として、明日死ぬかもしれない身。家族あて遺書は必ず書いているはずだし、自分が死んだ後の身の置き方など、母や長男である清太に再三言いつけ躾けているはず。

実在のある海軍軍人も、奥さんや子どもに、

「(兵学校の)同期は生死を共にする仲間だから、親戚以上のお付き合いを」

「自分の留守中何かあれば、真っ先に同期に相談すること」

と事あるごとに言いつけていたという記録があります*1。「何か」というのは、時代が時代なので当然戦死を含めた「公務死亡」も含まれます。(小泉昌義『ある海軍中佐一家の家計簿』より)
それが出来ていないなら、関西弁でいう「アホボン」を生み出した親の躾が悪い。

 

空襲で焼けて住所がわからず、戦死公報が届かない?それも絶対にあり得ません。
戦争中は「隣組」という、市民必ず参加しないといけない町なかの組織がありましたが、何のために「隣組」があったか。良く言えば相互扶助。悪く言えば相互監視です。
家が焼けて消息不明なら、警察や憲兵が公権力を使い所属していた隣組などに問い合わせをするはず。当時の神戸くらいの規模なら、24時間もあれば消息がわかります。当時の公権力(特に司法権力)と近所のコミュニティの連携をナメてはいけません。

 

この記事を書くために、改めて『火垂るの墓』を見直したのですが、物語後半は兄妹が親戚の家から出ていき(追い出されたと言ってもいいですが)、空いた防空壕(?)で二人で暮らすことになります。

子供二人が大人の目を離れて生活すること自体、当時の社会情勢からしてあり得ないかと。

どこの馬の骨か知らない人、それもいたいけな子供二人が山の中に住んでいる。今でも警察に通報しますよね?映画の時代でも同じどころか、隣組の「義務」です。隣組の黒い面は相互監視と書きましたが、そのお仕事は主に不審者(特にスパイ)がいないかどうかをチェックすること。万が一本当にスパイだったり、兵役拒否の逃亡犯だったりしたら、報告義務を怠った隣組の連帯責任です。

 

映画では、清太が近所の人に野菜などをおすそ分けしてもらいに行くものの、拒否られるシーンがあります。

そのおじさんは、少なくても兄妹が親戚の家から出ていって、外で二人だけで住んでいることは知っています。それで警察にも親戚にも何も言わないって、犯罪ではないけれどそれは大人としてどうかなと。少なくても後見人の親戚は「保護責任者遺棄罪」で警察から大目玉でしょうね。向こうから出て行ったんや!という言い訳は通用しません。

 

 

当時の常識に照らし合わせると、こういう流れになるはず。

不審者あり(兄妹)→近所の人が(直接または隣組長を通して)警察に通報→警察が兄妹の住み家に向かう→交番で事情聴取

 

『火垂るの墓』を見直す前でもここまで頭の中で組み立てられたのですが、なんと!

 

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事情が違う(イモ泥棒)とはいえ、清太は警察に捕まっているじゃないですか!

これで確信を持ちました。『火垂るの墓』のシナリオ、ここに崩壊。

 

 アニメのこの続きを、現実に沿って妄想してみましょう。

事情聴取の時、警察官は必ず

「お父さんは?お母さんは?」

と聞くはずです。今でも常識として聞くでしょう、ふつう。

清太はまだ連合艦隊壊滅+父が戦死(?)を知らない頃、お父さんはと聞かれると

「父は海軍士官で巡洋艦の艦長(?)やっています。名前は○○です」

とかなんとか言うはずです。

警察官は飛び上がって驚くはず。海軍士官の子供が何をイモ泥棒やってるんだと!

しかし、イモ泥棒をしているガキのウソかもしれないので、念のために身分照会をします。まずは憲兵隊に連絡し、憲兵隊が海軍に照会。白黒はっきりつくまで清太は交番預かり。未成年なので保護するのは警察のしごとです。

 

ちょっとここで少し話を外します。

今の日本には憲兵隊が存在しないので、憲兵隊とは一体何かイメージがわかないと思います。また、「憲兵隊=悪の手先(?)=怖い」というイメージもどこかに残っています。

憲兵とは、簡単に言えば「軍隊の中の警察官」のこと。警察官は軍人を逮捕したりする権限がなかったので、代わりに軍人を取り締まるのが憲兵でした。

憲兵は軍があるところは必ずあり*2、英語ではMilitaly Policeと言うので「MP」と略されることが多いです。

 

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戦後の「東京裁判」で戦犯の周りを警備しているのが(アメリカの)憲兵で、「MP」と書かれたヘルメットや腕章をしていて他の兵隊と区別されています。

 

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台湾(中華民国)は漢字そのまま「憲兵」なので、見るとすぐわかります。

 

 

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日本の憲兵隊は陸軍が管理して軍服も陸軍なので、陸軍しか管理しないと思われがちですが、海軍軍人も管理していました。「兵憲」という腕章をつけているのが特徴です。

軍人の家族まではさすがに面倒見きれないですが、家族を含めた海軍軍人の身分照会くらいはお仕事の範疇です。

士官の結婚時には、憲兵による事前の嫁さん候補の身分審査がありました。「海軍現役軍人結婚条例」「海軍現役軍人結婚条例施行細則」という法律もありました*3士官の結婚には海軍大臣のハンコ(決裁)が必要なのですが、憲兵が婚約者やその家族親戚の身分・思想を根掘り葉掘り調査し大臣に報告、少しでもやましいところがあれば不許可という厳しいものでした。

将来大将・大臣・連合艦隊司令長官になろう候補の奥さんが、身分や出所が不透明だったり、実は外国のスパイでしたなんてことがあれば、国がひっくり返るほどの大スキャンダルです。某政党の党首の二重国籍問題なんかが起こる今の時代なんて、ユルユルもいいところ。

実際、留学先のイギリスで金髪娘と恋に落ち妻に迎えた士官が数人いましたが、全員出世街道から外され、早いうちに自主退職して海軍を去っているか、前編で書いた「名誉大佐」で終わっています。

下士官は鎮守府管理なので、所属艦の艦長または長官のハンコでいいらしいですが、それでも憲兵の調査は入るようです。

陸軍は、芸者を奥さんにした将校が複数見られますが、海軍は「結婚は一般人と」という法規に書かれていない不文律があったそうで、芸者と結婚すれば「クラス会」という同期の名簿から削除され、事実上の村八分になるほどのペナルティがあったそうな。

 

警察官に軍人を捕まえる権限はありません。職務質問で声をかけるのもNGです。

じゃあ、警察官は軍人が目の前で乱暴狼藉を働いても捕まえられないのか?

答えはYes。極端ですが、人を殺していても捕まえられず、まずは憲兵を呼ばないといけません。

今から80年以上前のこと。大阪のある交差点で、信号無視をした一等兵を警察官が止めたところ、警察官の分際で陛下の軍人をしょっ引くとは何事か兵隊逆ギレ、そして殴り合いのケンカが起こりました。

最初は1巡査vs1陸軍兵のケンカだったのですが、

軍:「陛下の兵隊に手を出すとは何事か!」

警:「お前らが陛下の軍隊なら、こっちも陛下の警察官だ!」

と大阪の第四師団vs大阪府警の大ケンカとなり、それが東京まで飛び火し内務省vs陸軍省の大騒動に。最後は昭和天皇のお耳に入ってしまい、「おまえら何やってんねん!」と呆れられお互い腹に一物を抱えながら和解・・・となった事件が昭和に起こりました。

その事件を後世、「天六ゴーストップ事件」と呼んでいます。

(※「天六」とは大阪の「天神橋筋六丁目」の略です)

 

 

憲兵隊とくれば、特別高等警察(「特高」)と共に、戦前の思想弾圧の手先となって国民の生活に介入したと良いイメージがありません。確かに憲兵は警察官も兼ねていたので一般国民も取り締まることができます。が、ここでは詳しくは書きませんが、憲兵隊のイメージが悪いのはほぼ東条英機の責任。

226事件で岡田啓介総理が襲撃された時、岡田を押入れにかくまい必死で守ろうとする女中に、

「我々が必ず総理を助けるから安心しなさい、頑張れ」

と励ましたり、秘書官が海軍に助けを求めても、

「我々は(226事件に)関わりたくないから他当たってくんない?(by大角岑生海軍大臣)

と尻尾を巻いて逃げたなか、岡田を救おうといちばん積極的に動いたのは憲兵でした。

岡田の娘婿で秘書官だった迫水久常は著書で、「東條(内閣)以降、憲兵といえば鬼のイメージがつきまとってるけど、本当は職務に忠実な正義の味方なんだよ」と。

母方の祖母の隣の家に住んでいた、元憲兵下士官の人に話を聞いたことがあります。

「憲兵隊、(国民の生活にいちいち介入するほど)そんなヒマじゃない。法律の勉強しないといけないし、雑務は多いし、忙しいわりには出世が遅いからみんななりたがらず、ただでさえ人数少ない上に(戦況悪化で)人員削られて毎日てんてこ舞い、休日?そんなの数年間なかったよ・・・」

時代が昭和だったので、あまりペラペラ言うなと口止めされていましたが、もう21世紀だし、そもそも発言者が鬼籍に入ったので時効とみなしましょう。しかし憲兵隊、すごいブラック企業ぶりです。

 

作家の山本夏彦も、一般国民が「至ってふつうの生活」していたら、憲兵隊や特高なんて全くの無縁。怖くも何もない。むしろ隣組の組長や「大日本国防婦人会」のような連中の方がよっぽどうざかったと。戦後に憲兵怖い特高怖いと言っていたのは、つまり憲兵隊や特高に目をつけられるような「やましいこと」をしていた人たちということ、と本に書いておりました。

それに、昭和の悪の象徴というレッテルが貼られた特高は、戦後裏方に周り秘密警察化し、「公安」「外事」と名を変えて現存しています。しかし、「至ってふつうの生活」をしている我々は、公安課のお世話にならないですよね?意識すらしていませんよね?山本夏彦は「戦前も戦争中もそんなもん」と述べています。

 

話を戻します。

警察から

「こんな子供預かってるのですが・・・」

と連絡を受けた憲兵隊は、当然海軍に問い合わせます。

海軍軍人でも階級によって管理部署が違います。兵や下士官の人事管理は横須賀・呉・佐世保などの鎮守府ですが、士官の人事は「赤レンガ」こと海軍省人事局の一括管理です。

知らせを聞いた海軍人事局は父の消息を照会しますが、ここでふた手に分かれます。

 

その1:父が生きていた場合
まずは、兄妹の状態がこうなっていると父親に連絡が行きます。当然保護者として処置をしないといけないですが、外地にいたり、職務の都合で自分が行けない場合は、クラスの誰かに託すこととなります。

父親に託されたいちばん近くにいる同期は代理として兄妹のもとへと急行、それなりの扶助をするはずだし、最終的な手段として自分が一時的に引き取ることもできないこともない。

 

その2:父親が戦死していた場合

仮に既に戦死したとすれば、まずは「クラス」の誰かに連絡が行きます。

連絡は基本的に、「クラスヘッド」と呼ばれたハンモックナンバー最上位であるクラス幹事に届きます。海軍人事局は兵学校○○期のヘッド(幹事)は誰か、今どこで何をしているかくらい把握しています。それも人事局のお仕事。

それ以前に、昭和11年に大尉だった兄妹の父なら、昭和19年なら病気などで一年ほどお茶をひいていたとしても、中佐にはなっているはず。佐官なら海軍省人事局や、「赤レンガ」と呼ばれた海軍省+軍令部(=大本営海軍部)合同庁舎内に同期の5人や6人はいるでしょう。会社で言えば「隣の部署」の彼らに直接連絡することも可能です。

 

仮に「クラス」幹事に連絡が届いたとしましょう。幹事は「クラス」宛にいっせいに緊急電を打ちます。

「(同期の)○○の子供が今こんな目に遭っているぞ!」

その後、神戸に近い地に勤務している「クラス」の誰かが急行します。本当に身寄りがなければ、「クラス」の誰かが一時的に預かることもあるでしょう。

 

戦争中ではないですが、こんなことがありました。

 

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兵学校29期に高橋三吉という人がいました。知る人ぞ知る人ですが、二・二六事件(1936年)発生時の連合艦隊司令長官です。

事件を知ってすぐに連合艦隊を東京湾に急行させ、反乱軍が建設中だった国会議事堂を占拠したことを知り、

「『長門』の主砲で国会議事堂ごと粉々にしてやるわ!」

と激怒した人でもあります。

彼がまだ30代の時、第一次世界大戦の欧州派遣艦隊のの参謀として出征することになりました。奥さんを一人日本に置いて行くのは忍びなく、浮気してくれる困ると思った高橋、クラスの一人にあるお願いをします。

 

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当時佐世保鎮守府勤務だったクラスの米内光政(のち大将。海軍・総理大臣)に、

「うちの嫁さんを東京に一人残しておくのは心配だ。心配すぎて職務に支障が出そうだから預かってくんない?」

とお願いをしました。

米内もいいよと二つ返事でOK。高橋は奥さんをわざわざ佐世保まで連れて行き、半年間ですが佐世保の官舎で預かることになりました。

しかし、米内は米内で単身赴任中。自分の奥さんは東京に残しているのに、クラスの人妻と単身赴任先で変な同居生活。

「なんだありゃ」

と海軍内でも評判になったそうです。

奥さんなら親戚に預けりゃいいじゃないかと、今の常識なら思うのは当然です。しかし、そこは同期どうし。「近くの親戚よりも遠くの同期」なのが海軍なのです。

この二人は、のちに高橋が「対米強硬派*4」の切り込み隊長として海軍を崩壊に導いていったのに対し、米内は彼らが崩壊させた海軍をなんとか立て直そうと、心身をすりつぶした「対米協調派*5」と真逆の道へと進むことになりますが、私生活では終始仲が良かったといいます。

 

清太と節子が住むところもなくホームレス云々なら、近所→隣組→警察→憲兵→海軍→クラスの誰かに情報がフィードバックされます。それを知った父の同期が責任を持って引き取る。または別の親戚に預けられる。その後間もなく終戦。両親を失ったものの、兄妹は戦後も幸せに過ごしましたとさ。めでたしめでたし。

・・・となるとお涙ちょうだいシナリオにならず、物語が成立しません。

 

また、大黒柱の戦死により家族が生活が困窮しているとクラス同士が金を出し合い、生活援助をするシステムが作られていました。
海軍は「貧乏海軍」と揶揄されたように、福利厚生にお金を回せるほど余裕はありません。
海軍は陸軍と違い、精神力や気合で軍艦は動きません。常に最新装備をアップグレードしないといけないのでお金がかかる上に、226事件以降大蔵省を事実上乗っ取っていた(by福田赳夫元総理)陸軍にいつも予算を取られ、ピーピー言っていたのが実情でした。
しかしその分、「クラス」同士でなんとかするという不文律が出来上がっていたようで、クラスの一人が借金を残して戦死すると、どこからか同期がやってきて借金を清算にやってくる。そして、それを見た芸者が愛した人の戦死を知り涙にくれる・・・。

こんなことは当たり前にありました。

 

また、父が戦死すると、「軍人恩給」という年金が遺族に支給されます。戦死した階級によって支給額は様々ですが、士官で戦死となるとけっこうな額が支払われます。

70年前の戦争の恩給だなんていつの話やねん・・・とお思いでしょうが、平成29年度予算でも約2700億円が計上され約38万人が受給している現在進行系な制度です。そういう意味では、まだ戦争は終わっていないのです。

 

恩給の計算は総務省のHPで公開されていますが、けっこうややこしいので、頭の中が小学生の算数レベルで止まっている私にはさっぱりわかりません。が、士官だと勤続13年以上が支給条件で、「公務死亡」つまり戦死だと年間最高200万円支給されることくらいはわかります。総務省が物価を換算して出している数字なので、昭和19~20年もそれ相当の額が支払われた可能性があります。もし父が大佐で戦死なら、ほぼ満額もらえるんじゃないですかね。

 

さらに、父が昭和天皇をもあざ笑う昇進ペースのエリート中のエリート士官なら(前編参照)、海軍省か軍令部に勤務した経歴もあるかもしれません。そうなると省部勤務の年数に応じて「文官」としての手当も多少はつくはず。ちなみに海軍大臣は、「軍人」としてのボーナスと「大臣・文官」としてのボーナスをダブルでもらっていました。

 

恩給(遺族年金)は、映画中の設定では兄妹に直接支給されるのですが、引き取ったあの意地悪な(?)親戚は後見人として年金をまるまるネコババ・・・もとい受け取ることも可能です。全額はやりすぎにしても、彼らの生活費という名目で何割か自分のポケットに入れても、引き取っているのだから文句は言えまい。

おそらく年間数百万円、彼らが生きている限りもらえる金脈をなぜむざむざ捨てるのか。そんな理由はないと思いますが。

もし私が親戚の立場なら、彼らが家を出て行くと言っても止めます。それ以前に丁寧に扱ってかわいがります。寝てても金が入ってくる歩く金の延べ棒、絶対離さへんでーと(笑

 

劇中には、母親が溜めたか家の預金が7000円もあったと清太のセリフにあります。

この7000円がどれだけの金額か。

「企業物価指数」という数値を目安にすると、

674.3(平成24年) ÷ 3.503(昭和20年) = 192.25倍

当時の1円は今の192円という計算になります。

これを元に7000円を計算すると¥1,334,000となりますが、これはあくまで机上の理屈。

昭和初期の価格に2000~2300を掛けると、だいたい今の値段に相応した価格が出て来ると言います。つまり当時の1円=今の2000~2300円くらいです。

7000円だと今の1400万円くらいになりますが、今でも大金なのに物価が安かった当時はもっと大金。戦前の総理大臣の年収(9600円)には及ばないものの、かなり近い金額です。

当時の7000円で、一体何が買えたか。

具体的なものを一つ挙げると、昭和4年ですが鎌倉の20坪の別荘が1,900円で売りに出されていました。それも、当時は庶民の夢だったバスルーム(浴室)に、超高価だった電話加入権付き。

20坪と言えば、市街地のセブンイレブンの店舗一軒分の広さなので、7000円なら60坪分買えたという計算になります。鎌倉で事実上家が一軒買えてさらに余りあるのだから、7000円は相当の大金だったということです。

ただ、お金だけでモノが買える時代ではなかったのが兄妹の不幸でしたが。

 

映画では兄妹に冷たい仕打ちを与える親戚ですが、私も幼い頃激しい怒りを覚えたものです。

しかし、時が経った現在改めて見てみると・・・親戚の言うことの方が至極ごもっともに思えるのです。映画を見ると「かわいそう」が前に出て感情的になる上に、日本人独特の判官びいきでいかにも親戚が悪者に見えますが、あれはどう考えても清太の方があかんでしょと。

節子は4歳なので除外ですが、14歳という設定の清太は立派に動ける年齢、やはり家の手伝いくらいはしないといけない。少なくても自分から、

「何かできることありませんか?」

と言い出さないといけない。それを何も言わず、親戚のセリフにあるようにごめんなさいも言わない。アニメにあれこれ言うのもナンセンスですが、あの時代に食っちゃ寝は、悪いが嫌味の3つや4つ言われてしかるべき。

そして、妹を守るためにもじっと我慢し、親戚に土下座してでも置いてもらうべきではなかったか。妹を守らないといけない兄としての自覚が足りぬ。

もっとも、原作の親戚はもっと陰湿なんだそうですが。

 

それ以前に、清太は家でニートをやっている場合ではありません。
戦争の長期化で街の空気が重苦しくなり、正月も祝う余裕すらなくなった昭和19年の2月25日、政府は閣議でこんなことを決定します。

「原則として中等学校以上の学生生徒は、すべて今後一年常時勤労その他非常任務に出動せしめうる組織体制におく」

つまり、中学生の年齢に達した人は全員お国のために軍需工場で働けということです。
中学生が学業を投げ出して軍需工場に働きに出るのは秋以降となりますが、映画は昭和20年。畳に上でのんびり寝ているヒマなどないはず。

 

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NHKなど昭和史関連のTV番組にはご意見番としてよく出演していた、歴史家・作家の半藤一利氏がいます。どちらも役所広司さんが主役だった映画、『日本のいちばん長い夏』『山本五十六』の原作者でもあります。もしも清太が実在で現在でも生きていれば、半藤さんの一つ下となるので、彼の昭和戦前史=清太のものと捉えることも可能です。
半藤氏の昭和19~20年はどういうものだったのか。
東京下町の旧制中学生だった19年の秋、学徒勤労動員の号令がかかり、学業はすべてストップ、零戦の弾丸をつくる海軍の工場で鉢巻巻いて働かざるを得ない状況になりました。ただし、タダ働きではなくちゃんと給料は支給されていました。
その後、翌年の3月10日の東京大空襲の焼夷弾の雨の中をなんとか生き延び、父の生家である新潟県長岡に疎開します。中学も転校するのですが、そこでも勤労動員で働いています。終戦の玉音放送も工場の中で聞いていました。

当時の14~5歳の平均的な経歴ですが、同世代の清太は一体何をのんびりやってるんだと。

 

ただし親戚にも、子どもを預かっている保護者としてやるべきことがあります。

清太が父に宛てて手紙を書いたか聞くシーンがあります。清太は「呉の鎮守府宛」に書いたと発言していますが、もし『摩耶』乗組なら『摩耶』の母港は呉ではなくて横須賀。そもそも送り先が違う。何の根拠で清太が呉に手紙を出したのかは不明ですが、そりゃあかんわと。

しかし、海軍士官である父親宛に出しているはずなので、鎮守府付きの士官が父がいまどこにいるか確認し、手紙を転送するはず。たとえ宛先を間違えても最終的には届くことと思われます。軍はそこまで非情ではありません。

いや、それ以前に・・・あんた(親戚)が役所通して消息確認したらんかい!と(笑

それこそ大人である親戚の仕事です。問い合わせたら即答で返ってくるのに。

 

 

違う方向からの抗議

『火垂るの墓』の設定おかしいわ!と手を挙げた人がもう一人います。

 

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それがアニメの巨匠宮﨑駿
宮﨑駿は軍事評論家を打ち負かすほどのミリオタで、高校生にして既に軍事評論家とガチンコ議論が出来たほどの知識量でした。

 
『火垂るの墓』が話題になっていた頃、宮﨑駿は雑誌でこんなことを言っています。

 

「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。 あれはウソだと思います。
(中略)
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。
それは戦争の本質をごまかしている。
それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。
しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスの エリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、
自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。 (以下略)」

宮﨑駿が何か異議を唱えていたということは知っていましたが、ここまで言い切っていたとは。私と同じことを宮崎氏は思っていたということです。

彼はまた、重要なことを指摘しています。それは海軍の横のつながり。

陸軍が親分子分のタテのつながりなら、海軍は同期どうしのヨコのつながりが強い社会でした。『貴様と俺とは、同期の桜』という歌がありますが、あれは海軍の歌。陸軍軍人があれを聞いても全くピンときません。

横のつながりは相互扶助社会という一面もありますが、反面閉鎖的な村社会ともなります。海軍の閉鎖的な一面の実例もあるのですが、ここでは書きません。

 

宮崎氏の言うことには基本的に同意なのですが、「巡洋艦の艦長」と公言している以上、どこかでそういう設定があったのかもしれません。それか宮﨑氏の思い込みか。
しかし、そうなると「昭和11年の観艦式の時は大尉」の8年間の「神昇進」の矛盾に気づいていないのか?そこはやはり、ミリオタゆえの知識の限界なのか・・・!?私で気づくくらいなので、気づいていないとは思えないのですが。

 

 

こうして考証・考察していきましたが、こうして書いてきてあることを思いました。

映画は完璧なほど面白くない。完璧を極めると実に面白みがなくなる。不完全だからこそ面白い。

これが当たっているかどうかはわかりません。真っ赤なウソは論外ですが、多少のスキを作ってツッコミを入れられるようなスペースを敢えて作る。それも映画を作る側にとっての一つの余裕のあらわれかもしれませんね。おかげで、絶好のブログネタが出来たのだから。

 

こうして『火垂るの墓』 とかかわってみましたが、今の冷徹な眼をキープできるうちに原作を読んでみようと思います。
そこで、さらなるツッコミが出て来るかもしれませんが。

 

 

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*1:他には、「自分が死んでも海軍を恨むな」「海軍にはお歳暮・お中元などの贈り物の堅苦しい習慣がないから、他人からの贈り物は一切受け取るな」などがありました

*2:自衛隊を除き、憲兵組織がないのは中国の人民解放軍だけだった記憶が。

*3:陸軍軍人も同様の法規があります。

*4:いわゆる「艦隊派」。

*5:いわゆる「条約派」。