昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

神戸の近代建築に残る戦争の痕

太平洋戦争が終わってから、74年が経とうとしています。

「あの戦争をまた繰り返す気か!」

と鼻息の荒い人の横で、

「え?アメリカと戦争していたの?知らなかった!」

と驚く若者も現れ、やれ平和ボケだと目くじらを立てる人もいます。が、70年以上も経てば人間の記憶なんてそんなもの。

 

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日本の都市という都市が空襲で廃墟となり、イチどころかゼロからのスタートとなった日本復興。その時代に生きた人たちの頑張りで高度経済成長を遂げ、町並みも戦前とは違った形に変化しました。

戦争抜きでも建物の新陳代謝が激しい日本、74年も経った戦争の遺構も年々少なくなってきています。都市部になると、それは顕著なほど消え去り、それこそ戦争なんてあったの?ということになってしまうのは、時代の流れだもの、仕方ない。

しかしその分、ビルの間にぽっかりと空いた穴のように、意外なところに意外なほどくっきり残っている戦争遺産もあります。それも、一度は通ったことがあるかもしれない、神戸市のど真ん中に…。

 

 

 

 

神戸市立博物館

 

神戸市立美術館

神戸の中心地、三宮の旧居留地の中心にある市立博物館の建物は、もともと横浜正金銀行神戸支店として昭和10年(1935)に竣工しました。戦後も銀行として使われた後、神戸市が使用することになり、現在に至っています。

銀行と戦争…一見何の関係もなさそうです。少なくても遠目で見ていれば…。

建物を間近で見てみると、あることに気づきます。

 

神戸市立博物館の銃痕の跡

なにやら壁にシミのようなものが…

 

神戸市立博物館銃痕

アップしてみると、あなを何かで埋めた修繕の跡が見られます。

 

これ、実は飛行機の機銃掃射の跡なのです。

 

神戸市立博物館機銃掃射

博物館の正面には、数多くの銃痕の跡が、かなり生々しく残っていますが、銃痕だと意識しないとただの「シミ」にしか見えません。

が、これは明らかに街の真ん中に残る戦争の跡なのです。

 

神戸市立博物館銃痕跡

市立博物館の銃痕を細かくチェックしていくと、正面向かって右側に銃痕が集中していることがわかります。左側にはほとんどありません。飛行機は南側(海側)から飛来し、三ノ宮駅方面に飛びながら機銃掃射を繰り返していたと推定されます。

博物館は、実は建物自体が戦争博物館でもあった、そういう捉え方も可能です。

 

 

海岸ビル

 

神戸中央区海岸ビル旧三井物産ビル

神戸海岸ビル

歩道橋が邪魔で見えにくいですが、戦前は旧三井物産神戸支店だった海岸ビルは、大正7年(1918)の竣工です。

しかし、建物自体は1995年の阪神・淡路大震災でほぼ全壊、解体後には新しいビルが建設されました。が、昔のビルの外壁だけを新しいビルの低層部分に移築する形で復活。外見は「近代建築」の上に「現代ビル」が乗っかっている奇妙なハイブリッド風となっていますが、低層部なんて飾りです、偉い人にはそれがわから…失礼、神戸の景観を損ねないための一工夫であります。

 

そんな「現代ビル」ですが、ここにも実は…

神戸海岸ビル戦争の跡

神戸海岸ビル銃痕跡

海の方向の正面入口の周囲には、カウントできないほどの「シミ」が。市立博物館と同じく、これも銃痕の跡です。外壁は解体された廃物の再利用らしいので、すべて正面にあったとは限らないのですが、白亜の外壁に孔が黒ずんでいて、それがかえって生々しさを出しています。

もしかして、外壁が再利用されたのは、この銃痕のあとを戦争遺産として残すためだったのかもしれない…実際に現場で見ると、そんな想像が頭の中でよぎります。

 

 

神戸郵船ビル

 

神戸郵船ビル

 こちらは大正7年(1918)に日本郵船神戸支社として建てられた、今年で築101年の重厚な建物です。1994年に大改築された際に耐震補強も施されたのですが、完成した途端に阪神・淡路大震災。もしこれがなければ、前述の海岸ビル同様全壊していただろうと思うと、耐震工事は重要だと思わせる生き証人でもあります。

 

大正時代築のものなので、当然先の戦争も経験しています。

 

戦前の郵船ビルと海岸ビル

(神戸市立図書館の資料より)

100年ほど前の海岸通りの写真です。

左奥が戦前の郵船ビル、右手前は前述した海岸ビルですが、現在はその間にある商船三井ビルヂング(大正11年築。後述)がないので、大正8~9年頃かと思われます。

郵船ビル、実は今と形が違っています。戦前にはてっぺんにドーム状の銅葺き屋根があったのですが、空襲の熱で崩壊。銅は熱にめっぽう弱いですからね。

郵船ビルの空襲の傷跡は、これだけではありません。

 

神戸郵船ビル機銃掃射跡

神戸郵船ビル空襲の跡

ここにも機銃掃射の跡が、数は海岸ビルほどではないものの、しかしくっきりと残っています。こちらは海岸ビルと違い数が少ないので、気づく人は案外少なめのようです。

 

 

商船三井ビルディング

 

商船三井ビルヂング

神戸商船三井ビルディング

洋風建築が多く残っている神戸の海岸通りの中でも、ひときわ存在感の大きいのがこの商船三井ビルディング。曲線を多く使っていることもあってが、その威風堂々とした姿と裏腹に、女性的な母性を感じます。

 

神戸商船三井ビルディング機銃掃射跡

商船三井ビルディング銃痕

他の建物の例に漏れず、ここにも機銃掃射の跡が建物の足元に残っています。「建物に被害を与える」のであれば、こんな下の部分を狙う必要はないはずで、おそらく逃げ惑う人間を狙ったものだと思われます。

しかしながら、商船三井ビルディングの機銃掃射の跡を紹介しているほとんどのサイトは、この下の方しか見ていません。先に言っておこう、君らの目はどこについているのだと。

 

神戸商船三井ビルディング機銃掃射側壁

商船三井ビルディング機銃掃射

上向け上すると、側壁には無数の銃痕の跡が。後で埋められた孔のひとつひとつがすべて銃痕、それはもう、心が痛くなるほどの修繕の跡が…。

神戸に残る機銃掃射の跡の中でもここがいちばん生々しく、かつ痛々しい姿を現在に晒し戦争の酷さを訴えています。

建物を一周してみるとわかりますが、商船三井ビルディングの弾痕は西の側壁にしかありません。つまり飛行機は西からダダダダダと機銃を撃ちまくったということです。

 

神戸商船三井ビルディング戦争空襲

西側壁面はこのとおり。壁の色が少々黒ずんでいるところは、すべて機銃掃射の痕。遠くから見てみても、それが広範囲に広がっていることが、この写真でわかるかと思います。

 

 

海岸ビルヂング

あれ?もう海岸ビルは紹介済みじゃないの?

デジャブーのような感覚に襲われるかもしれませんが、すでに紹介済みの「海岸ビル」と、今回紹介の「海岸ビルヂング」は別物。前者は三宮後者は元町と場所も若干違います。

しかし、同じ道路沿いなのでややこしい。設計者も同じなのでさらにややこしい。かく言う私も写真整理でファイル名をつける際、少し混乱しました。

 

神戸海岸ビルヂング

こちら「海岸ビルヂング」は、旧兼松商店本社(「日豪館」)として明治44年(1911)に建てられたもので、「海岸ビル」より7年先輩です。

 今でも威風堂々とたたずむ建物は、見方を変えれば弱肉強食の世界だった19世紀の帝国主義の中、日本が欧米列強に対して行った精一杯の見栄であり、威嚇でした。俺たちも欧米並、いやそれ以上の建物を作ることができる実力があるのだと。

 

神戸海岸ビルヂング戦争機銃掃射

このビルヂングにも、よく見ると機銃掃射の銃痕を確認することができます。

 

 

神戸元町海岸ビルヂング戦争銃痕

 角度を変えて撮影するとこのとおり。明らかに弾が当たって凹んだ部分や、銃痕をセメントかなにかで埋めた跡がくっきり見えます。

この銃痕、実際に見ればわかりますが、けっこう大きい。石やコンクリートの壁でもこれだけの穴が開くのだから、人間がまともに食らったらひとたまりもありません。頭に直撃したら…間違いなく首より上の原形をとどめないでしょう。

そんな口径の銃を人間に向けて撃つのだから、戦争の狂気というものは計り知れません。

 

エルメス

 

 神戸大丸の裏に位置する名ブランドの直営ショップですが、実はこんなところにも…

 

神戸エルメス銃痕跡

他の建物と比べて発見難易度は非常に高め、よほど意識しないと気づかないですが、弾痕がわかりますか?

神戸エルメス大丸機銃掃射

弾痕の部分が後で違う色のセメントで埋められた跡がよくわかるアングルです。

 

他の建物と比べてエルメスがわかりにくい理由は、銃痕の大きさが他より小さいから。他の建物を見た後にここを見ると、小さくてよーく目を凝らさないとわかりにくいのです。戦闘機についてはよくわかりませんが、備え付けの銃の口径が小さいものもあったのではないかと、痕を見るに推測できます。

 エルメスショップの前を通る人は多けれど、今日も数千人、いや数万人?が銃痕に気づくことなく通り過ぎていきます。

 

JR元町駅

ここまで神戸市中心部の戦争の痕を探し回った結果として、ある疑問にぶつかりました。

JR三ノ宮駅や阪急神戸三宮駅には、いまだに生々しい銃痕や焼夷弾が落ちた跡が残っていますが、元町界隈もかなり空襲を受けたはず。だったら元町駅にも痕が残っていないのか?

現在のJR元町駅が開業したのは昭和9年(1934)なので、もし機銃掃射などの空襲を受けていれば、三ノ宮のように誰も意識しないところに痕が残っているかもしれない…

そんな疑問を自己解決すべく、元町駅へと足を向けました。

 

三ノ宮駅には、もしかして弾丸が当たった跡ではないかと思われる凹みや、明らかに貫通した箇所が屋根を支える鉄柱などに散見されましたが、元町駅の端から端までチェックしたところ、そういう痕は見つかりませんでした。

しかし、確信は持てないものの、これは銃痕ではないのか?と推測できるものも、なきにしもあらずでした。

 

JR元町駅戦争銃痕跡か

壁に何箇所か、不自然な孔が開いています。

 しかし、これはただの目の錯覚かもしれない。正直なところ、自信は全くありません。いや、やっぱり気のせいかな(笑)

 

これらの建物は、戦前から残っている貴重な建築でもあるので近代建築マニアの方には
「神戸に来たら一度は見ておけ」
というほど有名です。
神戸史、いや日本近代史に燦然と輝くこれらの建物の美を堪能するのは当然です。しかしながらその側面にある「傷」に思いを致し、戦争の事実を直視するのも良いのではないでしょうか。

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