昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

歴史はあやうく繰り返すー境港某大爆発事件

かなり前の話なのですが、ニュースサイトのこんな事件が目につきました。

 

www.sankei.com

陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)は12日、駐屯地内で警衛勤務中に火気の使用が禁止されている弾薬庫で喫煙したなどとして、
第32普通科連隊の2人を停職処分にした。
2人は「規律心が欠如していた。真(しん)摯(し)に反省しています」と話しているという。

同駐屯地によると、弾薬庫で喫煙した2等陸曹の男性(39)が停職15日、読書をした陸曹の男性(41)が停職1日の懲戒処分。

 

 

陸上自衛官が弾薬庫で喫煙し、停職処分を受けたというニュースです。

弾薬庫で喫煙とは、ガソリンを頭からかぶって炎の前でファイヤーダンスをするようなものです。一つ間違えるとどうなるか。それは想像力があれば私が書くまでもなくわかること。

このニュースを見た時、私は先の戦争中に起こったある事故を思い出しました。
その「一つ間違え」てしまった結果、とんだ大惨事になったあの事故を。

 

 

 

玉栄丸(たまえまる)爆発事故

時は第二次世界大戦中の昭和20年(1945)の4月のこと。終戦4ヶ月前のことです。

 

玉栄丸爆発事故境港

当時は西伯郡境町だった鳥取県の境港で、陸軍に徴用されていた

「玉栄丸(たまえまる)

という船が停泊していました。
玉栄丸には爆薬が満載されていたのですが、その積み下ろし最中に船が突然爆発。さらに倉庫に保管されていた火薬にも引火し大爆発。当時の境港の市街地の3分の1が吹き飛び、死者115人、負傷者309人、倒壊・焼失家屋は431戸という大惨事を引き起こしました。
その衝撃は隣の米子市でも感じられ(米子市民は地震かと思ったそう)、火の手は遠く鳥取市からも見えたという証言もあります。

 

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爆発で鉄の塊になった玉栄丸の写真です。
左側に立っている人は、腕章をつけているので現場確認中の憲兵ですね。
見ての通り、船体はグチャグチャになっています。

 

しかしこの事件は、戦争中の報道管制と、軍が起こした事故(不祥事)ということもあり、地元では緘口令が敷かれ報道も禁止。
街の噂ではスパイ説や、陸軍の謀略説などが出ては消えていきましたが、表向きは原因も不明のまま、地元で細々と語り継がれる以外は闇に葬られた事故となりました。

当然、地元境港や米子あたりでは有名な事故なのですが、死者が100人以上出た割には地元以外知られていません。私も、野暮用で境港の歴史を調べていると、たまたま発掘されただけでしたし。

 

事件から62年が経った平成19年(2007)、ひょんとしたことから事件の全容が判明しました。結論から言うと、この事故の原因、タバコのポイ捨てだったのです。

それだけではありません。犯人は一般人ではなく兵隊でした。

事件直後、憲兵が不審な動きをしていた上等兵を見つけました。オドオドして落ち着きがなかったので直感で職務質問したところ、
あっけなく自白。
彼によると、

「陸揚げの途中で休憩があった。煙草に火を付けて一服吸い、無意識に吸い殻を投げ捨てた。
ところが、そこらにこぼれていた火薬に引火し、パッ! パッ! と火が走り出した。数秒の後、いきなりドカン! ドカン! と大爆音。

その時、大爆風で前に倒され、背中に火傷を負った」

真摯に反省していた様子だったということです。
事故は事故で仕方ない部分もなきにしもあらずですが、いただけないのがその後の対応。軍の対応は、ずばりもみ消し。死者を100人以上も出した大事故の原因が、身内のタバコポイ捨てが原因など、陸軍の権威とメンツが丸つぶれです。

また、玉栄丸が火薬を積んでいたことは、タバコをポイ捨てした本人もわかっていたのに、火気厳禁が行き届いていなかったモラルにもかかわります。


この事故、上の通り事故直後に原因も下手人もわかっています。
この上等兵がその後どうなったのかはわかりませんが、表向きには軍隊の強権で「なかったこと」にしてしまいました。当然、「なかったこと」には出来なかったのですが、戦後の陸軍の評判の悪さは、こういうところからも来ているのです。

その上、全貌は軍関係者の手記などで知られていたそうですが、それが明るみになったのが、昭和が過ぎ平成に、20世紀が過ぎ21世紀になってから
この62年間、わかっていながらひた隠しにしていたのです。

 

ずっと隠してたのかよ!と驚くかもしれませんが、昭和史を調べているとこんなことはよくあります。
今まで嘘を言っていた人が、亡くなる前に、
「実は・・・」
と、遺言のように本当のことを語り出したり、遺品を整理していたら「真実」が書かれた手記が出てくることも。

 

特に軍人は、戦争に絡んだ人の言うことほど鵜呑みにするな・・・というのが、歴史の勉強の上での鉄則です。正直、人を見た方がいい。
これに関しては、評判が悪かった陸軍より海軍の方が実は要注意だったりします。市販されて流通している本にも、嘘とまでは言わないものの、事実を誇張していたりする事実誤認という地雷が潜んでいます。ひどい例だと、死んだ人間に罪をかぶせ俺は知らない覚えていないと逃げた輩なんてのも。
何故かというと、海軍士官は本能的に身内をかばい、悪いところを隠蔽する体質があったから。身内どうしの批判や議論は盛んなものの、第三者が海軍を批判する、または海軍軍人が部外者に向けて海軍を批判するのは許せない。

また、部外者に対し洗いざらい語ることも、海軍ではあまりありません。

歴史家の半藤一利氏が文藝春秋の歴史担当だった頃、元々氏が駆逐艦『夕立』に乗ったりした軍艦マニアという縁もあって、海軍側から見た昭和を研究すべく相当数の元海軍士官に会い、話を聞きに行きました。

ところが、名のある人物たちはみんなノーコメント。取材拒否はしないけれども発言拒否でした。

小澤治三郎中将のところへも何度も駆けつけたものの、玄関の前で黙ったまま何も語らず・・・半藤氏はついに、

「閣下!私がこうして何度も通っているというのに、何も語らないとは何事ですか!

あんた、それでも艦隊を率いた海軍中将か!」

と豪快にブチ切れた、昭和史好きなら有名なエピソードがあります。

小澤も悪いと思ったか、

「じゃあ、一つだけ質問に答えよう」

と一言。

半藤氏はレイテ沖海戦のことを聞いたそうですが、それに対し、

「レイテで頑張ったのは・・・西村君だけだよ。あとは落第だ」

と答えました。彼が口を開いたのはこの一言だけで、その後はいつもの貝に戻ったそうです。

しかしながら、小沢はまだ身内に対してもノーコメントを貫いたからまだマシな方でした。

東条英機内閣の海軍大臣だった嶋田繁太郎大将(戦後、東京裁判にて終身刑)も、部外者に対しては沈黙でしたが、身内に対してはしゃべるしゃべる。それが21世紀になって「解禁」されたのですが、それを見た半藤一利は、こいつ俺の前では全然しゃべらなかったのに、ここ(軍人どうしのインタビュー)ではベラベラしゃべりやがって!とかなり怒っていました。


最近、艦これやWorld of Worship、アズールレーンなどのゲームの影響で、旧帝國海軍に興味を持つ人が多くなりました。

きっかけはゲームとは言え、歴史に興味を持つ良い流れだとは思います。ただ、軍艦から入ったミリオタが戦史を調べたりすると、こういう海軍の悪い性質を知らず、リアルタイムに生きていた人の言うことだからと、鵜呑みにしてしまいがちです。

ただ、何もかも疑ったりするのも疲れるので、「海軍軍人が海軍軍人に語った事」「海軍の身内どうしの発言」*1は、けっこう本音で語っているとだけ言っておきます*2。下士官・兵の発言には記憶違いが多いものの、誤差の範囲なので大きな問題はなし。あとは、大量の資料・書物を乱読してカンを養うしかありません。

かつて陸軍の異端児石原莞爾中将は、海軍や世論の陸軍批判に対し、

「陸軍が強盗なら、海軍は巾着切り(スリ)じゃねーか!」

と言ったそうですが(ペテン師と言った説もあり)、昭和史や海軍史を調べていくと石原のこの発言、まんざらでもないと思います。

 

しかし、傷は身内だけで隠したいという一方、事実はどこかで残しておかないといけない。その葛藤は彼らの中にあったものと思います。だからこそ、本音が時代を経て、21世紀になり当事者が全員あの世に逝った時、新しい資料が出てくるということがあるのです。

 
陸上自衛隊は旧軍の徹底的な否定から始まっています。「帝国海軍の伝統を受け継いでいる」と公言している海上自衛隊とは逆です。
否定はイコール反面教師にしているということですが、何事もなかったとは言え、ニュースとして流れるということは、いちおう「歴史は繰り返さない」とプラスに解釈するとしましょう。

 

*1:たとえば『海軍反省会』や『小柳資料』など

*2:また、高木惣吉、井上成美、山梨勝之進の3人の発言は、外部内部にかかわらず無条件で信じてOKと、元海軍中佐で海上幕僚長を経験した中山定義が述べています。