昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

妹尾知之-ある海軍軍人の一生

岸和田自然史資料館

岸和田自然史資料館内

半年前、岸和田市にある「きしわだ自然資料館」という場所に行ってきました。島流しの前は岸和田市民だった私にとっては、数年ぶりの岸和田の地でした。
ここは自然科学の展示が中心の岸和田市立の施設ですが、この時の用事は自然科学にあらず。
あるご縁で施設の方と出会い、戦前の阪和電鉄や南海電鉄の資料を、業務半分でコレクションしてらっしゃると聞き、ご好意でそれを見せていただくことになりました。

 

 

阪和電鉄犬鳴山パンフ

こんなのや、

 

南海電鉄浜寺公園パンフ

(戦前の南海鉄道浜寺海水浴場のパンフ。昭和11or12年)

こんなの、

 

 

阪和電鉄砂川遊園ミッキーマウス

 そして、幻の阪和電鉄ミッキー(オレンジバージョン)まで。見たこともない貴重なコレクションの山盛り。
私のブログを見て訪問者の予習をしたら、こりゃただの好奇心ちゃうなと手持ち資料のほとんどを持ってきてくれました。有り難いことです。
そんなことは知らない本人、来館前は、
「1時間くらいで見終わるっしょ~フフフン」
と軽い気持ちだったのが、気づいたら時間を忘れ気づいたら閉館してました。半分くらいは業務妨害だったのかと(笑)

 

 

そんな貴重な資料の山の中、ある古い絵葉書が目に止まりました。

 

妹尾知之絵葉書

なんのこともない、個人から個人宛のご機嫌伺いです。
収集した館員の方も、
「ああそんなのありますね」
それほど気に留めていなかった様子ですが、私は逆にこれが気になって仕方がない。

 

妹尾知之の手紙2
理由は、この葉書が「海軍兵学校」から送られたということ。ということは、送り主は兵学校生徒ということになるでしょう。

「酒保発行」とあり、「兵学校ブランド」の絵葉書がおそらく生徒向けに販売されていたことがこれでわかります。
 

兵学校と言えば当時のエリート校にして最難関校。と同時に、進学希望だが経済的に無理…という青年の受け皿としての機能もありました。それは陸軍の士官学校も同じです。
入学すると、もれなく「学費無料な上就職率100%完全保証」という特典付き。
その上制服で故郷に帰れば、親ほどの年齢の駅長が最敬礼でお出迎え、駅を出れば「兵学校生徒○○君おかえりなさい」なる幟が立ち、女学生にはキャーキャー追いかけ回されるオプションも付けば…血潮あふれる男どもが熱望しないわけがない。

 

妹尾知之

送り主の名は妹尾知之
どんな人物だったのか、ひとまずググってみる価値はある。
その場で早速ググってみると…ほう、なるほどね。

 

 

妹尾知之という人物

 

妹尾知之写真

この妹尾知之という人物を、できる範囲で追ってみました。

旧日本軍人の経歴を調べる際、何期卒なのか、同期に誰がいるのかチェックは必須です。

特に海軍は、同期*1どうしの横のつながりが非常に強く、海軍士官の間では「遠くの親戚より近くの同期」というのが常識でした。

妹尾は兵学校40期
はがきの消印は明治43年1月、40期は明治42年9月入学なのでこれも辻褄が合います。

 


兵学校40期には、こんな有名な人がいます。


1.大西瀧治郎

大西瀧治郎

「特攻隊生みの親」という名前で知られていますが、結論だけ言えばこれは死人に口なしで着せられた濡れ衣。
また終戦の日に、戦争の責任を取り腹を切った人でもあります。


「軍艦どうしの大砲の撃ち合いの時代は終わった。これからは飛行機だ!」
という航空主兵論は山本五十六が有名ですが、大西はその急進派。周囲は「航空気狂い」と奇人扱いでした。
ただし、専門家として航空戦術に対する見識は相当なもので、真珠湾攻撃も山本は弟子の大西にこっそり意見を聞いています。

 

「日本は戦艦なんか作らず、飛行機いっぱい作ればよかったのに」
と言う人はいっぱいいますが、大西は昭和ひと桁から主張しています。
が、彼の意見に同調し考えを180度変えたのは、後述する同期の山口多聞ただ一人。
 

兵器としての飛行機に誰よりも早く着目した先見の明、それ故に貼られた「特攻隊生みの親」の汚名を剥がすためにも、そろそろ再評価が必要な人だと思います。

 


2.宇垣纏(うがきまとめ)

宇垣纏

傲慢不遜な態度から、「黄金仮面」とあだ名された人です。

順風満帆の昇進街道を歩み、山本五十六司令長官配下の連合艦隊参謀長(ナンバー2)に就任しますが、山本長官から終始ガン無視され続けました。
真珠湾攻撃は山本と、宇垣の部下だった黒島亀人参謀の間で練り上げられたものでしたが、会社組織で言えば、社長(山本)が部長(宇垣)をすっ飛ばして担当係長(黒島)に指示を飛ばすようなものです。
二等兵に敬礼されても丁寧に答礼を返す山本が、宇垣に挨拶されたら顔を背けて無視。
今の世なら
「驚愕!大物士官Xが語る連合艦隊司令部内いじめの実態!」
とおどろおどろしい文字が週刊○春に並び、
「#聯合艦隊パワハラ」

なんてハッシュタグがトレンドになり、山本長官Twitter自垢で応戦なんて図式になりそう(笑)

 

宇垣が歴史に名を残している理由の一つに、『戦藻録(せんそうろく)があります。
第一級の戦争資料としての価値が高い宇垣の個人日記ですが、その中に
「X月X日 山本長官から話しかけられた。チョー嬉しい」
というような記述があります。字が躍り、まるで好きな男に声をかけられて舞い上がっている女子のようだといいます。
宇垣は山本のことを、嫌いどころかリスペクトしていたほどでしたが、そんな人にパワハラされる精神的な辛さが『戦藻録』の端々に出てきます。

で、山本が何故宇垣を干したのか、それはまあ、色々あってね。

 

宇垣特攻

時が経つこと終戦の日の8月15日。玉音放送を聞き終えた後、彼は爆撃機で沖縄へ向かい特攻。写真は特攻寸前に撮影した最後の姿です。これが日本史における最後の特攻となりました*2

その賛否はさておき、大西と共に

「特攻隊で多くの若者を死なせた責任を取る」

と、ある意味有言実行を果たした人でした。

 

 

3.山口多聞

山口多聞

大西の欄で書いた「航空主兵論者」の一人で、帝国海軍きっての猛将としていまだに人気・知名度ともに高い提督です。ミッドウェー海戦で空母『飛龍』に乗り込み指揮を執り、悲劇的な最後を迎えた人としても知られています。
元はガッチガチの大艦巨砲主義者だったのですが、大西瀧治郎と殴り合いの喧嘩までして議論した結果、航空主兵論に考えを改めました。

 

大西瀧治郎と山口多聞

大西のWikipediaにあった在支那海軍航空隊首脳の写真ですが、左から二番目が山口、右から二人目が大西です。


それから航空戦のエキスパート、第二航空戦隊司令官として真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などで勇敢に戦ったのですが…

どこからか声が聞こえる…「(これ以上長文になると)多聞丸に怒られますよ」


他にも、福留繁(中将)、多田武雄(中将)、変わり種に東郷実(少将。東郷平八郎の次男)、山下知彦(大佐。危険思想を内部で煽り226事件後即日クビ)がいます。

旧海軍を知らなくても、どこかで聞いたことがある…というビッグネームと同期。
妹尾と二人との絡みは現時点では見つかっていませんが、仲が良かったりすればまた面白そう。


妹尾はまた、海軍大学校甲種を卒業(海大22期)していることからも、その優秀さは折り紙付き。
海軍大学校はそもそも、上官から

「こいつ将来有望につき」

という推薦状をもらわないと受験資格すらありません。その枠は同期の2~3%、つまり優秀じゃない人は受けられないと。

この海大22期の同期を調べてみると、

 

井上成美
井上成美(大将)

 

三川軍一
三川軍一(中将)


など、こちらも超有名な面々。
これだけでも、同期の中でも将来を嘱望された逸材ということがわかります。
ちなみに、同期の山口多聞は妹尾の2年後入学(24期)、大西は面談前日に芸者を殴り、出入り禁止処分を食らっています*3

 

しかし、ここから妹尾の出世街道が…ではなく迷走(?)が始まります。
海大甲種を出たら、末は連合艦隊司令長官か海軍大臣か。それにしてはその後の経歴がぱっとしません。
いちおう軍務局勤務やカナダ駐在武官、報道局長などを経験しているものの、時が経つごとに経歴が地味になり、戦争中は工廠長に軍需省(のちに運輸省)出向…海大甲種卒スーパーエリートが行くようなポストではないでしょと。
可能性としては、

1.病気がちで艦隊勤務や花形部署での激務に堪えられなかった

2.何かデカい不祥事を起こした

3.嫁さんが外国人だった

帝国海軍に限らず、軍隊では外国人を嫁さんにもらうと「出世か嫁さんか」の二択を迫られ、後者を取ると機密保持のため干されます。ちなみに前者を取ってドイツ人の彼女を捨てた鬼男が森鴎外。

細かい経歴を見ると、1929年に英国出張を命ぜられ1年半駐在していますが、そこから出世が止まっている感じがします。

 

 

妹尾の軍歴の珍なところはもう一つ。それは艦長経験ゼロで少将に昇級していること。
少将以上の軍人になるには、陸軍は連隊長、海軍は巡洋艦以上の艦長職に就くのがmustな経歴とされていますが、該当しない例外がたまぁに存在します。妹尾はそのたまぁに該当しています。前述の大西瀧治郎も艦長経験がないレア組ですが、航空隊のエキスパート街道を歩んでいるので適材適所。海大甲種卒で艦長経験なしは聞いたことがなく、これもちょっとおかしい。

 

ここからは私の証拠なき仮説です。

仮に金髪美人を連れてきたとすると、並の士官は大佐以上に進級しません*4。金髪美人とねんごろの仲になった士官は実際に何人かいますが、大佐になる前に海軍を去っています。

しかし妹尾は海大卒、モノが違う。海大出て大佐止まりは体裁悪いから将官にはあげてあげるけど、艦長就任もなし、隅っこでおとなしくしててねということか?

伝記がないのでこれ以上追いようがない、妹尾の軍歴最大の謎です。

 

昭和15年(1940)、妹尾は山口県光にあった海軍工廠長となりました。くどいようですが、海大甲種卒が工廠長ってなんでやねんと言いたくなるポストですが(前例がないこともないけれど…)、それはさておき、当時の辞令広報が残っています。

 

昭和15年海軍人事広報妹尾井上成美

 赤枠が妹尾で、「補光海軍工廠長」と書かれています。同時に井上成美や豊田貞次郎の名前も見えます(青枠)。

 

戦ふ日本海員妹尾知之

昭和19年4月、『戦ふ日本海員』という本に書かれた妹尾(肩書は運輸通信省海運総局長官)の一筆です。 これといって特筆すべきものは書いていません。

 

戦後の妹尾

艦隊司令長官でもなく鎮守府司令長官でも東京の大本営でもなく、呉海軍工廠長として終戦を迎えた妹尾は、海軍消滅と共に予備役*5となります。
山口県光市を終生の居処と定めた妹尾は、地元企業の役員を務めながら光市のために尽力しました。余生を故郷ではなくここに定めたのも、工廠長時代に良い思い出でもあったのでしょうかね。

 

妹尾知之記念碑

妹尾知之光市画像提供:まる様 光市 中央町 妹尾知之顕彰碑 - かおめもぱの日記 - Yahoo!ブログ


彼の功績を称える碑が光市に建てられています。
それによると、光市に現存する武田薬品と新日鉄住金の工場は妹尾が誘致活動をした結果とのことで、碑にもその功績大と記されています。

戦後は平穏な余生を過ごした妹尾は、昭和59年(1984)に93歳で世を去ったといいます。これだけの碑が有志によって建てられたということは、人望も厚かった人なのでしょう。


絵葉書の謎

妹尾19歳の時に書かれた絵葉書を、もう一度見てみましょう。

宛先が故郷の尋常小学校となっているので、菅原先生という人は妹尾の恩師なのでしょう。

 

対してこちらの宛先は「殿」なので対等の関係、おそらく幼馴染宛だと思われます。

 

 

はがきの消印の頃は入学してまだ数ヶ月でしたが、内容は恩師に対しては社交辞令の連続に対し、友達と思われる菅原伊三太君に対しては、 

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「ボートレース(カッター)練習が辛い」
「尻の皮がむげて痛い」

「腹減った、寒い」
など、はがきの消印の頃は入学してまだ数ヶ月、毎日訓練でしごかれていたのか愚痴っぽい記述もあります。貴様はこれでも生徒か!と1号生徒(最上級生)から制裁を食らいそうな内容ですな。

 

ところで、宛先は「神石郡」。これを見つけたのは大阪だったので、先入観で堺の神石かと認識していました。が、光市にある碑文を見てみると、広島県神石郡神石町」出身となっています。どうやら神石違いの模様。
つまり、この絵葉書に大阪の絡みは何もない(笑)


そこで、新たな謎が浮かび上がってきます。
広島県内から送られ広島県内に届いたこの絵葉書、なぜ何の縁もゆかりもない大阪にあるのか。
「神石=堺のあそこ」に囚われ、持ち主の方に取得の経緯を聞くのを忘れていましたが、これを追っていくとまた面白いことになりそうです。が、私にそんな時間の余裕も資金もありませぬ。

 

数枚の絵葉書から一人の人間があらわれ、一人の軍人の人生を掘ることによって時代の背景を知る。これもある種の考古学ではないのかなと。

 

最後に、Special Thanksとしてきしわだ自然資料館の概要を。

住所:大阪府岸和田市堺町6番5号

(南海岸和田駅から徒歩10分弱)
TEL:072-423-8100
Fax:072-423-8101
開館:10:00-17:00(入館は16:00まで)
休日:こちらを参照
HP:きしわだ自然資料館 - 岸和田市公式ウェブサイト

 

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parupuntenobu.hatenablog.jp

 

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*1:海軍用語で「クラスメート」といいます。

*2:ただし、戦闘中止命令違反なので公式にはカウントされていない。

*3:皮肉なことに、これで大西は海軍大学校未卒のレア提督として歴史に残ることに。

*4:現在の自衛隊も、外国人の嫁さんダメという規定はないものの、不文律で大佐以上にはなれないそう。

*5:組織消滅による退役。