昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

信太山にあった数奇なゴルフ場 後編【昭和考古学】

 

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(信太山ゴルフ場。本格オープン前。昭和10年11月頃。『阪和電気鉄道史』より)

 

==大まかなあらすじ==

大阪南部、信太山にあったという短命のゴルフ場、「信太山ゴルフリンクス」は大阪で2番目、さらに日本ゴルフ史に燦然と輝く伝説のコース設計者、上田治が日本で2番目に手がけたゴルフ場でした。

しかし、戦争の激化と共に消滅、今やどこにあったのかさえ資料が乏しい有様となっています。場所は「信太山」にあったことは確かなものの、具体的な場所はあまり知られていなかったのですが・・・。

 

前編はこちら

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

 

ついに発見!信太山ゴルフリンクス

前編の終わりに書いた「意外なところ」とは、大阪市立公文書館でした。

公文書とくれば、読むだけで蕁麻疹が出てきそうな堅苦しい文章と数字の行列。私も出来ることなら避けたいほどの、堅苦しいお役人作文の羅列です。

しかし、そうだからこそ見逃していました。

公文書館には、太平洋戦争真っ只中の昭和17年(時期は不明)、大阪市が撮影した航空写真が「公文書」として保管されていました。

なんや航空写真やんと思うべからず。戦前の、それも戦争中の航空写真は超がつくほど貴重です。論文ではちょいちょい引用されていたので、存在自体は知っていたのですが、眼の前に現れた膨大な写真を目にした時、身震いが止まりませんでした。

こんな宝の山を目の前にして、ただ見てるだけじゃつまらない。目的を伝え申請し(写真という名の公文書なので口頭じゃダメ)、そして許可を得て、ネタになりそうな箇所はすべて「セルフサービススマホコピー」させていただきました。「後でネタや資料になりそうなところ」だけでもその量たるや膨大、これだけで開館から閉館まで丸一日費やしたほどでした。

 

 

信太山ゴルフリンクス昭和17年

(昭和17年大阪市撮影航空写真)

その中には、「大阪市」なのに何故か泉北郡伯太村(今の和泉市伯太町)の写真も残っていました。写真で黒塗りされているところがありますが、そこは当時の野砲兵第四聯隊、今の陸自信太山駐屯地です。時代が時代なので、軍事施設は検閲により黒塗りされてしまうのです。

その右側に、何やらゴルフ場らしきものが・・・。

 

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そこの部分をアップしてみると、明らかにゴルフ場らしき形が!バンカーらしきものもくっきり見えます。

 

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 ゴルフ場らしき敷地を赤で塗ってみました。だいたいこんな感じかと思います。郷土史に記載の、「野砲兵第四聯隊の」というのは、ある意味正解だったのです。

しかし、写っているのは一部のみ。ゴルフ場は写真の下も続いている予感。ここまで来たら全景カモーン!

・・・と言いたいのですが、実はここが撮影範囲の南限。せっかく幻のゴルフ場の全容の尻尾をつかんだのに・・・悔しいけれど、「大阪市の航空写真」なのだから仕方ない。ここは一部でも写真として残っていたことを、神様に感謝しましょう。

  

それにしても、野砲兵第四聯隊のすぐ隣にあったことを確認した時、思ったことがあります。

「よくこんなとこにゴルフコース作ったな」

”こんなところ”とは、信太山という地理的環境ではありません。具体的に言うならば、「陸軍聯隊のすぐ隣」という意味です。

阿川弘之のエッセイに、こんなエピソードが書かれています。

阿川が旧制広島高等学校生の頃、軍事訓練で当時広島に一つだけあったゴルフ場を通過しました。その時、引率の配属将校が言いました。

「諸君も、こういうところでゴルフをやれるほどの人物になれ」

一見、激励に思えるこの言葉、阿川によると明らかな嫌味だったらしく、

「ゴルフなんかにうつつを抜かしていたら、もう一回二・二六事件を起こして貴様ら愚民どもを締め付けてやるぞ」

と言いたげであったそうです。

 

海軍は万事英国風だったせいか、ゴルフ好きな士官が大勢いました。

昭和ひと桁の頃の連合艦隊の演習後、旗艦からナンバー2である参謀長が、別の艦に乗っている見学の海軍省法務官にある信号を発しました。
「発参謀長 宛○○法務官 明日0900、兵器持参の上○○埠頭に集合せられたし」
軍艦どうしの信号のやりとりといっても公文書、すべて記録に残ります。なので文面は堅苦しいですが、これは
「演習終わった~!さて打ち上げゴルフやるぞーヒャッハー!」
ということ。この流れでわかるとおり、「兵器」はクラブセットのことです。
こういうエピソードは海軍史を紐解くと枚挙にいとまがないほど、海軍はゴルフ三昧でした。

が、 陸軍は「ブルジョアの道楽」だったゴルフを目の敵にしており、ゴルフを嗜む人はほぼ皆無。そんな陸軍からすると、「目の上のなんとか」を真横に作られたようなもの。よく許可したなと。

 信太山ゴルフリンクスがあっけなく消えた理由はもしかして、陸軍聯隊の横にあったということも一因としてあったのかもしれません。
戦争だお国のためだと猛訓練にいそしんでいる横で、
「ナイスショット!」
なんてやられたら、軍隊としては目も当てられないですしね。

 

 

 

信太山ゴルフリンクスの跡を歩く

  

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まずは、阪和線の信太山駅からスタートします。信太山へは、駅を出てまっすぐ向かう道をひたすら直進します。誰ですか?左折して線路沿いをまっすぐ600mほど・・・なんて言っている人は(笑)


ゴルフ場跡!興味ある!是非歩いてみたい!

とテンションMAXな方には、まずここで悲報をお届けしないといけません。
信太山駅からゴルフ場までは、すべて上り坂です。それも真綿で首を絞めるような、緩やかで長~~~~い坂が延々と続きます。

ここ界隈は現在、普通の住宅地です。が、昔は阪和電鉄がハイキングやクロスカントリー場として開拓した「山」。信太に「山」がついている理由は、登っていけばわかります。
こんな環境です。探索する時はハイキングの格好とは言わないですが、ラフな格好がベストです。サンダルやヒールなんかで行くと、後で痛い目どころか、ヘタすれば住宅地という名の森で「遭難」するハメになります。

 

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駅からオール上り坂を歩くこと十数分、着きましたは陸上自衛隊信太山駐屯地
体力に自信がない人や運動不足な人は、ここでHPが1になります。ところがここはゴールにあらず、スタートラインに立っただけ。駅から駐屯地までの行程は、これから始まる「登山」の、ほんの準備体操に過ぎません。

ここで重要なことがもう一つ。自衛隊前までに、必ず水やお茶を買っておきましょう。
自衛隊からゴルフ場跡まで、コンビニどころか自動販売機すら一つもありません。
のどが渇いたー!水買っておけばよかったー!と後悔しても、人の気配すらしないエリアに入ります。
真夏だと冗談抜きで命に関わる事項なので、ご注意あれ。

 

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駐屯地の正門を離れ、一路山の方向へ向かいます。
ここからも、慢性的自殺を促すような上り坂が続き、運動不足もたたってヘトヘト。信太山駅からの道のりで体力を削られた私は、たかがこんな坂でも心拍数がヤバいことになりました。そんな私の横を、下校途中の小学生たちが走りながら駆け抜けて行く・・・若いっていいな。
無理をすると心臓がオーバーヒートしそうなので、日陰・・・すらない炎天下の中、道端にへたりこんでいたところ・・・。

 

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柵の向こうでは、自衛隊員が訓練中。
おそらく新入の隊員の基礎体力向上トレーニング中なのでしょう。みんなけっこうバテています。中には隊列から離脱してしまい、先輩か上官らしき人に押されている人もチラホラと。

「下向かんと、前ちゃんと見んとこけるぞ!」

「はい・・・」

「返事が小さい!」

「はいぃぃぃ!」

上官と部下の、厳しいながらもやさしいやりとりが私の耳と目に入ってきます。その柵の向こうでは、一人バテて座り込んでいるおっさんが一人・・・という構図です。

信太山駐屯地は、自衛隊の駐屯地としてはそれほど広くはないと思います。陸軍時代の半分以下ですし*1。しかし、山だけあって敷地内のアップダウンが激しく、本気で周回するとけっこうしんどいと思います。

それに比べ、上官or先輩のタフなこと。離脱した隊員を叱咤激励しつつ、ダッシュで隊列の前まで戻る。それも、新隊員(?)が半袖に対し彼らは長袖。この日の気温は、6月にもかかわらず気温は夏日に近い。それで長袖は何のハンデやねんと。なんだかんだで自衛隊員はタフやなーと感じた6月の暑い日でした。

 

ちなみに、自衛隊の敷地と一般の道の境界線には、こんなものがあります。

 

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境界線をあらわす石標です。自衛隊の敷地なので主は防衛省となっているので、「防衛」と書かれています。実際は、昔のものなので「防衛庁」なのですけどね。

 

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中には「防衛」の字が崩れ、中国語の簡体字のようになっていた石標もありました。

 

これらの石標は、駐屯地を周ると数十個はあるのですが、その中でただ一つだけ、

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「陸」と書かれた石標があります。旧陸軍からの生き残りです。

石標マニアやミリオタによると、「陸」の文字を四角で囲んだ石標はなかなか珍しいらしい。数十本のうち一本しかないこの石標、探せるものなら探して・・・駐屯地入り口のすぐ近くにあるので、すぐ見つかります。

それにしても、他はすべて「防衛庁」に替えられたのに、何故これだけ陸軍のままなのか。それが素朴な謎として残りました。

 


電柱に注目!

ここにゴルフ場があったという現物は、おそらく残ってはいないと思います。しかし、ここには○○があったということが、意外なところで発覚したりするのです。

 

自衛隊駐屯地を離れ、景色が本格的に緑一色しかなくなってくるころ、ゴルフ場跡への道沿いにある電柱を見てみました。

 

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左側は「丸笠」となっています。近所に丸笠神社や丸笠団地があるので、おそらく昔の地名なのだと思います。

対して右側を見てみると・・・

 

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電柱に「ゴルフ」という文字が!
ここがまさしく、信太山にゴルフ場があったという間接的な証拠となります。

 

 


こんなところの「大阪市」

 

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こんなところや、

 

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こんなところをさまよいながら。

(※こんなところですけど大阪府です)

 

信太山を「トレッキング」すること数十分、ようやくたどり着いたのは、

 

 

 

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「大阪市立信太山青少年野外活動センター」というところ。

 

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名前の通り、信太山という自然の中でキャンプやアウトドアを楽しむ公共施設です。

信太山丘陵を一つの山とすると、ここあたりが頂上近くとなります。ここまで来ると、信太「山」ではなくミニチュアの「高原」。自然いっぱいの環境で、隣は住宅地になっているものの、それを感じさせない静かな森林です。信太山にこんなところがあったのかと、改めて気付かされました。

さらに公共施設だけあって料金も控えめらしく、最近はアニメの「ゆるキャン」の影響か、若者の団体使用が増えているのだとか。

 

くどいようですが、ここは「大阪市立」です。
「和泉市なのになんで『大阪市立』なの?」
という疑問が湧きませんか?私も看板を見た当初は、先入観で「大阪『府』立」と自動変換されていたほど。

 

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ここあたりの土地、実は大阪市の所有となっています。住所は和泉市ですが、土地登記上は大阪市の飛び地のような存在となっています。
大阪市となんの縁もゆかりもなさそうな信太山に、なぜ虫食いのような「大阪市」が存在しているのか。

この事実とゴルフ場、実はものすごく関係があったりします。

 


ゴルフ場の前は・・・

ここ一帯が信太山ゴルフリンクスというゴルフ場だったのは、実質1935年~1942年?です。
では、ゴルフ場になる前は何だったのか。


ここ一帯は江戸時代、「伯太藩」という小藩がありました。非常に小さい田舎の藩だったのですが、いちおう13,500石の大名でした。
明治時代以降は廃藩置県により大阪府となったのですが、そこを藤沢薬品工業*2という会社が買い占め、樟脳生産のためクスノキを植えようと試みました。

昭和10年藤沢薬品工業樟脳の広告

昭和10年藤沢薬品工業樟脳の広告

樟脳は防虫剤や外用薬の原料となり、薬品会社としては重要な商売道具となります。


しかし、信太山の土壌と環境がクスノキの生育に合わず、社長の別荘地以外を阪和電鉄に売却。阪和はそこをゴルフ場にしたという経緯です。

藤沢薬品の別荘はゴルフ場と別に存在し、戦後ゴルフ場と共に米軍に接収されてしまいます。接収中、白いペンキを塗りまくったりと度を越えたDIYを行ったらしく、解除後にそれを嫌った社長が大阪市に売却。「藤沢会館」という施設を経て現在に至っています。


ゴルフ場がなくなった後

信太山ゴルフリンクスが廃止されたのは、資料により1943年(昭和18)だったり1942年だったり、情報が錯綜しています。たった72~3年前のことなのにね。
謎度が高い案件ですが一つだけ明確なことがあります。それは、「大阪市がゴルフ場の跡地を買収した」ということ。
大阪市が契約したということは、公文書が大阪市に残っているということ。やはりちゃんと資料が残っていました。
契約したのは1942年のことで、買収土地も86,293坪とゴルフ場の面積と一致します。
買収目的は「健民生活指導所」と、市立中学校の運動用地確保のためでした。

 

謎の施設、健民修練所

後者はさておき、前者の「健民生活指導所」とは一体なのか。
これはまたの名を「健民修練所」といい、
「強い兵は健康な男子から生まれる」
をモットーに全国に3000ヶ所ほどつくられたとされています。
数ヶ月~1年間の集団生活で「お国の役に立たない男子」を鍛える施設・・・と書くと聞こえはいいですが、実際は悪名高き収容所と伝えられています。


健民修練所に収容された一人に、あの手塚治虫がいます。
手塚は西宮にあった大阪府立の健民修練所に収容されました。子供向けに書かれた手塚の随筆、『ガラスの地球を救え』にはそこの記述がありますが、本人がここを「ラーゲリ(強制収容所)」と称しており、環境が劣悪すぎて逃げ出したほどでした*3
手塚はここで感染した病気で健民修練所を離れますが、それが原因で手を切断一歩手前の重症を負います。病気が悪化してホントに切断していれば、漫画の神様は存在していなかったことになります。


そもそも、健民修練所自体が謎の施設扱いになっており、そんなのあったんだと初めて聞く人も多いと思います。

私もこれを機会に、ざっくりとながら全国のデータを探してみたのですが、ほとんど出てきません。手塚治虫が収容されず、漫画やエッセイで書いていなければ、健民修練所なんて歴史のヘドロの中に埋もれたままだったでしょう。もしかして、それほど「ヤバい施設」だったのかもしれません…。

信太山の健民修練所も、実在までは確認できます。ただ、中身がどのようなものだったのか、規模はどれくらいだったのかなど、阪大や市立大学の研究者が数年かけて調べても資料が出ないようで、詳細は未だに闇の中です。

 

ゴルフ場の夢のあと

ゴルフ場の跡は現在、「大阪市立信太山青少年野外活動センター」と前述しました。そこで果たして、ゴルフ場だったという痕跡は中に残っているのだろうか。

中に入って探索した瞬間、巡回していた係員に止められました。

 

「ここにゴルフ場があったと聞いて見学に」

そう言うと、

「ああ、ここがそうですよ!」

と意外な返答。

「ぶっちゃけ、ゴルフ場の跡なんか残ってます?」

と聞いたところ、もう70年も経ってますからねー、残ってませんと前置きして、こんな話が。

関係者以外立入禁止のところに、あるコンクリートの基礎が見つかったそうです。山の中なのでもしやゴルフ場の何かの痕跡か!?と関係者は舞い上がったそうですが、それにしては基礎がやけに新しいと確証が持てず、現在まで放置プレイされているそうです。

 

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許可を得て、足元に野生のキノコが生えているようなセンター内をくまなく探索したものの、ゴルフ場らしき跡は見つからず。どうせダメモト、あったら奇跡という心持ちだったのでガックリはしていません。むしろ、信太山にこんな自然豊かな場所があったのかと、違う方向のベクトルに関心が向いていました。

 

なお、信太山青少年野外活動センターをウロウロする場合は、事務所で申請が必要です。事務所に行き職員に声をかけ、名札をもらうだけの話(当然無料)なので、面倒臭がらず申請しましょう。

 

 

「ゴルフ」を追って

ふつうのブログであれば、

「信太山のゴルフ場の跡は、何も残っていませんでした。調査終了、おしまい」

と終了宣言でしょう。

しかし、ないですか、ああそうですかで終わる私ではない。しんどい思いしてここまで山を登って、ここで終わってたまるか。これが「昭和考古学者」スピリット。

 

真夏に近い日照りの中、汗をかきながらひととおりゴルフ場敷地と推定されるエリアを周回してみました。すると、あることに気づきました。

電柱に書かれた「ゴルフ」の範囲が、想像より広いぞと。

 

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赤で塗ったところは、航空写真を含めた探索前の事前調査で、ゴルフ場跡だと目星をつけたところです。信太山青少年野外活動センターが黄色くなっていますが、ここに上述した藤沢薬品の社長別荘が建てられており、戦後に会社がイラネと大阪市に売却した敷地です。

 

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昭和17年の地図でも、ゴルフ場の横に広々とした敷地の屋敷が建っていることがわかります。

ゴルフ場をしのばせる現物は残っていませんが、道筋をよく見ると、

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ゴルフ場を縦断していた道が、現在でもそのままの筋として残っていることがわかります。

 

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上の矢印あたりがこんな感じで、

 

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下の矢印はこんな感じになっています。道幅もいじくっていないはずなので、当時のままのはずです。

かつてゴルフ場があったエリアは金網が張られ、中にはいることはできません。

 

信太山ゴルフ場跡

信太山ゴルフリンクス跡

しかし、現在は完全に自然に還っています。中に入るまでもないでしょう。

 

信太山ã´ã«ããªã³ã¯ã¹

かつてここに芝生の緑がまぶしいゴルフ場があったなど、とても信じられません。

 

 

現在は山荘公園という緑地になっている、ここもおそらくかつてのゴルフ場じゃないかと思われる森を抜けると、「山荘」という信太山高原の住宅地に到着します。 

 

「山荘」という、まるで別荘地のような優雅な名前ですが、 

 

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ここも阪和電鉄が開発・・・ではなく不動産業者が分譲型高級住宅地として開発した町でした。ゴルフ場のすぐそこに住宅地・・・という響きだけでもブルジョアジーの響きがします。

といっても、阪和電鉄と全く関係がなかったわけではなく、ここで家を買うと阪和電鉄の半年間無料パスがプレゼントされました。もっとも、上野芝などの直営住宅地の一年間フリーパスに比べると、お前ら直営じゃないから半分ねとちょっとセコい。

山荘町は昭和17年の航空写真には残念ながらギリギリ写っていなかったものの、昭和23年の航空写真では住宅が建っているので、今回ここは関係あるまい。そう思いながらも、「念のために」電柱を見てみました。

 

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すると、やはり「ゴルフ」なんですよね。この山荘町も、「ゴルフ」電柱が多いのです。

 

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黄線を中心に、山荘町の電柱を追っていったのですが、けっこう奥地まで「ゴルフ」が続いています。

 

 で、体力の限界まで山荘や隣の黒鳥町周辺の「ゴルフ」電柱を調べていったところ、奇妙な地図が出来上がりました。

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 緑で塗った部分が、電柱に書かれた「ゴルフ」から推定される、ゴルフ場の敷地(?)です。思ったより広範囲です。

この山荘町から「下山」していく道の途中の電柱も、上の地図の下の方にある「黒鳥山公園」を境界線に「ゴルフ」が並んでいます。その電柱はちょうど山を降り住宅地が見えるところで途切れていました。

 

 

阪和電鉄、もう一つの謎の施設

この信太山ゴルフリンクスを追っていくうちに、阪和電鉄が絡んだもう一つの謎が浮かび上がってきました。謎が謎を呼ぶ謎の私鉄、実にミステリアスや。

昭和6年8月1日、阪和電鉄は信太山に「阪和スヰートハウス」なるものを建設します。

 

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上の広告はオープン初日に『大阪朝日新聞』に載せた新聞広告ですが、これを見た最初の感想は、なんじゃこりゃ!?でした。貸し別荘のように見えるけれど、これでは何の施設なのか皆目検討もつきません。

郷土史の『和泉市の歴史4 信太山地域の歴史と生活』(和泉市教育委員会篇)によると、ハイキング・トレッキング客のために料亭や休憩所、宿泊所などが作られたそうで、利用料金は1棟昼間1.5円、夜間2円。さらに後年には温泉も引かれるようになったそうです。やはり貸し別荘のようなもののようですね。

 

それがどない謎やねん!?というと、謎は2つあります。

一つは場所。上述の本には、

「黒鳥山の野砲兵聯隊練兵場の裏手にあった」

と書かれています。しかし、裏手って一体どこやねん。この本はゴルフ場の「横」といい、これの「裏手」といい、煙に巻くような表現ばかりで現場が混乱するっちゅーねん。

という愚痴はおいといて、これがどこにあったのかを探してみました。

 

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昭和21年(1946)6月、終戦1年足らずの頃に撮影された、信太山界隈の航空写真です。

 

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薄い赤は、陸自信太山駐屯地となっている旧野砲兵第四聯隊、緑はゴルフ場推定地、黄色は別荘、そして濃い赤の部分が練兵場です。ここは現在、黒鳥山公園の一部と黒鳥第二住宅という住宅地になっています。

この練兵場の「裏手」に、「スヰートハウス」が作られたそうですが・・・。

 

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とりあえず、「練兵場の裏手」とやらを拡大してみたのですが、家すらありません。

 

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最初は、赤で丸をした家が怪しいと睨んだのですが、記述によると「スヰートハウス」の建物は複数あったはずなので、おそらくハズレでしょう。

 

他にもめぼしいところを探してみたのですが、結論は

 

わからん!

 

以上。

 

 

 第二の謎は、その宣伝の少なさ。

 

阪和電鉄新聞広告

阪和電気鉄道観光案内

阪和電鉄は、とにかく客を増やそう、電車に乗ってもらおうと様々な経営努力をしていた会社でした。

新聞広告も小さいながらも数多く打ち、カラフルなパンフも作成。広告を追っていくと、10年分の「阪和電鉄新聞広告コレクション」が出来ると思います。私が手元に保存している広告の画像だけでも、けっこうな量です。それだけに、広告費はけっこうバカにならなかったと思われます。

そんな広告狂(?)の阪和電鉄がこと「スヰートハウス」に関しては、ほとんど広告を打っていないのです。ひととおり「聞蔵」*4でオープン日より少しの間探してみたのですが、全く見当たらずでした。別の資料によると、「スヰートハウス」の広告はオープン初日のみだそうで、大々的にオープンならもっと頻繁に宣伝するはず。それが一度キリなのが実に謎なんですよね。

『和泉市の歴史4 信太山地域の歴史と生活』も、どうやらそこに引っかかったらしく、確かなことは「わからん」としています。ただし、もしかして隣の軍の接待所として使われていたのではないかと、ささやかながら推測しています。

 

この「スヰートハウス」については、現在とある博物館に、資料請求をお願いしています。「見つかればばお見せします」とのことなので、もしあればここにて追記します。もしも、いや万が一ですが、新事実が多い場合は別記事にして発表します。ただ、現時点では「ありませんでした」という可能性もあるので、その場合はあしからず。

 

 

おわりに

このゴルフ場の件は、何で知ったのか。今となっては思い出せません。しかし、ここで自分の中の郷土史のミッシング・リングがわずかに、しかし確実に判明したことは、さらなる歴史発掘の良き経験になったかと思います。

しかしまあ、まさかこの界隈、自動販売機すらないとは思いませんでした。しんどい以上にのどが渇き、本当に「遭難」するかと思いました(笑

 

探索するみなさん、気をつけて下さい。

 

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信太山には「ノドカワイーター」という魔物が棲んでいます。信太山を登る人間から水分を奪い取る、怖い魔物です。

これを強調しておいて、今回の「発掘」は締めとします。

 

 

*1:残り半分は現在、和泉市黒鳥町の住宅地になっています。

*2:現在は山之内製薬と合併し「アステラス製薬」に。

*3:ただし、当時の環境から逃げ出したのはフィクションだったと主張する元収容者もいます。

*4:過去の朝日新聞の記事がネットで閲覧できるサイト。