昭和考古学とブログエッセイの旅

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台湾の標準時が変わる!?そこから見える台湾の「脱中華」

昨日、夜も遅いしそろそろ寝ようかと思っていたところ、スマホであるニュースを見てビックリ仰天しました。

 

台湾の標準時変更か現状維持か

台湾の標準時をめぐり、市民から変更と現状維持で対立する要望が寄せられたのを受け、内政部は19日、標準時変更は形式上のものになる可能性があり、効果は限定的だとする見解を公表した。
発議者は変更の効果について、中国大陸と台湾が互いに従属していないことを海外からの旅行者に象徴的に訴えられると主張していた。

市民からの提案は、公共政策について一般市民から意見を募るサイト「公共政策網路参与平台」に提出された。
10月16日に標準時を現行のGMT+8(グリニッジ標準時から8時間進めた時刻)から、日本や韓国と同じGMT+9に変更すべきだとする提案が発議された後、同20日には同提案に反対する市民から現状維持を希望する意見が出され、いずれにも立案に必要となる5000件を大きく上回る8000件以上の賛同が寄せられた。
先月24日、提案に関する会議が行われ、発議者や賛同者、所管機関の内政部をはじめとする関係機関の職員が意見を交わした。 

japan.cna.com.tw

 

この話のきっかけは、2ヶ月前のこちらのニュースからでした。

台湾の標準時「日韓と同じに」 提言に多数の賛同集まる
中国と同じ時間帯にある台湾の標準時を1時間早めて、日本や韓国と一緒にする案が、台湾当局の検討課題として取り上げられることになった。
経済政策などを所管する「国家発展委員会」のサイトに寄せられた提言に、多数の賛同が集まったため。同委は2カ月以内に見解を示す予定だ。

www.asahi.com

 

2ヶ月前の10月、

「時間帯を日本・韓国と同じにすべきだ!」

という声が、「国家発展委員会」という政策提言サイトにあがりました。このサイトで5000人以上の賛同があると、政策としての俎上に載せることになっているのですが、その5000人の壁は3日で突破し、8000人以上になったとのこと。

その動きに台湾の内政部(内務省)は、2ヶ月の時間が欲しいと検討を開始、12月19日に内政部の見解が発表されたという流れです。

内政部の見解は、

「変わったからって、何が変わるってことないんじゃないの?」

と消極的で、台湾の標準時が変わる可能性はおそらく低いと思われます。しかし、まだゼロではない上に、そもそもなんでこんな声が出始めたのか。今回は、そこを見て行こうと思います。

 

 

何故時間帯を変更しようとしたのか?

中国と台湾

ここ数年来の台湾には、ある一定の潮流があります。

それはずばり、「脱中華」

標準時変更の理由にも、

「中国と一緒じゃ中国の一部と間違えられないため」

「台湾は中国に非ずという表明として良い」

という声からきています。

ここで誤解してはいけないのは、脱するのはあくまで「中華」であって、イコール中国の否定ではないということ。「脱中華」によって台湾は中国に非ず、別個かつ対等な関係だという自己主張です。これは現政権が常々主張してきたことと一致しています。

それで思い出すのは、以前李登輝元総統が司馬遼太郎に語った、「一つの中国、一つの台湾」という言葉。20数年前のことですが、この言葉にようやく血が通い始めたということなのかもしれません。

 

台湾は果たして「中国」なのか。それとも中国ではない何かなのか。

これは台湾人のアイデンティティの根っこにかかわる問題です。長年、台湾人はこれに悩み、頭痛の種として残り続けました。

私はちょうど20年前の1997年に台北に住んでいたのですが、数十年の蒋家教育が浸透していたか、「台湾人は中国人でもある」という意識が強く残っていました。

まだ「本省人」「外省人」の対立が残っていたころで、当時総統だった李登輝氏が、
「対立の時代は終わった。『台湾人』として一つに固まろう」
と呼びかけていた時期でした。また、日本大好きな若者である「哈日族(ハーリーズー)」が表に出てきた頃でもあります。
 

中国人と台湾人の間をフラフラ泳いでいたアイデンティティが、中国の対台湾政策の失敗などもあり、台湾人意識の方にシフトしてきたのは、2000年代後半に入ってから。ここ数年来は、自分を台湾人だと思う人は常に8割以上越えており、ピーク時には9割が台湾人を選択。私が台湾に住んでいた時とは明らかな心情の変化が見て取れます。

しかし、我々は台湾人だと声高々に主張しても、中国が「中華民族」という甘いエサで揺さぶりをかけてかけていました。台湾人のアキレス腱を確実に狙って煽る中国のやり口は、さすがというか中国らしいというか。

しかし、それ以上に問題だったのは、

「毒入りきけん、たべたら中国人になるで」

と書かれている「毒入り中華まん」を、ホイホイと食べちゃう台湾人のアイデンティティの根っこの浅さ。台湾人も漢民族ながら、中国人のやり口を知らなかったのです。

 

いつまで経っても固まらなかった、台湾人のアイデンティティの凝固剤となったのが、日本統治時代でした。

若者のもう一つの潮流に、「懐日」があります。「懐日」とは直訳すると「日本統治時代を愛でる」ということですが、台湾人アイデンティティの地盤が固まり始めた2010年代から始まった、新たな文化潮流の一つといってもいいでしょう。日本統治時代の建物を修復し再利用したり、文化財として保存する動きは日本でもたまにニュースになっていますが、これも「懐日」の一つです。

戦後台湾の日本に対する感情は、日本人が知らないところで「親日・愛日」から「哈日」(知日)、そして「懐日」へと動いているのです。

何故「懐日」の流れが生まれたのか。

自分たちのアイデンティティを「中華」に求めるのか、それとも「台湾」に求めるのか。台湾人はその間をユラユラと動いていました。

しかし、2008年に成立した馬英九政権による台中交流で彼らは見てしまったのです、中国と中国人の現実を。その結果、自分たちは中華ではない!という結論に達しました。やはり自分たちは台湾人だと。

そういう意味で馬英九前総統という人は、パンドラとは言わないけれど、とんでもない箱を開けてしまった張本人でしょうね。もしも台湾が将来的に「台湾共和国」として独立したら、彼を祀る馬英九神社が建つかもしれません。神様は神様でも「逆神」という意味ですけどね。


しかし、その台湾人としてのアイデンティティの土台を一体どこから求めるのか。
これが浅いから、いつも「毒入り中華まん」を食わざるを得なかった。
毒入り中華まんはもう食いたくない。しかし、原住民は文化面の土台としては貧弱で、熟した台湾文化全体を支えられない。
そこで彼らは気づきました。好む好まないにかかわらず、自分たちは少なからず日本の影響を受けていると。日本による台湾統治期間は、長い台湾史の中でもたった50年です。しかし、その50年が現代に決定的な影響を与えている。我々のアイデンティティは日本にある、台湾の文化を支える大きな柱は日本だと、改めて気付かされたのでしょう。
そして日本統治時代を、自分たちのお爺ちゃんお婆ちゃんが生きていた時代をもう一度、いろんな角度で見つめてみようと。

私は、「懐日」の流れをこう読んでいます。

 

日本にはかつて時間帯が複数あった


ここまで書いたところで、私の頭の中にある疑問が浮かびました。

「日本統治時代の台湾の時間帯はどうなってたんやろか?」

自分で言うのも何ですが、台湾と中国に関して、特に台湾の日本統治時代とは無縁ではないので古今の文献を読み、そこそこ知っているつもりでした。台湾史に関するコラムを書けと言われれば、はいはいと書ける自信はあります。
しかし、時間帯については正直知りませんでした。
時間帯なんてほんの蟻の一穴。しかしそんな蟻の一穴を知らなかったのも事実。自惚れはいかんなと反省です。

 

明治28年(1895)日清戦争下関条約によって日本は台湾などを領有することとなりました。これはもう周知の出来事ですね。

台湾は清国から割譲され日本初の海外領土となったのですが、そこである問題が起こりました。
「時間帯どうすんの?」
日本政府はすぐさま対応します。同年12月、「標準時ニ関スル件」(明治28年勅令第167号)という法律が制定され、翌年すぐに施行されました。

 

西部標準時日本八重山諸島宮古島台湾


 これは東経120度を基準として新しい時間帯を設けるもので、時差は1時間(GMT+8)。現在と同じです。
長い日本の歴史の中で、初めて国内に時差が発生した瞬間でもありました。

 

この法律は下記の通りとなっています。

第一条 帝国従来ノ標準時ハ自今之ヲ中央標準時ト称ス

第二条 東経百二十度ノ子午線ノ時ヲ以テ台湾及澎湖列島並ニ八重山宮古列島ノ標準時ト定メ之ヲ西部標準時ト称ス

第三条 本令ハ明治二十九年一月一日ヨリ施行ス

 この西部標準時で重要なことは、

 

西部標準時日本統治時代台湾

適用範囲が台湾だけではなく、今でも日本である八重山諸島宮古島も含まれていること。つまり、昔の日本は石垣島宮古島にも時差があったということですね。
お互い地理的に近いのもありますが、昔から人とモノが行き来していたという歴史的な経緯もあり、同じ時間帯の方が便利だったのかもしれません。

 

しかし、昭和12年(1937)に明治28年勅令が改正され、西部標準時を定めた第二条がばっさり削除されてしまいます。よって、法令上は日本国内の時間帯が一つに統一されることとなり、それが終戦まで続きました。

この昭和12年の改正時、時の政府はあることをし忘れていました。

西部標準時が書かれた2条が廃止されたまではよかったのですが、「中央標準時」と書かれた第1条は文言そのままで残されました。この法律は現在でも有効なのですが、時間帯が一つしかないのに『中央』標準時」って、日本語としておかしくないかと。

 

 

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標準時で有名な兵庫県明石市では日本標準時となっており、これが世間に通用している呼び名となっています。海外関連ニュースでよく使われる「日本時間」も同じです。

が、実はどちらも、法的な正式名称は未だに「中央標準時」なのです。

 

そして日本の敗戦後、中国軍が台湾に「進駐」してきました。
その時にGMT+8だった中国に合わせ同じくGMT+8になり、現在に至るという経緯です。

 

歴史のIFとしてのお遊びですが、もし現在でも大日本帝国が続き西部標準時が台湾に適用されていれば、NHKの7時のニュースはどうなるのか。

「こんばんは。中央標準時夜7時西部標準時6時のニュースです」

なんだかまどろっこしいな。

 

民放の番組予告はどうなるのか。

 

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(※画像はあくまで歴史仮想モードです)

こんな字幕スーパーになってたのでしょうかね。

 

ちなみに、この関連でググると、
「日本統治時代の朝鮮や満洲国も、西部標準時が適用されていた」
と書かれているサイトに当たることがありますが、これは厳密には間違い。
まず朝鮮は、統治期間全般を通して日本の時間帯と同じGMT+9でした。
戦後、韓国が日帝残滓とかで30分ずらしGMT+8.5にしたものの、朴正熙大統領がまたGMT+9に戻して現在に至っています。
北朝鮮は2年前、「日帝に奪われた時間帯を取り戻す」とGMT+8.5にしましたが、
(ほんだら、なんで60年以上も放置しとってん?)
韓国でもGMT+8.5に戻すべきだと、2013年に国会で一度議論されことがあります。まあ、こちらはどうぞご勝手に、何なら中国に合わせてGMT+8にすればと。

満洲国は、建国当初こそ「西部標準時」を採用し、日本と時差が一時間あったものの、上記の西部標準時廃止で日本の標準時に統一されました。

また、直接の日本の領土ではないですが、南洋諸島委任統治領では3つの時間帯があったそうです。

 

このように、41年間ですが、日本には「台湾時間」が存在していたのです。

 

台湾の「脱中華」の動き

韓国はどんどん「小中華化」という先祖返りをしていますが、台湾は「懐日」を触媒にして「脱中華」に向かっている流れがあります。標準時の変更も、この「脱中華」への動きの一つとなり、アイデンティティが固まりつつある台湾人を動かしているということだと推測できます。

こういう話をすると、

「台湾は親日だから」

と書いている日本人がチラホラ見受けられますが、親日だからという理由だけで時間帯を変えるほど、台湾はおめでたくありません。歴史・経済・人間のドロドロとした利害・思惑が複雑に絡んだ国際政治を、やれ親日だやれ反日だという物差しだけで語るのは、幼稚だと言わざるを得ない。

そうではなく、「孤児」であった台湾が日本と中華という「親」から子離れし、一つの人格として独り立ちしようとしている時期だと思います。

この標準時変更についてはしばらく様子見ですが、台湾が歩もうとしている「脱中華」の動きは、日本も見守る必要がありそうです。

 

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