昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

映画『太陽の墓場』の舞台を歩く【昭和考古学】

 

釜ヶ崎あいりん地区

釜ヶ崎・・・事情を知らない人は、名前を聞いただけで恐れおののく(?)、あのあいりん地区です。


よそ者が入れば身ぐるみ剥がされ、女はシャブ漬けにされて東南アジアに売り飛ばされると恐れられた地域の特質か、現在でも言われたい放題言われています。
その昔は、確かに生半可に近寄れるものではない魔気を発していましたが、今はかなり毒気を抜かれた街になりました。たとえるなら、去勢された猛獣か。
ただし、好奇心だけで人にカメラを向けるのはやめておいた方がいい。

 

しかしながら、ここは「B級歴史学」、「昭和考古学」のネタとしてはうってつけの地域。表層を抜けて深く掘っていくと面白いものが見つかるのではないか。いや、必ず見つかるに違いない。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。敢えて「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所に泊まり、同じ目線で釜ヶ崎を見てみようと。最近は、「釜」のドヤに泊まるのがマイブームになっています。

「釜」自体を考古学するのはまだ先になりそうですが、今回は一本の映画を通した釜ヶ崎と大阪を「ブラのぶ」してみようかと思います。

 


今から約60年前の昭和35年(1960)、釜ヶ崎を舞台にした一本の映画が上映されました。

映画の名前は『太陽の墓場』

 

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監督は大島渚

私が物心ついた時分には、大島渚監督といえばTVタレントとしての顔が強く、

「『監督』と呼ばれとるけど何の監督や?」
と、幼い頃はいぶかしみながらテレビを見ていました。
今回が大島渚監督の映画の初観です。もう亡くなっていますが、今回初めて認識しました。この人、本当に映画作ってたんだと。

 

 

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映画のポスターです。

「総天然色」って何やねん!?と思ったのですが、たぶん「フルカラー」ということでしょうね。映画史には疎いですが、昭和35年だと映画と言えどもカラーの方が珍しかったのかしらん。

 

映画のストーリーを超手抜きに説明すると、釜ヶ崎に住む様々なアウトローたちが繰り出すシリアスな人間模様であります。
映画でのキーワードを羅列していくと・・・
「売血」「売春」「ポン引き」「愚連隊」「通天閣」「ルンペン」「日雇い労働者」「バラック」
当時の釜ヶ崎の代名詞的用語が勢揃いです。なんちゅーところやねんと、まともな神経の持ち主ならここでドン引きです。
映像を見るとさらにビックリします。

 

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戦災の痕がまだ残っているところは残っている昭和30年代とは言え、ここはホンマに日本なのかと。外国のスラムで撮影されたのかと思いきや、ところがどっこい大阪市内のど真ん中。

 

よく似たタイトルに、『太陽の季節』があります。
1955年(昭和30)に、石原慎太郎氏によって書かれた小説で、裕福な若者のちょっとやんちゃな物語。当時は売れに売れ芥川賞も受賞。「太陽族」という若者も出現した社会現象となり、翌年に映画化もされました。

対して数年後に上映された『太陽の墓場』は、売春・売血、そして殺人・・・生きていくためにはなんでもあり。社会のゴミの中に生きるゴミのような若者たちの物語。

同じ若者の青春映画なのですが、『季節』が陽なら『墓場』は陰。同じ『太陽』と名がついた映画でも、背景は真逆なのです。大島監督も、おそらくそこに焦点を当てたに違いない。

 

なお、『太陽の墓場』の詳しいストーリーは、以下のリンクをご覧下さい。

movie.walkerplus.com

 

 

映画の出演者たち

映画はヒロインの花子を中心として動きます。花子は「女」を武器に日銭を稼ぎ、己の利害のためなら敵とも手を結ぶ一匹狼の女性。実の娘にさえ手を出そうとする、天性の助兵衛の父親と暮らしています。

 

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花子役は炎加世子という女優が演じています。予告編には新人と書いてあります。

1941年生まれとWikipedia先生いわくなので、当時なんと19歳。釜ヶ崎の住人を直接スカウトしたんじゃないのかというほどの毒々しさ、泥水をすすりながら生きる「釜」の女性のたくましさを演じきっています。

ところで、劇内では花子がタバコ吸ってるシーンが所々で出現しますが、20歳未満は吸ったらあかんのとちゃうのん?今ならワイドショーの餌食となって監督謝罪会見不可避ですが、昭和30年代なのでそこらへんは、

「まあいいか~」

で済んだのでしょうね。

 

 

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もうひとりの主人公、武役は佐々木功(いさお)

彼もこの映画がデビュー作とのことなので、フレッシュな新人です。リーゼント崩れの髪型で決めた、甘いジャニーズ系の顔ですね。

 

で、この名前と顔で、

「もしかして、あの人?」

とピンと来た方、いるかもしれません。

 

その直感は正解!

彼の本業は歌手なのですが、今やこの御方は!

 

 

 

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「アニソン界の大御所」、ささきいさお氏です。

名前を知らなければ、『銀河鉄道999』(TV版)、『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を歌っている人と言えば、全員膝を叩くでしょう。

ちなみに、劇中でも『流氓(ルンペン)の歌』というものを披露していますが、やはり本職、ドロドロとした空気が清浄されるような声です。次に挙げる俳優の歌のヘタクソ具合とあいまって、さらにきれいに聞こえる(笑)

 

 

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もうひとりの映画の主役級である、愚連隊のボス信(しん)は津川雅彦。この人は説明不要でしょ。

血の気の多いヤンキーですが当時は20歳、ギラギラしていて若い。私が言うのもなんですが、微笑ましいほど若い。

津川雅彦と言えば、大河ドラマの徳川家康のようなずる賢い狸親父的キャラが私の頭の中にこびりついているので、こんな若い時期があったのね~と(そりゃそうや)。

 

映画にうるさい人達の間では、『太陽の墓場』に対しこんな意見があります。
「大阪が舞台なのに、みんな大阪弁ヘタクソ!」

 

映画と言ってしまえばおしまいですが、ここで敢えて弁護を。

釜ヶ崎は確かに大阪ですが、住人の出身は北海道から沖縄まで全国規模。「ルンペン最後の掃き溜め」と化したからこそなのです。現在でも釜ヶ崎の生活保護受給者の「大阪市出身と府下出身と非大阪人の割合」って、実は3:1:6です。*1 九州出身だけで7割を超え、大阪は九州の植民地ちゃうぞ!という市政への批判もあった時期もありました。
釜ヶ崎の歴史背景がわかっていれば、イントネーションがヘンテコな関西弁でも映画の背景としては特におかしくない。

さらに現実世界の問題を書くと、映画自体2ヶ月という超短スケジュールで作ったものなので、大阪弁をトレーニングする時間もなかったのでしょう。

 

ところが、津川さんの関西弁はネイティブが聞いても全く違和感なし。むしろ、あの津川雅彦がスラスラと関西弁しゃべっとるやんという、逆の違和感が。

そこに疑問を感じてWikipedia先生に教えてもらったら!

なんや、兄貴ともども京都出身やんかー。

 

 

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他の有名どころでは、「北の国から」などで有名な田中邦衛が、盗品を売って日銭を稼ぐ盗賊役として出ています。

釜ヶ崎などでは、「盗み」が職業として成り立っていました。泥棒を生業としている人が貧民街に少なからずおり、組織的に盗みを働いていたのです。釜ヶ崎とは限らないですが、戦前の大阪市調べの貧民街の職業データに、「泥棒:ん%」と書いてましたから…いやそれ捕まえろよと。

盗みはいけないって?そんな常識効かぬ通じぬ。それが魔街釜ヶ崎クオリティ。

 

 

この映画には、ちょっと変わった人も出ています。

 

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ジャイアント馬場に似ているこの人、名前も強烈ですが顔も一度見たら忘れられないレベル。

この人は羅生門綱五郎という元大相撲力士。黒澤明の『用心棒』でその異様な存在感が話題となり、映画マニアの間では有名なんだそう。

 

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劇内での花子(炎加代子)とのツーショットですが、彼女は当時の女性としてはかなり大きい162cm。それでも顔ひとつ分以上の差がありますね。羅生門の身長は203cmだったそうです。

この人のもう一つ特異なところは、本名を卓詒約(たくいやく)といい、台湾生まれの台湾人なところ。力士時代の四股名は「新高山一郎」。四股名からして納得ですが、台湾人力士は相撲史的に非常にレア。彼を入れて過去3人くらいしかいなかったはずです。

しかし数年後、羅生門は何故かプッツリと消息が途絶えてしまいます。Wikipedia先生でも「生死不明」とされているのですが、当時の台湾情勢のこと、もしかして陰で政治活動に絡んで特務(秘密警察)に…の可能性もあります。

 

 

そしてもうひとり、すごくレアな人がいます。

 

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右端の永井一郎って誰かわかりますか?

(上の画像の右下のタイトルは、単に私の記入ミスです…スルー推奨w)

 

 

 

 

え?わからない?

 

 

 

 

 

 

 

 

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ばかもん!!

 

あの世から波平さんの怒声が聞こえてきそうです。

 

永井一郎って波平さんの中の人です。

永井は「ヤリ(香車)」というあだ名のルンペン役なのですが、

 

 

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赤矢印のどちらかなんですよね・・・。でも、

 

 

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この公式プロフィールの顔のイメージが強すぎて、確証が持てません。

永井は豊中市出身の大阪人であり、アニメ『じゃりン子チエ』ではネイティブの大阪弁で演技してます。また、現時点でわかっている限り、これが彼の映画初出演でもあります。当時29歳。

 

声優という職業は、そもそも日本が発祥です。しかし永井もそうですが、アニメや映画の吹き替え創世記から活躍していた声優は皆、舞台を中心とした劇団所属の俳優でした。

俳優と声優、現在はほぼ分業されていますが、古い時代からの声優はみんな劇団員。今回の永井一郎の例も、

「声優さんが映画に出てる!」

ではなく、そもそもこっちが本業。元はみんな俳優女優、いや今でもそうなのです。

 

 

『太陽の墓場』の現代を歩く

 

映画では、当然の如く昭和30年代当時の釜ヶ崎が映像として出てきます。
一部セットを作っているものの、ほとんどはリアルの釜ヶ崎を利用しています。
その姿は、今にも壊れそうなバラックが立ち並ぶ、圧倒的なスラム力。映像から悪臭がただよって来るような、不潔・不良・不道徳の三拍子。
当時のリアルな映像がドブ川なら、今は四万十川の清流。同じ場所とは到底思えない。

今の釜ヶ崎なら全然住めますが(物価が1ランク安い)、昭和30年代の釜ヶ崎に住めと言われたら、全力で首を横に振ります。おそらく、今でも残る釜ヶ崎のスーパーダークなイメージは、昔々のものを引きずっているだけなのでしょうね。

 


通天閣

 

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現在の二代目通天閣は、1956年(昭和31)に建てられました。つまり映画の通天閣は築4年以下だった、まだできたてホヤホヤの時の姿です。

通天閣自体は当時から全く変わっていませんが、周囲の風景は当然の如くすっかり変わっています。



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このシーンも、どこか皆目検討もつきません。

しかし、昭和30年代の大阪の下町がどんな雰囲気だったのか、映画の映像が伝えてくれている気がしてなりません。

  

 

鉄道交差点のロケセット

『太陽の墓場』のすごいところは、当時の釜ヶ崎を掛け値なしで、ほぼそのまま使っていること。当時はかなり冒険だったと思いますが、そこを大胆に使ったのもまた大島マジックか。

しかし、セットは若干作っているようです。

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田中邦衛さん演じる泥棒稼業のルンペンが、盗品を抱えて走ってくるシーン。主人公の花子の家もここあたりにあるという設定ですが、これはロケセット。上の画像の木の柵と背後にある盛り土は関西線、今のJR大和路線です。 

 

実は、『太陽の墓場』は本編の他に、予告編の映像が幸いYoutubeに残っています。本編で使われなかっただろう映像も使われているのですが、そこにセットが映っていました。

 

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国鉄関西線と南海電車が交わるところを走る汽車のシーンから、

 

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カットが切れることなくこのセットが設けられた場所へ移ります。ロケを見ている野次馬、カメラマンなどのスタッフも見えます。これで場所は確定。

どんな場所だったのかは、タイトル文字が邪魔でよく見えませんが、本編では別角度からの映像もあります。

 

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手前がロケセットで、奥はおそらく本物のスラム街。コンクリートの壁は南海電車の高架です。

 

 

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ロケセットがあった場所は、ここで間違いありません。

 

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セットが作られた場所は2018年現在、このとおり。写真正面、今は道になっている部分にセットが造られていました。関西線との線路の境界線にあった木の柵は、今は金網になっています。

 

ちなみに。

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上に挙げたこの汽車の画像ですが、なんの考えもなくTwitterにアップしました。するとこれは「珍」だと「車両鉄」というジャンルの鉄道ファンが食いつき、イイネ3,000、リツイート2,000の花火大会となりました。何故そんなにバズったのか。理由は別記事にて。

 

 

地下鉄動物園前駅

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映画では、地下鉄の駅も出てきます。ある試みのために、釜ヶ崎中に顔が利く花子が駅周辺のルンペンをかき集めているシーンです。
釜ヶ崎にある地下鉄の駅と言えば、動物園前駅。しかし、駅を上がっても動物園はなく、むせるほどの大阪臭がたちこめる「釜ヶ崎前」です。地理的に言って「釜ヶ崎」とつけられるべきなのですけどねー。

改名の話は、あったことはあったそうです。

「動物園前って名前ダサい。名前変えない?」

という話が大阪市交通局かどこかで挙がった時、反対派が一言。

「なら『釜ヶ崎』にしまっか?」

この一声で改名の話はなくなったという話を、風のウワサで聞いたことがあります。

それほど「釜ヶ崎」はNGワード。「あいりん地区」という、ネーミングセンス意味不明の名前に変えさせられたのも、「臭いものには蓋をしろ」の行政版です。

 

 

 

それはさておき、映画に映った地下鉄の出口はどこか。

 

 

 

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 2018年現在、映画の入口は「動物園前駅③出口」として健在です。壁面タイルなどは取り替えられていますが、外観は変わっていません。
駅の背後にある電話ボックスも、今は3台に増えていますが位置は変わっていませんね。

 

この時のシーンには、駅へ通じる階段も映っています。

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 階段の上に、地下鉄の始発・終電が書かれています。御堂筋線の「梅田行」と「あびこ行」と書かれているのですが、ここからわかることは、

・北は梅田までしか開通していない(新大阪までの開通はこの4年後)

・南はあびこまでしか開通していない(なかもずまでの延伸はもっと後)

・堺筋線がない(未開通)

 

この映像でもう一つ、わかったことがあります。

『太陽の墓場』の全国上映は、昭和35年(1960)の8月9日です。対して御堂筋線があびこまで開通したのは、年7月1日。ここから映画の上映が、1ヶ月ちょっとの間しか空いていません。

上にも書いたとおり、この映画は2ヶ月というド短期の製作でした。このカットは、あびこ開通直後の7月頭か中旬くらいに撮影されたのでしょう。かなり切羽詰った日程で作られたことを示す、さりげない発見です。

 

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2018年現在は、こうなっています。

 

 

阪堺線ガード下

愚連隊に入った武と彼の幼馴染。
幼馴染の方は数々の犯罪に手を染め、愚連隊と釜ヶ崎の空気に馴染んでいくのですが、根がやさしい武は馴染めず、悩みに悩みます。
愚連隊を何度も抜けては捕まり、仲間によるリンチ一歩手前でボスの信が庇ってお咎め無し、ということを繰り返しました。 

 

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この武、今でいう草食系男子です。無鉄砲な分ヤクザより質が悪い愚連隊のメンバーにしては、純粋で優しすぎるのです。やさしいことは良いことです。ただし、釜ヶ崎ではそれが命取りにもなりかねない。

男など「釜」のドブネズミかミナミのヤクザしか知らない花子は、そんな武を見下します。が、純粋さを保つ武の心に母性を感じたのか、何かと世話を焼き始めます。

花子に声をかけられた武は後ろを振り向き、その時阪堺線のチンチン電車が前を通り過ぎます。

 

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この場所は、釜ヶ崎に詳しい人なら説明不要なほど有名な「ガード下」。
現在は金網だらけで当時の風情を感じさせませんが、金網を除くとここは変わっていません。

 

「阪堺線ガード下」は、地下鉄堺筋線動物園前駅の9番出口のすぐ前です。丈が異様に低いガードは、まるで異世界へ続く大きな洞穴のように見えることもあります。

ガードを抜けると、そこは空気の流れすら変わる別世界。人によっては先へ入ることを本能が拒否し初め、人によってはこれが俺の求めていた釜ヶ崎だと狂喜する、「真の釜ヶ崎」

 

 

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釜ヶ崎には、「広義の釜ヶ崎」「狭義の釜ヶ崎」があります。

赤枠で囲んだ「広義の釜ヶ崎」は、かつて売春や麻薬の密売が盛んで、警察が危険地帯とマークしていたところ。部外者が「釜ヶ崎」と聞いて漠然と認識するエリアは、こことなります。

阪堺線を境界線として西にある、黄色で囲んだ「狭義の釜ヶ崎」は、日雇い労働者の本拠地。ここを南北に貫く紀州街道沿いに木賃宿(ドヤ)ができ、貧民が集まった元祖です。過去に数回暴動が起きたところも、『じゃりン子チエ』の原作のモデルの街も*2、「狭義の釜ヶ崎」です。

今回は詳しく語りませんが、外国人旅行者のベースとして脱皮しつつあるのは、「広義の釜ヶ崎」の方。「狭義の釜ヶ崎」は隣の外国人ラッシュには完全に背を向け、外国人と女性の宿泊を頑なに拒絶しています。宿泊料も、「広義」と「狭義」のエリアでは2倍以上の差があります。っても、1000円か2000円の違いですけどね*3

 

 

三角公園

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「狭義の釜ヶ崎」には、「三角公園」と呼ばれる有名なルンペンのたまり場があります。

 

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「三角公園」の正式名称は「萩之茶屋南公園」というのですが、誰もそんな名前では呼んでいません。みんな「三角公園」です。私もGoogle mapを見てビックリ。

「ここって『三角公園』ちゃうのん?」

と。

 

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2018年現在の「三角公園」。映画とほぼ同じ角度で撮ったつもりです。

この写真ではわかりにくいですが、ここでは今でも住居にあぶれたルンペンが、バラックを建て生活しています。彼らに対するボランティアの炊き出しも、ここで行われます。
ここでは、好奇心だけで絶対にカメラを向けないように。上の写真も、彼らの見えない(だろう)安全圏から最大望遠で撮ったにすぎません。
何度も言いますが、釜ヶ崎は昔に比べて確かにクリーンになりました。が、そこからもあぶれた人たちの最後の牙城が「三角公園」。
無用のトラブルを避け・・・いや生命が惜しければ、スマホですら収めておいた方が良い。いや、ここの「魔気」に呑まれ自然に収めることになると思います。

 

ここでちょっとコーヒーブレイク、歴史の寄り道を。

 

歴史の小ネタ。「三角公園」にあった駅

 

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(今昔マップ京阪神版より。1974年地図)

かつて、天王寺~天下茶屋間を南海電車が走っていました。南海天王寺支線です。

平成5年(1993)に全線廃止となったのですが、昭和50年代以前生まれの大阪人なら、天王寺駅の端のホームに申し訳なさそうに止まり、大阪の真ん中を2両、または1両だけで走るローカル線の姿に見覚えがあると思います。

この天王寺支線、たった2.4kmの短い支線だったのですが、途中駅の変遷が激しい路線でもありました。上の地図での停車駅は「今池町」のみとなっていますが、戦前は別の駅が存在していました。

 

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(1939年大阪市街地図より)

今池町駅がないかわりに、「大門前」「曳舟」の2つの駅がありました。この2つは、昭和20年の大阪大空襲で破壊され、駅として全く機能しなくなっため戦後すぐに廃駅となりました。特に曳舟駅には、1トン爆弾が直撃したのかクレーターのような穴が開き、池となっていたそうです。

この2つの駅、地図でわかるとおり存在していたことは確かです。しかし、どんな駅だったのか、写真が残っていないのです。

しかし、こんなものを見つけました。

 

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昭和17年(1942)、大阪市所蔵の航空写真です。昭和17年だと駅が消失してしまう前のこと、駅は存在しています。

 

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写真を極限まで拡大すると、ホームらしきものの他に、駅舎っぽい建物もある気配がします。ホーム(推定)は一つしか確認できないので、曳舟駅はおそらく島式一面でしょう。そんなことすらデータが残っていない、幻の駅なのです。

しかしながら、今回これらの幻の駅が、航空写真とは言え写真で確認が取れました。

その曳舟駅と同じく、爆弾の直撃を受けて更地となった跡にできたのが、あの「三角公園」です。航空写真を見ると、「三角公園」の形で住宅が密集していたことがわかります。幻の曳舟駅は、ここに存在していました。

 

 

あれ?昭和3x年?

写真の時系列がズレるのですが、オープニングで日雇い労働者が売血、つまり自分の血を売ってお金にするシーンがあります。売血という行為自体がショッキングに感じると思いますが、当時は違法ながら当たり前に行われていました。

 

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で、そこに映っていたカレンダーに妖気を感じ・・・ではなく、不可解さを感じました。

カレンダーには「7月3日 木曜日」と書いています。

 

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昭和35年7月3日は日曜日。よって、映画が上映された昭和35年のカレンダーではないことは確定。

 

なら、これはいつのカレンダーなのか。7月3日木曜日となる年を探してみました。

 

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すると、2年前の昭和33年(1958)が該当。ははん、小道具に数年前のカレンダー使いよったな(笑 まあいいや、これで解決!

・・・と思ったのですが。

 

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カレンダーの左側には、「六月六日」と書かれています。その上の文字が「暦」なので、おそらく旧暦でしょう。

なんや、昭和33年7月3日が旧暦6月6日やろ?なんやどうということはない。

ところが!!

 

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旧暦計算サイト(byカシオ)より)

 

あれ?全然違うやん。

ここまで来れば、毒を食らわばなんとかまで。「7月3日木曜日。旧暦6月6日」を徹底的に探してみました。探していくうちに、気づいたら18世紀になっていました(笑)
しかし、150年分くらい探しても見つからず。これは一体なんなのか・・・。

はははは、それはトラップだ!

こんなところに気づいたのは褒めてやる。しかしただの小道具だ、残念だったな!!

と草葉の陰から大島監督の笑い声が聞こえそうです。

 

 

大阪城の横

『太陽の墓場』のロケは、釜ヶ崎だけではありません。

 

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奥に大阪城が見えていることから、ここは釜ヶ崎ではありません。

また、切り取った画像では見えないのですが、奥に城東線(大阪環状線)が走っており、本編では実際に電車が走っています。

さて、ここはどこなのか。

 

大阪城の東側は戦前、「大阪陸軍造兵廠」という陸軍経営の工場がひしめき合う工場地帯でした。

 

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(Wikipediaより)

地図でわかるように、今の大阪城ホールからOBP、JRや地下鉄の車庫やUR森ノ宮団地までの広範囲。面積は「アジア最大」と言われていました。

軍営なので基本的に兵器を作る工場ではあるのですが、それ以外にも金属製鳥居や水道管、服なども製造しており、科学実験も行っていた国営巨大重工業メーカーのようなものでした。

戦争中、ここは不思議なほど米軍の空襲を受けずでした。やっと(?)空襲されたのは、終戦1日前の1945年8月14日。しかし今まで空襲されなかった分、ここだけを集中砲火する形で爆弾が落とされ、アジア一と謳われた工場群は半日で灰燼に帰しました。

 

戦後の工廠跡地は鉄くずの山として残り、それを売って小遣いを稼ぐ人間たちの稼ぎ場となりました。終戦後は鶴橋に住んでいた我が父親もその一人で、手軽なアルバイト感覚で鉄くず拾いに行っていたそうな。記憶によると、子どもの小遣い稼ぎには十分な金になったそうです。

彼らは次第の組織化し、次第に在日朝鮮人を中心にした「アパッチ族」という集団になりました。アパッチ族と警察との格闘は、実際にアパッチ族の一人だった梁石日や開高健が小説にしています。

 

しかし、ここは不発弾も多く残り、国も大阪市も手を出せない危険地帯でもありました。オヤジも、たまに爆弾を踏んだか何人か吹き飛んだと言っていましたね・・・。

不発弾処理は平成に入るまで続きました。昭和60年代までは、

「大阪城近くで不発弾発見!処理のため電車止めます」

と大阪環状線が度々止まっていました。

 

あいにくロケが行われた昭和35年前後の航空写真はないようですが、昭和39年の地図が残っていたので、それを参考にします。f:id:casemaestro89:20180628000808j:plain

現在は大阪城公園駅がある場所の東側に、骨組みだけになっている工廠の跡が残っています。現在は地下鉄の検車場になっていますが、映像の大阪城の角度からして、映画の中の骨組みの廃墟はここでしょう。

昭和23年(1948)の航空写真も見てみたのですが、比較すると工廠跡は高度経済成長期が始まっても、全く手付かずなことがわかります。戦後20年近く経っても放置・・・それだけ不発弾が多く手が開発が遅れたのでしょう。

 

 

 『太陽の墓場』には他にも、

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 南海ホークスの拠点だった今は亡き大阪球場(現なんばパークス)や、

 

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道頓堀のグリコの看板など、高度経済成長時代前の貴重な大阪の映像が数多く見られます。映画の内容もさることながら、昭和30年代の大阪の一部を、カラーで見られること自体が貴重。大島渚もえらい歴史的資料を残してくれたものです。

が、そこをいちいち挙げていくとキリがなくなってきたので、今回はこれまで。

 

お次は、映画内に出てくる貴重な大阪の中でも、鉄道に関する超貴重なものをピックアップします。

 

今回の記事に関する書籍・映像等

『太陽の墓場』はAmazonからレンタルで視聴可です。 

 

戦後の大阪砲兵工廠を根拠にしていた「アパッチ族」について

 

 

*1:大阪市福祉局平成28年データより。

*2:アニメ版は、通天閣周辺の「新世界」。原作とアニメでは舞台設定が違います。

*3:ただし、最近は「広義」の方が土日祝は料金3倍増しや一泊のみ不可など、かなり高飛車設定になっています。