昭和考古学とブログエッセイの旅

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本庶佑教授のことば

10月1日、また日本人がノーベル医学生理学賞を受賞しました。

 

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本庶佑(ほんじょたすく)さんという、京都大学の教授です。
経歴については、「プロブロガー」の皆さんがWikipedia先生の記事をコピペし、SEO対策も完璧な素晴らしい記事を書いているはずなので、こちらでは触れません。

 

あらノーベル賞かと驚いているさなか、Twitterのタイムラインに本庶さんの言葉とやらが流れてきました。
ほう!とノーベル賞そっちのけになるほどのうんちくのある言葉。縁の下の基礎研究者だからこそ言える、重みがありました。

今回は、その中でも私が感銘を受けたものを2つに厳選し、記事にしたいと思います。

ところで、今日の車内ラジオによると「本庶」という珍しい苗字はやはりレアで、全国でも50人弱しかいないそうです。
私の苗字も一風変わっており46人か48人しかいない(郵便局調査)らしいので、そこだけはサシで勝負できる・・・ってどこで勝負してんねんって?


本庶佑のことば①

「教科書が全部正しいんだったら、科学の進歩はない」

「人が言っていることや教科書に書いてあることをすべて信じてはいけない」

 

私のような雑草が言おうものなら、お前なに偉そうなこと言うとんねんとバッシングものです(笑) ノーベル賞を取るくらいの科学者だからこそ、この言葉に重みがあると言えるでしょう。

 

日本人は、基本的に性善説です。人は悪さをしない、ウソをつかないという前提があります。刑法も、みんな善人であるという性善説ありきの法規で、少年法など世界的に見れば阿弥陀如来か弥勒菩薩かいなというほどやさしい。
性善説は日本人の底抜けのやさしさにも繋がっているので、それはそれで素晴らしい。

 

が、性善説ゆえの欠点が2つあります。
一つは、疑うことを罪悪とし、情報を鵜呑みにしてしまうこと。
「こいつの言うとること、ホンマか?ウソちゃうんか?」
と疑うことに躊躇(ためらい)ってないですか?もしあるならば、おめでとう、あなたは正真正銘の大和民族です。
日本では、

「人の言うことは信じろ」

です。しかし欧米(特に米)では、

「人の言うことは、本当かどうか裏を取れ」

リアル北斗の拳の中国では、

「人の言うことはすべて策謀と思え(=信じるな)」

これが国民性、価値観の違いです。善悪はありません。
特に中国ではウソは「偽計」、生き延びるための知恵です。そうでもしないと生きていけない、過酷な社会なのです。
孫子の兵法に「兵は詭道なり」という言葉がありますが、彼らはそれを地でゆく「戦略的・戦術的虚偽」を放ってきます。

日本人が性善説なら中国人は根っからの性悪説。水と油なのに「同じアジア人だから」と同一視する人たちがいるから、日本人は中国人を理解できないのです。

 

アメリカやヨーロッパでは、「リテラシー教育」を小学校から徹底的に行います。
リテラシー教育とは何か。一言で表現してしまえば「ウソをウソと見抜く訓練」です。
これには非常な思考力が必要です。ものすごく頭を使う。
これを小学生からビシバシ訓練する肉食欧米に対し、人を疑うなんてとんでもないの草食日本。ビジネスになるとこの差が歴然と現れてきます。
これに善悪・高低はありません。数千年間生きてきた地域性・民族性の違い、生きるための知的武装なのです。


もう一つの欠点は、権威主義に陥りやすいということ。
要は私のようなどこの馬の骨かわからない人物の言うことよりも、「テレビ」「新聞」「偉い学者」の言うことを無条件に信じてしまうということです。ことわざで言えば「長いものには巻かれろ」主義です。
権威主義については、ここで詳しく書いています

本庶教授の言う、

「人が言っていることや教科書に書いてあることをすべて信じてはいけない」

とは、イコール権威主義なんか足で踏みつけろということです。権威を無条件で「なんだかよくわからないけれど、すごいもの」と崇める人には、とんでもないと出来ない。
身近にできる権威主義否定の方法が一つあります。偉い学者がテレビで物知り顔で説明しているのに対し、
「それホンマか?」
という前提で疑い、文明の利器インターネットで”すぐに”調べること。どうせ愚民どもにはわかるまいと舐めきっているのか、メチャクチャなことを言ってます(笑)
それが権威主義の否定、強いては考える力の向上につながります。言ってしまえば「ホンマか?」はボケ防止です。

 

20世紀が「信じる時代」であれば、21世紀は「疑う時代」
21世紀における教育課題は、英語だなんだではありません。疑う抵抗力を下げ、疑問を考え仮説を立てる力をつけることだと、私は思います。
なお、仮に私とリアルで会ったとき、会話中にちょっと失礼とトイレに行ったとしましょう。
「ホンマか?ちょっと疑問やさかい裏取るか」
と便所でググってる可能性があります。
年齢のせいか最近かなり頻尿気味なので、ホントに用を足している場合の方が多いですけどね(笑)

 

本庶佑のことば②

「基礎研究とは無駄なんです。でも無駄の中から(すごいものが)生まれてくるのです」

これを中国古典の言葉に変換すると、「無用の用」*1と言います。
私も在野の史家として、この言葉はすごく身にしみます。
基礎研究って、本当に、ホントに地味です。
「何が好きでこんなんやってんねん?」
と周囲からは白い目で見られ、金の無駄だのこんなの一銭の得にもならないだの、うしろゆびさされ組・・・やなかった、後ろ指を指される針のむしろ。
正直なところ、家族を含めた周囲は、私の研究など誰一人理解してくれません。
「有用の用」に血眼になり、「無用の用」に気づかない。
「台湾の複雑な歴史?そんなことより台北の美味いメシ屋教えろや」
「鉄道の歴史?それなんぼになるねん」
終始こんな調子です(笑)

 

歴史と医学は違う!
そういう人もいるでしょう。そりゃノーベル財団をいくら脅しても、歴史でノーベル賞は取れません*2
しかし共通点はあります。それは「科学」だということ。

先日、Twitterでこんなツイートをしました。

「歴史とは科学である」

学校教育の弊害で、歴史とは年号と出来事を覚える記憶ゲームであるという誤解が拡がっています。しかし、歴史は思考力の学科です。これホンマか?と過去を疑い、仮説を立てそれを証明する。ネットで「ぼくのかんがえたさいきょうのれきし」を振り回す輩に対しては、一次資料の束でぶん殴る(笑)
順序は医学の基礎研究と何ら変わない、「科学」そのものです。
文系と理系という壁で区分けしがちですが、根っこはどちらも同じ。「ホンマか?」とそれを追求する思考を伴わない歴史の勉強は歴史にあらず。
医学も歴史も、「研究」という面では同じ「科学者」なんだと思っていただければ、一史家として幸いです。
「医者です」「すごーい!年収いくら?」
「歴史家です」「はぁ?どうせ貧乏なんでしょ?」
常日頃から向かい風に打たれているので、これを良い機会に言っておきたい・・・当たっているだけに二の句が継げないですけどね(笑)


コツコツ基礎固めをしていると、ある日とんでもないものに化けた例が、私のブログにあります。

parupuntenobu.hatenablog.jp

冒頭に書いていますが、これはJR阪和線天王寺駅のホームの妙な広さと曲がり具合に、

「ん?なんかおかしいぞ?」

と思ったことが始まりです。
この風景、毎日何万人と見ているはずです。しかし気づいたのは、ネット上では私一人。自分が感じたどうでもいい疑問から、埋もれていた歴史の地層をどんどん掘っていくにつれ、天王寺駅の忘れられた歴史の輪郭が見えてきました。
いや、私も気づいていた、知ってた、お前偉そうなことを書くな、というノイズもありました。
しかし、「思ってただけ」と「行動に移した(私の場合、ブログで発信した)」では月とスッポンの差があります。
自分で言うのもおこがましいですが、雨ニモマケズ風ニモマケズ、基礎研究を積み重ねた結果、ある日何かの拍子で読者の好奇心に引火し爆発したものだと思っています。書いた方も楽しかったですし。

そりゃ天王寺駅の研究でノーベル賞は取れないし、PVという数字だけで見ると、我がブログにほとんど貢献していません。
しかし、気付きという点では自分にノーベル賞をあげたいほど、この記事に誇りを持っています。

 

何度も言いますが、基礎研究って本当に地味です。金にもならず名誉にもならず、誰も褒めてくれず。名誉欲や金銭欲だけでは、モチベーションは絶対に上がりません。それはブログも同じ。
私はただ好きだから、楽しいから知的好奇心の羅針盤の赴くまま。それが傍目には変人に見えるだけです(笑)
ただ、本庶さんも根っこは同じだろうと、同じ「科学者」として勝手に思うことにしておきます。

 

ノーベル賞も自分が取ったわけではないのに嬉しい限りですが、それより嬉しいのは、本庶佑教授のこの言葉に出会えたこと。
これを胸に、私は今日もコツコツと研究を続けたいと思います。しつこいようですが、ノーベル賞にはありつけないですけどね(笑)

 

==下のような記事もあります。興味があればどうぞ==

parupuntenobu.hatenablog.jp

parupuntenobu.hatenablog.jp

parupuntenobu.hatenablog.jp

*1:『莊子』より。一見何の役に立たないように見えるものでも、かえって役に立つこともあるという意味。

*2:ただし、経済思想史で経済学賞を取った人はいます。