昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

さらば、思い出の天牛堺書店津久野店

9月になり、暦の上ではすでに秋になりました。しかしまだまだ残暑が残って・・・いるどころか、今週末は寒さすら感じます。窓を開けていると、あれクーラー消し忘れたかと錯覚してしまうほど涼しい空気が吹いています。

 

そんな日のこと、Twitterのタイムライン(以下TL)を見ていると、誰かがリツイートした赤の他人のツイートが現れていました。

Twitterに表示される情報は、とにかく膨大です。初心者そのツイートの洪水に溺れてしまいがちですが、関係ないものであればそのままスルーすればいい。TLの情報にいちいち反応していたら、睡眠時間を削っても処理できません。

次から次へと押し寄せる情報の泥水や取るに足らない石ころの中で、「宝石」だけを抜き取る処理能力、これが「Twitter力」というもの。それに適応できないならTwitterに向いていない、Facebookやインスタの方が向いている。私はそう思っています。

 

で、そんな情報の鉄砲水の中に、キラリと光るものを見つけました。

 

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大阪に、「天牛堺書店」という書店チェーンがあります。

www.tengyusakai-shoten.co.jp

大阪人にはお馴染みの本屋さんですが、大阪人以外はまず聞いたことはないと思います。かつては関空に支店があったので、なんか昔そんな本屋があったような・・・というのが、他府県の人の認識でしょう。

ややこしいことに、大阪には「天牛書店」もあります。こちらは明治40年創業、「西の神田」と戦前は呼ばれていた日本橋筋(現でんでんタウン)古本屋街を発祥とし、創業者はそのまんま天牛さん。戦前は在阪の文士が、戦後は司馬遼太郎が御用達にしていた老舗です。戦後に出来た「堺」の方とは全く違い、資本関係もありません。え?この二つ関係ないの?と驚いた大阪人もいるかもしれません。

後発の「堺」の方は親戚が作ったのか、それとも暖簾分けなのか、それはわかりません。ただ確かなのは、お互いがお互い

「あちらさんと関係ありません!」

と言っていることだけです。

 

天牛堺書店が創業したのは、日本が高度経済成長で伸び始めた昭和38年(1963)のこと。場所は、現在の堺市西区の津久野という国鉄の駅前でした。津久野と言って、あそこかとピンと来る人は地元の人でしょうね。

天牛堺書店の登記上の本社も、長年ここ津久野にありました。

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(Wikipediaにも、沿革が書かれています)

 

阪和線津久野駅前

阪和線津久野駅前2

生まれ故郷は違う場所ですが、私が少年・青年時代を過ごしたのがここ津久野でした。まあ、厳密にいえば津久野と言ってもちょっと外れていますが、鉄道の最寄り駅は津久野、少し遊びにというのも津久野駅前でした。

幼いときから馴れ親しんだ津久野界隈、当然そこにある天牛堺書店の本店も知っています。

 

 

 

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1階は雑誌類や古本コーナー、階段を上って2階へあがると、漫画や文庫本、学習参考書が並ぶコーナーでした。当時は勉強嫌いの悪ガキだった私は、当然漫画や子供向けの本を読み、中学受験のため学習参考書を立ち読みする同級生をいちびって(からかって)いた「遊び場」の一つでした。2階で騒いで店長(?)に怒られたことも何度かありました。

といっても、知への興味が芽生えていくにつれ活字本が増え、私の知を育んでくれたのもここでした。

ここで買った思い出深い本が、「20世紀全記録」というものでした。

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20世紀に起こった世界中の森羅万象が書かれた百科事典で、これで殴られたら首の骨が折れて死ぬほどの凶器でもあります。今でこそAmazonで2500円くらいで売っていますが、当時は1万円以上したのではないかと。

「寝食を忘れて」という言葉がありますが、これを手に入れた私は文字通り寝食を忘れて読みふけりました。人生で、これほどどっぷりハマった本はないと断言できるほどでした。

この本で培った知識は、現在でも私の知のベースとなり、歴史ブログを書くときのぼんやりとした記憶出典元となっています。そういう意味では、津久野店は我が知の故郷でもあります。

 

以前、私にとってスーパーといえばダイエーと書いたことがありますが、同じく本屋といえば天牛です。紀伊国屋やジュンク堂書店、いやアマゾンが栄えようとも、私にとっては本屋=天牛。津久野店はそれほど私の一部だったわけです。

 

大人になり、おっさんになって地元を離れても、津久野店には近くに寄るたびに顔をのぞかせ、ちょくちょく古本を買ったりしていました。つい1年前も数冊買ったばかりでした。

 

そして時代が過ぎ、昭和から平成となり、その平成も数十年経ち、津久野界隈も人口減の波が押し寄せていました。人でいっぱいだった駅前の商店街も人影が少なくなり、店はひとつ、またひとつとシャッターを閉じ、子供の遊ぶ声もすっかり聞こえなくなりました。

駅を起点に通りの左右に規則正しく建っていた公団団地も、ファミコンのゲームを買ったおもちゃ屋も、よく出前をした中華料理屋も、エロい麻雀ゲームをしている姿を同級生の女の子に見つかり赤面したボーリング場も、みーんななくなってしまった。

でも、天牛は、この店だけはずっと残っている。

津久野界隈を離れるとき、なぜかはわからないものの、そんな根拠のない確信さえ持っていました。

 

ところが昨日、TwitterのTLに流れていたのは、津久野店閉店のお知らせでした。

慌ててHPを覗いてみると、

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先月の17日をもって既に閉店していました。ここにあった本店も、光明池店に移ったようです。

私の中では永遠だった、あの津久野店がなくなった。私はしばし呆然とし、何も手に付きませんでした。脳内では、30年以上前の日々が、一部色あせて再生されていました。

たかが本屋一つなくなったくらいで…と言う人もいるでしょう。確かに今は地元どころか大阪府にすらいないので、生活に支障が出るわけではありません。また、天牛堺書店自体がなくなるわけでもありません。

しかし、昭和が遠くになりつつある昨今、幼き記憶が濃縮されて残った店がまた一つ消えた心の空白感は、たとえるならば、小学校からの幼馴染の死亡報告を聞いた感覚に似ています。

あいつとはよくケンカしたな、元気にしてるかな…と思い出にふけっていたところに、その「あいつ」が死んだという知らせを偶然知った。死ぬとわかっていたならば、せめてその前に一度、「お見舞い」に行きたかった。今の私の心境は、こんな感じでしょうか。

 

 

活字離れ、出版不況と言われる時代、経営も厳しいと思うので閉店はやむを得ないと思います。今年のはじめ、日本橋の古びた本屋でお目当ての本を大人買いしたところ、

「こんなに買ってくれる人、久しぶりや!」

と店主が大喜び。大人買いといってもたった3000円くらい、ジュンク堂書店でふつうに1諭吉くらい溶かす私にしてはケチった方です。3000円で喜んでくれるほど、業界は冷えているのか。

そんなんかいな!?たった3000円やで!?と驚くと、

「最近、(誰も本買ってくれへんさかい)厳しいな」

いかにも古本屋のオヤジという姿の店主は、寂しそうにつぶやきました。

 

 

思い出の津久野店はなくなってしまいましたが、私の中でここは永遠となりました。これで、津久野に帰る用事はしばらくないでしょう。

ほんとうに心から、ここはご愛顧させていただきました。

津久野店で築き上げられた私の知の土台は、今も私の血となり知となり、身体の一部として息づいています。こうしてブログを書けるのも、その土台を築いてくれた津久野店があってこそ。売上的にはあまり貢献していなかったと思いますが、それでも私の中では特別でした。

 

津久野店よ、今までありがとう。

そして、さようなら。

 

==こんな記事もあります。よかったらいかがでしょうか==

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

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