昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

桂歌丸師匠と言語文化

桂歌丸

2018年7月2日、落語の大家桂歌丸師匠が亡くなりました。

決して身体が強い方ではなかっのですが、まだまだ落語をやるという気概は充満していたので、東京オリンピックまでは持つだろう。そう思っていた矢先のニュースでした。

歌丸師匠といえば『笑点』。私も嫌なことがあった時は大笑いして、嫌なことをすべて忘れていたという意味では、大恩がある人でもあります。

が、それは仮の姿。本当は落語という日本の唯一無二の芸能の看板を背負った大御所。それだけに近頃のお笑いのやそれを見る視聴者、出演させるテレビ側の「低レベル化」に対し、厳しいことも言っていた方でした。

また、私にとっての歌丸師匠は、遊郭を知る最後の生き証人という一面もありました。彼は横浜真金町の出身で、生涯そこから離れることはありませんでした。

真金町と言えば、横浜最大の遊郭があったところ。歌丸師匠の祖母は「真金町の三大ババア」と言われたほどの女傑で、歌丸師匠は遊郭の女たちに「若様」と呼ばれ、大妓楼のボンボンとして何不自由なく育ちました。

『笑点』をはじめて見たのは、おそらく小学生の頃、35年前くらいだと思います。その時が歌丸師匠の初見だったのですが、言動の端々に出る「女らしさ」「色っぽさ」に、
「この人オカマちゃうんか!?」
小学生なりの、ストレートな、歌丸師匠の第一印象でした。
彼の人生を見ていると、おそらく遊廓という異空間、いや女の世界で生まれ育った特殊性を身につけた結果なのかなと。

 

歌丸師匠=笑点のおじいちゃんというイメージしかない方は、歌丸師匠のこんなすさまじい芸を見たことがあるでしょうか。

 

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「化粧術」という小咄で、歌丸師匠若かりし頃の伝家の宝刀です。

彼は古今亭今輔師匠に入門したのですが、落語の方向性の違いからいったん破門され落語界から身を引いています*1。「化粧術」は破門後、化粧品のセールスマン時代の女性の身支度を元にした・・・表ではそうなっています。

しかし、仕草を見てもらうとわかりますが、明らかに日本髪を結っている姿・・・おそらくですが、「若様」と呼ばれていた頃に、遊郭の妓楼で見た遊女の身支度をモデルにしているのではないかと。もし歌丸師匠に会えたら是非この質問をぶつけたかったのですが、それもかなわぬまま逝ってしまいました。

遊郭と関わりがあった人は、自分と遊郭の関係をひた隠しにします。街を歩いているだけで警察を呼ばれたほど警戒していたり、カメラを持っているだけで水をかけられたり、街の人と遊廓の話を切り出すと、

「今すぐここから出て行け!」

と怒鳴られたことも何度かありました。遊廓だったことは黒歴史にしたい、恥部を見せたくないという地域側と、

「事実は事実である以上、公にすべき。なぜならそれは事実だから」

(ただし、事実に対する善悪は絶対につけない)

という私の歴史観と衝突することは、今でもあります。

歌丸師匠は逆に、遊郭育ちであることに誇りすら持っていました。落語のマクラがそのまま自身が見た遊郭の話になることも珍しくなく、人買いの話など生々しすぎて震えがくるほどでした。その分、彼の廓噺(くるわばなし)はとてつもない迫力がありました。*2

「遊郭も日本の文化の一つじゃないか。何が恥ずかしいんだい!」

歌丸師匠は遊郭出身であることを隠す人たちを叱りつけるように、一人胸を張って伝えているようでした。

 

 

歌丸師匠

歌丸師匠は去年、一芸人としてこんな言葉を残しています。

 

「言葉というのはですね、その国の文化なんですよ」

 

落語に関しては、私は観客の方に徹し、聞いて笑っている方です。文章センスを上げたいというブロガーは多いと思いますが、そんな人は落語を聞いていれば自ずと感覚が研ぎ澄まされます。

外国語を勉強している一人として、この言葉は非常に感銘を受けました。

言葉とはその国、民族が数百年、数千年間蓄えてきた文化のエキスです。そのエキスを飲み、相手のものの価値観・考え方を理解するのが、外国語の勉強というもの。キザな表現をすれば語学道です。語学は就職のためのアクセサリーでも、ペラペラになってチヤホヤされる道具でもありません。

ただし、相手の価値観の深いところまで理解できればその語学は一生ものの財産となることは間違いありません。

そしてもう一つは、日本の文化を広めていくこと。

文化は英語で "culture"ですが、元は「耕す」という意味のラテン語です。言葉を使って日本文化を耕していくのも語学の勉強の一つ。

「日本語を大切にして欲しい。特に(やたら端折りたがる)若い人は」

歌丸師匠は事あるごとに訴えかけていましたが、語学の専門家は外国語の使い手だけでなく日本語の担い手でもある。言い換えれば「噺家」として落語とは同業者なのかもしれません。

外国語を勉強している人、またこれから外国語を勉強したいと思っている人は、歌丸師匠の血を吐くような「遺言」を頭に入れて勉強して欲しいなと思います。これを胸に抱いて語学道に歩むだけでも、歌丸師匠の遺志を十分に受け継いでいるのだから。

 

心よりご冥福をお祈り致しま・・・せん、私は。噺家は身が滅んでも後世の脳内でいくらでも再生されます。身は滅んでも我々の中で永遠に、好きなだけ再生される存在となっただけ。我々の記憶の中では、逝ってはしまっても死んではいない。それでこそ噺家としての本望。そう思いませんか。

*1:のちに兄弟子の桂米丸師匠門下となり復帰、「歌丸」を名乗ります。

*2:廓噺とは江戸落語のジャンルの一つで、吉原遊廓を舞台にし遊女が主役の落語。難易度が非常に高く、演じ手も聞き手もかなりの教養を要する上級古典落語。歌丸師匠はその第一人者でもあった。