昭和考古学とブログエッセイの旅

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

台湾に残る日本語 Part.1

目次:

 

台湾の言語事情

日本統治50年の歴史がある台湾には、今でもしれっとしたところで「日本文化」が残っていたりします。
昔の日本の姿のまま残されているものもあれば、時代と共に台湾ナイズされ原型をほとんど留めていないものもあるのですが、そういった「日本人の置き土産」がいちばん色濃く残っているのが、言葉です。

 

台湾で使われている言葉

台湾で使われている言葉を簡単にまとめると、上の図となります。

「中国語族」「原住民語族」は、私が便宜上勝手につけた名称で、言語学的にはカッコ内の名称となります。

台湾で話されている言葉は、「中国語族」が圧倒的ではあるし、普段耳にする言葉も「中国語族」がおそらく99%。しかし、こうして見てみると台湾ってかなりの多言語・多民族国家なのです。

一つ注目すべきは、日本統治時代は「高砂族」と呼ばれた原住民の言語が、オーストロネシア語族だということ。たぶん、私の年齢以上だと、「マレー・ポリネシア語族」で覚えていたはずなので、あれ!?といぶかしむ人もいるはず。

オーストロネシア語族とは旧マレー・ポリネシア語族の新名称なのですが、マレーシア・インドネシアから太平洋上のパラオ、NZのマオリ族、最東端はハワイやタヒチ、最西端はアフリカのマダガスカルの言葉までを網羅する、広い範囲の言葉の集団です。

太平洋を網羅するこの言語集団の根っこの原郷が、実は台湾原住民の諸言語です。

 

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15年前くらいまでの常識では、人類の移動はこういう流れだと覚えているはずです。17年前のNHKスペシャル『日本人 はるかな旅』でも、このルートが紹介されています。

 

しかし!最新の言語学や考古学の研究の結果、現代ではこういう流れに。

 

オーストロネシア語族の分布の流れ

矢印の方向が真逆になっています。

およそ5500年前、台湾からある集団が南下しフィリピンに渡り、1000年かけてニューギニアまでたどり着いたという流れです。大昔の東南アジアの言語が、原住民の言語に生きた化石のように残っているということです。

また、これは異論もあるのですが、台湾から一部北へ向かった集団もおり、日本語も母音で終わる語彙の構図がオーストロネシア語族の特徴を色濃く残しているとされています。

  

・・・話が脱線しそうなので、元に戻すことにします。

 

 

台湾史から見る日本語

上の図だけを見ると、日本語の影はどこにも見えません。しかし、50年の日本時代は中国語族や原住民語族の間に日本語を浸透させるには、十分すぎる時間でした。

 

台湾史から見る日本語には、3つの側面があります。

 

一つは支配階級の言語。それを英語でPrestige Languageと言うのですが、日本語にすれば「威光言語」かな!?

好む好まないにかかわらず、これをしゃべらないと今後の生活に影響が出るので、やむを得ず学ぶということでしょうか。

被支配者に選択肢はありません。といっても、日本統治時代は戦争中の数年間を除いて、「選択しない自由」も存在しました。日本統治時代の学校は義務教育ではなかったので、日本語学ぶのがイヤなら学校に行かなければいいだけ。

李登輝元総統も、本当の意味で台湾で日本語が強制(=台湾語の全面禁止)になったのは、義務教育が始まった昭和18年からだと振り返っています。

 

二つ目は、「リングワ・フランカ」としての側面。

「リングワ・フランカ」とは、ある地域での、言語が違う民族同士のコミュニケーション道具としての言語のこと。多民族国家アメリカやインド、シンガポールの英語(アメリカは「英語が公用語」だなんて、法律のどこにも書いてませんよ)が典型的なリングワ・フランカです。

戦前の日本は、北は樺太アイヌツングース系から南の台湾・パラオポリネシア系まで、今のスケールでは信じられないほどの多民族国家でした。

台湾だけを取っても、漢族と原住民では言葉が全く違うのはもちろん、漢族でも福建系と客家(はっか)系どうしで言葉が通じず、それが原因で毎日が小戦争でした。

そんなバラバラの地に、日本語がやってきました。

日本語が浸透した結果、台湾全島の民族が日本語によってコミュニケーションが取れるようになりました。戦前の日本は、日本語がリングワ・フランカとして機能していた、史上唯一の時代でもあったのです。

 

この日本語リングワ・フランカ化が台湾にもたらした副産物が、3つ目の「台湾人アイデンティティの確立

今まで村単位、家族単位のバラバラ社会だった台湾が、日本人や中国人との対比によって、我々は何人なんだろうという思索が始まり、「台湾人」という一つの固まりが出来ました。

台湾が日本統治時代をプラスに評価している点の一つがこれ。ほんの米粒の台湾が、ジャイアン中国とがっぷり四つに組めるのも、日本統治時代に芽が出た台湾人としてのアイデンティティがあるからこそだと。

固まりつつあった台湾人アイデンティティは、戦後の国民党によっていったんは破壊されます。これが見事なほどの大成功をおさめてしまい、自分たちは何人なのか、ほんの18年前でも8割が、台湾人なのか中国人なのか、明確に答えられなかったと言います。

しかしここ最近、若者を中心にアイデンティティを再確認しようという動きが生まれています。李登輝元総統も、台湾人のアキレス腱は自分たちの歴史を知らないことだと言っているのですが、その再確認作業で生まれたのが、2011年くらいから生まれた「懐日」という日本統治時代再評価ブームという流れです。

 

まあ、これを中国大好き派は「皇民どもが」「日本の奴隷根性が抜けない」*1と罵っているわけですが。

 

台湾に残る日本語

 台湾のテレビやラジオを聞いていると、中国語の中に突然日本語、もしくは「日本語のようなもの」が聞こえてくることがあります。台湾言語事情がわからない人は、

「な、なんだか一瞬日本語が聞こえなかったか!?」

と不意をつかれ困惑してしまいます。

 

外来語として台湾語に残っている日本語を、「台式日語」(台湾日本語)といいます。具体的にいくつ残っているのかはわかりませんが、分類すると次のタイプに分かれます。

 

タイプ① 日本語の音をそのまま拝借したもの(漢字はないor当て字)

トラックビールスリッパオートバイ、ネクタイ、かわいいカラオケたたみ(畳)、あっさり*2みそ(味噌)、パン、のり(海苔)、トロ(まぐろのあれ)、運ちゃん*3気持ち、(工具の)ドライバー、背広、ライター、タンス(箪笥)、おしぼり、ばい菌、ラジオちょとまて(ちょっと待って)など。

(※下線を引いた語は、会話やテレビ、ラジオなど自分の「耳」で聞いたことがある語)

ただし、台湾人(中国人も)が日本語を話す時は長音と促音(「っ」)が脱落する癖があり、「トラック」は「トラク、「オートバイ」は「オトバイ」と、発音がTaiwanize(タイワナイズ)されています。「ドライバー」も「ダ行」が「ら行」に変わる台湾語の癖により、「ロライバ」と発音する人も多数います。

 

最近は、若者が現代の日本語をそのまま「直輸入」し、「だいじょぶ(大丈夫)」「ありがど(ありがとう)」「がんばて(頑張って)」などがちょくちょく使われることがあります。また、アニメの影響で「~ちゃん(醤、将)」も最近よく見かけます。

 

タイプ② 日本語の熟語を流用し、台湾語または北京語で発音

病院、住所、便所、丼*4秋刀魚、切替、応援、休憩、元気、人気、物語、料理、口座、野球、(野球の)三振、水道など。

「忘年会」「旺年會」に、「弁当」「便當」に、字を変えて残っているものもあります。

最近では日本サブカルの影響で、「萌(萌え)」、「痛車」「神曲「激安」「美魔女」「照焼」などもネットの書き込みを中心に目立ち、日本語の「チョーXX」が伝わった「超XX」は、すっかり台湾中国語に定着しています。

 

タイプ③ 字は中国語または台湾語だが、発音は日本語

黒輪or関東煮(おでん)、生魚片(さしみ)、桑or先生(~さん)、欧吉桑(おじさん)、欧巴桑(おばさん)、阿納達((妻が夫に呼びかける)あなた)、多桑(父さん)*5、瓦斯(ガス)、公車(バス)など。

 

④ その他(意味がズレていたりするなど特殊な例)

 

・「放送頭」(ホンサンタウ)
言葉(単語)にも、自分が死に絶える危機が迫ると、どうにしかして生き残ろうとする「生存本能」があります。その生存方法の一つに、「自分を脅かす単語と意味やニュアンスを少しだけずらし、共存をはかる」というものがあり、英語だと "deer"(鹿)が典型的な例です。*6

台湾語にも同じ事が起こっています。

「放送」も台湾に定着した日本語でしたが、北京語の「広播」「播送」が浸透したのでしょう、「噂話が好きで、あることないこと他人に吹き込む」という意味に変化させました。「放送頭」はその人のことで、無差別に話を広げていく姿が「電波塔」のようだという比喩となっています。

ただし、「放送」を北京語読みすると日本語と全く同じ意味になるという、風変わりな「台式日語」であります。

 

甜不辣
台湾へ行くと、「甜不辣」の文字が目につくはずです。

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「甜不辣」を北京語で発音すると、「ティエンプーラー」。「天ぷら」の音訳です。
しかし、台湾の「甜不辣」はさつま揚げのことで、高校生などが学校帰りに手軽に食べるスナックのような扱いになっています。

しかしこれ、戦前の関西でも「さつま揚げ」を「天ぷら」と呼んでいました。「甜不辣」と関西の関係はわかりませんが、何やら因縁があるのかしらん。

 

・脱線

日本語では、電車が線路から外れる事故や、話が横道にそれることです。そう、私のブログのように。ほっとけ。

台湾語で生き残っている「脱線」は少し意味合いが違い、そそっかしい人(行動)を指します。「おっちょこちょい」に近いのかな。

  

「の」

ひらがなのあれです。邪推は不要、そのまんまです。

 

台湾でよく見かける「の」

発音は北京語の「的」なのですが、書く時は「の」。「的」と書くと画数が多いから、一画で書ける「の」の方が楽だし、曲線的に「かわいい」と感じるのでしょうか。台湾では街の至る所に、「の」があふれています。

台湾ほどではないけれども、「の」は香港でもちょくちょく見かけます。

 

「台式日語」の中には、「人気」や「料理」のように、島を飛び出し中国などに伝わり、今や中国人や香港人シンガポール人なども使っているものもあります。「卡拉OK」(カラオケ)はお馴染みです。

その中でも面白いのが「一級棒」

漢字だけで想像すると、何やら高級な棒をイメージします。実はこれ、日本語の「いちばん」の音訳です。実際の中国語で「イーチーバーン」となります。

「棒」は北京語で「すばらしい」「すごい」という意味があり、中国語的に字釈すると、「最上級に良い」。漢字と意味が合致した中国語の音訳の中の傑作としても、よく取り上げられます。

この「一級棒」、私が留学していた頃の中国でかなり流行ったことがあります。流行のきっかけは知りませんが、一時期猫も杓子も親指を立て、

「日本のカメラはイーチーバーン!」

「君、中国語がイーチーバーンだね!」

何がどないいちばんやねんと、日本人を困惑させておりました。

 

 

台湾で見つけた「日本語」

 台湾、というか台北で見かけた「日本語」の例を。

 

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「味噌」が使われています。それに中国語の「湯」(スープ)がつく、「日中語混合型」です。

発音はどうかというと、これも日本語と北京語がくっついた「みそたん(『湯』は北京語でタン)です。「みそたん」ってなんだか人のあだ名のようですが、「みそ」は通じても「みそしる」は通じません

本件とは関係ないですが、台湾の味噌汁の出汁はガムシロップか!?と思うほど甘いことがあり、日本の味噌汁のイメージで飲むと、すさまじいカルチャーショックを舌で味わうこととなります。

 

台湾で使われている日本語「元気」

モスバーガーの看板に目が行ってしまいがちですが、その下に「元気」と書かれています。どうやら食堂のようですが、ご飯食べて元気になろうねという気持ちが込められているのでしょうか。

「元気」の字面だけなら中国にもありますが、中国医学の専門用語で意味も違い、日常会話でも使いません。

 

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電話番号の左に「便當」の文字が見えます。「便當」は「弁当」の変形ですが、日本統治時代に日本人が使っていたという広告が存在しています。また、「テイクアウト」というニュアンスもあります。

しかし、よく見ると店名が「軽井沢」になってるし。「軽井沢」だけでなんだか涼しい風を感じるのは気のせいか!?

 

台湾のモスバーガー

地元のモスバーガーに貼ってあった、熊本産トマトを使った蒟蒻ジュースのポスターです。ポスターに「嚴選」「直送」と書いてありますが、これは比較的最近日本語から入って来たもの。

 

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「料理」は最近こそ中国でも使われるようになりましたが、台湾ではかなり古くから使われ、すっかり定着しています。

 

台湾で見つけた日本語

現地で買ったノートにたまたま貼ってあった、「超人気」の文字。

下にひらがなが書いてあるのはおまけですが、「超」「人気」という日本語由来の言葉のダブルコンボです。中国語や台湾語がわからなくても、「超人気」が何を指すかすぐわかる。

 

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台北のレストランです。

広告看板の表示(「米の物語」)が、上のタイプ②(物語)と④(「の」)の混在型です。書き忘れていましたが、「看板」もタイプ②としてふつうに使われています。

 

昔はもっと残っていた日本語

1980年代に、「台湾に残る日本語」を学術的に調査し論文にした台湾人と日本人の学者がいました。論文の原本は(ネット上には)残っていませんが、引用した後年の論文が多く、30年前には今以上に日本語が残っていました。これを見ていると非常に興味深いです。

下線部の語句は、台湾人による中国語のブログや掲示板、中文Wikipediaで「今でも使っている」と書かれていたものです。

 

タイプ① (日本語のまま)

アイスクリームメロン/あいさつ/油揚げ*7/赤チンキ/バックオーライ/バックミラー(金属の)アルミイカカタログ/風呂/(ワイ)シャツ/ワンピース/オーバー(コートのこと)/かばんエプロン/らしもと*8/さようなら/(漬物の)たくあん/(髪の毛の)セットアルバイト/酸素

「赤チンキ」は昭和生まれの日本人にとっても、なんだか懐かしいですね。ああ、そんなのが昔あったよな~と。

聞いた話だと、1970年代まで工場での生産現場では日本語だらけだったそうで、今でも「ドライバー」「スパナ」「ペンチ」などが残っています。

また、「ハイカラ」は意味が変わり、「(髪型の)七三分け」になっています。

 

タイプ② (台湾語/北京語で発音)

万年筆/勉強/先生(教師という意味で)/手下/朝顔/羊羹/注文/郵便局/名刺/注射/落第/月賦/給料/愛嬌/定食

 

しかし、これらの単語は北京語(國語、華語)の浸透でどんどん置き換えられ、お蔵入りしたのではないかと思います。私が現地で台湾語を勉強していた頃は、「先生」「郵便局」「落第」も日常単語として習ったのですが、台湾の掲示板を見ると、80代以上しか使わない「みなし死語」になったようですね。

また、「定食」も20年前は北京語読みしてふつうに使っていました。吉野家のセットメニューも「定食」でしたが、去年台湾訪問の際はメニューから消え「套餐」になっていました。

 

==後編はこちら!==

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

★重要なお知らせ★

中国・台湾関連のブログ記事をワードプレスに移転しました。

記事は順次新ブログへ引っ越し中ですが、よかったらこちらもどうぞ!

台湾史.jp

http://taiwanhistoryjp.com/

 

*1:国民党は日本統治時代を「善良なる台湾人民を奴隷化、愚民化させ中華民族としてのプライドを失わせた。だから我々が『再教育』してやる」というスタンスです。今もこれ、根本的には変わっていません。

*2:台湾では味などではなく、人の性格を表現する時に使います。

*3:タクシーの運転手のみを指します。

*4:吉野家の牛丼は、中国や香港では「牛肉飯」ですが、台湾ではそのまま「牛丼」。発音も「どん」。

*5:「卡桑」(母さん)も、”多桑”より頻度は低いが使われる。

*6:元は「動物」の意だが、フランス語のanimal / beast流入でその座を追われた。

*7:「揚げ」だけは「阿給(あげ)」というかき揚げのような台北郊外の特産品に残っています。

*8:味の素製「だしの素」のこと。「の」が脱落し、「だ」が「ら」に変化。