以前、語学屋さんとしての矜持、というか語学を勉強する基本を書かせていただきました。
おそらく、外国語に対する誤解が日本人の中にあるのだろうなと感じて書いたのですが、特に「レアリア」は新鮮だったようです。外大で外国語学を勉強すればまず叩き込まれる基本中の基本なのですが、やはりここがわかっていなかった、と我が意を得たりでした。
その記事を、女装家(←私が勝手につけました)の美奈子さんのブログで言及していただきました。
言及されてまた言及返しなんて初めてですけど、言及のキャッチボールはブログの書き手にしか出来ない「ブログコミュニケーション」の一つでしょうね。
美奈子さんは、
「英語は国際共通語にあらず、ブロークン・イングリッシュが国際共通語である」
と書いています。
結論から書くと、それは正解です。
国連総会にて。
ソ連「英語は国際共通語にあらず!」
米「じゃあ何なんだよ」
ソ「ブロークン・イングリッシュだ」
という有名な小咄(ジョーク)があります。
世界の英語人口は、ざっくりで約17億人と言われています。これはネイティブだけではなく、英語を第二外国語と定めている国の人口も含んだ数ですが、17億人のうちネイティブは約4億人。総英語人口の23%に過ぎません。残り77%は何か。「ブロークンイングリッシュスピーカー」なのです。非英語ネイティブ国家のうち、政府が自国民英語通用率100%宣言をしているのは、アイルランド・オーストリア・オランダ・フィンランドの4カ国のみです。オースト「ラ」リアが移民多めで英語通用度100%ではないのに、「ら抜き」が100%というのも、なんだか皮肉に聞こえます。
10人中8人が非ネイティブという現実がある以上、こちらが話す英語もブロークンでいい。向こうもブロークン英語を話すのだから、こちらもブロークンで結構でしょう。
しかし、日本人はそれがダメなんです。国民気質からそれが出来ない。
理由の一つに、日本人の職人気質ゆえの完璧主義が挙げられます。
上の記事で、細かいところに気がつく日本人の完璧主義は、こと語学になると足かせになるということを書きました。
発音や文法の細かい点が気になり、完璧にならないと話そうとしないのです。
もう一つは、相手に気を遣う国民性。
日本人は自動的に相手に気を使ってしまう癖がありますが、それが英会話実践となると、
「自分がちゃんとした(≒完璧な)英語話さないと、相手に失礼」
という思考になってしまう。
これは悪いことではありません。むしろその繊細な心が、繊細ではない外国人の心をつかんだりする日本のブランド力となっています。しかし、こと語学となるとこれも足かせとなってしまっているのは否めない。
日本人の語学力を向上させよう、もっと英語を身近にという動きは、上は文部科学省、下は大阪府もやっていますが、私の持論は、
「無理無理!無駄なエネルギー使いなさんなww」
日本人を語学上手にするのは到底無理。どうしてもというのなら、日本の国体を根本からぶっ潰して縄文時代に戻さないとダメ。これが私の不変の理論です。
語学に堪能になるには口先だけでなく、私のように「空気を全く読まない」「相手を押しのけても自己主張する」肝っ玉も必要なのですが、無理でしょ?日本の英会話学校のグループレッスンでやると、間違いなく顰蹙を買いますし(笑
各国のブロークンイングリッシュ
私は1999年~2000年のミレニアムの年に、バックパックを背負って世界中、特にユーラシア大陸を中心に放浪していたことがあります。
当然、世界中の「ブロークンイングリッシュ」を耳にしてきました。国の数だけブロークンイングリッシュあり、ブロークンイングリッシュにもお国柄があり、非常に癖があるのです。
インド英語
たとえばインドの英語。インドも旅行程度なら100%と言っていいほど英語が通用します。インドには公用語だけで数十種もあり、さらにお互いが通じない。人口率でのインドNo1の言葉はヒンディー語ですが、それでも33%くらい。無理やりヒンディー語を共通語にすると国が空中分解してしまいます。
そこで、言語としては中立的存在だった、植民地の宗主国の言葉である英語がピックアプされ、インドの全国共通語として不動の地位を占めています。
そのインド英語ですが、聞いたことがある人はわかるとおり、非常にアクが強く癖があります。
インド英語の特徴は”t”と”r”です。"t"はイギリス英語はきちんと発音するのですが、アメリカ英語ではほぼ消えつつあります。なので"water"はアメリカ人が発音すると、おそらく「藁」に聞こえます。幕末の英語達人、ジョン万次郎もそう聞こえたらしく、彼が編さんした日本初の英会話本の「水」は、「ワラー」と書かれてます。
インド人は逆に、"t"をこれでもか!というほど強調します。これはさすがに文字で表現は不可能ですが、”water"は「ワトゥゥゥアー」っぽく聞こえると思います。
もう一つの"r"は、インターネットが「インテルルルルルルネットゥ」となってしまうほど、強く強く発音します。人によっては相当耳障りです。
あまりにアクが強いインド英語に、私はかつて、
「お前らの英語はEnglishちゃうわ!Indishや!」
とジョークを飛ばしたことがあります。ナイスジョークだとイイネ!されはしましたが、聞く耳は持ってもらえませんでした(笑
シングリッシュ
シングリッシュとは「シンガポール英語」のことで、その名の通りシンガポール人が話す英語のことです。といっても、シンガポールには中華系・マレー系・インド系の3民族が住んでいるのですが、シングリッシュは主に中華系が話す英語のことです。
シングリッシュの大きな特徴は2つあります。
一つ目は、語尾に「ラー」「アー」などの謎の助詞が入ること。これは中国語、それも北京語ではなく、広東語や福建語などの、彼らのルーツである土地(南方)の方言が混入したものです。
中国語には語末に助詞を加えて感情を表します。これを「語気助詞」と言います。この語気助詞は南方方言に豊富にあり、いわゆる中国語(北京語)にはほとんどありません。
留学時、広東語の先生に聞いたことがあります。
私「先生、北京語の語気助詞っていくつあんの?」
先生「5つよ」
私「広東語は?」
先生「神のみぞ知る、ねw」
広東語の先生は、香港の学会にも顔が利き、外国人向けテキストも自作・市販している中国広東語学会の権威でした。私が使っていた広東語の教科書や発音テープもその先生が著者で、なんや教科書の自給自足かいなとクラスメートで笑っていたものです。
その先生をして「神のみぞ知る」、つまりいくつあるかわからないそうです。ただし、ネイティブが日常会話で使うのは、だいたい30~40個くらいらしい。これはどういうことかというと、理屈だけなら広東語は北京語の6~8倍、きめ細やかな感情表現ができることになります。そもそも、北京語は細かい感情表現が非常に貧弱なので(うん、確かにそう)、小説などの文学言語としては不良品だという言語学者もいるほどですから。
そんな南方方言、特に広東語の語気助詞が英語に混ざるようになった結果、
I can not speak Japanese アー!
Go to the hospital ラー!
という、語尾になんかついている系イングリッシュとなりました。他にも、「ロー」とか「ガー」とかもあるらしいです。
私は北京語だけではなく広東語もある程度はわかるので、シングリッシュの「アー」「ラー」の意味はなんとなくわかります。「ラー」は軽い命令を表す、広東語の語気助詞やなと。しかし、わからないと何がなんだかわかりません。要は語尾の語気助詞は無視すればいいんですけどね(笑
もう一つの特徴は、「時制が全くない」ということ。
時制とは過去形・現在形・未来形といった時間を表す表現で、英語などの欧州系言語は時制の区別が非常に細かく、また厳しいのが大きな特徴です。英語でも「現在完了」「未来完了」など、意味不明な文法表現が数々の受験生を泣かせてきましたが、こんなものはまだ序の口。英語以外になると「点過去」「線過去」「再帰動詞」など、頭で理解するのはまず諦めた方がいい時制文法のアウトレンジ攻撃です。気が狂いそうになるロシア語やスペイン語文法などをやった後に英語を勉強すると、あまりにシンプルかつ楽勝すぎて英語のありがたみがわかります。世界制覇してくれてありがとうと、イギリスに足を向けて寝ることができなくなります。
シングリッシュには、ヨーロッパ系言語のややこしい時制は一切ありません。Yesterday(昨日)がつけば過去形、Tomorrow(明日)がつけば未来形。至ってシンプルです。
しかし、日常会話でも過去形・未来形などの区別がないので、相手の言っていることがいつの話なのかは、すべて文脈・話の流れで判断となります。
これも実は中国語の影響です。中国語にも、過去を表す「了」があります。「了」にも、完了、変化などいくつか意味があるのですが、過去を表す「了」は、私本人あまり使いません。中国人もあまり使っていません。たまにNHKの中国語講座を聞いていると、「了」の使い方を細かく解説しているのですが、そんなん「中国語検定受験対策」やん。実際(の会話では)そんな使わんて~、とラジオにツッコミを入れたりします。
「昨日の話してんだから全部過去形」
「今後のビジネス展開の話してるんだから、全部未来形」
すべて会話の流れと文脈で判断しろ。過去の『了』に興味ございません。
中国語会話なんざ、終始こんな感じです。
話し手の母語の影響を受けて「中国語化」した英語、それがシングリッシュです。このシングリッシュは、名前こそシンガポールですが、香港人や英語を話す中国人・台湾人の英語にも似ているので、中華系シンガポール人が話す英語というより、「中国人イングリッシュ」と言っていいでしょう。
ブロークンでも「忖度」してくれる
約2年間のバックパッカー経験から得たものは数多くありますが、敢えて一つ挙げろと言われると、こう言っています。
「肌の色、言葉は違えども、人間ってみんな『ホモ・サピエンス』でした」
人間には大なり小なり相手の気持ちを察しようとする心がある。目には見えないけれど、人種間の地下を流れるコミュニケーションの地下水のようなものがある。これが私が世界中の人と触れ合った結論の一つです。
完璧な英語を話さなくても、発音がかなりメチャクチャでも、単語を並べるだけでも、
「こういうことを言いたいんだろうな」
と相手は身を乗り出して聞き、「忖度」してくれます。
「忖度」というと、なんだか日本人独特の文化のような気がしますが、私に言わせれば忖度の本家はヨーロッパです。欧州は数々の異民族との交流・侵略の歴史から、コミュニケーションというものを非常に重視します。今のヨーロッパ人(コーカソイド)も、元々は中央アジア~中国ウイグル自治区(東トルキスタン)あたりから、1000年以上かけて西行した移民と言われていますし。
言葉が通じない者どうしのコミュニケーションは、相手の言っているを理解しようとするのが基本です。何を言っているかはわからないものの、話を聞いていると不思議なことに、なんとなーくわかってくるのです。
ヨーロッパの中でも特にイタリア人とスペイン人は、良い意味で異民族慣れしているのか、「忖度力」が高いことで有名です。その基本は、言葉が通じない相手が何を言おうとしているのか我慢強く聞く力と、そこから相手を察する気持ちが強いからと言います。
ブロークン○○語
私が実践したのはブロークン・イングリッシュだけではありません。
高校生の頃からNHKのテレビ語学講座を見ていたので(動機の8割はアシスタントの美人なおねーさんが目当てでしたが)、ロシア語も挨拶言葉+アルファくらいは知ってはいました。ロシアで使われるキリール文字もシベリア鉄道に乗っている間に覚えたものの、実際ロシアに行った時は単語を並べただけの「ブロークン・ロシアン」でした。
ロシアではなくトルコの地方都市の話ですが、そこに出稼ぎに来ていた売春婦と、「商売抜き」で話したことがあります。当時女の子と二人で旅していたので、女連れで「商談」するわけにもいきません(笑
その売春婦たちは、今思えば地理的にウクライナ人だったはずですが、ロシア語が通じたのでロシア人だと思い込んでいました。
相手は英語がわからず、ロシアとウクライナで鍛えたブロークンロシア語でなんとかコミュニケーションを取ったのですが、ちょうど日本への帰路(といっても陸路だったので、帰国予定は数ヶ月後ですが)だったので、「日本に帰りたい」と表現するつもりで、
「ヤー(私) ハチュー(~したい) ダモイ(家) (東を指差し) イポーニアー(日本)」
当然、文法なんてメチャクチャです。そもそもロシア語文法って何?の次元です。
"Я хочу вернуться в Японию"(ヤー ハチュー ベルヌーチィアー ブ イポーニユ)
というのが正しいロシア語(のはず)ですが、冷静に思い出しつつ書いてみると、よくこんな単語の貼り付けで通じたなという気はします(笑
しかし、相手の「忖度力」を信じると、実際の会話ではメチャクチャでも十分通じていたのです。
さらに、連れの女の子も加わり話が盛り上がって、売春婦たちが赤ちゃんの写真を取り出しました。話を聞くと故郷に置いてきた娘の模様。
子どもの写真を出して相手との会話を促すのは、異文化コミュニケーションの鉄板中の鉄板。彼女らもコミュニケーションの何とやらがわかってらっしゃる。
子どもの顔はあまりに天使みたいでかわいくて、二人で笑顔で
「めっちゃかわいいやん!!」
を連発していました。もちろん大阪弁で。
その「カワイイ」も彼女らには伝わったようで、彼女らも笑顔で喜んでいました。
本当に伝えたいことは、無理に英語にしなくても「日本語のまま」でもOKなのだと、この時学びました。
また、ブロークン・イングリッシュならぬ「ブロークン・チャイニーズ」もあります。それが「筆談」。
世界広しと言えども、常用漢字がわかる日本人と中国系(中国・台湾・香港人など)にしかできない「特殊能力」です。いや、日本人は漢字を使うことを知っている中国人は意外に少なく(何せ他国の文化に興味ないですからw)、日本では逆に奈良時代から続くコミュニケーション手段。古さだけなら伝統芸能、中国の大地を這うような旅行していると、たまに筆談が名人達人の次元に達した強者に出会うことがあります。
水が欲しければ「我欲水」、ケータイのバッテリーが切れかけたら「我携帯電話必要緊急充電」と書けば相手は理解できるように、ブロークン・チャイニーズならぬ「なんちゃって漢文」「ニセ中国語」でもコミュニケーションが取れてしまう。これが筆談であり、国際言語としての漢字の強みです。
さらに応用編で、香港人やシンガポール人、台湾人には英語混じり筆談も可能です。
ネットカフェでメールを打ちたい場合は「我必要行Internet Cafe送Email」、Wi-fiスポットを探しているのなら「我探Wi-fi的場所」と書いてもOK。21世紀の筆談は、全部漢字である必要すらないのです。
青年よ、Engrishを目指せ
この記事のタイトルを見て、
「こいつ、綴り間違ってやがるwww」
と思った方は、何人いるでしょうか。
本当は”English"ですよね?私は”Engrish”と書いていますが、これは常識的には間違いでもあり、わざと書いた以上正解でもあります。
”Engrish”とはネットスラングの一つで、ワールドワイドな英語掲示板やSNSではよく出て来ます。
元々は、”L"と”R"の発音の区別ができない日本人を茶化した言い方が語源と言われています。日本人は”L"もすべて”R"に、中国人は”R"も”L"と発音してしまう傾向があるのですが、今は人種を問わず「英語ヘタクソな非ネイティブ外国人」というニュアンスです(アジア系を特定して指すという説もあり)。
それがさらに広がり、特にアニメや漫画、J-POPなどの日本のサブカルの普及で、「和製英語」「日本で使われるメチャクチャな英語」というニュアンスも存在しています。
しかし、私は”Engrish”上等だと思います。
たとえ日本人の英語を”Engrish"とバカにしても、その英語のどこがどのように”Engrish”なのか、相手に説明しろと要求してもロクな答えは返ってこないでしょう。”L"と”R"が区別できないのは、日本人の言語的癖として仕方のないことです。
それに、”L"と”R"が区別できないなんてまだアクの弱い方。インド人やアラブ人の英語なんて、相当アクが強い。上にも書きましたが、”Indish"に”Arabish"です。
しかし、彼らは胸を張って堂々と話しています。”Indish"と言われような何だろうが、全く空気を読まない。
「俺様の英語がなぜわからない!わかってみろ!」
というほどの「押し」が、日本人の語学学習者には必要だと思います。この「押しの強さ」だけで、世界中どこでも旅できます。私はこれだけで西洋の毛唐どもを血祭りにあげてきました(笑
完璧な英語なんて要らない。完璧な英語なんて話さなくても良い。
そこまで言っても、
「でも・・・」
と思っている人に問いたい。
あなたの日本語はそんなに完璧なのですか?
そうではないはずです。自分の日本語は150%完璧だと思っているなら、ある意味頭がおかしいですしょうな。ならば、英語も完璧ではなくていいのではないでしょうか。"Broken English"でもいいのではないでしょうか。
日本人は、語学に対して根本的な誤解をしているのです。
語学のゴールは人それぞれですが、敢えて最小公倍数的設定すると、
「自分の主張したい大まかなことを、外国語で難なく言える」
これに限ります。私が個人的に設定する、「○○語ペラペラ」の基準その1はこれです。
それを日本人は一般的に、
「完璧な外国語を話す」
という、雲の上の斜め上に設定してしまっているのです。
語学屋さんが言います。言語に完璧はありません。そんな目標設定すると、外国語の勉強が苦行になってしまいます。
語学は語楽なり。
ブロークンでもいい、”Engrish"でもいい、まずは自分の言葉が通じるた楽しさ、嬉しさを味わい、それをエネルギーにさらに勉強する。
どうせ世界の9割近くの英語スピーカーは、独特のアクがあるブロークンイングリッシュを話しているのだから、こちらも”Engrish"しちゃえばいいのです。
お次の「BEのぶの語学論 第三章」は、
「学校英語は伊達じゃない」
です。
学校の英語なんて役に立たない、そう思っていませんか?
それを覆すエッセイを書いていきます。