ブログ移転のお知らせ
私のTwitter垢を見てくれている方は、もうご存じでしょうが、今年の1月よりワードプレスにてブログを移転しました。
新しいブログのリンクは最後に貼りますが、今年よりブロガーとして本格的に稼働することになり、心機一転WPへの移動となりました。
別にはてなブログが不満だとか、そういう理由で出て行ったわけではありません。「賃貸マンション」から「郊外の一軒家」というマイホームを持ち、引っ越しただけと思っていただいて結構です。
はてなブログの記事は順次WPの方へ移していっているので、現在はここのブログからの転載が中心です。が、ちょくちょく新着書き下ろし記事も増やしていくので、よかったら新しいブログの方もよろしくお願い致します。
=新ブログ=
「野良学徒の歴史研究(とブログエッセイ)」
また、こちらもTwitter(のプロフ)を見ていただければわかりますが、ここでも書いていた台湾を中心とした東亜情勢のブログも別途作成しました。
=台湾史・東亜情勢ブログ=
「台湾史.jp」
はてなの方は、ブログ記事を整理しWPに移転次第、閉めることと致します。
引っ越しのウキウキさの反面、長年住んだ家を離れる気分は幾ばくかの寂しさを感じますが、それも新たな旅立ちへの一時的な感情に過ぎない。これから本格的にやっていきますので、改めてよろしくお願い致します。
なぜ中国人は声が大きいのか。そこから考察する彼らの文化的背景
中国人はなぜ声が大きいのか
日本を訪れる外国人観光客は年々増加の一方です。先日、大学の公開講座で京都へ行ってきたのですが、右を向いても左を向いても外国人だらけ。全国規模で見ればローカル線の叡山電鉄ですら、乗客の半分は外国人な状態。日本旅行のリピーターは京都なんてもううんざり、地方都市や日本人しか知らない穴場へ逃げている傾向があるのですが、その気持ちはなんだかわからんでもない。
その中でも訪日外国人の四強は韓国、中国、台湾、香港、総数の7割を占めています。
中国人観光客の数は、2017年で567,149人で総数の約24%を占めていますが、どこの街でも中国人観光客の姿を見ることが多くなりました。
しかし、それによる軋轢も発生しています。
中国人に対しいちばん眉をひそめるのは、「マナーの悪さ」。
列に平気で割り込む、ホテルのドアを開けっ放しにしてどんちゃん騒ぎをする、トイレでもないのにおしっこをする・・・etc.
本場で「もっとおぞましいもの」を山ほど見続け、良くも悪くも中国人慣れしてしまった私にとっては、日本に来る中国人なんざドラクエで言えばバブルスライム。本場のキングスライムを山のように見てきた私にとっては、ふーん程度。しかし、中国人慣れしていない日本人にとっては、面食らうことも多いと思います。
その中でも、クレーム第一位を誇るのが、
「中国人がうるさい」
ということ。
所構わず大声で話し、ワーワーと騒ぎ立てる観光客に、うるさいなと癪に障った人はかなりいるはず。その理由を様々な人が様々な角度で書いています。
その大多数はこう片付けています。
「中国語の発音の関係」
これは、確かに私も中国語を話す大声になります。語気も荒いらしく、台湾人に「中国語上手いけど・・・口調が(台湾の)ヤクザっすねww」と言われたほど。
これは仕方ない、毎日中国人と喧々諤々、ケンカしながら覚えた中国語なのだから(笑)
それとは逆に、中国人が日本語を話す時は声が小さくなる傾向があり、留学していた20年前から不思議だなとは感じていました。
特に、中国南部の広東省の人間の声の大きさは、とにかく有名です。
アメリカには、こんな笑い話があります。
空港で、中国人二人連れがケンカをしていました。通行人が警察に通報し、警察官が駆け注意したところ、彼らはキョトンとした顔でいわく。
「我々はひそひそ話をしていただけなのですが・・・」
ここでは中国人となっていますが、アメリカでの大雑把なChineseというのはCantonese(広東人)のこと。これは声が大きい広東人・香港人を揶揄したものなのです。
先日、関西空港からの急行に乗っていたときのこと。私が座った席の対面に、スーツケースを抱えた外国人の家族連れがいたのですが、声が大きい大きい。私の横に座っていた人(日本人)が、
「中国人、ホンマうるさいな・・・」
と舌打ちしていました。一点に集中すれば、横でいびきかかれようがエッ○されようが私は気になりません。それでもちょっとうるさいなと感じたくらいなので、ふつうの人には不快を越えた「騒音」でしょう。
しかし、彼らが話していたのは北京語ではなく明らかに香港の広東語。ChineseではなくHonkonese(香港人)だったのです。さすがに語学の素人には北京語と広東語の区別はつかない。
とばっちりを食らった中国人こそいい面の皮でしたが、それほど「うるさい=中国人」というイメージが、日本人の中に定着していることを再確認したエピソードでした。
確かに中国人の中でも広東人(香港人含む)の声の大きさは、レベルが2つくらい突き出てます。そんなところに7~8年もいたから、私も慣れてしまったのでしょうね!?
犯人は中国語の発声・・・これで答えが決まったかのように思えます。
しかし、これだけでしょうか。
さらっとググってみると、
「中国人は何故大声なのか、その3つの理由」
という、アフィリエイト目当ての下心・・・もといSEO対策丸出しのタイトルが並んでいますが、内容を見てみるといくつかの部類に分けられます。
①中国語には四声(声調)があるから
なら、言語の親戚で同じ声調がある、チベット語・ベトナム語・タイ語などはどう説明するのでしょうか。ダライ・ラマ法王猊下がうるさいという話は聞いたことがありませんが如何。
②方言が多いから
その理屈が成立するなら、方言が多ければ多いほど声が大きいということになります。が、中国並みに方言の多様さがある日本は「うるさい」のでしょうか。
③騒音など、周りがうるさいから
まあ、これは0.7理くらいはあるかなと思います。しかしながら、中国の環境も昔と比べかなり良くなっているけれど、中国人のボリュームは下がってないよ。
こういう類のブログ記事は、下の「レコチャイ」ことRecord Chinaというニュースコラムを参考にしています。要はこれの切れ端をつまんで、それらしいことを書いているだけ。
少し長いですが、引用します。
第一の要因は、私たち中国人の大声に対する感覚です。
声が大きいことは他の人に元気で朗らかという印象を与えられるし、スピーチやプレゼンテーションでも大きい声での発表が必要です。第二の要因は、中国語の発音の難しさによるものです。
中国語には有気音と無気音の違いや破裂音や数多くの子音があります。
破裂音は字の通り音の破壊力が必要です。それに4つの声調があり、それを正確に発音しないと意味が異なってしまいます。第三の要因は、地域差による違いです。
広大な中国には幾多の高山や高原や平野があります。それぞれの地域で話されているのは数え切れないほどの方言です。
方言は口の開け方も、声の高さも速さも異なります。特に、農業を主とする地域では大声で喋るのが普通です。第四は、中国の教育方法によるものです。
子供たちは幼稚園の時から「大きい声で読み、大きい声で歌い、大きい声で答える」ことを教えられます。
授業中に大きい声で答える生徒は先生に褒められます。
そのため、生徒たちは時と場所を構わず、大声で喋ることが普通になり、それが大人になっても直らないわけです。
しかし、これはあくまで表面だけに過ぎない。私はそう思いました。
さすがはレコチャイか、中国人=大声のいちばん重要な視点が抜けている。
いや、急所を外すかのように、敢えて書かなかったのかもしれない。
そこを、長年中国(人)を見てきた私が、独自の視点から書いてみようかと。
中国人の「ウチ」と「ソト」の概念。そこから導き出す中国人の声の大きさ
中国人はマナーがない、礼儀がない・・・と日本だけでなく世界中で非難轟々ですが、ここで私は多くの読者を敵に回し、中国人を熱烈弁護します。
彼らにもマナーはあります!
彼らは非常に礼儀正しいのです!
ただ、ただね・・・彼らの「礼儀」「マナー」はね・・・。
射程距離が非常に、非常に短いのです(笑
まあこれに関しては、日本人がアウトレンジすぎるという方が正しいかもしれません。
中国人には、「ウチ」と「ソト」という概念があります。これは日本にも朝鮮半島にもあり、それぞれ特色があるのですが、ここでは中国社会でのことを。
中国人は伝統的に、血のつながった「宗族」という集団で固まる傾向があります。彼らにとってこれが「家族」であり「親戚」であり、「国家」であり「世界」であり「宇宙」です。
この宗族が「ウチ」となります。
近代中国への号砲を鳴らした孫文(孫中山)は、
「中国人は一握の砂である」
という、有名な発言を遺しました。
中国人は各個がバラバラで、固めようとしても(砂のように)すぐにバラバラになってしまうということを比喩したものです。
中国人の世界は、砂粒一つひとつ(=ウチ)が世界であるので、国民国家という概念がゼロなのです。
それを中華民族がどうだのと、砂粒に民族主義というセメントを注入し固めようとしている状態が現代です。この流れは、だいたい1999年ころから始まったのですが、習近平になってそれが加速しています。習ちゃん頑張ってねーと、私は生暖かく見守ることにしています。
この「ウチ」以外はすべて「ソト」。「ソト」はイコール他人、ほぼイコールで自分に害を及ぼす敵です。
昔の中国の街は、上のように四方を城壁に囲まれていました。これを「城郭都市」と言います。中国語で「街」のことを「城市」と言いますが、これは街が城内にあったことの名残です。
城壁が撤去されている都市でも、城壁の跡は環状道路になって残っていることがあります。
北京なんかは有名ですね。
中国を旅行すると、
「XX門」
という地名を目にすることがありますが、それはかつてそこに城壁と、街へ入る門があったことが地名として残っているということ。
西洋の建物が並ぶ上海も実はかつては城壁があり、この中を「旧城内」とジモピーは呼んでいます。この「旧城内」が元祖中の元祖上海。欧米の建物が並ぶあれ?あんなの飾りです、偉い人にはそれがわからんのです。
今はだいぶ開発されてしまいましたが、私が住んでいた頃は人ひとりがやっと通れるような細い道が入り組み、晴れてるのに時折、「雨」が上から降ってきた迷宮そのもの。中国濃度300%の濃縮ジュースのような世界でした。
あんな所に足を突っ込むなんて、野蛮な人・・・と周囲の日本人留学生からは変人扱いされましたが、Google Mapもない頃に上海ラビリンスに入り込むのは、インディー・ジョーンズ的冒険。あのワクワク感が今の知的好奇心のマグマとして、グツグツと音を立てているのかもしれません。
それはさておき、そんな上海にも、黄色で囲んだところに「門」と書かれた地名や地下鉄駅があります。かつてはここに、城門があったのです。
また、こんな城郭は都市だけでなく農村にもあります。
どこの要塞やねんというような建築物ですが、これは「方楼」と言い、客家(はっか)人と呼ばれる人たちの住居です。
客家は「よそ者」という意味で、北方の戦乱から逃れ福建省や広東省などに移住した漢民族の一派です。他の漢民族と風俗習慣が少し異なっており、「中国のユダヤ人」とも呼ばれています。よって、「方楼」は中国でも主に広東省にしかない珍な建築物です。
客家人は移住先で、原住民から敵とみなされ迫害されてきました。
中国の迫害は、日本のように生易しいものではありません。「民vs民の戦争」です。自分たちを守るために、「要塞」でも作らないと一族が生き残れなかったのです。
この「方楼」ひとつとっても、彼らが生きてきた環境が「リアル北斗の拳」のような厳しい世界だったかが伺い知れます。
城郭都市や「方楼」は、中国人のメンタルにも深く潜んでいます。
中国人の「ウチ」「ソト」の間には、万里の長城のような大きく高い壁がそびえたち、「ソト」の侵入を拒んでいます。
城内は親戚縁者が集まる「ウチ」、城外は「ソト」。「ウチ」の中では実は、彼らは非常に礼儀正しく、彼らなりのマナーもあります。
しかし、「ソト」に対するマナーは皆無。「ウチ」に対しては異常なほど気を使う彼らですが、「ソト」に対する認識は虫けら、いやプランクトン以下なので全く気にもならない。
海で泳ぐとき、プランクトンにいちいち気をつかいますか?息をする時、チリやホコリを気にしますか?それと同じことです。
中国人が「ソト」の世界を行く時、実際はそうでないにしろ、周囲は「ソト」、つまり敵だらけ。
飼い犬が部外者に牙をむいて威嚇するのと同じく、大声を出すことによって「ソト」の連中を威嚇している。これは無意識、つまり生きるための生存本能です。
私は「ウチ」と「ソト」という中国人のメンタル的背景から、何故大声なのかをこう解釈しています。
この「ウチ」と「ソト」の概念、中国文化を知る上で非常に重要なキーワードになるので、頭の片隅で覚えておくと便利です。
「公」と「私」
「公(共)」の反対語は「私」ですが、中国社会は数千年間、多分に「私」な社会でした。
皇帝が天下を支配する「私」なら、王朝の領土人民も、そして手先となって働く官僚も皇帝の「私物」です。
そうなれば、官僚も「私」を振りかざします。
「清廉潔白な役人でも、辞める時には銀百万両貯まってる」
原文は忘れましたが、中国にこんな言葉が残っています。
中国の官僚に賄賂がつきものですが、それを全く受け取らない真っ白な官僚でも、数年やったら大金持ちになっているということです。じゃあ、「真っ黒」な官僚はどうか。それは書くまでもありません。
その「銀百万両」は、錬銀術を使って出てくるわけではありません。当然、人民から搾り取ったものです。
人民も、上の「私」の勝手気ままに財産を奪われるのは気に食わない。対抗するためには自ずから「私」で対抗し、結果「公」が生まれる土壌も存在しない。
こうして、上から下まで「滅私奉公」ならぬ「滅公奉私」の社会の出来上がり。
これがどういう経緯を経てそうなるのか。ここでは書きませんが台湾の戦後史を見ればよくわかります。
「中国人は公の場で(ry」
とブツブツ言う人も多いですが、それは仕方ない。中国社会にそもそも「公」は存在しないのだから。無い袖は振れません。
中国人にとって、「私」とは究極の「ソト」の世界。「ソト」である以上傍若無人に振る舞おうとなんだろうと、それに対し他人がどう思おうと、知ったことではない。
それが、他人から見ると
「マナーが悪い」
「公の場で大声を出す」
などのマイナスに見えてしまうのです。
しかし、他人に気を遣いすぎ神経をすり減らす日本人は、中国人の傍若無人の垢を少し飲んだくらいがちょうどいい塩梅かもしれない。私が傍若無人・傲慢不遜、謙虚のかけらもないのは、煎じる垢の分量を間違えてしまったからです。
ここまで書いてきましたが、他にもいろいろな「中国人うるさい論」がネットに転がっているので、時間があれば複数の記事を見て比べ、そして考えてみてください。
中国人うるさいと感情的に排除するのは簡単です。しかし、何故にベクトルが向いた時、もう一つの、違った見方をする眼があなたを知らない中国人の世界へいざなってくれるでしょう。それを知った時、あなたの知の皮がまた一枚、剥けることになります。
★重要なお知らせ★
中国・台湾関連のブログ記事をワードプレスに移転しました。
記事は順次新ブログへ引っ越し中ですが、よかったらこちらもどうぞ!
台湾史.jp
台湾に残る日本語の世界 Part.2
前回の記事の「アタマコンクリ」、台湾には日常会話に相当の日本語が入っていることに衝撃を受けた人が多かったと思います。
台湾で使われている台湾語や北京語などに浸透している日本語を、「日式台語」と言います。和製英語ならぬ台湾製日本語なり。
前編の反響を見て、台湾に残る日本語事情を20年以上前から知っている私にとっては、あれ、みんな意外と知らないのねと衝撃でした。それでも調べていくうちに予想以上に残る日本語の数々に、書いた本人も衝撃を受けました。
前回は適当に書かせていただきましたが、これは面白いとさらに調べてみるとなかなかおもしろい世界が開けてきました。
今回は、そんな「あなたの知らない『日式台語』」のさらなる世界を。
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台湾に残る日本語 Part.1
目次:
- 台湾の言語事情
- 台湾史から見る日本語
- 台湾に残る日本語
- 台湾で見つけた「日本語」
- 昔はもっと残っていた日本語
台湾の言語事情
日本統治50年の歴史がある台湾には、今でもしれっとしたところで「日本文化」が残っていたりします。
昔の日本の姿のまま残されているものもあれば、時代と共に台湾ナイズされ原型をほとんど留めていないものもあるのですが、そういった「日本人の置き土産」がいちばん色濃く残っているのが、言葉です。
台湾で使われている言葉を簡単にまとめると、上の図となります。
「中国語族」「原住民語族」は、私が便宜上勝手につけた名称で、言語学的にはカッコ内の名称となります。
台湾で話されている言葉は、「中国語族」が圧倒的ではあるし、普段耳にする言葉も「中国語族」がおそらく99%。しかし、こうして見てみると台湾ってかなりの多言語・多民族国家なのです。
一つ注目すべきは、日本統治時代は「高砂族」と呼ばれた原住民の言語が、オーストロネシア語族だということ。たぶん、私の年齢以上だと、「マレー・ポリネシア語族」で覚えていたはずなので、あれ!?といぶかしむ人もいるはず。
オーストロネシア語族とは旧マレー・ポリネシア語族の新名称なのですが、マレーシア・インドネシアから太平洋上のパラオ、NZのマオリ族、最東端はハワイやタヒチ、最西端はアフリカのマダガスカルの言葉までを網羅する、広い範囲の言葉の集団です。
太平洋を網羅するこの言語集団の根っこの原郷が、実は台湾原住民の諸言語です。
15年前くらいまでの常識では、人類の移動はこういう流れだと覚えているはずです。17年前のNHKスペシャル『日本人 はるかな旅』でも、このルートが紹介されています。
しかし!最新の言語学や考古学の研究の結果、現代ではこういう流れに。
矢印の方向が真逆になっています。
およそ5500年前、台湾からある集団が南下しフィリピンに渡り、1000年かけてニューギニアまでたどり着いたという流れです。大昔の東南アジアの言語が、原住民の言語に生きた化石のように残っているということです。
また、これは異論もあるのですが、台湾から一部北へ向かった集団もおり、日本語も母音で終わる語彙の構図がオーストロネシア語族の特徴を色濃く残しているとされています。
・・・話が脱線しそうなので、元に戻すことにします。
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他人をコントロールしようとする事、他人にコントロールされる事
日本特別扱いに中国反発=台湾地震の救援めぐり
台湾東部の地震で、蔡英文政権が中国ではなく日本の救援チームを受け入れたことに中国国内で反発が出ている。
共産党機関紙・人民日報系の環球時報(電子版)は8日、「大陸を拒絶しながら日本の援助を受けるのか?」と題する記事を配信した。
環球時報によると、台湾総統府報道官は8日、救援の人員や物資は足りていると説明し、中国などの援助を辞退しながら「唯一の例外は日本だ。高価な探査機を持っている」と発言した。
日本の救援チームは8日、震源地に近い花蓮で、傾いたビルで人命探査装置による捜索活動を始めた。
まずは、地震で亡くなられた住民のご冥福をお祈りいたします。一日も早い花蓮の回復をお祈り申し上げます。
この記事は、台湾の蔡英文総統が中国の救援隊を断り日本のを受け入れたことに、中国がキャンキャン吠えている「いつもの流れ」です。
結果的にはこれ、選ぶのは台湾の方。どちらを選ぶかは相手の勝手。
「カラス何故鳴くの。カラスの勝手でしょ」
というドリフターズの替え歌がありましたが、そういうことなのです。
「勝手でしょ」という、自分がコントロールできない事を必死にコントロールしようとし、他人が持っている選択権を俺によこせとなるから、イライラするハメになる。中国は体を張って、俺みたいになるなよと世界中にアピールしてくれているのです。
それか、同時に好きな女の子に告白してフラれた方が、
「あいつは特別扱いだから(=俺様を振りやがって!)」
と負け惜しみを言っているというか。
同じ言うなら、
「日本よ、うちの台湾を頼むぜ」
と彼氏気取りでメッセージを送った方が良い。どうせ叩かれるなら、こちらの方がよほど「中国らしくて結構」と思いますわ。
しかしこれ、中国のことを笑えたものではありません。
人の振り見て我が振り直せ、個人レベルでもコントロールできないことをコントロールしようとして、一人もがいていることが見受けられます。
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BEのぶの外国語論 第三章ー英語落語で英語を勉強しよう
英語をはじめとする外国語を勉強する方法・・・勉強したいけれどという人は、まずそこで迷路にはまってしまうことが多いです。本屋に行っても、英語のテキストが山というほどありますしね。
しかし、私が外国とその言葉に興味を持ち始めた30年前、小学生のガキが外国語が聞ける機会と言えば、NHKの語学講座と短波ラジオくらいでした。短波ラジオ片手に、ベランダで夜空を見上げながらチューニングしていると、ノイズの奥からかすかに異国の言葉が・・・という経験をした人は、たくさんいることでしょう。
今では、インターネットを通してクリック一つで世界中のラジオが、短波ラジオと違ってノイズなしで聞ける。本当に良い世の中になったと思います。
しかしこれ、海外からの視点だと「ただし、日本を除く」だったりします。
日本にも、radikoやNHKのらじる★らじるなど、リアルタイムでラジオが聞けるアプリがあります。が、これにはある制限があります。それは「日本国内限定」。海外に行かないと実感が沸かないですが、これらのアプリは日本でしか起動しないんです。
仮にradikoを起動させてみて下さい。まずIPチェックが行われているはずです。海外から聞こうとするとこの時点で、
「お前に聞く権利などない!」
と弾かれてしまう。つまり、日本のアプリでありながら海外在住日本人は使用不可。
私はPCやiPhoneのアプリで中国・台湾・ロシア・イギリスのラジオをリアルタイムで聞いていますが(どれを聞くかは気分次第ですが、台湾の国営ラジオの語学講座を聞くと面白い)、何の制限もありません。こんなアホみたいな制限をかけているのは、世界広しといえども日本だけでしょう。いや、北朝鮮があったか(笑)
それはさておき、ネットラジオの普及で外国語学習の選択肢が増えたことは確かです。
それだけに外国語学習の道標が増えてしまい、混乱していることも確かです。語学への入口が多すぎて、どれを、どこから手を出して良いのかわからなくなり、モチベーションがフェードアウトしていく・・・と。
「海外旅行に困らない程度、そこそこ会話ができればいい」
「最初からとっつきやすい英語の教材が欲しい」
という方のために、私は、ある新しい選択肢を用意しました。
それが英語落語です。
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BEのぶの語学論 第二章ー英語はEngrishを目指せ
以前、語学屋さんとしての矜持、というか語学を勉強する基本を書かせていただきました。
おそらく、外国語に対する誤解が日本人の中にあるのだろうなと感じて書いたのですが、特に「レアリア」は新鮮だったようです。外大で外国語学を勉強すればまず叩き込まれる基本中の基本なのですが、やはりここがわかっていなかった、と我が意を得たりでした。
その記事を、女装家(←私が勝手につけました)の美奈子さんのブログで言及していただきました。
言及されてまた言及返しなんて初めてですけど、言及のキャッチボールはブログの書き手にしか出来ない「ブログコミュニケーション」の一つでしょうね。
美奈子さんは、
「英語は国際共通語にあらず、ブロークン・イングリッシュが国際共通語である」
と書いています。
結論から書くと、それは正解です。
国連総会にて。
ソ連「英語は国際共通語にあらず!」
米「じゃあ何なんだよ」
ソ「ブロークン・イングリッシュだ」
という有名な小咄(ジョーク)があります。
世界の英語人口は、ざっくりで約17億人と言われています。これはネイティブだけではなく、英語を第二外国語と定めている国の人口も含んだ数ですが、17億人のうちネイティブは約4億人。総英語人口の23%に過ぎません。残り77%は何か。「ブロークンイングリッシュスピーカー」なのです。非英語ネイティブ国家のうち、政府が自国民英語通用率100%宣言をしているのは、アイルランド・オーストリア・オランダ・フィンランドの4カ国のみです。オースト「ラ」リアが移民多めで英語通用度100%ではないのに、「ら抜き」が100%というのも、なんだか皮肉に聞こえます。
10人中8人が非ネイティブという現実がある以上、こちらが話す英語もブロークンでいい。向こうもブロークン英語を話すのだから、こちらもブロークンで結構でしょう。
しかし、日本人はそれがダメなんです。国民気質からそれが出来ない。
理由の一つに、日本人の職人気質ゆえの完璧主義が挙げられます。
上の記事で、細かいところに気がつく日本人の完璧主義は、こと語学になると足かせになるということを書きました。
発音や文法の細かい点が気になり、完璧にならないと話そうとしないのです。
もう一つは、相手に気を遣う国民性。
日本人は自動的に相手に気を使ってしまう癖がありますが、それが英会話実践となると、
「自分がちゃんとした(≒完璧な)英語話さないと、相手に失礼」
という思考になってしまう。
これは悪いことではありません。むしろその繊細な心が、繊細ではない外国人の心をつかんだりする日本のブランド力となっています。しかし、こと語学となるとこれも足かせとなってしまっているのは否めない。
日本人の語学力を向上させよう、もっと英語を身近にという動きは、上は文部科学省、下は大阪府もやっていますが、私の持論は、
「無理無理!無駄なエネルギー使いなさんなww」
日本人を語学上手にするのは到底無理。どうしてもというのなら、日本の国体を根本からぶっ潰して縄文時代に戻さないとダメ。これが私の不変の理論です。
語学に堪能になるには口先だけでなく、私のように「空気を全く読まない」「相手を押しのけても自己主張する」肝っ玉も必要なのですが、無理でしょ?日本の英会話学校のグループレッスンでやると、間違いなく顰蹙を買いますし(笑
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2017年台湾の旅ー台北よ、私は帰ってきた!ものの・・・
==前回までのあらすじ==
四捨五入すると約20年ぶりに台湾へとやってきた私。
初めての関空第二ターミナルに初めてのLCCを満喫し、台北に降り立った。
開通数ヶ月の空港鉄道の、まるでツッコんでくれと言わんばかりのサービスに、お言葉に甘えてツッコミを入れながらついに台北駅へ。
桃園空港MRTの台北駅は、さすがまだ開通して数ヶ月ということもあってか、構内にはまだ新品の香りがプンプンしてきます。
20年前の記憶だと、ここから駅近くの宿までは徒歩10分もかからないはず。さっさと地上に出て一直線に向かえばいい。
しかし、今の台北駅前は、そうやすやすと地上へ上がらせてくれません(笑)
約20年の間にいわゆる駅チカがえらい発達しており、事実上初めての経験となる私にとってはかなりの迷路。
台湾へ約20年ぶりに行くと知人に言ったところ、
「えらい変わってるよ~。特に台北車站の地下」
と言っていたのですが、なるほど、さもありなん。
現時点での台北駅前の構内地図ですが、私が台湾に住んでいた頃にあったのは、台鉄(台湾国鉄)の駅だけ。空港行きのMRTも当然なかったですが、市内MRTもない。20年前は赤線(淡水線)は開通していたものの、台北駅一歩手前の中山というところで止まっていたことをふと思い出しました。なんでそんな中途半端なところで地下鉄止まってんねん!さっさと台北駅まで通さんかい!と思った記憶が奥底から蘇ってきました。
当然、当時は高鉄(新幹線)なんざ話にすら上がっていない。
それ以前に、地下街すらなかったのです。
なかなか地上に上がれないジレンマを抱えつつ、、なんだか変わったなおいと迷子を楽しんでいると、台北駅の真上にたどり着いたもよう。
さすがにこの台鉄台北駅は20年前にもあったので馴染みがある。そこで階段を駆け上ってみると。
あ、あれ?こんなにだだっ広かったっけ??
後で外に出て確認すると外見は全然変わってないのですが、天井が高くなって開放感が出た感じもするし、切符売り場周辺も20年前はゴチャゴチャしていたものの、かなりスッキリして初心者にもわかりやすくなっていました。
何より変わったのが、駅構内にある売店の数々。コンビニはもちろん、中華の包子(パオズ)屋もあれば台湾鉄路弁当屋もあり、日本のお菓子屋もあり、すごく華やかになっています。それ目当てか人の行き来も多くなり、活気がムンムンとこみ上げてきている感があります。
こんなもの、20年前はなかったぞ。一軒たりとも・・・いや、コンビニくらいは遭ったかな!?
外見は変わらなくても、中身はすっかり変わってしまった台北車站。あの時の面影と言えば、
この昔ながらの近距離用自動券売機くらいでしょうか。日本製のこの機械、これは全く変わっていない。おお老兵よ、まだ生きておったかと旧友と再会した気分でした。
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『探偵ナイトスクープ』のアホバカ分布図 各地方の「アホバカ」表現編
関西の人気テレビ番組『探偵ナイトスクープ』で、今から27年前に視聴者からの素朴な疑問から始まった「アホバカ分布」のことを先日お話しました。
上の記事を見ていない方は、まず上の記事からどうぞ。
そうでないと、おそらく今からの流れがわからないと思うので!?
関西人の言う「6チャン」ことABCテレビが予算をつぎ込み、全国の教育委員会すべてに、
「オタクの地域の『アホバカ』は何と言いますか?」
というアンケート用紙を送り、電話での問い合わせも含めて「すべて」から回答を得ました。
その結果、出来上がった地図、タイトルにもなっている「アホバカ分布図」が出来上がりました。
それが下の地図です。
『探偵ナイトスクープ』らしいとも言えるし、らしくもないと言えるこの「アホバカ分布図」を見ると、実に面白いことがわかるのです。
「アホバカ」は、全国で約320種類の言い方があるのですが、いちいち挙げていたらキリがないということで、『アホバカ分布図』は言語学者の監修のもと上位23種を中心に挙げています。
この分布図は、気合が入りすぎて印刷しすぎたらしく、当時の『探偵ナイトスクープ』の収録見学者に無料で配られていました。しかし非売品のため今は幻の品になっています。ぶっちゃけ、私もこの完全な形で写っている分布図の画像を探すのに、どれだけ苦労したか。
しかし、それだけあって拡大したりして細かく見ていくと、言語や方言に興味がある私にとっては、手に汗握ると言って良いほどの面白さでした。
その方言分布を、今回はひとまず地方別に分けてみます。
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