LUMIX DC-L10の現物を拝見
6月18日発売のPanasonicの新しいコンデジ、DC-L10(以後L10)。
やはりPanasonicの予約サイトを「創業以来の」クラッシュさせたほどの話題の商品のせいか、発売2週間前なのに大型家電量販店で展示されることとなった。カメラは初心者なので事情は知らないが、かなり異例ではないだろうか。

https://x.com/yodobashi_umed/status/2062765259300221055?s=20
ヨドバシカメラでは各店舗で昨日から展示が始まっており、私も最寄りの梅田店で早速拝見させてもらうことにした。

あったあった!
運良く触ってる人もいない。

触ってみてこんな感じ。
なお、私は「男の割には手が少し小さい」方で(関係ないが足のサイズも少し小さい)、生理的な表現をすれば「手が大きめの女性」。
前評判では欧米人向けで日本人には少し大きいとのことだったがそんなことはない。むしろちょうど良いくらい。前のグリップがいい味を出してると思われ。
驚いたのは重さ。
スペックの508gはコンデジの中ではかなり重め。私もちょっとこの重さは…と躊躇したのだが、現物を触ってみるとそれほどでもない。
もちろん、バッテリーがない状態だが、中にカプラーつけて電源を取り、盗難防止のケーブルをつけてその重さもあるから、体感的にはそんな変わらないと説明員のメーカーさんいわく。
重い重いというイメージがあったため、この「軽さ」には驚いた。
そしてある程度いじくってみたのだが、ちょっと感動したのは、フォトスタイルの「ライカモノクローム」。
これはかなり格好いい。白黒写真?そんなの価値あるの?という美的感覚ゼロの私でも、これはカッコいいな!とときめいたほど。
購入後はモノクロ写真に凝りそうだ。
L10を買おうかどうか迷っている方は、近くの大型家電量販店まで行き、現物を触ってみる価値はある。そこから考えても良いのではないだろうか。
初心者が言えた立場ではないが、完成度はかなり高いと思う?
神戸の夕暮れ

スマホの写真にも少し飽きがきた。迷いに迷った挙句、パナソニックのDC-L10(以下L10)を予約した。
たかがデジカメに20万円も使うなど、少し前の自分には信じられないことだった。
といっても、ちょっと前にミラーレス一眼のCANON EOS R50を買ったばかりではあるのだが。
L10を予約した以上、R50は売却の運命にある。カメラ2台持ちという選択肢もあったのだが、初心者に2台もカメラは要らない。
そんなR50とのひとときも残り少なくなったので、夕暮れの神戸を撮影してみた。

神戸駅、ハーバランドから徒歩で10分も歩けば、そこは人の暮らしのにおいがムンムンする神戸の下町である。
そんな小路に、お好み焼き屋の灯が漏れる。
私は思わず、シャッターを開いた。

居酒屋の提灯に灯が灯る。
いかんせん、F値?シャッタースピード?何それ?という状態でカメラを買った、初心者を超えた大馬鹿者なので、この1枚を撮影するのに10枚くらいボツにした。
あまりに店の前でパシャパシャやる不審者なので、店の人が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。

いかんせん、初心者なので質は勘弁して欲しい。
今から、今からなのだから。
今回は、挨拶までの撮影。
本格的な撮影はL10をGETする6月18日以降になるが、今までずっと死んでいたこのブログを写真ブログとして再利用すべく、タイトルも大幅に変えてみた。
はてなブログの再出発である。
いずれにしても、L10が届く19日以降が愉しみだ。まずはそれまでじっと我慢の子である。
仙崎 DE シーフードと刺身定食
山陰の日本海沿いの港町、仙崎。
10年以上前ですが、
のブログ執筆時に仙崎を訪問した時は、ちょうど昼飯の時間帯。
せっかく仙崎まで来たのだから、ちょっと美味いシーフードでも食うかと港へ。


これよこれ、こういう魚市場の食堂を探しとったんよ。
うちの地元でもこういう食堂はないことはないけれども、やはり日本海の幸を安くいただくにはこういう所で食うに限る。
早速開いてた食堂に入り、刺身定食を注文してみました。

で、来たのがこのボリューム。もうシーフード一色の役満ですやん。
味は書くまでもないけどメチャウマーでした。特に、イカの醤油煮(?)がやたら美味で、イカ自体もめちゃ柔らかくて食べやすく、「メシが進む」とはこのことだろうなと感じ入りました。

そしてこの食堂、自家製イカの塩辛とワカメの醤油漬け(らしい)がおまけで食べ放題。イカの塩辛はあまり好き好んで食べる方ではないのですが、一口食ってこれは美味いと。
こんなサービスまである港町の食堂バンザイ\(^o^)/
その上、いちばんビックリしたのが、これだけのボリュームでお値段¥800也。おまけに、大阪から来たと言ったらまあそんな遠くからとコーヒーがサービスでついた始末。
シーフード(特にイカ)が安くて美味い港町バンザイ\(^o^)/
港町にふいと立ち寄った時の楽しみ、それはやはりシーフード。
弘前に見た方言看板…「投げる」?
はてなブログを卒業してからすぐに、かのコロナ禍が起こってしまったのですが、同時に仕事の都合で東北へ行くことになり、コロナ明けまでの約3年間「みちのくひとり旅」を行っていました。
仕事と言っても、まるで3年間の修学旅行のよう。淡路島の3年間の「島流し」と同様に、人生において有意義なひとときでした。
そんな東北住みの最後、関西帰還が決定的となったので、東北にいるうちに回っておけとばかりに、有休をフルに使って北東北を回ってみました。関西に帰ったら、白河の関を超えることは滅多にないだろうから。

弘前もその時立ち寄った場所の一つでした。
理由はよくわからないのですが、弘前はなぜか死ぬまでに一度は行きたかった地の一つで、苦節ン十年、やっと来ることができたかと弘前駅前の地に降り立った時は感慨無量でした。
そんな弘前の町を歩いていると、ある看板が目に入りました。

「水路に雪を投げないで下さい」

冬は道も川も雪で埋まるだろう弘前も、私が訪れた時はすでに3月も末。さすがに雪は、日陰になった部分にわずかに残っていた程度でした。
が、上の写真のように残雪が川の流れを塞いでいる姿を見ると、
「そりゃあ(橋の上から)投げたらあかんわな〜」
と。
でも、なんか違和感がある…確かに「投げ」るのは良くないけど…あれ?
投げる?
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国鉄有馬線 有馬駅の跡は今
ブログの記事となります。
有馬温泉への鉄道は、現在は神戸電鉄のみです。が、戦前は国鉄も路線を持っており大阪からの直通列車もありました。
しかし、戦争で不要不急の路線とされ休止。そのまま忘れ去られている(いまだに正式に廃線とはなってない)幻の路線です。
札幌すすきの 地名の由来を探偵する

すすきのの歴史
北海道、いや、東京以北では名実ともに最大の歓楽街だろう札幌のすすきの。「すすきの」という名前を聞くだけで心が小躍りしそうな脈動感に苛まれる人も少なくないと思います。
一昨年、念願の初北海道上陸を果たした私ですが、もし酒豪だったら、いや下戸じゃなかったらここで飲み明かすぞ~と財布のひもがgdgdに緩んだことでしょう。
酒が飲めないので余計な金が飛ばず幸と出たのか、せっかくすすきのまで来て酒を一滴も飲まず全く遊ばないのはもったいない不幸と出たのか…。
「すすきの」や「ススキノ」と表記されることが多いここ、漢字では「薄野」と書きます。ひらがなやカタカナ表記の方が馴染みがあるで、漢字なんてあったんやと驚く人も多いかもしれません。
すすきのの歴史は、明治初期にさかのぼります。
明治初期の北海道開拓は、開拓というと聞こえはいいが自然という敵を相手にした戦争。人間なら「話せばわかる」と情が通じて命が助かることもなきにしもあらずですが、自然はそんなの関係ね~と容赦してくれません。
それだけに定住者も少なく、ひと稼ぎして北海道を離れる者、あまりに過酷な環境で逃げ出す者が多発。しかも現地には娯楽も何もなく、それだけに「戦場」で婦女暴行など乱暴狼藉を働く輩が多くなり、治安も悪化しました。
そこで、北海道庁の前身である開拓使があることを思いつきます。
「そうだ、遊郭を作ろう!」

言い出しっぺは開拓使の役人だった岩村通俊という人物。札幌はもちろん旭川などの都市を作り上げたキレキレの内務官僚。北海道史を語るには外せない人です。
遊郭という遊び場をつくれば逃亡者への足止めとなり、「戦場」ゆえの婦女暴行も減るはず。しかも遊郭の売り上げで税金ががっぽり入る…一石二鳥どころか三鳥くらいのアイデア。
さっそく開拓使が先頭に立ち市街地の南の端の原野を開拓し、明治4年(1871)に遊郭ができました。すすきのの歴史は、この遊郭から始まったのです。
遊郭としてのすすきの(薄野遊郭)については、最後にリンクを貼っておくので興味ある方はご覧下さい。
「すすきの」の由来をめぐる説
札幌の遊郭史を調べていくと、必ずぶつかるある謎があります。それは…
この地がなぜ「薄野(すすきの)」という地名になったのか。
北海道には、「サッポロ」がそれであるようにアイヌ語起源の地名が多いですが、「すすきの」はアイヌ語ではなく明治以降につけられたもの。
これには二つの伝説が現代に伝わっています。
一つは、ここ一帯にススキが生えていたから。
今でこそ北海道が誇る北日本一の繁華街ですが、明治はじめの開拓当時は、子供の背丈くらいはある、東西南北一面のススキ園状態。そのため今のすすき周辺は「茅野」と地図に掲載されていました。
「茅」は「かや」と読みますが意味はススキ。東京の茅場町もススキが生えていたところで、地名に「茅」がついていれば、かつてそこが「すすきの」だったということです。
で、そこらじゅうキタキツネの巣だらけで野生のキツネつかみたい放題の原野。巣穴からキツネの子どもをテイクアウトし、
民「なんだよ、キツネってコンコンと鳴かないじゃないかww」
と笑いあったという逸話が残っているほどの土地でした。しかし、キツネつかみたい放題ってエキノコックスは大丈夫だったのだろうか。
もう一つの説はというと。
遊郭建設の言い出しっぺ岩村は、設営の現場指揮を部下のある人物に任せました。彼の名は薄井龍之。
その彼が遊郭の造成指揮を執った際、彼の一文字の「薄」をつけ「薄野」となった説。
「すすきの」をめぐる二つの語源、地元でいくつもの歴史書や地元民の回想に目を通しましたが、資料によって「ススキ」説と「薄井」説が真っ二つ。確かなのは、1871年(明治4)7月に建設中の遊郭予定地が「薄野」と名付けられたこと。これは公文書にもある紛れもない事実です。
「薄井説」については、こんな話が残っています。
遊郭完成後に、開拓使の測量主任だった藤井某という人物が岩村にクレームをつけます。
藤井「地名に人の名前つけるなんてずるい!!」
すすきのが人名ということが気に食わないというのです。
岩村も藤井の抗議に手を焼いたのか、
岩村「わかったわかった!お前の名前も町名につけてええわ!」
その結果、「藤井町」という町名ができたと。これも真偽不明の札幌都市伝説ですが、藤井町は確かに大昔に実在したので信憑性のある話です。
薄野の組合が編さんした『薄野発展史』ではこのエピソードを根拠に「薄井説」をとっており、すすきの観光協会も「薄井説」。また、札幌市の広報は行政だからか平等に「ススキ説」も紹介しているものの、上記の藤井噺も含めた「薄井説」の方に文字数を割いており、間接的な「薄井説」支持を匂わせています。
個人的感触ながら、これは「薄井説」が優勢。「薄井説」でほぼ決まりか!?
と思いきや、地元でこんな話を拾ってきました。
「夫レカラ薄野ト申シマス名デスガ 彼レモ別ニオ上カラ付ケタト申ス名前デハ有リマセンデ オ上ミデハ矢ッ張リ前ニ申シ上ケマシタ通リ福島通リデ御座イマシタガ 其時分営繕所ナドノ土方衆が朝歸リマス時分ニ両側カラ一盃いっぱいニ萱すすきガ茂ッテ居リマシテ 眞中ニ細イ道ガアリマシテモ少シモ見ヘマセンデシテ 其萱ハ朝露デ悉皆濡レテ居ルノデ 歸リマスニハ土方衆ハ皆ンナ丸裸デ頭ノ上ヘ衣物ヲ縛リ付ケテ衣物ノ濡レナイ様ニ致シ 今ノ一條通リ元トノ渡島通マデ参リマスト道モ幾分カ廣クナッテ居リマシテ 衣物ノ濡ル様ナコトモアリマセンデ 彼ノ辺デ皆ンナ衣物ヲ着テ歸ルト云フコトニナッテ居リマシタ 彼様ニ萱ガ大変ニ繫ッテ居ッタモノデスカラ 誰レ申トナク薄キ野薄キ野ト申シマシテ 土方衆ノ話ニモ一寸シテモ薄キ野ヘ行フト彼様ニ申シマスノデ 何時トナク今ノ様ニ薄キ野ト云フ様ニナッタノデゴ座イマス 夫レデスカラ薄キ野ト云フ名ハ土方衆ガ付ケタ名デス」
『札幌昔話』:引用は「すすきの」という地名の由来についてというブログより
口語ながらカナ混じりでめっちゃ読みにくいのですが(口述筆記なので音読すると頭に入りやすい)、まとめると「すすきの」の由来はお上がつけたとかそんなのではなく、(遊郭造営に携わっていた)労働者たちが、この地にススキがめちゃ生えてるから誰となく「ススキ野」と言い出した自然発生的なものだと。
開拓がはじまった明治初期に入植した札幌市民第一期生的古老から、3~40年後に聞き取りしたオーラルヒストリー(歴史研究のために当事者や関係者から直接話を聞き、記録としてまとめること)ですが、なるほど「ススキ説」支持者にはかなり重要な証言。
オーラルヒストリーは本人の記憶違いや思い込みなどが混ざりやすく、時には故意に嘘をつく人もいるので、鵜呑みにすると壮大に自爆する可能性があります。鵜呑みは禁物ですが、ここで嘘をついても話し手にメリットがないのと、少なくてもススキがめちゃ生えていたことは事実に違いない。

北の原野の一面に生えるススキを目の前にして、みんな自然にここを「ススキ野」と言い始め、それが地名になった…説得力があります。
しかし、たかが一地名の由来ながら、深掘りするとけっこう面白い。
\(^o^)/<すすきの遊郭についての記事です。
台湾に残る日本語の世界 Part.2
前回の記事の「アタマコンクリ」、台湾には日常会話に相当の日本語が入っていることに衝撃を受けた人が多かったと思います。
台湾で使われている台湾語や北京語などに浸透している日本語を、「日式台語」と言います。和製英語ならぬ台湾製日本語なり。
前編の反響を見て、台湾に残る日本語事情を20年以上前から知っている私にとっては、あれ、みんな意外と知らないのねと衝撃でした。それでも調べていくうちに予想以上に残る日本語の数々に、書いた本人も衝撃を受けました。
前回は適当に書かせていただきましたが、これは面白いとさらに調べてみるとなかなかおもしろい世界が開けてきました。
今回は、そんな「あなたの知らない『日式台語』」のさらなる世界を。
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台湾に残る日本語 Part.1
目次:
- 台湾の言語事情
- 台湾史から見る日本語
- 台湾に残る日本語
- 台湾で見つけた「日本語」
- 昔はもっと残っていた日本語
台湾の言語事情
日本統治50年の歴史がある台湾には、今でもしれっとしたところで「日本文化」が残っていたりします。
昔の日本の姿のまま残されているものもあれば、時代と共に台湾ナイズされ原型をほとんど留めていないものもあるのですが、そういった「日本人の置き土産」がいちばん色濃く残っているのが、言葉です。

台湾で使われている言葉を簡単にまとめると、上の図となります。
「中国語族」「原住民語族」は、私が便宜上勝手につけた名称で、言語学的にはカッコ内の名称となります。
台湾で話されている言葉は、「中国語族」が圧倒的ではあるし、普段耳にする言葉も「中国語族」がおそらく99%。しかし、こうして見てみると台湾ってかなりの多言語・多民族国家なのです。
一つ注目すべきは、日本統治時代は「高砂族」と呼ばれた原住民の言語が、オーストロネシア語族だということ。たぶん、私の年齢以上だと、「マレー・ポリネシア語族」で覚えていたはずなので、あれ!?といぶかしむ人もいるはず。
オーストロネシア語族とは旧マレー・ポリネシア語族の新名称なのですが、マレーシア・インドネシアから太平洋上のパラオ、NZのマオリ族、最東端はハワイやタヒチ、最西端はアフリカのマダガスカルの言葉までを網羅する、広い範囲の言葉の集団です。
太平洋を網羅するこの言語集団の根っこの原郷が、実は台湾原住民の諸言語です。

15年前くらいまでの常識では、人類の移動はこういう流れだと覚えているはずです。17年前のNHKスペシャル『日本人 はるかな旅』でも、このルートが紹介されています。
しかし!最新の言語学や考古学の研究の結果、現代ではこういう流れに。

矢印の方向が真逆になっています。
およそ5500年前、台湾からある集団が南下しフィリピンに渡り、1000年かけてニューギニアまでたどり着いたという流れです。大昔の東南アジアの言語が、原住民の言語に生きた化石のように残っているということです。
また、これは異論もあるのですが、台湾から一部北へ向かった集団もおり、日本語も母音で終わる語彙の構図がオーストロネシア語族の特徴を色濃く残しているとされています。
・・・話が脱線しそうなので、元に戻すことにします。
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他人をコントロールしようとする事、他人にコントロールされる事
日本特別扱いに中国反発=台湾地震の救援めぐり
台湾東部の地震で、蔡英文政権が中国ではなく日本の救援チームを受け入れたことに中国国内で反発が出ている。
共産党機関紙・人民日報系の環球時報(電子版)は8日、「大陸を拒絶しながら日本の援助を受けるのか?」と題する記事を配信した。
環球時報によると、台湾総統府報道官は8日、救援の人員や物資は足りていると説明し、中国などの援助を辞退しながら「唯一の例外は日本だ。高価な探査機を持っている」と発言した。
日本の救援チームは8日、震源地に近い花蓮で、傾いたビルで人命探査装置による捜索活動を始めた。
まずは、地震で亡くなられた住民のご冥福をお祈りいたします。一日も早い花蓮の回復をお祈り申し上げます。
この記事は、台湾の蔡英文総統が中国の救援隊を断り日本のを受け入れたことに、中国がキャンキャン吠えている「いつもの流れ」です。
結果的にはこれ、選ぶのは台湾の方。どちらを選ぶかは相手の勝手。
「カラス何故鳴くの。カラスの勝手でしょ」
というドリフターズの替え歌がありましたが、そういうことなのです。
「勝手でしょ」という、自分がコントロールできない事を必死にコントロールしようとし、他人が持っている選択権を俺によこせとなるから、イライラするハメになる。中国は体を張って、俺みたいになるなよと世界中にアピールしてくれているのです。
それか、同時に好きな女の子に告白してフラれた方が、
「あいつは特別扱いだから(=俺様を振りやがって!)」
と負け惜しみを言っているというか。
同じ言うなら、
「日本よ、うちの台湾を頼むぜ」
と彼氏気取りでメッセージを送った方が良い。どうせ叩かれるなら、こちらの方がよほど「中国らしくて結構」と思いますわ。
しかしこれ、中国のことを笑えたものではありません。
人の振り見て我が振り直せ、個人レベルでもコントロールできないことをコントロールしようとして、一人もがいていることが見受けられます。
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BEのぶの外国語論 第三章ー英語落語で英語を勉強しよう

英語をはじめとする外国語を勉強する方法・・・勉強したいけれどという人は、まずそこで迷路にはまってしまうことが多いです。本屋に行っても、英語のテキストが山というほどありますしね。
しかし、私が外国とその言葉に興味を持ち始めた30年前、小学生のガキが外国語が聞ける機会と言えば、NHKの語学講座と短波ラジオくらいでした。短波ラジオ片手に、ベランダで夜空を見上げながらチューニングしていると、ノイズの奥からかすかに異国の言葉が・・・という経験をした人は、たくさんいることでしょう。
今では、インターネットを通してクリック一つで世界中のラジオが、短波ラジオと違ってノイズなしで聞ける。本当に良い世の中になったと思います。
しかしこれ、海外からの視点だと「ただし、日本を除く」だったりします。
日本にも、radikoやNHKのらじる★らじるなど、リアルタイムでラジオが聞けるアプリがあります。が、これにはある制限があります。それは「日本国内限定」。海外に行かないと実感が沸かないですが、これらのアプリは日本でしか起動しないんです。
仮にradikoを起動させてみて下さい。まずIPチェックが行われているはずです。海外から聞こうとするとこの時点で、
「お前に聞く権利などない!」
と弾かれてしまう。つまり、日本のアプリでありながら海外在住日本人は使用不可。
私はPCやiPhoneのアプリで中国・台湾・ロシア・イギリスのラジオをリアルタイムで聞いていますが(どれを聞くかは気分次第ですが、台湾の国営ラジオの語学講座を聞くと面白い)、何の制限もありません。こんなアホみたいな制限をかけているのは、世界広しといえども日本だけでしょう。いや、北朝鮮があったか(笑)
それはさておき、ネットラジオの普及で外国語学習の選択肢が増えたことは確かです。
それだけに外国語学習の道標が増えてしまい、混乱していることも確かです。語学への入口が多すぎて、どれを、どこから手を出して良いのかわからなくなり、モチベーションがフェードアウトしていく・・・と。
「海外旅行に困らない程度、そこそこ会話ができればいい」
「最初からとっつきやすい英語の教材が欲しい」
という方のために、私は、ある新しい選択肢を用意しました。
それが英語落語です。
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