昭和考古学とブログエッセイの旅へ

昭和の遺物を訪ねて考察する、『昭和考古学』の世界へようこそ

軍事施設の撮影には気をつけろー中国での日本人拘束に添えて

日本人をスパイ容疑で逮捕へ

 

www.jiji.com

 

どういう経緯で捕まったのかが書かれていないので、詳細は不明ですが、2つの可能性が考えられます。

①日本に対する政治的圧力
②軍艦などの軍事施設を、もの珍しさで撮ってしまった

①は、中国が十八番にしている指桑罵槐(しそうばかい。「桑を指して槐(えんじゅ)を罵る)です。
簡単に言うと、日本人を「スパイ容疑」で一人捕まえたのはあくまで「桑」でありカモフラージュ。本丸である「槐」は日本政府か大使館などということ。
指桑罵槐」は中国の毎度おなじみの行動パターンなので、中国情勢に興味がある方は覚えておいた方がいいです。
ただし、これについては今回の本題ではないので詳しくは書きません。

 

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X68000

最近力が入らざるを得ない記事の連続で、肩が凝って少しお疲れ気味の私。今日は体の力を思い切り抜いて書こうと決めました。

するとあら不思議、力を抜くと「素」が出てしまうのか、Google翻訳のように文章が大阪弁に。最後まで書き上がったところでそれに気づき、すべて書き直しかよ~!とぐったりしてしまったのですが、たまには大阪弁垂れ流しも乙なものかもしれないと、なおすの面倒くさいのでそのままにしました。よって、久しぶりの大阪弁エッセイとなります。

 

むか~しむか~し、あるところに

 

シャープのX68000

X68000

 

というパソコンがありました。

これを作ったメーカーは、ちょっと前に台湾企業の傘下になった、大阪に本社があるあの会社であります。

 

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旧制台北高等学校物語ー外伝 『台北高校物語』

台湾に残る旧制高校の面影を3回に分けて紹介してまいりましたが(リンク先は巻末で)、このシリーズを書くために、いろんな方向から資料・文献を参考にさせてもらいました。

「昭和考古学」はほとんど文献とのにらめっこと言っていいほど、本やPDF化された国会図書館の蔵書などと向き合う時間が長いのですが、今回その一つに、少し変わった本があります。

 

 

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台北高校物語』という、台湾人が台湾で描き台湾で販売されているマンガです。
日本ははるか昔よりいろんなものを擬人化する傾向がありますが、妹分である台湾も伝染してしまい一時「擬人化ブーム」が起きました。その擬人化はついに、桜えびまで及んでしまったようです。擬人化にはある程度免疫があるつもりだけれど、もうここまで来たらついて行けん。

さらに10代~20代の若者を中心に広がっているのが、日本統治時代を懐かしみ愛でる(?)「懐日」という流れ。この「懐日」は親日がどうだの一言では片付けられない、台湾人の根っこの問題があると考察しているのですが、それはまた後で。


その「擬人化」と「懐日」が合体した究極の形がこれです。学校、それも日本統治時代の旧制高校を擬人化してしまったと。

擬人化ここに極まれり。総本山の日本もビックリの発想です。

 

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旧制台北高等学校物語 第3話ー写真でたどる現在の台高【昭和考古学】

2話分を費やし、台湾にあった旧制高校台北高等学校の歴史を辿っていきました。

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

今までは過去を書いていきましたが、今回は現在の台高、つまり國立臺灣師範大學がどうなっているのかを写真で紹介していきます。

 

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淡路島の温泉へ行こう-南あわじ市の天然温泉、ゆーぷる

今までのんびり、ほぼストレスフリーで島流しライフを満喫していたのですが、少し厄介な仕事を仰せつかり、先週あたりから雲行きが怪しくなってきました。
島流しなんやからのんびりさせて~、そんな仕事契約書に書いてへんやん~と言っても、猫どころか鼠の手も借りたい人材不足なので仕方がない。
自分ひとりが蜂の巣を突いたような騒ぎになり、ストレスが蓄積されていっているなと感じるほどになりました。
「ストレスフリー」は一見聞こえが良いものの、致命的な弱点があります。いざ「天敵」が現れるとどう対応していいかわからず、オロオロするだけになってしまうのです。
ストレスという緊張がさらなるストレスを呼び、「ストレススパイラル」という謎の台風が発生し、余計に混乱してしまう。
「台風」が過ぎて冷静になれば、
「はて?なんでこんなことでパニクってたんやろ?」
と全然大したことがなかった・・・ということがほとんどですが。
ストレスが無駄に溜まりやすい体質(いや、性質か?)なのが厄介なのですが、ここはいっちょストレス解消風気分転換をしなければと。


前回の旧制台北高校の文献を見ていると、ある高校生の休日の過ごし方が書かれていました。

 

「日曜日は(中略)ときどき一人で草山(※1)に遊んだ。

(中略)一人で広々とした浴槽につかり、あがってきて、昼寝をしたり本を読んだりするときは、『ああ、命の洗濯だ』と心から思った」

(王育徳 『昭和を生きた台湾青年』)

※1:台北市郊外にある、今の陽明山温泉のこと

 

畳の上でリラックス

このフレーズを読んだとき、畳の上で寝転びながら浴衣を着て本を読む光景が頭の中で映像化されました。
我が家でも寝転んで本を読めるスペースはあるし、実際寝転びながら読書をしています。しかし、日常生活の一部である家で風呂の後で寝転んで本を読んでも、ストレス解消には全くならない。
俺も「命の洗濯」するかと、早速淡路島の温泉・スーパー銭湯類を検索してみました。

 

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旧制台北高等学校物語ー第2話【昭和考古学】

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台北高等学校の帽章)

 

第一話、

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

に引き続き、台北にあった旧制高等学校(「台高」)の歴史を書いていきます。

 

尋常科と高等科

1922年に創立した台高ですが、まず作られたのが「尋常科」というクラスでした。

旧制高校は3年制だということは説明しましたが、高校によっては7年制の所も存在していました。台高もそのうちの一つでした。

 

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小学校から大学へは、中学校・高校と受験を乗り越えていかなければならないのが基本ですが、高校の尋常科に入るルートも存在していました。

旧制中学だと高校に入るための受験地獄を味合わないといけなかったですが、高校の尋常科に入れば大学まで受験のプレッシャーは全くなし。7年間留年さえしなければ寝ていても大学まで行けるという、今の中高一貫校と同じ、いやこちらの方が全国の大学選びたい放題な分恵まれていました。

さらに、尋常科は中学経由より1年間就学年数が短いというおまけが。漏れなく飛び級1年の特権付きなのです。中学も成績が優秀であれば「4年修了」という事実上の飛び級がありますが、それは「きわめて優秀な人」のみ。高校尋常科は無条件で漏れなく全員。そこが全く違います。

 

しかし、尋常科を設置している高校は非常に少なく、基本的に公立と私立のみでした。それも募集人員自体が今の高校1クラス分と非常に少なく、中学から高校に入るよりはるかに狭き門でした。

東京の場合、府立高校や私立高校、東京高校に官立唯一の尋常科が設けられていました。戦前のお受験世界にとって高校の尋常科に入ることが最強中の最強。入ってしまえば大学まで安泰な上、世間からは13歳にして「末は博士か大臣か」とチヤホヤされる。そりゃ親ともども血眼になりますわな。

昭和初期頃の東京の中学難易度は以下のような感じだったそうです。なお、当時は偏差値などの相対的な基準がなく、お受験する人や保護者、世間の評判などの主観なので悪しからず。

■お受験界の超サイヤ人ゴッド:府立高校、官立東京高校、各私立高校(の尋常科)、東京女子高等師範付属高等女学校(現御茶ノ水大学付属高校)

 

■ふつうにすごい:府立一中(現都立日比谷高校)、四中(現都立戸山高校東京高等師範付属中(現筑波大学附属高校)

 

■まあ普通:麻布中(現私立麻布高校、開成中(現開成高校

 

■敢えて言おう、カ○であると:早稲田中・慶応(普通部)他

 

台北高等学校の場合、

1922年 創立。とりあえず尋常科のみ

1925年 高等科設立

1926年 古亭町の今の敷地に新校舎が完成、引っ越し

(1928年 台北帝国大学設立)

という経緯でした。高等科を作るのは小さい大学を一つ作るほどの資金と土地、エネルギーが必要なので、まずは4年制の尋常科だけを作り、彼らが卒業するまでに高等科を作ろうと。

 

後で高等科を作る前提で尋常科だけ作ったものの、高等科が出来ずに終了というパターンは、大阪に存在します。

大阪市は既に大阪商科大学(今の大阪市大)という大学を持っていたのですが、既に府立高校があった府に対するライバル意識か、

「うちも作ろうじゃないか」

ということで、「旧制大阪市立高校(仮名)」の設立を目指し、まずは尋常科(旧制中学)を創設。が、戦争、敗戦という混乱で高等科は作られないまま、計画は白紙に戻りました。しかし尋常科だけは戦後も残り、大阪市立高校(新制)として現存しています。

 

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旧制台北高等学校物語ー第1話【昭和考古学】

台灣には、2005年時点で145校もの大学が、島内のあちこちに建てられています。

台湾人の大学進学率は7割近くに達するようで、学問熱心のお国柄もあいまって日本以上の学歴社会となっています。

 

その中の一つに、台北市内にある

「国立台湾師範大学」

という大学があります。台湾は「繁体字」という漢字の旧字体を使うので、正式には「國立臺灣師範大學」と書かないといけないのですが、画数が多すぎて読みにくい。そんな硬いことを言わないのが我がブログ。以下「師範大」とします。

「師範」という名前がついているように、この台湾師範大学は学校の教師養成の学校となっています。もっとも、最近は教員希望者が減ったのか、はたまた少子化の影響か、日本の教育大学もそうですがそのストライクゾーンの広さから総合大学への脱皮を図っています。

ここもその例に漏れず、「師範」という名前はついているものの、文学部から理学部、芸術学部までを網羅した事実上の総合大学となっています。

 

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この大学の英語名の略称は”NTNU"です。

National Taiwan Normal University

略してNTNU。

中国にも師範大学があるのですが、こちらも英名がNormal University。

”Normal”ってなんじゃい!?"Normal"があるなら”Abnormal University”でもあるんかいな!?(笑

と若い頃は変な方向へ邪推したものです。

何故Normalなのか、調べてみると理由は簡単でした。英語のnormalには「模範的な」という意味もあり、模範的になる人は教師になる。教師=模範たる人。「他人の模範となる人」を養成するのが「師範大学」というわけです。

もっとも、「Normal University」という言い方は英語として古めかしく、今の欧州ではあまり使われていません。しかし、その言い方がまた日本人には古めかしい「師範」に合っている。これは妙訳だと思います。

 

師範大は、外国人の中国語教育のメッカでもあります。

中国留学がメジャーではなかった25年以上前は、この大学の外国人教育センターに留学し中国語を勉強していた人も多いと思います。かく言う私も20年前、ここに少しだけですがお世話になったことがあります。外国人の中国語クラスの門戸は広く、先生も教授歴の長いプロばかり。学生だけではなく駐在員の奥様方や日本語教師など、階層はかなり広かったと記憶しています。

一時は猫も杓子も中国だと、日本人はみんな中国へ流れていった感がありますが、ここ数年は「台湾回帰」の動きも活発になっていると聞いています。なんだか一巡回って元に戻った感があります。

 

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師範大は、台北市の中心部から少し南にある「古亭」(クーティン)という地区にあります。

ここは日本統治時代にも「古亭町」という地区で、日本人も多く住んでいた地区だと聞いています。台灣生まれ台灣育ちの「湾生」だった私の遠縁も、ここ「古亭町」に住んでいたそうです。

「私、小さい頃は『こていちょう』で育ったの」

ちょうど20年前に台灣に住んでいた時、遠縁はそう私に言いました。

私は「古亭」を北京語読みの「クーティン」でインプットしていたので、「こていちょう」と言われてもピンと来ませんでした。「湖底町」ってどこやねん、統治時代の地名で言うてくれてもと思ったのですが、漢字を見て一目瞭然。ああ、師大(「師範大学」を中国語ではこう略す)のあるところねと。

まさか「古亭」が日本統治時代からある地名だったとはつゆ知らず。そう知った途端、「こていちょう」の響きに血が通い出した気がしました。

 

 

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私が台北に住んでいた1997年、師範大周辺には絵に描いたような和風建築が掃いて捨てるほど残っていました。ああ、日本人が住んでいたのだなと、昔に帰った田舎の祖母の家を訪ねる気分でした。

遠縁が住んでいた時の雰囲気がおそらく残ってた時と思われ、カメラを構えているとお年寄りがヒョイと顔を出し、

「こんにちは、あんた日本人かい?」

と日本語で声をかけられたことも。今思えば、台灣の「元日本人」たち、女性は「あなた」だったのに男性の日本語の二人称って、何故か「あんた」が多かったなー。

しかし、今は「こていちょう」という古い地名と共に今は見る影もありません。私が見た風景は、既に過去のものとなっていました。

 

台北MRT古亭駅

 

台灣師範大へは、今では市内を縦横無尽に走るMRT(地下鉄)に乗れば市街地からものの十数分の距離です。最寄り駅は「古亭」です。

 

 

台北MRT古亭駅と台電大楼駅

 

情報収集のためにググってたところ、あるブログで「師範大学への最寄り駅」について激論(?)が交わされていました。別にどっちでもええやないか、最寄り駅くらいで揉めるなっちゅーねんと。

地図で示すとこの通りなのですが、私なりに説明すると、

台灣師範大自体に行く=古亭駅

大学の横で行われる師大夜市(大学周辺に開かれる夜市)へ行く=台電大楼

ということでいいと思います。また、古亭駅は緑の路線と黄色の路線の乗り換え駅でもあるので、市街地からならここを目標にした方がわかりやすいと思います。まあ、地理に疎い初心者や方向音痴と自覚している人は、古亭で降りた方が絶対無難。

ここあたりに行かれる方はご参考までに。

 

 

2017年8月台北の台灣師範大学正門

 

MRT古亭駅から徒歩5分ほどで、台湾師範大のメインキャンバス正門へと到着します。

台湾師範大の設立は1946年となっていますが、それより古そうな、ものすごい威厳をまとった建物が真正面に君臨しています。

 

旧制台北高等学校本館(現台灣師範大学行政大楼)

 

門をくぐるとこの通り。

来る人を圧迫させるような、しかし少し懐かしさを感じるこの建物は一体・・・。

 

台灣師範大学の設立は、たしかに日本統治時代が終わった1946年です。しかし、校舎は日本統治時代のものをそのまま現在も使っているのです。

師範大が作られる前、ここには何があったのか。

台北高等学校」という旧制高校があったのです。

 

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